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蔚山倭城 地図を見る 印刷
(681-180) 蔚山 中区 鶴城洞 100番地 ヘ(Tour/Vestiges)
この城は1597年(宣祖30年)丁酉再乱(慶長の役)の時、倭軍の将帥加藤清正が設
計した。そして彼は倭軍1万6千名を率い、蔚山邑城と兵営城の石で持って、40
日余ぶりに築いた日本式の城である。
標高50mである山頂の南に本丸を、本丸の北の下に二の丸(標高35m)を、その
下の西北に三の丸(標高25m)を築いた。これらの城壁の全長は合わせて1300m
であり、高さは10~15mであった。また、城外に2400mの木柵を建て、二重構
造の城郭を築いた。
朝鮮と明の連合軍は、1597年12月23日から1598年1月4日までと1598年9月21日
から25日まで、2回にかけてこの城を攻撃したが失敗した。その後、倭軍は関
白豊富秀吉がなくなった後、後退の命令によって1598年(宣祖31年)11月18日城
を焼いて日本に撤収した。

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