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「公害の原点」といわれる水俣病の未認定患者の救済問題が、大きな節目を迎えた。
水俣病と認められていない被害者が損害賠償を求めている訴訟で、熊本地裁が「所見」として示した和解案を、原告と被告の国、県、原因企業チッソが受け入れ、和解に向けた合意が成立した。
有機水銀中毒の患者が公式に確認されてから54年。国が和解協議の席に着いたのは今回が初めてだ。政権交代で誕生した鳩山内閣に、日本社会に突き刺さったトゲを抜こうという思いがあってのことだろう。
こじれきった水俣病紛争の解決に取り組んだ内閣の努力は率直に評価したい。とはいえ、被害者にとって、今回の受諾はまさに苦渋の決断だった。1人当たり210万円という一時金は15年前の「政治決着」をも下回る。強く求めていた全員救済の保証もない。
それでも受け入れに踏み切らざるを得なかったのは、被害者の高齢化が進み、ここで拒めば「生きているうちの救済」が遠のいてしまうからだ。無念さに心から同情したい。
今後は原告の一人ひとりについて、救済対象者かどうかの判定が始まる。昨夏成立した水俣病被害者救済法に基づく救済を求める「非訴訟派」の救済策も、「所見」と同水準になる。
それにしても、水俣病の混迷の歴史を振り返ると、嘆息せざるを得ない。
これまでも、公害健康被害補償法に基づく認定患者、1995年の「政治決着」を受け入れた被害者、2004年の関西訴訟の最高裁判決で勝訴した被害者と、症状の基準や補償額が異なる三つの被害者が存在している。そして今回、もう一つ新たな水俣病被害者の概念が生まれる。
さらに、なお取り残される人々が確実に存在する。「所見」が救済対象とする地域以外に住んでいたり、誕生日がずれていたりする人々の中にも多くの被害者がいる。昨秋の民間医師の検診で明らかになり、今も検診の度に新たな被害者が名乗り出ている状況だ。
こうした事態の根っこには、政府が77年につくった現行の認定基準をかたくなに見直さず、被害を小さくとらえて、とりあえず眼前の紛争を解消できればいいという対症療法を繰り返してきたことがある。
水俣病問題の根本的な解決には、被害者が求める恒久的な補償・救済の枠組みづくりが欠かせない。そのために政府がなすべきことは、汚染地域全体の被害調査であり、被害実態に応じた認定要件の見直しである。
水俣病は高度成長期の典型的な企業公害で、世界の公害の歴史に残る大事件だ。政府はこの機会に過去の行政責任を明確にし、悲劇を二度と繰り返さないための出発点にしてほしい。
これは、オウム真理教がどれだけ反社会的な集団かということとは別の問題である。
国松孝次警察庁長官銃撃事件の公訴時効を迎えた9時間後、警視庁の青木五郎公安部長が記者会見をし、「事件はオウム真理教のグループが、松本智津夫教祖の意思の下、組織的に敢行したテロだった」と断定した。
容疑者不詳のまま起訴に至らず時効が成立した事件で、捜査機関が犯罪への特定の団体の関与を断じるのは聞いたことがない。
警察は犯罪を捜査する機関であって、裁判所ではない。だれに対してであろうと、弁護や反論の機会も与えずに一方的に有罪を言い渡すことはできない。
この会見は、そうした法治国家のルールを大きく逸脱した行為ではないだろうか。
断定の根拠もあいまいだ。
警視庁が公表した「捜査結果概要」は、教団元幹部や元信者ら8人について事件前後の行動や会話内容を詳細に列挙し、事件への関与について「可能性を強く示唆する」「強くうかがわせる」と強調している。
だが、決め手となる証言や証拠は示されず、犯行の際の役割はまったく解明されていない。なぜ詰め切れなかったかについての分析もない。
捜査当局にとって、都合のよいピースだけパズルにはめ込み、最後にオウムの組織テロと断定する。この「概要」そのものが、説得力を著しく欠く。起訴に至らなかったのも当然だ。
にもかかわらず、警視庁は「概要」の公表に踏み切った。理由として、「人権に配意したうえで、公益性が勝ると判断した」「事件の重大性や国民の関心の高さ、オウムが今なお危険性が認められる団体として観察処分を受けていることにかんがみた」と説明している。
警察には治安情報を人々に知らせる責務がある。だが、団体規制法が適用され、すでに監視下にある教団について、立証できなかった情報を提供することにどれほどの公益性があるのか。
捜査を主導した警視庁公安部が、警察内外からの批判に反発し、「捜査はここまで肉薄したんだ」と発表することで、なんとか体面を保とうとした。そんな身勝手な組織の論理が働いたと疑われても、仕方あるまい。
いま警察がなすべきことは、捜査の失敗の検証と、そこから教訓を率直に導き出すことにつきる。だが、警察にそれは期待できるのだろうか。
警察を管理する国家公安委員会や都公安委員会は、今回の警視庁の発表をどう考えるのだろうか。中井洽国家公安委員長は記者会見で「悔しさもにじみ出ていると思う」と答えた。担当相として深刻に受け止めるべきだ。