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社説

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「赤旗」配布無罪―時代に沿う当然の判断だ

 国家公務員が休日に、公務と関係なく、政党の機関紙を配布したことを処罰するのは、表現の自由を保障した憲法に違反する。そんな判断を東京高裁が示した。

 公務員の政治活動に対するこれまでの規制の範囲は、不必要に広すぎた。表現の自由は民主主義国家の政治的基盤を根元から支えるものだ。そう言い切った判決の論旨を高く評価したい。

 被告は旧社会保険庁職員。2003年の衆院選前に、共産党機関紙「しんぶん赤旗」を自宅近くのマンションの郵便受けに配ったとして、国家公務員法違反(政治的行為の制限)の罪に問われた。同法とそれに基づく人事院規則は政党の機関紙などを発行、編集、配布してはならないなどと定める。

 公務員の政治活動については、「猿払(さるふつ)事件」についての1974年の最高裁大法廷判決が、長く合憲性判断の基準とされてきた。衆院選で社会党(当時)の選挙ポスターを掲示、配布した郵便局員を有罪とした判決である。

 猿払判決は、国家公務員の政治活動について、その公務員の地位や職種、勤務時間であったか否かなどのいかんを問わず、幅広く禁止できるという判断を打ち出した。

 今回、高裁判決は、この点について明確に疑義を呈した。公務員に対する国民の意識が変わったからだという。

 猿払事件当時は東西冷戦下、左右のイデオロギー対立が続いていた。社会情勢の不安定さもあって、公務員の政治活動についても、その影響力を強く考えがちだった。しかし、現在は民主主義が成熟し、表現の自由が大切だという認識も深まっている。

 こんな見方に立ち、判決は被告への罰則適用について「必要な限度」を超えていると指摘。公務員の政治活動そのものについても、許される範囲などについて「再検討され、整理されるべき時代」が来ていると述べた。

 妥当な、思慮深い判断である。

 もとより猿払判決には、かねて学界などから批判が多かった。今回の高裁判決は、時代や国民意識の変化を見極めたうえでの結論なのだろうが、むしろ裁判所の意識がようやく国民に追いついたという方が正確ではないか。そのことは指摘しておきたい。

 今回の事件では警察の捜査手法も問題となった。大量の捜査員を投入し、長期間尾行し、ビデオに撮るなど、異様さが際だった。

 ここ数年、ビラを配布しただけで刑罰に問われる事件も目立つ。いかにも軽微な行為を罪に問うことが横行すれば、社会は萎縮(いしゅく)してしまう。民主主義にとっては大きな妨げである。

 裁判は上告審に移り、論争が続く可能性が高いという。最高裁には、今回の高裁判決を踏まえた賢明な判断を求めたい。

長官銃撃時効―なぜ捜査は失敗したか

 15年前、治安への信頼を揺るがすことになった国松孝次警察庁長官銃撃事件が、きょう時効を迎えた。

 警視庁は、オウム真理教による組織的犯行との見方に立ってきた。だが、15年間の捜査は迷走を繰り返した。真相を闇の中へと押しやったのは、警察組織の病理が招いた失敗の連鎖だったといっていい。

 銃撃は、地下鉄サリン事件の10日後に起きた。発生時に警視総監だった井上幸彦氏は、反省点として、初動のまずさを挙げる。教団信者に似た男が現場から自転車で走り去ったという目撃証言に引きずられ、初めからオウムという枠にはめこむように、捜査は走り出してしまった。

 信者だった警視庁巡査長が「撃ったのは自分だ」と話したのは、事件翌年の5月。聴取は極秘で続けられ、裏付け捜査はなされず、警察庁にも報告は上げられなかった。5カ月後、匿名の投書を機に情報隠蔽(いんぺい)が明るみに出て、井上総監の辞任につながった。

 警視庁の捜査本部を主導したのは公安部だった。証拠の積み重ねよりも、見立てに基づいて「情報」から絞る捜査手法。かたくなな秘密主義。刑事部との連携のまずさ。公安警察のそうした体質が、すべて裏目に出た。

 警視庁は2004年、懲戒免職となっていた巡査長の「コートを貸した」という新供述を頼りに、今度は教団元幹部が実行犯で、この巡査長らが逃走を手助けしたという構図を描いた。

 強引に4人を逮捕したものの、元巡査長はまた供述を変えた。結局、実行犯を特定できぬまま、4人は不起訴処分に。揺れ動く供述に頼った捜査がいかにもろいかが、改めて露呈した。

 警視庁には、警察トップが襲われ、組織の威信が問われているという重圧もあっただろう。そのことが、捜査の柔軟性を奪ってはいなかったか。どこかの時点で、一から立て直せなかったのか。痛恨の思いが残る。

 事件が起きた95年は、サリン事件や長官銃撃に加え、市民を巻き込んだ銃犯罪の多発などもあり、安全だったはずの日本社会が大きく変質したと言われた。犯罪の発生件数はその後、急カーブを描いて伸びた。

 様々な対策の効果もあって、02年ごろをピークに減少に転じ、昨年は殺人事件が戦後最少を記録した。にもかかわらず、人々がいま「治安の回復」を実感しているとは言いがたい。かつて60%前後だった検挙率は3割台にとどまり、捜査ミスや冤罪は後を絶たない。社会の変化に警察が対応できていないことも、捜査力低下の背景にはあるのではないだろうか。

 前代未聞の捜査の失敗について、警察は綿密に検証し、教訓を生かさなければならない。それが治安組織としての信頼を取り戻す一歩になる。

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