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【コラム 撃戦記】

勇退・原田氏ボクシング界に多大な功績

2010年3月25日

 団塊世代に“ファイティング原田”は、今でもカリスマボクサーである。駆け出し記者のころ、まっ先に会って話をしたいと思っていた。願いがかなったのは日本ボクシング協会が1976年11月に全日本ボクシング協会に改められてしばらくしてからだった。私が左右フックとアッパーで終始ラッシュする闘争心を問うと、「それは減量」と力強く語った言葉が印象に残っている。太るタイプの原田氏は最高で17キロ落としたそうで「こんなに苦しい思いをしてるんだから、おれ負けるわけがない」と自らを叱咤(しった)した。そのパワーは海外で“狂った風車”と形容されるほどで、リングネームの“ファイティング”になった。

 原田氏は62年10月、19歳で王者ポーン・キングピッチ(タイ)からフライ級王座を獲得。3年後には王者エデル・ジョフレ(ブラジル)を破ってバンタム級王座獲得し、日本人初の2階級制覇を遂げた。

 その原田氏が89(平成元)年に就任し、7期21年務めた全日本プロボクシング協会の会長職を退任して、4月から大橋秀行新会長に引き継ぐ。60年2月のプロデビューから50年。その功績は多大だ。協会は「野球の長嶋監督のように名誉職を設けて今後もかかわってもらいたい」という。ぜひ、そうあってほしい。 (格闘技評論家)

 

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