毎日新聞「開かれた新聞」委員会の月例報告(6月度)は、足利事件をめぐる報道を取り上げます。事件では、無実の罪で17年半も獄中に捕らえられた菅家利和さん(62)について、東京高裁が23日、再審開始を決定しています。
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<経緯>
1990年に栃木県足利市で4歳女児が殺害された足利事件で、栃木県警は91年に菅家利和さんを逮捕しました。菅家さんは「刑事に髪を引っ張られたり、けられて自供を強いられた」として、その後無実を主張。しかしDNA鑑定結果が有力証拠とされ00年7月、無期懲役が確定しました。再審請求過程でDNA鑑定をやり直したところ、真犯人でない可能性が高まり、6月4日、逮捕から17年半ぶりに釈放されました。年内にも無罪確定の見通しです。
毎日新聞は6月11日朝刊紙面で、逮捕当時の記事を検証。取材班は当時のDNA鑑定の証拠能力を過信し、容疑者特定の決め手ととらえていた▽菅家さんが自供したとの栃木県警の発表に基づき、「菅家さんが真犯人」の前提で疑問を挟む記事がなかった▽足利市内で未解決だった別の女児殺害事件について、県警取材をもとに「2児殺害も自供」と報じた--などと問題点を指摘し「当時の報道に反省すべき点があったことを厳粛に受け止める」としています。
誤認逮捕には捜査陣による見事なストーリーが作られている。すべての物事が物語の要素として都合良く意味付けられて組み込まれてしまう。記者も熱心に捜査陣に食い込むほどに、そのストーリーに魅せられ、信じてしまいがちだ。
菅家利和さん逮捕翌日(91年12月3日)の朝刊栃木県版の記事は、その落とし穴にはまった典型的な例といえる。もちろん当時のメディアの報道姿勢や判断基準は、今とはかなり違うが、これからのメディアを考えるうえで、極めて重要な事例となるので、あえて指摘する。
その記事は、大きく横見出しで「三千分の一へ、執念の捜査実る」と打ち、縦見出しは「13時間余の“攻防” 『私がやりました』涙の自供」と捜査陣を称賛している。
「三千分の一」とは、捜査の対象になった不審者から菅家さん一人に絞り込んだ捜査の労を表現したものだ。その決め手とされたのがDNA鑑定だが、当時の精度は1000分の1程度に過ぎなかった。その時点で記者が疑問を抱くのは無理にしても、一般に人は「科学的データ」と言われると信じやすい。「科学的データ」として出されたら、逆により厳密に信頼性や精度を論じたり検証したりする姿勢を身につけることを教訓とすべきだろう。科学者や官僚によるデータ捏造(ねつぞう)事件が続発する時代なのだから。
縦見出しの「13時間余の“攻防”」とは、捜査官の厳しい取り調べが13時間余も続けられたことを意味する。無実の人間であれば、精神的拷問だ。「もうどうでもいい」とその場の苦しみから解放されたくて、捜査官の言いなりになって虚偽の自白調書に署名した例がいかに多かったか。
「13時間余」を捜査官の目ではなく、容疑者の身になって「どんな取り調べだったか」と検証する目を持つこと、それも重要な教訓だ。
今回、検察や警察が謝罪を表明しているが、菅家さんより記者会見を優先するなど、重大な人生破壊への謝罪のあり方の是非を問う議論と検証も必要だろう。
毎日新聞の検証記事(11日朝刊)は「『真犯人は菅家容疑者』を前提に報道を続け、疑問をはさむ記事はなかった」と自ら指摘している。毎日新聞に限らず、それが当時の犯罪報道の水準を示しているのだと思う。
足利事件の場合、本人の自白があり、DNA型の一致という物証も示されていた。普通ならこれで「決まり」である。この「普通」の視線で記事を書くのが、当時の報道の主流だった。
だが、自白は常にその任意性が問われ、DNA鑑定の証拠能力にもさまざまな議論がある。そう考えれば「決まり」とはならない。犯罪報道においては、警察情報に疑念をはさむ自分の視点に立って、いかにその情報を相対化するか、が問われる。その自覚があれば「あまりにもケロッとしているその素顔を、どう理解すればよいのか」(91年12月29日社会面)のような、容疑者を犯人と決めつけた記述は避けられたはずだ。
宇都宮地裁の公判で、菅家さんが起訴内容を否認した時の記事の扱いが非常に小さかったのも気になる(92年12月23日朝刊)。これも警察・検察情報を相対化する視点を欠いていたからではないか。自白の任意性に疑義をはさむ好機だった。この時点が事件のターニングポイントだったように思える。
今の自分ならその重要性を見落とすことはないかどうか--記者ひとりひとりが、自問してみてほしい。毎日新聞は他紙に先がけ、「署名記事多用化」を掲げ、情報を相対化する紙面作りを心がけてきたはずだ。そのことを再確認する機会としてほしい。
人の人生を17年半も奪う取り返しのつかない過ちがなぜ起きたのか、今後どうしたら防げるのかという視点での検証が必要だ。
警察、検察、裁判所がこの不幸な現実とどう向かい合い、何を学び、どんな方策を取ろうとしているのか、しっかり取材し、伝えてほしい。
メディアも、犯人と決めつけた報道で著しく菅家さんの名誉を傷つけた当事者だ。「当時は人権意識が未熟だった」だけで片付けられる問題ではない。容疑者周辺の人物や検察官の発言などをカギカッコ付きで「子どもへの接し方が何かねっとり」「幼児に執着」「冷酷で反省なし」などと伝えた手法は、客観的報道という逃げを打ちつつ、一定のメッセージをむしろ強烈に伝えてしまう。この手法は、現在もしばしば使われているように感じる。
90年ごろのDNA鑑定は、別人でも1000人に1・2人の割合で一致する程度の精度だったと、今回初めて知った人も多い。鑑定資料の入手方法は問題にされても、精度の危うさは問題視されてこなかった。科学的鑑定については、今後も専門的で冷静なチェックが必要だ。
さらに、警察での取り調べだけでなく、法廷でさえ菅家さんの供述が二転三転したのはなぜなのか。その背景を見極めることで、無実の人が冤罪(えんざい)に落ち込む陥穽(かんせい)が浮き彫りになるのではないかと思う。
02年の再審請求からDNA型の再鑑定が決定する08年末までの間の記事も極めて少ない。「判決確定で事件報道は終わり」では必ずしもないと、肝に銘じてほしい。
無実の人を犯人にし、処罰してしまった今回の事案は、捜査や裁判のあり方だけでなく、メディアの責任も厳しく問われるべきであり、徹底した報道の検証が欠かせない。そういうなか毎日新聞が当時の本紙記事の検証にいち早く取り組んだ(11日朝刊)姿勢は評価できる。
1審途中まで本人が否認せず、自白していることやDNA鑑定に基づいていたことなどもあったのだろうが、毎日を含めメディアは全体として、自供内容を中心とする警察情報にほぼ全面的に依存する、典型的な犯人視報道になってしまった。犯人と断定する表現、少女への性癖などの憶測記事、自供内容があたかも客観的事実であるかのように伝える記事も紙面に躍った。まっとうな報道とは到底言えない。
足利事件は物証に乏しく、自供中心に進められてきた。その点を意識し、自供内容と目撃証言の不一致の検証、解明に努め、容疑者側の弁護士や関係者への取材ももっと必要だった。菅家さんは逮捕直後、足利市内で発生した別の幼女殺害事件2件についても認める供述をしているが、弁護士との接見ではこれを否認していたし、処分保留の後、結局2件とも不起訴になった。また、本件でも1審で否認に転じた。こうした一連の事実こそメディアが重視し、追究することが必要だったはずであり、これが果たせたならば早い段階で冤罪の可能性を探れたのではないかと思う。
捜査機関に依存した事件報道から踏み出し、冤罪を絶対生まないように権力監視を徹底していくことがメディアに求められている。
◆編集局から
足利事件は私たち報道する側に大きな課題を突きつけていると受け止めています。なぜ菅家さんが17年半も獄中で過ごさなければならなかったのか。捜査、裁判に誤りがあったのなら、なぜそれを私たちが指摘できなかったのか。この事件の報道を反省し、教訓として今後に生かさなければならないと考え、6月11日朝刊に検証記事を掲載しました。
検証にあたっては、当時の新聞記事を精査するだけでなく、取材にあたった記者からの聞き取り調査もしました。そこで浮かび上がったのは、取材競争の中で捜査情報をいかに早く聞き出すかに取材の力点が置かれていたことです。取材記者としては基本動作ですが、結果的に権力に対するチェック機能が不十分になっていたかもしれません。委員のご指摘のようにDNA鑑定という「科学」に、「自白」が加わったことで、犯人であることを前提とした取材、記事となっていました。
検証記事は逮捕当時の検証でしたが、1審途中で菅家さんが起訴内容を否認した際や、再審請求時の報道に対する委員のご指摘も重く受け止めます。弁護側の主張を取り上げつつも、突っ込んだ取材には至らず、大きな展開もしませんでした。犯行現場周辺の目撃証言などは犯人が菅家さんではないことを示す根拠ともなり、DNA鑑定も含めた再取材をしていく必要がありました。
毎日新聞は現在、裁判員制度導入に伴って作成した「事件・事故報道に関するガイドライン」に沿った報道を始めています。単に記事表現だけでなく、多角的取材と冷静な判断をもちつつ、実質を伴う報道にするよう、この事件を教訓にしていきたいと考えています。【東京本社地方部長・寺田浩章】
毎日新聞 2009年6月29日 東京朝刊