バンクーバー冬季オリンピックは2月末に終わったが、その開会式、五輪旗を持った8人の中に少々意外な顔があった。1997年F1世界チャンピオン、ジャック・ビルヌーブだ。F1史上ただひとりのカナダ人チャンピオンだけに、カナダを代表する著名人として選ばれるのは当然と言えば当然なのだろう。現在38歳のビルヌーブはこのシーズンオフ、ルノーやロータス、ステファンGPでF1復帰かとの噂も流れたが、残念ながらシート獲得の報は聞こえてこなかった。そのビルヌーブがF1デビュー2年目、初の王座に輝いたときに駆ったマシンがウイリアムズFW19だ。
FW19は前年96年シーズンを席巻したFW18の正常進化型。カウル内の空気の流れを改善するため、エアインテーク形状が三角形から水滴状に変わり、他チームでは当然だったサイドポンツーン後端のウイングレットがなくなったくらいだ。ルノーが冷却液の温度が130度に達しても問題が起こらないようなエンジンを設計したため、ラジエターが小型化された。その結果、優れた形状のサイドポンツーンが可能となり、ウイングレットなしでも十分なダウンフォースを発生していた。メインスポンサーのロスマンズタバコは不変ながら、燃料&潤滑油はエルフからカストロールに変わっていた。
特徴のひとつは重量配分に優れていたこと。極めてコンパクトなギヤボックスによりドライブシャフトがやや前方に向けて斜めに取り付けられ、リヤ寄りの重量配分の適正化に貢献していた。またギヤボックスが小さいため、ディフューザー等のリヤ周りの設計の自由度も高くなった。当然だが、マシン後部の空気の流れがより整えられている。全長4150mm、全高950mm、全幅2000mm、ホイールベース2890mm、前後トレッドは1670mm/1600mm。
96年、FW18を駆ったデイモン・ヒルがドライバーズチャンピオン、最後までタイトルを争ったビルヌーブの活躍と合わせてウイリアムズはコンストラクターズチャンピオンと見事2冠を勝ち取った。その強さゆえ、フェラーリを筆頭に他チームはこぞってFW18を模倣した97年型マシンを製作する。これらの模倣に対し、当時ウイリアムズのテストドライバーを務めていたジャン-クリストフ・ブイヨンは「みんながFW18を手に入れたということさ。でも、ウイリアムズはFW19だけどね」とコメントしていた。それだけの自信がパトリック・ヘッドはじめ、ウイリアムズの面々にはあったのだ。
彼らの自信はシェイクダウンでさらに強固なものになる。イギリス、ディドコットの旧ファクトリーで発表会が行われたFW19は、翌日バルセロナへ運ばれてシステムチェック、翌々日に本格的なシェイクダウンをし、それまでのトップタイムをあっさりと更新したのだ。大きなトラブルもなく、前年同様、ウイリアムズ無敵のシーズンを予感させた。
その最強マシンは進化したが、96年と97年のウイリアムズには大きな違いがあった。チャンピオンとなったヒルがゼッケン1と共にトム・ウォーキンショウ率いる新生TWRアロウズに移籍し、代わってビルヌーブのチームメイトにハインツ-ハラルド・フレンツェンが起用されたこと。そして、最強マシンを手掛けてきた空力の鬼才、エイドリアン・ニューエイが不在だったことだ。
もちろんFW19はニューエイの作であり、ニューエイ自身もウイリアムズに籍は置いていた。しかし契約問題でウイリアムズとマクラーレンとの裁判闘争の渦中にあり、自宅待機を命じられていたのだ。99年7月まで有効のウイリアムズとの契約だったにもかかわらず、ニューエイは96年末にマクラーレンと契約したといわれている。その背景には、ニューエイが知らないうちに自らがエンジニアを務めるほど買っていたヒルとの契約更新をウイリアムズが打ち切ったことへの不信感(その結果、ヒルはTWRアロウズに電撃移籍)、旧知のマリオ・イリエン(イルモア・エンジニアリング代表。マクラーレンに供給されるメルセデス・エンジンは同エンジニアリングが開発していた)にマクラーレン入りを誘われたことなどが噂されたが、真相は不明だった。ただ当のニューエイは「何か新しいことをやりたかったんだ」と述べているが。
ニューエイの希望はさておき、彼の才能をウイリアムズが手放すはずはなく、対するマクラーレンは是が非でも獲得したい。97年シーズンにとどまらず、その後の両チームの浮沈もかかってくるだろう人物だけにニューエイの移籍契約裁判は長期化を余儀なくされる。ようやく両チーム間で示談が成立し、晴れてニューエイがマクラーレンに移籍したのは97年8月1日付け。シーズンはすでに第10戦ドイツGPまでを消化し、後半戦に入っていた。
その間、ウイリアムズはビルヌーブが4勝を数えたが、優勝以外はほとんどリタイア。フランク・ウイリアムズが大きな期待を寄せて獲得したフレンツェンはわずか1勝に留まっていた。そして“赤いFW18”フェラーリF310Bを駆るミハエル・シューマッハーが3勝し、コンスタントに入賞を繰り返したことも手伝ってドライバーズランキングのトップ、ビルヌーブが2位につけていた。前年同様、97年もウイリアムズの圧勝が予想されていただけに、少々意外なシーズン展開だった。
デザインを手掛けたニューエイ不在でこの成績だったのだから、FW19の基本性能がいかに高かったかの裏返しとも言える。それどころかウイリアムズはシーズン序盤、翌98年モデルの開発に着手し、FW19の開発はほとんどしていないに等しかったのだ。97年限りでルノーが撤退し、最強V10ユニットを失う翌年に向けての開発を早めたからかもしれないが、96年シーズン圧勝による慢心が少なからずウイリアムズにあったのではなかろうか?
開幕戦オーストラリアGPでは首位を争うフレンツェンのフロントブレーキディスクが割れ、速すぎるFW19唯一の弱点を露呈した。残されたスタッフが開発に奔走し、その対策が施された34mm厚のディスクをようやく第4戦サンマリノGPで使用、終盤の第13戦イタリアGPでは電子式ブレーキバランス・アジャスターを投入する。
空力面の開発に関しても混乱が見られた。第7戦カナダGPでは流麗だったサイドポンツーンにウイングレットが復活し、同時に形状の異なるターニングベインも試す。しかし期待された効果は得られなかった。
さらにシーズン中、高速コーナーでの安定性を高めるため、フロントサスペンションの上下ウィッシュボーンの形状を変更してホイールベースを延長した。これに伴いフロントホイールが前方に移動、ノーズコーンもわずかに延ばされた。
地味ながら特に空力面での改良が奏効し、第14戦オーストリアGP、第15戦ルクセンブルグGPと連勝したビルヌーブがついにドライバーズランキングトップへ躍り出る。しかし続く第16戦日本GPでビルヌーブが予選での黄旗無視により失格、シューマッハーが優勝しランキングで再逆転。そして1点差で迎えた最終戦、ヘレスでのヨーロッパGP。当時の最終戦は日本GP・鈴鹿が多かったが、97年はルノーがF1から撤退するため、最終戦はヨーロッパで開催されたのだ。
そのヨーロッパGPの予選ではウイリアムズのビルヌーブとフレンツェン、さらにシューマッハーの3者が全くの同タイム、1分21秒072をマーク。先にタイムを記録した者が上位となることから、ポールポジションがビルヌーブ、2位シューマッハー、3位フレンツェンとタイトルを争うふたりがフロントロウに並ぶ、最高のお膳立てとなる。
ところが決勝48周目、マッチレースを彩っていた両者は接触。シューマッハーはコースアウトしてリタイア、ビルヌーブは踏みとどまって3位でフィニッシュ。3点差でシューマッハーを下し、見事チャンピオンに輝いた。ちなみに最終周でビルヌーブがスローダウンしたとはいえ、ウイナーはミカ・ハッキネンで自身のF1初勝利、2位デビッド・クルサードとマクラーレンの1-2フィニッシュ。ニューエイ移籍の効果がマクラーレンに着実に表れていることを感じさせた。一方、このヨーロッパGPでのビルヌーブへ故意にぶつけたとされるシューマッハーの行為に対し、FIA(国際自動車連盟)は「97年度の全得点の抹消(ランキング2位剥奪)」という処分を下した。
97年のビルヌーブを最後に、ウイリアムズは王座から遠ざかっている。98年以降はニューエイが本格的に手腕を発揮したマクラーレンと、シューマッハーに請われてロス・ブラウンが移籍したフェラーリが、さらに現在はこの両者がそれぞれ移籍したメルセデスGP(旧ブラウンGP)とレッドブルがF1における2強となっている。