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デモで叫ぶ「生きさせろ」

2007年10月01日14時42分

 4月末、東京・新宿。派手な音楽を流しながら、ヒーローや着ぐるみなど目立つ格好の人たちがデモする。沿道からも次々に加わり、400人以上になった。

 「自由と生存のメーデー07」。フリーター、派遣、契約社員……働き方はいろいろあれど、生きていくのさえ難しい。過労死寸前の正社員もいる。生存させろ、と要求する行進である。

 「(首相の)安倍は1人で再チャレンジしろ」

 こんなデモコールを叫んだのは、作家の雨宮処凛(あまみや・かりん)(32)。「生存権」が脅かされる問題がおこれば、首をつっこむ。最近では、日雇い派遣の天引きをしていたグッドウィルへの集団訴訟に立ち会った。北九州市の餓死事件で、生活保護を辞退させた福祉事務所長の告発人に名を連ねた。

 雨宮は、ずっと「生きづらさ」を抱えてきた。

 アトピーでいじめられ、つらくて手首を切るようになった。美大受験に失敗、フリーターに。飲食店などでの仕事は、簡単にクビになり、人手が足りなくなると呼び戻された。「私はただの調整弁」。生活不安からまた自傷した。

 21歳の時、「自殺未遂」をテーマにした集まりを企画し、語り合った。その後、10年間で、出会った数十人もが自死した。多くが、生計に不安を抱えていた。

 大卒の弟は、大手家電店で念願の正社員になった。朝・夕食抜きで連日17時間の勤務。ガリガリになった弟をみて、雨宮はナチスの強制収容所を連想した。説得して辞めさせた。

 25歳で自伝を書き、作家に。「作家はフリーターより不安定かもしれない。書けなければ終わりなんだから」

 なんで生きづらいの? 答えがみつからなかった。昨年4月、たまたまネットで「自由と生存のメーデー06」の案内文に行きついた。読むと、「プレカリアート」という言葉があった。不安定さを強いられたプロレタリアート(労働者階級)のこと。イタリア生まれの造語である。

 この7文字が気になって参加した。デモの前の集会で、社会学者の入江公康(いりえ・きみやす)(39)の話を聞いた。

 自由の名のもと、企業に便利な規制緩和が進み、仕事が不安定になったこと。多くの若者が「負ける」構造にあること。

 そんな入江の指摘に、雨宮は目覚めた。「社会が悪いんだ」。猛勉強した。フリーターや過労自殺者の遺族らに話を聞き、今春「生きさせろ!」(太田出版)を出した。その書き出しを引用しよう。

 我々は反撃を開始する。若者を低賃金で使い捨て、それによって利益を上げながら若者をバッシングするすべての者に対して。

 雨宮は呼びかける。

 「働く誰もがプレカリアートだと思う。大同団結を!」

   ◇

 雨宮が「声をあげた当事者のシンボル」というのが吉岡力(よしおか・つとむ)(33)。05年、大阪の松下プラズマディスプレイ社で派遣として働き、偽装請負を労働局に告発した。

 吉岡は04年、鉛を使う工程で正社員2人と働いていた。急に2人とも作業からはずれた。健康診断で血中の鉛の数値が危険、とされたから。派遣に健診はなく、吉岡はそのまま。「ひどい」と思ったが作業を続けるしかなかった。

 父親の急死で欠勤すると時給を100円下げられた。休日も働いているのに、時給の安い別の請負会社への移籍を迫られた。待遇への疑問が募っていった。

 告発後、松下に5カ月の期限付きで雇われたが、ほかの従業員から隔離された。期限切れで退社した吉岡は、松下の雇用責任を問う裁判を闘う。

   ◇

 フリーター全般労組の執行委員、清水直子(しみず・なおこ)(34)は、冒頭の「メーデー07」で、マイクを雨宮と共に握った。フリーライターで、昨年8月、労組に入った。

 まもなく、メード姿のコスプレで東京の街頭に立ち始めた。過労死寸前になる猫の会社員が、自己責任だと突き放されるという紙芝居を、仲間らと盛り上げ、「残業代ゼロ」と書いたビラをまいた。

 訴えは国会に届く。雇う側が労働時間を管理せず、残業が野放しになりかねない「エグゼンプション」法案は、提出が見送られた。「やればできるかも、と希望をもった。でも油断はできない」

 ふつうに働くことが難しい。こんな世の中を何とかしたい、と闘う人たちを追う。

(このシリーズは鶴見知子が担当します。本文中は敬称略)

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