前回記事:現職警察官らによる“犯罪”~千葉県警の場合~(3)
http://www.janjannews.jp/archives/2931819.html
取り調べをすると見せかけて、市民の前には上半分を隠した〈微罪処分書〉を差し出し、言葉巧みに“犯罪者”を仕立て上げようとする巡査部長と、そういう指摘を受けても、何とかごまかそうとする地域課長。前回は、そこまでを紹介したが、Aさん(40代・男性)の経験したことは、まだ終わりではなかった。
◇
「2008年3月23日、私は警察署内の部屋で、地域課長、課長代理のふたりと会って話をしましたが、結局、地域課長は狼狽(ろうばい)しているのは明らかなのですが、そこは密室の中のことですから、らちがあきません。それに、そこまで狼狽するとは思ってもみなかったので、私は早々にその場を切り上げました。もちろん、書面(注・前回記事に掲出)は手渡しました」
その前の警察署からの3月5日付回答も約3週間かかったので、Aさんは、手渡した書面の返事も時間はかかるだろうと考えていた。ちょうど年度をまたぐこともあり、あまり早い返信は期待していなかった。
ところが意外にも、4月になって間もなく、Aさんのもとに「○○警察署」と印刷された茶封筒が送られて来た。予想外の返信の早さにAさんは驚きつつ封を切ると、そこには次のように記されてあった。
~~~~~~~~以下、引用始め~~~~~~~~
○ ○ ○ ○様
○ ○ 警察署
(電話番号… 省 略 )
占有離脱物横領事件についてお尋ねしたいことがありますから、次の日時、場所においで下さい。
1 日時 平成20年4月○日 午後1時00分
2 場所 ○○警察署
担当係員 刑事二課 警部補 ○ ○ ○ ○
注意1 この通知書、印鑑を持参してください。
2 上記の日時に来られないときは、その理由を通知してください。
~~~~~~~~以上、引用終わり~~~~~~~~
中々、初心者にはプレッシャーを与えるような文面だ。Aさんは、これを見てどう思ったのか。
「人のことを馬鹿にしているな…と思いました。すぐにわかりましたよ、警察署の考えていることが――。つまり、私を〈占有離脱物横領〉の被疑者として警察に呼びつけて、プレッシャーを与えつつ、あくまでも〈占有離脱物横領〉事件として、この件の幕引きをねらっていたのでしょう。でも、今度は地域課ではなく、刑事二課の警部補でしょ(笑)、地域課では手に負えなくなったので、選手交代か……と思いましたね」
但し、Aさんとしても、ある難しいジレンマを抱えていた。Aさんは、それまで警察署長や地域課長に出した手紙を、刑事二課の担当警部補に送ったり、「3月23日付の手紙の返事はまだか?」という書簡を、刑事二課の警部補を通して警察署長宛てに郵送したり、つまりそれまでの事態をすべてオープンにし、「まずは3月23日付の質問書に答えるのが先」という立場をとって、それ以降の何回にもわたる警察署からの〈出頭要請〉には応じて来なかったという。
「でも、そこで用心したのが、〈出頭要請〉をむげに断わらないということです。先日の民主党小沢幹事長の秘書逮捕の時もそうですが、任意の事情聴取であっても、実質は半強制のようなところもあります。いちおう文面には『上記の日時に来られないときは、その理由を通知してください』と書いてありましたから、その都度、ていねいに返事はしました……。そこの塩梅(あんばい)が微妙なところでしたね」
しかし、Aさんの言うジレンマとは、〈出頭要請〉をむげに断われないということではなかった。
両者の関係は、ある意味でお互いに対立して平行線というところもあった。あくまでもAさんは「こちらからの質問、3月23日付書面にまず答えよ」「現職の警察官が、市民相手に〈虚偽公文書作成罪〉を犯してもよいのか?」と言い、警察署は自分たちのやったことは、言わば棚に上げる形で「占有離脱物横領事件の被疑者として出頭せよ」と圧力をかけて来るわけである。
「だからタイミングを間違えると、でっちあげ逮捕もあるかと思って一時は用心しました。私の留守中に、また警察官が4、5人で来ても、家族が対応できるようにマニュアルも作って(笑)」
「いちばんの悩みは、事件の展開上、私は自分にかけられた〈占有離脱物横領罪〉の嫌疑も晴らしたいと思っていました。…だって、頭に来ますよね、私は自分の子どもにタイヤのパンク修理からチェーンのつけ替え、タイヤの交換まで教えているのです。本当に〈物を大切に使う〉ということをわからせたくて、わざわざ修理して使うことを示しているわけです。それは我が家の教育方針であり、誰に対しても胸を張れることでした。ただ、私が自分の潔白を警察にわかってもらった瞬間、警察は、この事件に幕を引くな…、あとは『済んだことだからノーコメント』で通してくるだろうと予期していましたし、それが悩みの種でもありました」
「同時に、〈占有離脱物横領〉だ何だという前に、自分たちのやったことについて説明しろ――というのが私の要求でした。ただ、〈占有離脱物横領〉をそのままにしておきながら、私が追及する〈虚偽公文書作成罪〉で警察署の警察官らを苦しめると、彼らにも口実(占有離脱物横領の容疑)はあるのですから、あとで2倍、3倍になって、仕返しをされてもイヤだな…とも思いました」
向こう(警察)からかけられている「占有離脱物横領」の嫌疑を晴らせば、こちらからの書面(質問書)について「その件については、適正に捜査が行われ、すでに終了しています」と、肝心の部分について未回答で終わりにさせられるおそれがある。そうかと言って、質問に答えるよう強く求め過ぎると、相手からあとで報復に遭う可能性もある。Aさんの説明を聞くと、たしかに、この“事件”の難しさ、両者にらみ合ったまま時間のみが経過してしまうのではないかとも思われた。

その後、Aさんは母親にがんが見つかり、通院や介護に追われるようになる。中学生の息子も高校入試に向けて忙しくなって来た。Aさんが〈虚偽公文書作成罪〉の公訴時効(3年)を気にしながら、2009年春に何回目かの電話を警察署にした時のことだ。電話に出た担当者は、驚くべきことを口にしたという。
「もうその事件は終わっていますよ」
Aさんは言葉を飲んだ。終わっているも何も、何度も〈出頭要請〉の手紙が来て、その都度「こちらが尋ねているのだから、まず警察官らのやった行為や書類の内容について明らかにせよ」とAさんは問いただして来たのだ。自分が警察署に出向かない限り、占有離脱物横領事件の“捜査”は幕引きにはできないのではないか――、Aさんはそう考えていた。
2009年は、Aさんにとって息つくひまも無く過ぎて行った。母親の看病、長男の高校受験、自身の多忙な仕事…、年が明けて2010年、母親の葬儀、納骨を終え、長男も進路が決まり、Aさんは、忘れかけていた、例の警察署担当者の言葉を思い出していた。
「もうその事件は終わっていますよ」
本当に、“事件”は終わっているのか。仮りに、自分が重要参考人なり、被疑者なりで、警察にマークされている人間であるとしたら、その人間が一度も事情聴取に応じない状態で、「事件が終わる」等ということはあるのだろうか。
Aさんは、警察署の地域課長らと2対1で話した時のことを思い出していた。
「市民に嫌疑をかけるのは警察の自由です。『でも、嫌疑をかけて市民を警察に呼びつけるのなら、市民にもきちんと物を言う機会を与えなくてはいけない。それなのに、巧妙に〈微罪処分書〉などにサインさせようとたくらむとは卑劣だ』と、私はその時、地域課長に言ったのです。すると、地域課長は『そんなことは無い。あなたにも物を言う権利や裁判を受ける権利はある』と言葉を返して来ました」
ところが、検察庁(区検)に問い合わせてみると、確かにAさんは、知らぬ間に書類送検され、検察庁からも一切の連絡も無いままに「不起訴処分」になっていた。Aさんは、このことに怒りを隠せない。
「おかしくはありませんか? もともとの発端は、路上での職務質問ですよ。そして1時間後に、私服警察官がいきなり自宅にやって来て、そして自転車を持ち去るわけです。そのことに抗議すると、紙切れ1枚(08年3月5日付)で『正当な職務行為』と主張する。そのあとの地域課長も〈虚偽公文書作成罪〉という罪名を突きつけられると、声が震えて来て、その後には選手交代で、刑事二課の…刑事と言うのか、別の警部補からの、たび重なる出頭要請です。そして挙句の果ては、私から一度も事情聴取することなく、こっそりと書類送検。そして検察庁も、やはり私に話が聞きたいとも言わずに不起訴処分です。……私は現場の警察官のやりたい放題、不正を、何回も警察署の責任者に書面で伝えているのです。にもかかわらず、こんなことが許されますか。社会人を馬鹿にするにもほどがある!」
Aさんの怒りは収まりそうにない。しかし、怒ってばかりではらちがあかない。今年3月16日、どういうことなのか、Aさんは検察庁(区検)を訪ね、書類送検と不起訴の経緯について質問したという。応対に出た副検事は、いかめしい表情で多くを語らなかったそうだが、「目のよい」Aさんは、ある書類を見て、すべての疑問が氷解したという。
「警察署から、検察への書類送検が08年の10月10日の土曜日でした。その日付を見て、すべて理解できました」
そう言って、Aさんは白い歯を見せて大きくわらった――。
「土曜日に、わざわざ警察が書類を作って、急いで書類送検する理由が…あると思いますか。白状すると、私は不正は絶対に許してはいけないと考えて…、警察署のN巡査部長を問い詰めようと思っていました。それで何回か警察署に電話したところ、ある時、異動になったということでした。たしか、刑事二課から出頭要請の手紙が来ていた時です。例の、地域課長のふるえ声から、N巡査部長らの不正行為には確信が持てていただけに、中心的役割を果たしていたN巡査部長が異動とは残念でした…。その前後に、私はS巡査長の勤務する派出所を突き止めて、夜勤の時刻、23時ころにその交番に行っているのです。そうしたら、S巡査長は警察署でのいちばん最初の時は『責任者と会わせろ』と言ってもとんと会わせなかったくせに、その時は『警察署に行ってくれ』の一点張りですよ。まさか夜勤の時に私が現れるとは思っていなかったのでしょう」
「そういう情報も警察署内で回っていたのかもしれませんね。ある時、警察に電話すると、N巡査部長は、すでに異動したあとでした。その時は、がっかりしました…」
そう語るAさんだが、何とAさんはN巡査部長の異動先を突き止め、その警察署まで出向いて、地域課の責任者にN巡査部長宛ての手紙を託したという。
「その…異動先の警察署まで、私がN巡査部長を追いかけて行ったのが…、実は08年の10月7日なのです。おそらく、その情報も私の地元警察署はつかんでいて、それで『このままだと、まずい』ということで、急いで3日後の土曜日、10月10日に、私を書類送検してしまったのでしょう」
そう話をするAさんは、見た目は40代のごくふつうの男性である。聞けば、もうかなり長いこと少林寺拳法の現役で「2月に16年ぶりに昇段審査を受けた」という。「記事にね…、少林寺拳法のこともひと言書いておいて下さい」と笑うAさんのどこに、警察署相手に奔走(ほんそう)するエネルギーが潜んでいるのか想像もできないが、その「書類送検」と「不起訴」は、Aさんに予想外の幸運ももたらした。
「つまりは、私は〈占有離脱物横領〉事件での容疑は、警察署でも検察でも晴れたということなのです。…そうしたら、今度は、こっちがやる番ですよ。いえ、別に、ことさら警察を目の敵(かたき)にするということではなくて、私たちの税金で給与が支払われている地方公務員が、そんな仕事ぶりだったら許せなくありませんか?」

五十嵐邦雄県警本部長は、昨年5月の新庁舎落成式で「新庁舎という仏に魂(たましい)を入れ、しっかりと職務に邁進(まいしん)していきたい」と述べたと聞く。では、五十嵐氏は前任者在職中に起きていた現職警察官らの“犯罪”に、どこまで毅然とした態度で臨めるか――5年間で約6億円もの不正経理で揺れる千葉県警の動向に、多くの人が関心を寄せていることは確かだ。

( 後 記 )
今回、千葉県のとある警察署で起きた“事件”について、記者は元愛媛県警の仙波敏郎氏が唱える「日本警察の浄化」という視点からも、広く世の中に知らしめる必要性を感じた。
特に、取材の過程で聞いた次のことに興味を覚える。すなわち、Aさんは、ある一般紙の記者にも、警察官らの好ましくない実態を伝え、それを聞いた記者らはAさんへの聞き取りの後、当該警察署にも取材をかけたらしいのだが、にべもなく追い返されたという。おそらく〈記者クラブ制度〉との関係で、記者らは警察に対して強い態度がとれず、警察の好ましくない実態についても記事にできなかったのだろう。
警察官は地方公務員であるが、一般の公務員と比べて、権限が強い。実際に拳銃も持っているし、時に市民の自由をも制限することが許されている。しかし、そういう、ある意味特権を持った公務員であるからこそ、その職務には厳正さが求められるはずだ。
現在Aさんは、刑事告訴に向けて準備しているところだと聞く。本来ならば、刑事告訴後に、事態の経緯について明らかにしたかったが、諸般の事情もあり、Aさんが今年2月に県警本部を訪れた後、この2年間のことについて詳細を聞き、記事にすることの了解を得た。
取材に当たっては、詳しい資料なども見せてもらったが、ひとつ条件があった。それは「警察署名を出さないこと」であった。なぜなら、Aさんが今年2月に大津賀浩二警視と会った時、さかんに大津賀警視は「どこの警察署ですか」「それはどこのことですか」と聞いて来たという。従って、今回の全4回の記事でも、そこの警察署長が事件を揉み消そうとした個人的な理由などもAさんから聞いてはいたが、紙面で明かすことはできなかった。
また、刑法156条の〈虚偽公文書作成罪〉は親告罪(注・被害を受けた当人しか訴えられない罪状)ではないので、刑事告訴前に警察署名が明らかになることで、ほかの誰かが告訴しないとも限らない。従って、今回の取材では、自治体名(千葉県/千葉県警)や県警側の公職にある人物(例 五十嵐邦雄県警本部長、大津賀浩二県警本部警務部理事官)の名前や書簡の内容もかなり明らかにするにとどめた。これはAさんの発言内容が事実に基づくことを示すためでもある。けれども、警察署を出さないという条件を守るために、Aさん宅に押しかけたN巡査部長、S巡査長、K警部補、それにH警察官の4名についてはイニシャルとした。
最後に、記者は、ふだんから大手メディアの、権力ある者への恭順ぶりと言おうか、追従(ついしょう)ぶりと言おうか、ともかく、尻尾を振ってこびへつらう様に辟易(へきえき)としている。記者が、ウェブ上で記事を書き始めたのは、日本の教育現場をよくしていくことがその主たる動機であるが、「社会の中で不正に虐げられている弱い立場の人たち」に目を向けることで、自然と「弱い立場の人たち」を虐げている、裁判所や警察について記事を書くことが多くなってしまった。骨の折れる仕事であるが、今後とも、権力の不正については駄文を連ねる覚悟である。世の中に知らしめる必要のある不正義については、下記までご一報頂ければ幸いである。
〔連絡先〕pen5362@yahoo.co.jp (三上英次)
〈関連記事〉
◎片岡さん(高知白バイ事件)へのインタヴュー(小倉記者)
http://www.janjannews.jp/archives/2914533.html
◎仙波敏郎氏講演録「日本警察の浄化を目指して」
〔上〕http://www.news.janjan.jp/living/0908/0908138676/1.php
〔中〕http://www.news.janjan.jp/living/0908/0908138678/1.php
〔下〕http://www.news.janjan.jp/living/0908/0908138680/1.php
◎清水弁護士の語る「警察官らによる覚醒剤捜査の実態」
〔上〕http://www.news.janjan.jp/living/0910/0910262227/1.php
〔中〕http://www.news.janjan.jp/living/0910/0910282306/1.php
〔下〕http://www.news.janjan.jp/living/0910/0910282311/1.php
〈関連サイト〉
◎「少林寺拳法~創始の動機と目的~」(Aさん、ご推薦)
http://www.shorinjikempo.or.jp/about/initiation.html
http://www.janjannews.jp/archives/2931819.html
取り調べをすると見せかけて、市民の前には上半分を隠した〈微罪処分書〉を差し出し、言葉巧みに“犯罪者”を仕立て上げようとする巡査部長と、そういう指摘を受けても、何とかごまかそうとする地域課長。前回は、そこまでを紹介したが、Aさん(40代・男性)の経験したことは、まだ終わりではなかった。
「2008年3月23日、私は警察署内の部屋で、地域課長、課長代理のふたりと会って話をしましたが、結局、地域課長は狼狽(ろうばい)しているのは明らかなのですが、そこは密室の中のことですから、らちがあきません。それに、そこまで狼狽するとは思ってもみなかったので、私は早々にその場を切り上げました。もちろん、書面(注・前回記事に掲出)は手渡しました」
その前の警察署からの3月5日付回答も約3週間かかったので、Aさんは、手渡した書面の返事も時間はかかるだろうと考えていた。ちょうど年度をまたぐこともあり、あまり早い返信は期待していなかった。
ところが意外にも、4月になって間もなく、Aさんのもとに「○○警察署」と印刷された茶封筒が送られて来た。予想外の返信の早さにAさんは驚きつつ封を切ると、そこには次のように記されてあった。
~~~~~~~~以下、引用始め~~~~~~~~
○ ○ ○ ○様
○ ○ 警察署
(電話番号… 省 略 )
占有離脱物横領事件についてお尋ねしたいことがありますから、次の日時、場所においで下さい。
1 日時 平成20年4月○日 午後1時00分
2 場所 ○○警察署
担当係員 刑事二課 警部補 ○ ○ ○ ○
注意1 この通知書、印鑑を持参してください。
2 上記の日時に来られないときは、その理由を通知してください。
~~~~~~~~以上、引用終わり~~~~~~~~
中々、初心者にはプレッシャーを与えるような文面だ。Aさんは、これを見てどう思ったのか。
「人のことを馬鹿にしているな…と思いました。すぐにわかりましたよ、警察署の考えていることが――。つまり、私を〈占有離脱物横領〉の被疑者として警察に呼びつけて、プレッシャーを与えつつ、あくまでも〈占有離脱物横領〉事件として、この件の幕引きをねらっていたのでしょう。でも、今度は地域課ではなく、刑事二課の警部補でしょ(笑)、地域課では手に負えなくなったので、選手交代か……と思いましたね」
但し、Aさんとしても、ある難しいジレンマを抱えていた。Aさんは、それまで警察署長や地域課長に出した手紙を、刑事二課の担当警部補に送ったり、「3月23日付の手紙の返事はまだか?」という書簡を、刑事二課の警部補を通して警察署長宛てに郵送したり、つまりそれまでの事態をすべてオープンにし、「まずは3月23日付の質問書に答えるのが先」という立場をとって、それ以降の何回にもわたる警察署からの〈出頭要請〉には応じて来なかったという。
「でも、そこで用心したのが、〈出頭要請〉をむげに断わらないということです。先日の民主党小沢幹事長の秘書逮捕の時もそうですが、任意の事情聴取であっても、実質は半強制のようなところもあります。いちおう文面には『上記の日時に来られないときは、その理由を通知してください』と書いてありましたから、その都度、ていねいに返事はしました……。そこの塩梅(あんばい)が微妙なところでしたね」
しかし、Aさんの言うジレンマとは、〈出頭要請〉をむげに断われないということではなかった。
両者の関係は、ある意味でお互いに対立して平行線というところもあった。あくまでもAさんは「こちらからの質問、3月23日付書面にまず答えよ」「現職の警察官が、市民相手に〈虚偽公文書作成罪〉を犯してもよいのか?」と言い、警察署は自分たちのやったことは、言わば棚に上げる形で「占有離脱物横領事件の被疑者として出頭せよ」と圧力をかけて来るわけである。
「だからタイミングを間違えると、でっちあげ逮捕もあるかと思って一時は用心しました。私の留守中に、また警察官が4、5人で来ても、家族が対応できるようにマニュアルも作って(笑)」
「いちばんの悩みは、事件の展開上、私は自分にかけられた〈占有離脱物横領罪〉の嫌疑も晴らしたいと思っていました。…だって、頭に来ますよね、私は自分の子どもにタイヤのパンク修理からチェーンのつけ替え、タイヤの交換まで教えているのです。本当に〈物を大切に使う〉ということをわからせたくて、わざわざ修理して使うことを示しているわけです。それは我が家の教育方針であり、誰に対しても胸を張れることでした。ただ、私が自分の潔白を警察にわかってもらった瞬間、警察は、この事件に幕を引くな…、あとは『済んだことだからノーコメント』で通してくるだろうと予期していましたし、それが悩みの種でもありました」
「同時に、〈占有離脱物横領〉だ何だという前に、自分たちのやったことについて説明しろ――というのが私の要求でした。ただ、〈占有離脱物横領〉をそのままにしておきながら、私が追及する〈虚偽公文書作成罪〉で警察署の警察官らを苦しめると、彼らにも口実(占有離脱物横領の容疑)はあるのですから、あとで2倍、3倍になって、仕返しをされてもイヤだな…とも思いました」
向こう(警察)からかけられている「占有離脱物横領」の嫌疑を晴らせば、こちらからの書面(質問書)について「その件については、適正に捜査が行われ、すでに終了しています」と、肝心の部分について未回答で終わりにさせられるおそれがある。そうかと言って、質問に答えるよう強く求め過ぎると、相手からあとで報復に遭う可能性もある。Aさんの説明を聞くと、たしかに、この“事件”の難しさ、両者にらみ合ったまま時間のみが経過してしまうのではないかとも思われた。
千葉県警本部1階玄関ホール。ホール全体は広々として白バイの展示コーナーなど目新しい。(撮影・三上英次 以下同じ)
その後、Aさんは母親にがんが見つかり、通院や介護に追われるようになる。中学生の息子も高校入試に向けて忙しくなって来た。Aさんが〈虚偽公文書作成罪〉の公訴時効(3年)を気にしながら、2009年春に何回目かの電話を警察署にした時のことだ。電話に出た担当者は、驚くべきことを口にしたという。
「もうその事件は終わっていますよ」
Aさんは言葉を飲んだ。終わっているも何も、何度も〈出頭要請〉の手紙が来て、その都度「こちらが尋ねているのだから、まず警察官らのやった行為や書類の内容について明らかにせよ」とAさんは問いただして来たのだ。自分が警察署に出向かない限り、占有離脱物横領事件の“捜査”は幕引きにはできないのではないか――、Aさんはそう考えていた。
2009年は、Aさんにとって息つくひまも無く過ぎて行った。母親の看病、長男の高校受験、自身の多忙な仕事…、年が明けて2010年、母親の葬儀、納骨を終え、長男も進路が決まり、Aさんは、忘れかけていた、例の警察署担当者の言葉を思い出していた。
「もうその事件は終わっていますよ」
本当に、“事件”は終わっているのか。仮りに、自分が重要参考人なり、被疑者なりで、警察にマークされている人間であるとしたら、その人間が一度も事情聴取に応じない状態で、「事件が終わる」等ということはあるのだろうか。
Aさんは、警察署の地域課長らと2対1で話した時のことを思い出していた。
「市民に嫌疑をかけるのは警察の自由です。『でも、嫌疑をかけて市民を警察に呼びつけるのなら、市民にもきちんと物を言う機会を与えなくてはいけない。それなのに、巧妙に〈微罪処分書〉などにサインさせようとたくらむとは卑劣だ』と、私はその時、地域課長に言ったのです。すると、地域課長は『そんなことは無い。あなたにも物を言う権利や裁判を受ける権利はある』と言葉を返して来ました」
ところが、検察庁(区検)に問い合わせてみると、確かにAさんは、知らぬ間に書類送検され、検察庁からも一切の連絡も無いままに「不起訴処分」になっていた。Aさんは、このことに怒りを隠せない。
「おかしくはありませんか? もともとの発端は、路上での職務質問ですよ。そして1時間後に、私服警察官がいきなり自宅にやって来て、そして自転車を持ち去るわけです。そのことに抗議すると、紙切れ1枚(08年3月5日付)で『正当な職務行為』と主張する。そのあとの地域課長も〈虚偽公文書作成罪〉という罪名を突きつけられると、声が震えて来て、その後には選手交代で、刑事二課の…刑事と言うのか、別の警部補からの、たび重なる出頭要請です。そして挙句の果ては、私から一度も事情聴取することなく、こっそりと書類送検。そして検察庁も、やはり私に話が聞きたいとも言わずに不起訴処分です。……私は現場の警察官のやりたい放題、不正を、何回も警察署の責任者に書面で伝えているのです。にもかかわらず、こんなことが許されますか。社会人を馬鹿にするにもほどがある!」
Aさんの怒りは収まりそうにない。しかし、怒ってばかりではらちがあかない。今年3月16日、どういうことなのか、Aさんは検察庁(区検)を訪ね、書類送検と不起訴の経緯について質問したという。応対に出た副検事は、いかめしい表情で多くを語らなかったそうだが、「目のよい」Aさんは、ある書類を見て、すべての疑問が氷解したという。
「警察署から、検察への書類送検が08年の10月10日の土曜日でした。その日付を見て、すべて理解できました」
そう言って、Aさんは白い歯を見せて大きくわらった――。
「土曜日に、わざわざ警察が書類を作って、急いで書類送検する理由が…あると思いますか。白状すると、私は不正は絶対に許してはいけないと考えて…、警察署のN巡査部長を問い詰めようと思っていました。それで何回か警察署に電話したところ、ある時、異動になったということでした。たしか、刑事二課から出頭要請の手紙が来ていた時です。例の、地域課長のふるえ声から、N巡査部長らの不正行為には確信が持てていただけに、中心的役割を果たしていたN巡査部長が異動とは残念でした…。その前後に、私はS巡査長の勤務する派出所を突き止めて、夜勤の時刻、23時ころにその交番に行っているのです。そうしたら、S巡査長は警察署でのいちばん最初の時は『責任者と会わせろ』と言ってもとんと会わせなかったくせに、その時は『警察署に行ってくれ』の一点張りですよ。まさか夜勤の時に私が現れるとは思っていなかったのでしょう」
「そういう情報も警察署内で回っていたのかもしれませんね。ある時、警察に電話すると、N巡査部長は、すでに異動したあとでした。その時は、がっかりしました…」
そう語るAさんだが、何とAさんはN巡査部長の異動先を突き止め、その警察署まで出向いて、地域課の責任者にN巡査部長宛ての手紙を託したという。
「その…異動先の警察署まで、私がN巡査部長を追いかけて行ったのが…、実は08年の10月7日なのです。おそらく、その情報も私の地元警察署はつかんでいて、それで『このままだと、まずい』ということで、急いで3日後の土曜日、10月10日に、私を書類送検してしまったのでしょう」
そう話をするAさんは、見た目は40代のごくふつうの男性である。聞けば、もうかなり長いこと少林寺拳法の現役で「2月に16年ぶりに昇段審査を受けた」という。「記事にね…、少林寺拳法のこともひと言書いておいて下さい」と笑うAさんのどこに、警察署相手に奔走(ほんそう)するエネルギーが潜んでいるのか想像もできないが、その「書類送検」と「不起訴」は、Aさんに予想外の幸運ももたらした。
「つまりは、私は〈占有離脱物横領〉事件での容疑は、警察署でも検察でも晴れたということなのです。…そうしたら、今度は、こっちがやる番ですよ。いえ、別に、ことさら警察を目の敵(かたき)にするということではなくて、私たちの税金で給与が支払われている地方公務員が、そんな仕事ぶりだったら許せなくありませんか?」
Aさんが今月(2010年3月)に検察庁で受け取った「不起訴処分書」
五十嵐邦雄県警本部長は、昨年5月の新庁舎落成式で「新庁舎という仏に魂(たましい)を入れ、しっかりと職務に邁進(まいしん)していきたい」と述べたと聞く。では、五十嵐氏は前任者在職中に起きていた現職警察官らの“犯罪”に、どこまで毅然とした態度で臨めるか――5年間で約6億円もの不正経理で揺れる千葉県警の動向に、多くの人が関心を寄せていることは確かだ。
08年7月31日、本部長就任に際して挨拶を述べる五十嵐邦雄県警本部長の記事(東京新聞)
( 後 記 )
今回、千葉県のとある警察署で起きた“事件”について、記者は元愛媛県警の仙波敏郎氏が唱える「日本警察の浄化」という視点からも、広く世の中に知らしめる必要性を感じた。
特に、取材の過程で聞いた次のことに興味を覚える。すなわち、Aさんは、ある一般紙の記者にも、警察官らの好ましくない実態を伝え、それを聞いた記者らはAさんへの聞き取りの後、当該警察署にも取材をかけたらしいのだが、にべもなく追い返されたという。おそらく〈記者クラブ制度〉との関係で、記者らは警察に対して強い態度がとれず、警察の好ましくない実態についても記事にできなかったのだろう。
警察官は地方公務員であるが、一般の公務員と比べて、権限が強い。実際に拳銃も持っているし、時に市民の自由をも制限することが許されている。しかし、そういう、ある意味特権を持った公務員であるからこそ、その職務には厳正さが求められるはずだ。
現在Aさんは、刑事告訴に向けて準備しているところだと聞く。本来ならば、刑事告訴後に、事態の経緯について明らかにしたかったが、諸般の事情もあり、Aさんが今年2月に県警本部を訪れた後、この2年間のことについて詳細を聞き、記事にすることの了解を得た。
取材に当たっては、詳しい資料なども見せてもらったが、ひとつ条件があった。それは「警察署名を出さないこと」であった。なぜなら、Aさんが今年2月に大津賀浩二警視と会った時、さかんに大津賀警視は「どこの警察署ですか」「それはどこのことですか」と聞いて来たという。従って、今回の全4回の記事でも、そこの警察署長が事件を揉み消そうとした個人的な理由などもAさんから聞いてはいたが、紙面で明かすことはできなかった。
また、刑法156条の〈虚偽公文書作成罪〉は親告罪(注・被害を受けた当人しか訴えられない罪状)ではないので、刑事告訴前に警察署名が明らかになることで、ほかの誰かが告訴しないとも限らない。従って、今回の取材では、自治体名(千葉県/千葉県警)や県警側の公職にある人物(例 五十嵐邦雄県警本部長、大津賀浩二県警本部警務部理事官)の名前や書簡の内容もかなり明らかにするにとどめた。これはAさんの発言内容が事実に基づくことを示すためでもある。けれども、警察署を出さないという条件を守るために、Aさん宅に押しかけたN巡査部長、S巡査長、K警部補、それにH警察官の4名についてはイニシャルとした。
最後に、記者は、ふだんから大手メディアの、権力ある者への恭順ぶりと言おうか、追従(ついしょう)ぶりと言おうか、ともかく、尻尾を振ってこびへつらう様に辟易(へきえき)としている。記者が、ウェブ上で記事を書き始めたのは、日本の教育現場をよくしていくことがその主たる動機であるが、「社会の中で不正に虐げられている弱い立場の人たち」に目を向けることで、自然と「弱い立場の人たち」を虐げている、裁判所や警察について記事を書くことが多くなってしまった。骨の折れる仕事であるが、今後とも、権力の不正については駄文を連ねる覚悟である。世の中に知らしめる必要のある不正義については、下記までご一報頂ければ幸いである。
〔連絡先〕pen5362@yahoo.co.jp (三上英次)
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◎片岡さん(高知白バイ事件)へのインタヴュー(小倉記者)
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〔上〕http://www.news.janjan.jp/living/0908/0908138676/1.php
〔中〕http://www.news.janjan.jp/living/0908/0908138678/1.php
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〔中〕http://www.news.janjan.jp/living/0910/0910282306/1.php
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〈関連サイト〉
◎「少林寺拳法~創始の動機と目的~」(Aさん、ご推薦)
http://www.shorinjikempo.or.jp/about/initiation.html