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きょうのコラム「時鐘」 2010年3月29日
以前、佐賀県に行った時に感心したことがある。日本史で習う「佐賀の乱」の表記が「佐賀の役」となっていたのである
明治初期に不平士族が日本各地で反乱を起した。佐賀の乱の他にも、秋月の乱、萩の乱などがあった。だが「乱」とは中央から見た表現である。地元で「乱」と呼ぶのは抵抗がある。そこで「佐賀の役」となっている。役とは戦争のことである 歴史的な出来事の呼び方も土地で変わる。日韓歴史共同研究の報告が出た。中に秀吉の「文禄・慶長の役」に関する見方があった。韓国側は「役」の表記を侵略者の見解に同感するものと指摘。日本側は、双方の立場を脱却した歴史的視点から見ようとの姿勢だった 4百年以上も前のことでも解釈は異なる。その後の両国の歴史との関連で見ればやむを得ない。日本国内でさえ「乱」と「役」の使い分けに敏感になるのである。日本と韓国で「役」の解釈に違いがでても不思議ではない 歴史の解釈を一つにするなどということは不可能である。違いを認めながらも、違いを新たな争いのタネにするのではなく対話の出発点にすればいい。 |