stt0903241152003-p1河村たかしについては、さまざまな意見があることは知っている。やや現実離れしているとの指摘を承知の上で、あえて言おう。彼こそ政治家である。なんとなれば、国民が政治に望むことは、税金を安くして、行政サービスをよくして欲しいという、矛盾した要求であるからだ。しかも、それを実現するために、借金しては駄目だと厳しく要求される。しかし税金に応じたサービス、金は払うが、高すぎるものはいらないという、当たり前の取引が通じないのが、政治行政である。普通の商売なら絶対に立ち行かない筈である。このことを中小企業の経営者であった河村はよく知っている。また彼は、庶民感覚を肌身で感じてきた人間である。そしてそれをもっともわかりやすくしようというのが、名古屋市長河村の方針であった。つまり、サービスをやすくして、品質を保証するためには、社員のコストを下げないと、お客が当社の製品を買ってくれない。だから税金は下げましょう、でも行政サービスの質をたもつため議員(政治家)=コストを下げましょう。これは借金(地方債)しないためには、当然の真理である。どんな企業でも家庭でも、普通にやっていることである。

20090625_468963にも拘らず、名古屋市議会はこの河村提案を否決した。たしかに既得権益とくに報酬を減らされる当人達は、反対であろう。しかし、河村たかしのいう「あたりまえ」のことを断行するのが政治家であって、票を減らさないように、既得権益を許すのが政治屋である。そういういみでは、河村たかしこそが政治家であるとおもう。

たしかにパフォーマンスかもしれない、しかし市民税を安くし、公務員給与を下げ、市議会議員を半減するのは、市長の役目である。あたりまえのことだが、じつはこれが国政でもできていない。なぜなら、正論は自分が犠牲にならない限り正論であって、自分の給与がへる場合は、どんな政策が正当であっても、納得しないのが普通であるからだ。

自分の収入が減るのはいやだが、他人の無駄は許せない、というのは矛盾している。アメリカ軍基地は厭だが、テポドンから守って欲しいというのは勝手すぎる。収入が減っても死なないし、テポドンなど来やしない。そういう杞憂を植えつけているマスコミに洗脳されているだけだ。

貧乏でも生きていける。それでもテポドンがきたら当たって死ねばいい、どうせ何時かは死ぬのだ。覚悟がなくて何が政治か。

金はいくらあっても足りないとおもえば足りない。(現役のときは億単位を動かしていた)100歳までは生きられても150歳は無理だ。豪邸でも、寝るときは畳一畳である。愛していても必ず死別する。

実際、今現在食費は2万円で充分に贅沢しているし、狭いアパートに一人暮らし、愛する者もない。地震もテポドンもカラシニコフも怖くない。全てを晒して生きている。でも充実した人生を送っている。

いくいら政治的理念が高邁でも、福島みずほのように現実(閣僚で金持ち)は現実、理念は理念という政治家が多いなか、身を投げ打って実行できる政治家はなかなかいない。そのなかで、河村たかしは偉い!

むかし僕も春日一幸が死ぬ直前に、一瞬気に入られたことがあったが、河村たかしは本格的にその春日が惚れこんだだけのことはある。

政治信条は異なるが、今回は、河村名古屋市長を断固支持する。