みなさんは今年の春をどんな思いで迎えられましたか。卒業や異動の季節でもあります。毎日新聞奈良支局からも3人の仲間が、新天地へ活躍の場を移すことになりました。
その3人から、紙面でお別れのあいさつをしてもらいます。
○中村敦茂(松山支局へ)
5年間の奈良勤務でした。奈良らしい文化的な仕事とは縁がありませんでしたが、消防組合の不正採用事件や、妊婦の搬送先が見つからず死亡した問題など、大切な取材を経験できました。いつまでも忘れないと思います。
奈良での取材から考えさせられたのは、地方からきちんと発信しなければいけない情報がある、ということです。地域医療や脆弱(ぜいじゃく)な財政など、大都市でないからこそ、社会のひずみがより鮮明になるケースがあります。次の赴任先も地方都市です。そうした情報を伝えられるよう、励みたいと思います。
取材に応じていただいた皆さん、読者の皆さん、ありがとうございました。
○泉谷由梨子(宇都宮支局へ)
昨年7月の奈良市長選で民主党推薦、33歳(当時)の仲川げん市長が当選。選挙事務所で新市長は言いました。「地味な市長になりたい」。言葉通り、今の市政は「地味」。マニフェストも小粒なものしか進まず、大騒ぎした事業仕分けも予算反映は少しだけ。
仲川市長は「無駄なけんかはせず実を取る。4年後を見て」と言う。だけど、議会は予算案からマニフェストを削除し、ばらまきを復活させた。これは「殴られっぱなし」では?やはり改革は「地味」にはできないのでは?
私は疑問ですが、答えを見る前に去ることになりました。皆さんには改革の行く末を見届けてほしいと願います。2年間、ありがとうございました。
○大森治幸(富山支局へ)
2年間お世話になりました。古都奈良で記者生活のスタートを切れたことを誇りに思います。
事件記者として、最初に現場に走っていたのが私。そんなときに限って泣かされたのが国道24号や国道169号の渋滞でした。そのたびに近道はないかと探し回り、今では裏道にも詳しくなりましたが、それまでには数え切れない遠回り、行き止まりがあり、現場到着が遅れたことも多々…。
ところで、道。剣道や茶道など「道」がつくものは元来極めるのが難しいとされています。ならば、報道はどうでしょうか。ある先輩は言います。「報道に近道はない。だが最短距離はある」。遠回りしても、行き止まりを重ねても、奈良で奔走した日々を思い出して報道の先を目指します。
「新聞記者さんは、あちこち転勤で大変ですね」と言われます。それに対して私は「『ふるさと』が増えていいですよ」と応えています。勤務した土地には当然、愛着がわきます。離れても何か起きれば特に気になります。例えば熱戦が続くセンバツでは、勤務したことのある所から出場したチームを応援している自分がいます。
おそらく、3人も私と同じように、奈良を忘れることは決してありませんし、奈良で何かあるたびに、取材した人や場所、奈良の風景を頭に浮かべるでしょう。
読者のみなさんも、紙面で3人の名前をみつけたら「奈良にいたあの記者、頑張っているな」と思い出してやって下さい。
【奈良支局長・山内雅史(yamauchi‐m@mainichi.co.jp)】
毎日新聞 2010年3月28日 地方版