現在の場所は

憎むべきは卑劣なテロリスト

vol.81 10 December 2003
JICA客員国際協力専門員 杉下恒夫

なんでも起きる昨今の国際情勢だから少々のニュースに声を上げて驚くようなことは、あまりなくなったが、11月30日、イラクで公務中の2人の日本人外交官がテロリストと見られる集団に殺害されたというニュースを聞いた時は、思わず唸ってしまった。

しかも、犠牲者の一人の名前が奥克彦参事官(11月29日付けで大使)と知ったとき、その驚きは倍になった。同時に殺害された井ノ上正盛・三等書記官(同一等書記官)も同じ状況下での犠牲で、日本人の惜別の思いは奥大使とまったく同量だ。しかし、私、個人的には奥大使と知己があっただけに大使の非業の死に特別の悔しさを覚えた。

奥大使とはじめて会ったのは、私がまだ新聞記者をやっていた10年ぐらい前のことだ。「早稲田のラグビー部出身でおもしろい若手がいる」と、外務省の先輩が紹介をしてくれた。噂にたがわぬさわやかな人物で以後、経済協力の仕事の話を聞いたり、仕事が終わったあと、何度か一献を傾けたりする仲になった。飲みに行くとき大抵の場合、後輩を連れて来ており、自分が楽しむよりも部下をねぎらう配慮がある人だという印象が強い。

私よりはるかに歳下だが、社会人同士だから普通は「さん」付けで名前を呼ぶのが当たり前だが、奥大使には「あなたを『さん』付けで呼ぶと、どこかの『奥さん』と一緒に居るみたいになるので、悪いけどあなただけは『奥君』と呼ばしてもらうよ」と了解をもらい、以後、僭越ながら大使のことを「奥君」と呼び続けた。

その奥君が私に言ったことで忘れられないのは「僕は外務省に入って外交官になった。その目的は日本、そして国際社会のために貢献する仕事がしたいからで、大使になりたくてなったわけではない」という言葉だ。「では、何になりたいの」と聞くと「外交官として最前線に立てなくなったら、日本ラグビー協会の理事になりたい。そして今度は日本と世界のラグビーを結ぶ橋渡しの役をやってみたい」というのだ。

彼のようなオックスフォード大学に留学経験を持ち,語学に堪能な元ラガーが日本のラグビーのために二度目の献身をしてくれるということは、ラグビーファンの一人としては誠に有り難いことで「それはいい」と賛同したのが昨日の会話にように甦ってくる。

12月6日、2人の葬儀が両家と外務省の合同葬として行われた。同じ日にイラクで犠牲になったスペインの情報機関員7人の葬儀が国葬であったのと比べると、いささか不満も残る。だが、小泉総理も出席したし、外務省葬というのは小村寿太郎・元外相の葬儀などあまり例がないということなので、現在の規定の中で国として2人に手向ける最高の葬儀だったと相応の評価をしたい。

私があきれ返っているのは、2人の犠牲に対する一部メディアの反応だ。「ほら見ろ。だから自衛隊の派遣など止めればよい」「政府は万全の安全対策をとっていたのか」といった趣旨のことをいうテレビコメンテーターが数人いた。例え、日ごろの主義主張に差異があったとしても、イラクの平和と復興のために公務として働いていた自国の人間が卑劣極まりないテロリストの犠牲になったら、国を挙げてその卑劣な犯人を弾劾するのが祖国のメディアというものだ。それなのに一部のメディアは犯人を憎むより、相も変らぬ日本政府批判に精力を傾けている。

92年の国連平和執行部隊「第二次国連ソマリア活動(UNOSOM2)」で、フランス兵に犠牲が出たとき、それまでUNOSOM2に批判的だった仏メディアは一変してUNOSOM2を支持、仏兵を殺害したアイディード将軍派批判に回った。

自国民の生命の重さすら理解できないメディアに民主主義とか、人道を語る資格はまったくない。祖国のメディアがこんな現状では、2人の遺志を継いで国際平和のために働こうという若者がいなくなることが心配だ。