最近、ウノ仲間のあいだで流行っているドミノに関するページです。 ドミノは倒すだけじゃなくて、ゲームとしてもとても面白いんです。欧米ではポピュラーで、日本でいうところのオセロぐらいに誰でも知っているくらいの ゲームです。特に南欧のラテン諸国では、お酒と一緒に遊ばれることが多いみたいですね。 誰も知らないドミノのルール 倒さないドミノ部では、競技人口の一番多いメジャーなゲームから日本では初公開となるドミノゲームをはじめ、ドミノの面白さ が堪能できる、さまざまなタイプのドミノゲームを紹介しています。 また、この他にも手軽に入手できるドミノルール集の"Great Book of Domino Games"では、68種類ものドミノゲームと、これらのゲームの様々なハウスルール(ローカルルール) について細かく紹介されています。英語ですが図もあって読みやすいのでドミノゲームの入門書として最適です。
<い
ろいろなドミノ>
ドミノがほしいと思ったら、ゲーム・ギャラリーTを覗いてみてください。普及品から高級品まで 日本で入手できる、さまざまなドミノを紹介してます。 <ドミノのお話> 日本人で名前を知らない人はいないドミノ。だけどドミノ倒し以外にちゃんとした遊び方を知らないのも、またドミノです。 ドミノはダイスの目が2つ並んだ長方形の牌を用いるゲームです。0〜6までの数字の組み合わせが全て1種類ずつそろった28枚の牌のセットを”ダブル6 ドミノ”と呼び、0〜9までならダブル9ドミノ(55枚)と呼んでいて、ダブル12やダブル15といったものまであります。 そもそもドミノとは「2つの正方形」という牌の形を意味しているんですが、意外にもドミノの歴史は謎に包まれた存在だったりします。チェスやバックギャ モンなど王侯貴族に愛好されたゲームは記録に残りやすいのですが、どうもトランプやドミノといった庶民の間に流行したゲームの起源や記録というのは、あま り残らないんです。今のところ定説となっているのは中国起源のゲームが18世紀にイタリアを通じて伝わり、独自のスタイルを確立しながら急速にヨーロッパ 全土に広まったという説です。 ところが18世紀のイタリアは既に貿易大国としての地位を失っていた時代なんです。交易の中心はシルクロードの陸路ではなく、大西洋の海路にとって代わ られていた。経済的に疲弊したイタリアの都市国家は内戦を繰り返した挙げ句、スペインなど諸外国に屈し、ついにはナポレオンT世の侵攻を受けることになっ てしまう。 そんな歴史上、最もイタリアが衰退期に、どうしてヨーロッパの中心であったフランスやイギリスではなく、既にヨーロッパの一地方でしかなかったイタリア に中国からドミノのルーツとなるゲームが伝わり、ドミノとして産声をあげたのかは今となっては、わからないんですね。 想像力を働かせると、全盛期の勢いこそなくなってしまったが綿々と続いていたシルクロード交易のイスラム商人が、砂漠の長旅の退屈を紛らわすために遊ん でいた中国のゲームが、偶然にもオスマン・トルコ経由でイタリアに伝わったのではないでしょうか。この中国のゲームはどのようなものであったかというと、 おそらく天九牌(中国ドミノ)か、あるいは非常によく似たゲームだったようです。更に歴史を遡れば、12世紀頃に発祥したゲームであり、麻雀とも起源を同 じくするゲームとなるらしいです。 さて話をドミノに戻すと、中国起源のゲームから今のドミノへと形を変えたのは、ごく短い期間だったみたいです。それは現在のドミノと元の中国ゲームとを つなぐ中間的なゲームの存在があまり見あたらないことからも容易に窺えます。ドミノは比較的早い段階で現在と同じ牌の構成――特にゼロを表すブランクの導 入などがルールとして確立され、そのままヨーロッパ中に伝播していったのだ。こうしてヨーロッパを駆けめぐったドミノ旋風は18世紀末にはイギリスで、 19世紀にはアメリカで大流行することになります。 当初のドミノ牌は長方形の平らな骨で作られていたのが、1840年頃からは骨に裏面に黒檀を貼り合わせて真鍮のピンでとめた高級品へと変化してゆきま す。やがてドミノが広く大衆に好まれるようになると、普及品として木製品が出回るようになり、今日ではプラスチック製がほとんどです。 ドミノはこうして数世紀の時代を経て今もなお南欧や南米を中心にヨーロッパやイスラム圏での人気が高く、杯を傾けながら興じる最高のゲームとして、日本 でいうオセロ以上に愛されています。 |