3月20日 土曜日に開催された、名鉄の歩け歩け大会
「西尾・雲母の山と道の駅を訪ねて コース 」の続きです
この道路を歩いていきます、前方少し上り坂になっていました。
矢作古川に架かる、龍宮橋が見えてきました。
この橋を渡らず、右方向へ進んでいきます。
昭和20年1月13日に起きた三河地震によって生じた断層のずれが、
拝殿の下に残されていて、地震学術上貴重な資料となっているそうです
左のほうから、こちらの神社へ向かいましたが
今度は、右側にある道路下のトンネルをくぐります。
ようやく、ここで川の姿が間近に見ることができました。
ちなみに、この橋は、小島橋です。
橋を渡り終えると、引き続き川沿いに進んでいきます。
この先で、ラッキーカードが配られていました。
堤防の下へと降りていきます。
古川緑地公園と呼ばれています。
とても広々とした公園が、この先もずっと続いていて
とても、雰囲気のいいのんびりとできる公園でした。
桜も、チラホラと咲き始めているようです。
国道23号線です。
とても車の往来が激しく、
先ほどののんびりとした雰囲気から一転しました。
ここから見る風景は、自然豊かな風景に変わりはなかったです。
左側に「道の駅 にしお岡ノ山」が見えてきました。
たくさんあって、とても賑っていました。
前方に見えてきた堤防は、安藤川の堤防です。
国道23号線の下をくぐり、小島江原インターの近くを通り過ぎると
江原橋で、再び矢作古川を渡っていきます。
その交差点を右に曲がっていきます。
次に目指す八ッ面山は、右に見えていました。
この山のほうへ進んでいきます。
この道の右側と左側に、それぞれ頂上があります。
まずは、右側の女山のほうに進んでいきます。
途中、「雲母坑址」の看板があり、奥へ進んでいきます。
八ッ面山の雲母は、和銅6年(713)に、調という、今の税金として
朝廷に献上されたという記録が残されています。
当時としては、婦人病や頭痛の医薬として用いられていました。
後の、吉良荘は、この雲母の「きらら」という読みの音を用いたと
伝えられています。
江戸時代になって採掘が盛んに行なわれ、京都に出荷し
屏風やふすまなどの装飾材料として、用いられました。
明治になっても採掘は続けられ、海外にも輸出されるほどでしたが
明治33年の遭難事故以来採掘は中止され、
昭和になって、小学生の転落事故があってから642箇所あった
雲母坑埋められました。
このように、キラキラと光ることから、雲母を「きらら」
この山を別名、「きらら山」と呼んでいるそうです。
というか、採取に熱中していました。
あとから出発した「harubonさん」に追い越されたのも、このときです
一番大きいものは、指の先のほどの大きさで
一緒に歩いていた「みっしーさん」が見つけてくれました。
キラキラと光る、ガラス状の薄い膜が何層にもかさなっていて
とても、きれいな鉱物です。
もちろん帰ったあとは、しっかりと浄化しました。
このほか、もう一種類、鉱物を採取できました。
こちらは、後ほど「天然石」のコーナーで紹介します。
ここからは、西尾市が一望できるほか、
周囲に高い山がないので、360度展望が楽しめました。
お昼も過ぎ、気温もぐんぐん上昇、暑いくらいになってきました。
前を歩いている人も、3月の服装とは思えないほど薄着です。
この踏切を渡って、すぐに右に曲がっていきます。
ぐるぐる回っていたので、方向感覚が狂いそうですが
奥が名古屋方面、後が西尾方面になります。
春らしい名前の駅ですね。
今回は、約10.5㎞ 約4時間のんびり歩きました。
一緒に歩いてくれた「みっしーさん」お疲れさまでした。
とても、楽しかったです。
ラッキーカードは、名鉄賞あたりました。
「三河巻」です。
ちょうど、踏切を渡る前にあった和菓子店です。
「三河巻」あんこが、たっぷり入っていて美味しかったです。
ちなみに、
「名古屋巻」というものがありますが、食べ物とはちょっと違うもの
があります。
ある意味、食べちゃう人もいますが…(^_^;)
アンケートに答えたら、「ママ冷やして」がもらえました。
さて、この日は、毎年おなじみの「旅まつり2010」も行ってきました
そして、今日21日は、「駅ちかウォーキングSpecial」に参加
そのあと、「市バス80周年記念イベント」に参加と
お伝えしたいことが、たっぷりあります、お楽しみに(^O^)/
1 ■なるほど!
八ツ面の下の道は 三ヶ月程 通ったので 懐かしいのです
展望台にも一度行った事がありますが.....
雲母の事は 今回初めて知りました (@_@)
展望台迄 行っていればお会いできたでしょうが.....
明日は harubonの分も 楽しんできて くださいませ~ (^人^)