鼻毛の長いメモ RSSフィード

2010-03-27

すべての日本人を探究の道に〜科学思想で生きてみる4

宗教の大きな特色(振る舞い。。)のひとつに「布教」がある。アンディ・ウォフォルがブレヒトについて言っていた「ブレヒトはみんなが同じ考えになることを望んでいた。僕もみんなが同じに考えるようになったら素晴らしいとは思うけどね。。」と。


信教の自由は保証されている。。思考の自由は、もしくは探究の自由は保証されているだろうか?


私も思うのだが「誰もが探究するようになったら。。。」と。


同じように考えるのではない、誰もが各々テーマで夢中になって探究する為に生まれ、協力し、死ぬような人生に送り込まれていくような「社会」である。


もちろんテーマ何でもいいのだが、おそらく、すぐに底が尽きてしまうようなテーマは淘汰されていくだろう。。必然的に噛めば噛むほど味が出るテーマが残り、人々がそこに集まり、その探究に集団でのめり込んでいく。。


それは異様な集団であろう。。しかし己既得権益や存続に固執している人々は異様ではないだろうか?それ以上にたかだか己の生など100年前は無だし、100年後も確実に無だ。他を排除して成り立つような状況よりも他とともに果てしなくそれ自体は続くであろう探究に全人生を巻き込んでいく方が楽しいと思う。


科学もしくは科学的技術という領域は明らかに、そのような底の尽きないテーマであることは確実ではないのだろうか?

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