2010-03-26
探求が信仰である〜科学思想で生きてみる3
「教義」の内容の真偽が必ずしも重要ではない「宗教の信仰」が、科学思想で生きようとするものにとっては「探求」になる。
「真理の探求」「より優れた仕組みの探求」などによって、人々の生が組織化されるというわけである。
「探求」は仕事ではない。この場合何よりも「生の有り様」である。実際、信仰者もまたその信仰が「深まっていく」、信仰はprogressiveであるということを認める人もいる。信仰者にとって教義の内容は基本変わらないだろう、むしろ教義の内容に対する自己の態度(解釈)が変化するのであろう。科学思想で生きる場合はそうではない、もちろん理論や言説に対する態度は変わるし、その内容も絶対ではない。まーこれはあたりまえの話ではある。
しかし、「探求」人生と信仰人生というのはどちらも度を超せば、かなり偏屈な感じはしないでもない。。
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