前回も問題にした「非実在青年」が登場する東京都の「青少年健全育成条例」ですが、3月19日の都議会で継続審議となりました。拙速な採決などなかったのは何よりと思います。規制すると公称している対象と比べて、条例案の文言が指し示すエリアがあまりにも広すぎ、過失であるなら不注意が過ぎ、故意であるなら「思想統制」などと非難されて言い逃れのできない、恣意的運用が可能な作文でした。
本当のことを言えば、今回は地下鉄サリン事件(1995年3月20日)から15年を迎えて、という内容を書きたい週でもあるのです。しかし、実はこの原稿を打っていた最中にも、都議会では議事が進行したのです(Twitter=ツイッター=で生中継してくださる方があり、いながらにして議事が手に取るように分かりました。便利な世の中になったものです)。
前回は話題で、多くの方にご意見を頂きました。そこで今回も継続して、このトピックスを、しかし、およそほかの方とは違った角度から考えてみたいと思います。
あえて率直に、僕自身の立ち位置から、つまりコミケやアニメに興味・関心が薄い層からの、都条例案文の拙速乱雑な文言への疑問です。題して「光モノ二題」。といっても寿司ネタのサバやコハダではなく、焦点を当ててみたいのは「光源氏」と「ピカチュウ」です。
「淫行少年光源氏」を放置して良いか?
始めに、重ねて率直に告白かつ懺悔したいのですが、私自身は「エロゲー」ことアダルトコンテンツを含むコンピューターゲームについて、見たことも遊んだこともありません。東京都がターゲットにしているという「コミケ」ことコミックマーケット(マンガやアニメなどを題材にした同人誌の即売会)にも行ったことがないし、厳密にはこの問題をこの文脈で語る資格はないと思います。
しかし、いったん条例なるものが成立すれば、規制の対象は相手を選びません。そうなると「元来はコミケを狙い撃ちにするつもり」だった条文が「ほかのターゲットはないか」と拡大解釈されて、おかしなことが広がる可能性がある・・・というより、その可能性が高い。そうなると「エロゲー」とは縁の薄いクラシックの音楽家である私にも、関わりが少なくないように思います。
具体例で行きましょう。最初の例は「光源氏」です。
誰もが知る日本の古典『源氏物語』は、紫式部の手になる世界最古の「長編小説」。内外にその誉れの高い文学作品、ということになっています。江戸時代の国学者である本居宣長なども、「やまとごころ」の原点の1つとして絶賛しました。
幾度も少女マンガなどに描かれる『源氏物語』最小限のアウトラインを記してみると
「桐壺帝(天皇)」が「桐壺更衣」に生ませた、元は皇子である「ヒカル君」。美貌と才能に恵まれたヒカル君は、お告げによって皇子から臣下に籍を移され「源氏」の姓を賜ります。
早くに生みの母が亡くなり、その面影を求めて義母に当たる「藤壷中宮」と関係してしまったり、そこで生まれた子供が天皇(「冷泉帝」)になってしまったり・・・。
という『源氏物語』の詳細は、ほかに譲りましょう。
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