きょうの社説 2010年3月27日

◎国立大評価制度 気になる金大、富大の「苦戦」
 国立大学の研究や教育内容などを評価し、運営費交付金に差をつける文部科学省の評価 制度で、金沢大学が86校中63位、富山大学が同48位と「苦戦」を強いられたのは、大学が自ら立てた教育、研究、業務改善、財務改善などの中期目標の進ちょく状況が思わしくなかったからだ。北陸3県では福井大が7位、北陸先端科技大学院大学が17位と上位に付けただけに、金大、富大の不振が一層気に掛かる。

 国立大学が順位付けで評価されるのは初めてであり、金大、富大にとって、この「成績 」は不満かもしれない。国立大学への財政支援を成果主義・競争原理で評価することにも異論はあろうが、中期計画の策定が義務付けられている独立行政法人にとって、外部評価は避けて通れず、評価の低い大学は交付金が減額されるペナルティは無視できない。結果を真摯に受け止めて改善点を洗い出し、早急に対策を講じてほしい。

 国立大は04年度の法人化に当たり、最初の6年間で達成すべき中期目標を立てている 。文科省の評価委は、最初の4年間で目標がどれだけ達成されたかを分析し、5段階で示した。評価の詳細はまだ分からないが、金大は昨年、光熱水料などの経費削減を掲げた財務計画について、「目標達成が不十分」との指摘を受けている。富大も同じく「大学全体のアドミッション・ポリシー(受験生に求める能力、意欲などに関する大学の考えをまとめた基本的な方針)の確立がいまだなされていない」点などについて、改善の要ありとされた。

 国立大学法人評価は、あくまで大学ごとに設定した中期目標・計画に沿って行うもので あり、一律の相対評価にはなじまない。順位付けは一つの目安であって、大学の実力を示すものではないのは当然だが、外部の目を大学改革に生かす努力は必要だ。

 金大、富大は地域の学問・文化の拠点であり、知的・人的資源の供給地でもある。特に 金大は学都・金沢の中核であり、金大の評価は学問の府としての金沢の評価に直結する。評価委の指摘がたとえ重箱の隅をつつくようなものであっても、改善の努力を続けたい。

◎足利事件無罪判決 裁判員制度にも重い課題
 菅家利和さんに無罪が言い渡された足利事件の再審判決で、宇都宮地裁の裁判官3人が 法壇で起立して頭を下げたのは、プロの裁判官でも判断を間違えることがあり得るという、司法の限界を見せつける場面だった。

 昨年10月からの再審公判では、取り調べの録音テープ再生や、当時の担当検事に対す る証人尋問など、再審としては異例の証拠調べが行われた。菅家さんの心情に最大限配慮する展開となったが、時を同じくして始まった裁判員裁判で国民の刑事司法への関心が高まるなか、再審は菅家さんの名誉回復とともに、揺らいだ司法の信頼を取り戻すという意味もあったのだろう。裁判官の最後の謝罪は、その象徴ともいえる。

 科学鑑定に絶対はありえないことや、自白偏重捜査、裁判所の訴訟指揮の問題など、足 利事件はさまざまな教訓を突きつけた。これからも多くの国民が裁判員裁判に参加することを思えば、「二度と冤罪をつくってほしくない」という菅家さんの判決後の訴えは、司法界のみならず、国民全体に向けられたものでもある。

 再審公判では、無実の人でも虚偽の自白をせざるを得ない構造的な問題が取り調べに潜 んでいることが浮き彫りになった。誤ったDNA型鑑定でうその自白を引き出したのが冤罪の構図だが、物証の乏しい事件では、これからも自白がかぎを握る。足利事件の取り調べの在り方については、警察や検察も独自の検証が欠かせない。

 裁判長が判決のなかで「真実の声に十分耳を傾けなかった」と自戒を込めた言葉も極め て重い。裁判員裁判で法廷供述がより重視される流れのなかでは、プロの裁判官には証拠の吟味について一層の厳格さが求められている。それが制度の信頼の基盤でもある。

 公判で再生された録音テープにより、菅家さんが自白に至る取り調べの様子も明らかに なった。供述の信用性、任意性が争われる事件では、その検証として録音・録画(可視化)は有効だろう。全過程の可視化が果たして妥当なのかどうか、一部可視化の状況も見極めながら議論を深めていきたい。