2010年03月01日
台湾・高砂義勇隊を巡る旅 中編
台北入りした日の夜、私たちは蕭錦文さん(しょうきんぶん・台湾総統府と台北二二八記念館解説員 84歳)とお会いすることができました。
蕭錦文さんと
蕭錦文さんは1942年台湾義勇志願兵(ウィキペディア)に志願し同年7月にシンガポールにて3ヶ月間の軍事教育を受けたのち、ビルマへ派遣されインパール作戦では15師団に加わる。この作戦は「白骨街道」と呼ばれたほど多くの犠牲者を出した。蕭錦文さんはそのインパール作戦から奇跡の生還を果たしたわけですが、実は私の祖父・野口省己(のぐちせいき)もビルマ作戦(第33軍)に参加しており同じく奇跡の生還を果たしたが晩年「あの作戦は生き地獄であった。私の兵士も大半が戦死した。戦死といっても多くが餓死やマラリアといった病死。食料も医薬品も弾薬もなく、バタバタと目の前で兵士が死んでいった。いまだに彼らの骨はそのまま放置されている」とよく話していた。
それだけに同じビルマ作戦に参加した蕭錦文さんに当時の話をお聞きしたかったし、親近感を覚えていました。蕭錦文さんは私達に面会に応じてくださり、自宅から2時間以上かけて訪ねてくださった。申し訳なくこちらからご挨拶に伺いたいとお伝えしたところ、「わざわざ日本からいらっしゃるのにとんでもないことです。2時間なんてなんでもないことです。よく台湾までいらしてくださいました」と。
「野口さん、私はとても嬉しいのです。あなたのような若い日本の方が私たちの話を聞いてくださる事がなによりも嬉しいのです。そうですか、あなたは野口参謀のお孫さんでしたか。あの戦いはとても悲惨でした。敵機の空襲を避けるために夜中しか行動ができなかったのですが、水がなくてね。何日も水を飲まないまま駆けずり回っていましたが、喉が渇き首を締め付けられて死ぬ想いでした」
蕭錦文さんは私たちの為に3時間も話してくださった
蕭錦文さんと約3時間お話しましたが、台湾義勇志願兵に志願した経緯について、
「私たちは自らが志願したのです。合格した時は泣いて喜びました。名誉な事だと嬉しかったのです。日本の軍人たちも私たちを大切に扱ってくれました。苦しい戦でしたが、私は今でも誇りに感じています。
確かに戦後、日本政府は日本人ではない私たちには保証してくれませんでした。とても残念に思います。でも私たちはお金がほしいわけではありません。私ももう年です。お金なんかじゃないんです。ただ、日本の総理大臣から『よく日本のために戦ってくれました。御苦労さまでした』の労いの一言がほしいのです。私たちは自分たちの意志で参加し日本のために立派に戦ったのですから。
私たちは傭兵とは思っていません。正規の軍隊、軍属だと思っています。ですから、他の日本人と同じように扱ってほしかった。それだけなのですよ。でも、戦争で負けて、日本ではあの戦争は全ていけなかったと教育されてきました。ですから私たちの事は忘れられてしまったのかもしれません。日本政府の対応に納得はしていませんが、私は今でも日本が大好きです。残念ながら今の日本は私たちの時代(日本統治時代)の日本とは変わってしまいました。
戦争はするべきではないけれど、実際に戦った者として言わせてもらうならば日本が好きこのんで始めた戦争ではないですよ。そして台湾は日本の植民地時代にとっても大切にしてもらった。教育もインフラも日本と同じように日本人は一生懸命、台湾を良くしようとしてくれました。イギリスはシンガポールを200年も統治していたのに、汚いみずぼらしい街でした。当時のシンガポールは90パーセントの人たちが文盲でした。教育を受けていないから字が読めない。日本人は私達に教育の機会を与えてくれました。同じ植民地でもこんなに違うのかと思いましたね。
戦後の方が大変でした。中国から蒋介石がやってきて多くの台湾人を拷問し殺しました。中国国民党は40年間もの間、戒厳令を布いたのです。私も二二八事件で拷問を受けました。処刑される直前までいきました。
野口さん、私はね、今の日本がとても心配です。もっと自信をもってほしいのです。素晴らしい国だと胸を張ってほしいのです。私たちが命を賭けてまで志願し日本を守ろうとしたのは、日本が好きだったからです。それなのに今では日本人が日本の悪口を言う。とても悲しいことです。私たちにはまだ大和魂が残っています。日本人にも大和魂を取り戻してほしいのです。
でも、あなたが遺骨収集を始めたと聞いてとても嬉しかったです。みんな国の為に戦ったのですから。一体でも多くの兵隊さんを日本に帰してあげてください。日本のためにありがとう。ありがとうございます。」
私は、蕭錦文さんの言葉に涙を流してしまった。台湾人である蕭錦文さんの「日本のためにありがとう」の言葉。台湾は2度、日本に裏切られた。1度目は敗戦時。次に田中内閣で一方的に台湾との国交を断絶し中国と国交を結んだとき。
第二次大戦中、日本人として戦地に送られた台湾人は20万7000人あまり。うち戦死したのは3万3000人余り。特に高砂義勇隊の戦死、戦傷者の割合は高かった。それにも関わらず戦後、日本政府は日本人ではないとして彼らに補償してこなかった。
それにも関わらず蕭錦文さんの言葉から日本に対する恨みは聞こえてこない。これは蕭錦文さんだけではない。
その翌日にお会いした馬莎振輝さん(マサ・トフイ 台湾タイヤル族民族会議長)も
「私たちは日本人を恨んでいませんよ。日本が戦争に負けて私たちの町からも日本兵が引き揚げていきましたが、みんなで港まで見送りにいきましたよ。泣きながら別れました。日本人は基金を募って高砂義勇隊英霊記念碑を守ってくれましたが、嬉しかったです。日本のために戦った高砂義勇隊に感謝をしてくれたのだと思います。日本政府は冷たいですが日本人は温かいです。野口さん、この近くに日本兵のお墓があります。あなた達はそこには行かないのですか。日本のために戦った兵隊さんたちですよ」と。
馬莎振輝さんと
私たちは馬莎振輝さんの案内で日本軍人の慰霊碑に伺いました。
日本人よりも日本を愛している台湾の方々。蕭錦文さん、馬莎振輝さんの言葉1つ1つがとっても温かった。それだけに日本政府が彼らに対し行ってきた数々の冷酷な仕打ちがなんとも申し訳なく、日本国民としてただただ恥ずかしかった。そしてつい先日まで高砂義勇隊の存在すら知らなかった自身の無知さがまた情けなかった。
馬莎振輝さんの案内で日本兵の慰霊碑に
今からでもいい。日本政府は、また日本社会が、日本のために戦った彼らに対ししっかりとお礼の言葉と、そして日本人同様の補償を行うべき。それが人としての道であり、国家の在り方ではないだろうか。どうしてそんな当たり前の事を蔑しにしてきたのか、自身の国でありながら私には到底理解できない。友愛精神なるものが本当にあるのならば、もう遅すぎるかもしれないが今からでもいい。国家として当たり前の責任を果たしてほしい。
蕭錦文さんと
蕭錦文さんは1942年台湾義勇志願兵(ウィキペディア)に志願し同年7月にシンガポールにて3ヶ月間の軍事教育を受けたのち、ビルマへ派遣されインパール作戦では15師団に加わる。この作戦は「白骨街道」と呼ばれたほど多くの犠牲者を出した。蕭錦文さんはそのインパール作戦から奇跡の生還を果たしたわけですが、実は私の祖父・野口省己(のぐちせいき)もビルマ作戦(第33軍)に参加しており同じく奇跡の生還を果たしたが晩年「あの作戦は生き地獄であった。私の兵士も大半が戦死した。戦死といっても多くが餓死やマラリアといった病死。食料も医薬品も弾薬もなく、バタバタと目の前で兵士が死んでいった。いまだに彼らの骨はそのまま放置されている」とよく話していた。
それだけに同じビルマ作戦に参加した蕭錦文さんに当時の話をお聞きしたかったし、親近感を覚えていました。蕭錦文さんは私達に面会に応じてくださり、自宅から2時間以上かけて訪ねてくださった。申し訳なくこちらからご挨拶に伺いたいとお伝えしたところ、「わざわざ日本からいらっしゃるのにとんでもないことです。2時間なんてなんでもないことです。よく台湾までいらしてくださいました」と。
「野口さん、私はとても嬉しいのです。あなたのような若い日本の方が私たちの話を聞いてくださる事がなによりも嬉しいのです。そうですか、あなたは野口参謀のお孫さんでしたか。あの戦いはとても悲惨でした。敵機の空襲を避けるために夜中しか行動ができなかったのですが、水がなくてね。何日も水を飲まないまま駆けずり回っていましたが、喉が渇き首を締め付けられて死ぬ想いでした」
蕭錦文さんは私たちの為に3時間も話してくださった
蕭錦文さんと約3時間お話しましたが、台湾義勇志願兵に志願した経緯について、
「私たちは自らが志願したのです。合格した時は泣いて喜びました。名誉な事だと嬉しかったのです。日本の軍人たちも私たちを大切に扱ってくれました。苦しい戦でしたが、私は今でも誇りに感じています。
確かに戦後、日本政府は日本人ではない私たちには保証してくれませんでした。とても残念に思います。でも私たちはお金がほしいわけではありません。私ももう年です。お金なんかじゃないんです。ただ、日本の総理大臣から『よく日本のために戦ってくれました。御苦労さまでした』の労いの一言がほしいのです。私たちは自分たちの意志で参加し日本のために立派に戦ったのですから。
私たちは傭兵とは思っていません。正規の軍隊、軍属だと思っています。ですから、他の日本人と同じように扱ってほしかった。それだけなのですよ。でも、戦争で負けて、日本ではあの戦争は全ていけなかったと教育されてきました。ですから私たちの事は忘れられてしまったのかもしれません。日本政府の対応に納得はしていませんが、私は今でも日本が大好きです。残念ながら今の日本は私たちの時代(日本統治時代)の日本とは変わってしまいました。
戦争はするべきではないけれど、実際に戦った者として言わせてもらうならば日本が好きこのんで始めた戦争ではないですよ。そして台湾は日本の植民地時代にとっても大切にしてもらった。教育もインフラも日本と同じように日本人は一生懸命、台湾を良くしようとしてくれました。イギリスはシンガポールを200年も統治していたのに、汚いみずぼらしい街でした。当時のシンガポールは90パーセントの人たちが文盲でした。教育を受けていないから字が読めない。日本人は私達に教育の機会を与えてくれました。同じ植民地でもこんなに違うのかと思いましたね。
戦後の方が大変でした。中国から蒋介石がやってきて多くの台湾人を拷問し殺しました。中国国民党は40年間もの間、戒厳令を布いたのです。私も二二八事件で拷問を受けました。処刑される直前までいきました。
野口さん、私はね、今の日本がとても心配です。もっと自信をもってほしいのです。素晴らしい国だと胸を張ってほしいのです。私たちが命を賭けてまで志願し日本を守ろうとしたのは、日本が好きだったからです。それなのに今では日本人が日本の悪口を言う。とても悲しいことです。私たちにはまだ大和魂が残っています。日本人にも大和魂を取り戻してほしいのです。
でも、あなたが遺骨収集を始めたと聞いてとても嬉しかったです。みんな国の為に戦ったのですから。一体でも多くの兵隊さんを日本に帰してあげてください。日本のためにありがとう。ありがとうございます。」
私は、蕭錦文さんの言葉に涙を流してしまった。台湾人である蕭錦文さんの「日本のためにありがとう」の言葉。台湾は2度、日本に裏切られた。1度目は敗戦時。次に田中内閣で一方的に台湾との国交を断絶し中国と国交を結んだとき。
第二次大戦中、日本人として戦地に送られた台湾人は20万7000人あまり。うち戦死したのは3万3000人余り。特に高砂義勇隊の戦死、戦傷者の割合は高かった。それにも関わらず戦後、日本政府は日本人ではないとして彼らに補償してこなかった。
それにも関わらず蕭錦文さんの言葉から日本に対する恨みは聞こえてこない。これは蕭錦文さんだけではない。
その翌日にお会いした馬莎振輝さん(マサ・トフイ 台湾タイヤル族民族会議長)も
「私たちは日本人を恨んでいませんよ。日本が戦争に負けて私たちの町からも日本兵が引き揚げていきましたが、みんなで港まで見送りにいきましたよ。泣きながら別れました。日本人は基金を募って高砂義勇隊英霊記念碑を守ってくれましたが、嬉しかったです。日本のために戦った高砂義勇隊に感謝をしてくれたのだと思います。日本政府は冷たいですが日本人は温かいです。野口さん、この近くに日本兵のお墓があります。あなた達はそこには行かないのですか。日本のために戦った兵隊さんたちですよ」と。
馬莎振輝さんと
私たちは馬莎振輝さんの案内で日本軍人の慰霊碑に伺いました。
日本人よりも日本を愛している台湾の方々。蕭錦文さん、馬莎振輝さんの言葉1つ1つがとっても温かった。それだけに日本政府が彼らに対し行ってきた数々の冷酷な仕打ちがなんとも申し訳なく、日本国民としてただただ恥ずかしかった。そしてつい先日まで高砂義勇隊の存在すら知らなかった自身の無知さがまた情けなかった。
馬莎振輝さんの案内で日本兵の慰霊碑に
今からでもいい。日本政府は、また日本社会が、日本のために戦った彼らに対ししっかりとお礼の言葉と、そして日本人同様の補償を行うべき。それが人としての道であり、国家の在り方ではないだろうか。どうしてそんな当たり前の事を蔑しにしてきたのか、自身の国でありながら私には到底理解できない。友愛精神なるものが本当にあるのならば、もう遅すぎるかもしれないが今からでもいい。国家として当たり前の責任を果たしてほしい。
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この記事へのコメント
1. Posted by しきしま 2010年03月01日 07:14
ご苦労様です。
私の祖父もインパール作戦に参加しました。
イラワジ川の畔で亡くなったと聞きます。
未だ白骨のままです。
私は祖父を誇りに思っています。
私の祖父もインパール作戦に参加しました。
イラワジ川の畔で亡くなったと聞きます。
未だ白骨のままです。
私は祖父を誇りに思っています。
2. Posted by 鼓動館 2010年03月01日 09:19
あかん、途中で涙で最後まで読めなくなってしまいました。台湾の方から教わることの大きさを身にしみます。非常に有意義だった旅でしたね!来週、フィリピンにて詳しくお聞かせくださいね!
3. Posted by とうふ 2010年03月01日 17:23
わたしも、NHKのJapanデビューというとんでもない台湾特集の番組の問題で、初めてこんなにも台湾の人たちが日本を思っているんだという事を知りました。
というか、彼らは日本人だったのだと初めて実感しました。
戦後これだけ経って、やっとそのような事実が共有されるようになりました。
裏を返せば、それだけ長い期間、私たちは洗脳され、
本当の事、事実を遮断されてきたという事です。
とてもおそろしい事ですよ。
私たちの何十年という時間が、名前も知らない連中がつくった訳の分からん実在しない虚像の上に成り立っていたという事ですから。
私はここ数年で、遮断された向こうにある、そういう先達の記憶、積み上げてきたものを受け取る事で多くの力を回復した気がします。
思春期から30代までの理由のわからない根無し草感から抜けだし、徐々に大地に根を張り始めたような気分です。
先達から受け渡されたもの、その一部を野口さんは運んできてくださいました。
感謝いたします。
そういう先達からの贈り物を、いろんな分野で、少しずつでも取り戻していったら、多くの人の生きる力が戻ってくる事でしょう。
というか、彼らは日本人だったのだと初めて実感しました。
戦後これだけ経って、やっとそのような事実が共有されるようになりました。
裏を返せば、それだけ長い期間、私たちは洗脳され、
本当の事、事実を遮断されてきたという事です。
とてもおそろしい事ですよ。
私たちの何十年という時間が、名前も知らない連中がつくった訳の分からん実在しない虚像の上に成り立っていたという事ですから。
私はここ数年で、遮断された向こうにある、そういう先達の記憶、積み上げてきたものを受け取る事で多くの力を回復した気がします。
思春期から30代までの理由のわからない根無し草感から抜けだし、徐々に大地に根を張り始めたような気分です。
先達から受け渡されたもの、その一部を野口さんは運んできてくださいました。
感謝いたします。
そういう先達からの贈り物を、いろんな分野で、少しずつでも取り戻していったら、多くの人の生きる力が戻ってくる事でしょう。
4. Posted by 備陶嫁 2010年03月01日 22:06
野口様
先日アースコンシャス岡山講演で
備前焼のぐい呑を御笑納頂きました山口です。
台湾を旅しておられるのですね。
私も数年前より台湾に関心をもち
昨年台湾を旅しました。
台湾人が日本に寄せる想いと
日本人が台湾に寄せる想いの温度差を
どうしても現地で感じてみたかったのです。
ガイドの方はとても親切で代表的な観光地を
楽しく案内してくれました。
でも最後にガイドの方は真剣な顔で
「私は日本に留学して親切にしてもらい
大好きな国だ。日本が困っていたら助けたい。
日本は台湾が困っているのを知っているのに
どうして助けてくれない?」
私は彼女の言葉に答えられませんでした。
あまりにも知識がなさすぎたのです。
帰国してから少しづつ勉強して
彼女の言葉には過去、現在、未来も含まれていると痛感しました。
もう逃げてはいけないと思います。
私はまた必ず台湾へ行きます。
そして今度は彼女の言葉に答えたいと思っています。
野口様もどうぞお体大事に頑張って下さい。
ご無事をお祈り致しております。
先日アースコンシャス岡山講演で
備前焼のぐい呑を御笑納頂きました山口です。
台湾を旅しておられるのですね。
私も数年前より台湾に関心をもち
昨年台湾を旅しました。
台湾人が日本に寄せる想いと
日本人が台湾に寄せる想いの温度差を
どうしても現地で感じてみたかったのです。
ガイドの方はとても親切で代表的な観光地を
楽しく案内してくれました。
でも最後にガイドの方は真剣な顔で
「私は日本に留学して親切にしてもらい
大好きな国だ。日本が困っていたら助けたい。
日本は台湾が困っているのを知っているのに
どうして助けてくれない?」
私は彼女の言葉に答えられませんでした。
あまりにも知識がなさすぎたのです。
帰国してから少しづつ勉強して
彼女の言葉には過去、現在、未来も含まれていると痛感しました。
もう逃げてはいけないと思います。
私はまた必ず台湾へ行きます。
そして今度は彼女の言葉に答えたいと思っています。
野口様もどうぞお体大事に頑張って下さい。
ご無事をお祈り致しております。
5. Posted by しまこ 2010年03月01日 22:56
野口さん、素敵な日記をありがとうございます。
私は一昨年、初めて旅行した台湾の台湾総統府で、日本語ガイドをされていた蕭錦文さんにお会いしました。
私が学校の授業で「悪」と習った教育勅語を全文暗唱され、その内容の素晴らしさを紹介してくださいました。
学校の勉強では学べなかったことをいろいろ教えてくださった、素晴らしい方です。
蕭錦文さんの話を聞き、改めて日本人として誇りを持つことができ、また台湾の方々と友好を深めていきたいと思うようになりました。
私は一昨年、初めて旅行した台湾の台湾総統府で、日本語ガイドをされていた蕭錦文さんにお会いしました。
私が学校の授業で「悪」と習った教育勅語を全文暗唱され、その内容の素晴らしさを紹介してくださいました。
学校の勉強では学べなかったことをいろいろ教えてくださった、素晴らしい方です。
蕭錦文さんの話を聞き、改めて日本人として誇りを持つことができ、また台湾の方々と友好を深めていきたいと思うようになりました。
6. Posted by さとべりぃ 2010年03月01日 23:09
健さんの仰る通りですね。日本政府は友愛を形に表して「ありがとう」の一言と誠意のある補償を今からでもするべきですね。
私は今まで知りませんでした。台湾の方々が志願して日本のために戦ったということを。
そして今でも日本を好きでいてくれることも。こういったことがあれば憎しみを少なからず持っていられるんじゃないかと思っていました。過去の日本のことを今の日本人よりよく知っていて、今でも日本を好きでいてくれるなんて、何も知らないで日本人として生きてきたことが恥ずかしいです。
戦後の復興、立ち直った国と言われますけど、、多くの犠牲を顧みることなく進んできてしまったのかと思うと恐さを感じます。
話は変わりますが、富士山の日フォーラムでは楽しいひとときをありがとうございましたもっとゆっくり出来たらよかったんですが。。。またお会いできる日を楽しみにしています
私は今まで知りませんでした。台湾の方々が志願して日本のために戦ったということを。
そして今でも日本を好きでいてくれることも。こういったことがあれば憎しみを少なからず持っていられるんじゃないかと思っていました。過去の日本のことを今の日本人よりよく知っていて、今でも日本を好きでいてくれるなんて、何も知らないで日本人として生きてきたことが恥ずかしいです。
戦後の復興、立ち直った国と言われますけど、、多くの犠牲を顧みることなく進んできてしまったのかと思うと恐さを感じます。
話は変わりますが、富士山の日フォーラムでは楽しいひとときをありがとうございましたもっとゆっくり出来たらよかったんですが。。。またお会いできる日を楽しみにしています
7. Posted by 野口剛 2010年03月01日 23:33
健さん、
ハードスケジュールの中、本当にお疲れ様でした
本当に知る事は時に幸せで時に残酷です…
しかし、
事実を知らないことこそ不幸であり悲しむべき事です
人々に偏った考えをもたせない為に、真実を伝えてください
ハードスケジュールの中、本当にお疲れ様でした
本当に知る事は時に幸せで時に残酷です…
しかし、
事実を知らないことこそ不幸であり悲しむべき事です
人々に偏った考えをもたせない為に、真実を伝えてください
8. Posted by ことぶき 2010年03月02日 05:05
日本人は歴史の真実を知らない。
私も何も知らなかった。
でも健さんの文章に触れ、自然と涙が溢れてくるように、現在の日本人も真実を知れば、きっと体の奥の何かが弾ける。
誇りとか、自信とか、閉塞感とか、胸の奥からこみあげてくる何か。
台湾の人々は、日本より過酷な国民党の弾圧をくぐり抜け、日本の心を伝えて下さっている。
私達日本人は知らない。
知らされなかっただけなんだ。
このまま騙されて滅びゆくか、騙した者達と戦うのか、あまり時間は残されていないと思う。
私も何も知らなかった。
でも健さんの文章に触れ、自然と涙が溢れてくるように、現在の日本人も真実を知れば、きっと体の奥の何かが弾ける。
誇りとか、自信とか、閉塞感とか、胸の奥からこみあげてくる何か。
台湾の人々は、日本より過酷な国民党の弾圧をくぐり抜け、日本の心を伝えて下さっている。
私達日本人は知らない。
知らされなかっただけなんだ。
このまま騙されて滅びゆくか、騙した者達と戦うのか、あまり時間は残されていないと思う。
9. Posted by Patricia 2010年03月02日 12:25
野口さんの想いを読ませていただき、野口さんんのことをとても誇りに思いました。
私は野口さんと同世代なのですが、このような事実をブログを読むまでなんとなく、うわべの歴史しか知りませんでした。
自然が好きで、アルピニストの野口さんの話を聞きたくて講演に伺い、たくさんのことを感じながらブログにたどり着き、いろいろ読ませて頂きました。
台湾の方々の日本人に対する温かい気持ちを知り、私にもできる恩返しを何かしたいなと思いました。
いつしか旅行で台湾を訪れる時が来たら、
日本の為に戦って下さった台湾の方に、そしてその地で亡くなられた日本人の方々に
まずは心から感謝の気持ちを伝えたるため、
現地にお参りに行くと心に決めました。
これからも野口さんの活動を応援しております!
私は野口さんと同世代なのですが、このような事実をブログを読むまでなんとなく、うわべの歴史しか知りませんでした。
自然が好きで、アルピニストの野口さんの話を聞きたくて講演に伺い、たくさんのことを感じながらブログにたどり着き、いろいろ読ませて頂きました。
台湾の方々の日本人に対する温かい気持ちを知り、私にもできる恩返しを何かしたいなと思いました。
いつしか旅行で台湾を訪れる時が来たら、
日本の為に戦って下さった台湾の方に、そしてその地で亡くなられた日本人の方々に
まずは心から感謝の気持ちを伝えたるため、
現地にお参りに行くと心に決めました。
これからも野口さんの活動を応援しております!
10. Posted by いちご 2010年03月02日 13:43
健さんお疲れ様さまです
錦文さんの心からの言葉 私は今でも日本が好きです。私達が命を賭けてまで日本を守ろうとしたのは…日本が好きだからです。
この言葉には泣けました こんなにも純粋に日本が好きですとはっきり言える錦文さんは素晴らしい人だと思えます
この錦文さんの言葉を聞いて何も感じない日本の方はいないと思います。 遅かったかもしれないけれど… でも戦争を知らない私でさえ 遠い日ではないと感じているから. 国として人としての道をしっかりと踏んで欲しいと願っています. だって…国は人だから 健さんが伝えていくことは宝であり新しい道になりますね 健さんありがとう
錦文さんの心からの言葉 私は今でも日本が好きです。私達が命を賭けてまで日本を守ろうとしたのは…日本が好きだからです。
この言葉には泣けました こんなにも純粋に日本が好きですとはっきり言える錦文さんは素晴らしい人だと思えます
この錦文さんの言葉を聞いて何も感じない日本の方はいないと思います。 遅かったかもしれないけれど… でも戦争を知らない私でさえ 遠い日ではないと感じているから. 国として人としての道をしっかりと踏んで欲しいと願っています. だって…国は人だから 健さんが伝えていくことは宝であり新しい道になりますね 健さんありがとう
11. Posted by え 2010年03月02日 22:09
蕭錦文さんが出演している
「台湾人生」というドキュメンタリー映画があります。
その映画の中で陳清香さんがおっしゃっている言葉と
野口さんがつづられた言葉が重なっているように思えてなりません。
「台湾人生」というドキュメンタリー映画があります。
その映画の中で陳清香さんがおっしゃっている言葉と
野口さんがつづられた言葉が重なっているように思えてなりません。
12. Posted by 伊藤彰 2010年03月02日 22:19
祖父・・・・ 伊藤金一郎のこと
はじめまして 九州在住の 伊藤と申します
私の祖父は 第三回 高砂義勇隊の大隊長として 義勇隊の若者を引率して ニューギニヤに出征いたしました。祖父はもともと 警察官でした、総督府警察本部の理蛮課長でした。義勇隊を引率したのは 軍人ではなく、ほとんどが警察官です。 当時 警察官は 治安を守るとともに日本語の先生もつとめていたので、台湾の若い青年たちとも距離が近かったのが その理由だったそうです。 軍部とは、1年派遣とのやくそくでしたが 戦況の悪化で 延び延びなってしましい、痺れをきらした祖父は、早期帰還の交渉の為、部下を台北の総督府へ出張させました。 ”この子たちをなんとか 戻さなければ・・・・” 戦後 その部下の方が私の実家を訪ねてこられて、手記を置いて行ってくださいました、手記ぼ中にあった祖父の言葉です。その後なんとか 帰還が決定したのですが 誠に無念なことに 帰還途中 輸送船が 潜水艦の魚雷によって撃沈し 先遣にて交渉の為帰国した 3名を除き、皆 帰らぬ命となってしまいました。 第3回義勇隊については、記録がほとんど残っておらず 幻の義勇隊と呼ばれているそうです。高砂義勇隊については 政府もマスコミもまったく沈黙してしまっていることに、疑問を感じます。・・・・ 父は 台湾生まれで、同級生が EH エリックさんです。 今でも当時のことを 話してくれます。( エリックさんお父様は 画家で 当時台北にお住まいでした) とてもいいところだったそうです。 機会がありましたら また書き込みいたします。こちらのサイトを応援いたしております。・・・・・・・・・・・・・・・ 一関係者の遺族より
はじめまして 九州在住の 伊藤と申します
私の祖父は 第三回 高砂義勇隊の大隊長として 義勇隊の若者を引率して ニューギニヤに出征いたしました。祖父はもともと 警察官でした、総督府警察本部の理蛮課長でした。義勇隊を引率したのは 軍人ではなく、ほとんどが警察官です。 当時 警察官は 治安を守るとともに日本語の先生もつとめていたので、台湾の若い青年たちとも距離が近かったのが その理由だったそうです。 軍部とは、1年派遣とのやくそくでしたが 戦況の悪化で 延び延びなってしましい、痺れをきらした祖父は、早期帰還の交渉の為、部下を台北の総督府へ出張させました。 ”この子たちをなんとか 戻さなければ・・・・” 戦後 その部下の方が私の実家を訪ねてこられて、手記を置いて行ってくださいました、手記ぼ中にあった祖父の言葉です。その後なんとか 帰還が決定したのですが 誠に無念なことに 帰還途中 輸送船が 潜水艦の魚雷によって撃沈し 先遣にて交渉の為帰国した 3名を除き、皆 帰らぬ命となってしまいました。 第3回義勇隊については、記録がほとんど残っておらず 幻の義勇隊と呼ばれているそうです。高砂義勇隊については 政府もマスコミもまったく沈黙してしまっていることに、疑問を感じます。・・・・ 父は 台湾生まれで、同級生が EH エリックさんです。 今でも当時のことを 話してくれます。( エリックさんお父様は 画家で 当時台北にお住まいでした) とてもいいところだったそうです。 機会がありましたら また書き込みいたします。こちらのサイトを応援いたしております。・・・・・・・・・・・・・・・ 一関係者の遺族より
13. Posted by さくらじまん 2010年03月03日 00:07
国が違えども、想いが届けば、心は繋がる。
私たちは同じ国にいるのだから、想いは届きやすく、心も繋がりやすいはず。
「あきらめないこと、それが冒険だ」ですもんね!
私は、身近な場所から始めます。
今度「挑戦」をテーマにブックトークをします。健さんについても触れさせていただきます。
私の行動の足掛かりになればと思っています!
日本が好きだから
日本を諦めたくない!
頑張れ日本!
頑張ろう日本人!
これからも健さんのブログで、気持ち高めていきます!
私たちは同じ国にいるのだから、想いは届きやすく、心も繋がりやすいはず。
「あきらめないこと、それが冒険だ」ですもんね!
私は、身近な場所から始めます。
今度「挑戦」をテーマにブックトークをします。健さんについても触れさせていただきます。
私の行動の足掛かりになればと思っています!
日本が好きだから
日本を諦めたくない!
頑張れ日本!
頑張ろう日本人!
これからも健さんのブログで、気持ち高めていきます!
14. Posted by 国の光 2010年03月04日 01:46
野口健さん野口剛さん
お疲れ様でした。
あなた達のような大人が日本の希望の光です
忘れ去られた武士道の後継者として生きて下さい
心から感謝します
お疲れ様でした。
あなた達のような大人が日本の希望の光です
忘れ去られた武士道の後継者として生きて下さい
心から感謝します
15. Posted by aoao 2010年03月04日 20:09
そうですよね。健さんの言う通りです。
台湾ほど親日的な国は他にありません。当時は侵略なんて当たり前だったので(悲しいことですが・・・。)日本がやった事は特に悪いことではなかったんです。それどころか欧米の植民地支配とは違い教育、医療、治安、どれも素晴らしいものだったそうです。
しかし今は馬英九政権となってしまい急激に中国化してしまっています!このままでは当時の事を知る人の話が消されています!そして日本にも中国の魔の手が迫ってきます!!
この事を一人でも多くの人に伝え、台湾を救いましょう!!台湾については「ゴーマニズム宣言 台湾論」という本にも書いてありますので
読んでみてください。でも鵜呑みにし過ぎない様にしてください。
中三のくせにこんな事を書いてしまいすみません。でも僕は書かずにはいられないのです!!
長々と書きましたが健さんに読んで頂けると光栄です。
台湾ほど親日的な国は他にありません。当時は侵略なんて当たり前だったので(悲しいことですが・・・。)日本がやった事は特に悪いことではなかったんです。それどころか欧米の植民地支配とは違い教育、医療、治安、どれも素晴らしいものだったそうです。
しかし今は馬英九政権となってしまい急激に中国化してしまっています!このままでは当時の事を知る人の話が消されています!そして日本にも中国の魔の手が迫ってきます!!
この事を一人でも多くの人に伝え、台湾を救いましょう!!台湾については「ゴーマニズム宣言 台湾論」という本にも書いてありますので
読んでみてください。でも鵜呑みにし過ぎない様にしてください。
中三のくせにこんな事を書いてしまいすみません。でも僕は書かずにはいられないのです!!
長々と書きましたが健さんに読んで頂けると光栄です。
16. Posted by LUVLUV 2010年03月04日 23:34
野口さん、こんにちは。
恥ずかしながら高砂義勇隊について初めて知りました。
>日本のためにありがとう。ありがとうございます。」
読んでいて涙が出ました…。「労いの一言」もないのは何故でしょう…。
以前台北を訪問した際に現地の方がとっても温かく接して下さった事を思い出しながら読みました。
また野口さんから一つ大切な事を教えて頂きました。本当に、ありがとうございます(後編も待ってます)。
恥ずかしながら高砂義勇隊について初めて知りました。
>日本のためにありがとう。ありがとうございます。」
読んでいて涙が出ました…。「労いの一言」もないのは何故でしょう…。
以前台北を訪問した際に現地の方がとっても温かく接して下さった事を思い出しながら読みました。
また野口さんから一つ大切な事を教えて頂きました。本当に、ありがとうございます(後編も待ってます)。
17. Posted by ヨーコ 2010年03月05日 03:40
野口さん、はじめて書き込みさせていただきます。
今回、高砂儀勇隊について初めて知りました。
自分が、歴史を何も知らないことを改めて恥ずかしく思いました。
日本の仕打ちに関わらず、台湾の方に『日本が好き』といってもらえたことに救われ、涙がでました。
これから、日本人として、自分はどうすべきなのか、考えたいと思います。
本当に、ありがとうございました。お体に気をつけて、ご活躍ください。
今回、高砂儀勇隊について初めて知りました。
自分が、歴史を何も知らないことを改めて恥ずかしく思いました。
日本の仕打ちに関わらず、台湾の方に『日本が好き』といってもらえたことに救われ、涙がでました。
これから、日本人として、自分はどうすべきなのか、考えたいと思います。
本当に、ありがとうございました。お体に気をつけて、ご活躍ください。
18. Posted by ハスユ 2010年03月06日 16:01
健さん、剛さん、こんにちは、ハスユです。
台湾の人達は日本を愛し、日本のために戦ったのに、日本政府はなんてひどいことをしていたんだろう。なのに案内をしてくださった方々はそれでも恨んだりせず、誇りとして思ってくださっているなんて…。僕たち中学生にこれだけの愛国心があるだろうか。僕も案内してくださった方々を見習いたいです。
真実を知るためにも後編よろしくお願いいたします。
台湾の人達は日本を愛し、日本のために戦ったのに、日本政府はなんてひどいことをしていたんだろう。なのに案内をしてくださった方々はそれでも恨んだりせず、誇りとして思ってくださっているなんて…。僕たち中学生にこれだけの愛国心があるだろうか。僕も案内してくださった方々を見習いたいです。
真実を知るためにも後編よろしくお願いいたします。
19. Posted by 日本が好きだ! 2010年03月17日 01:50
はじめて書き込みさせて頂きます(特にこのページが気に入りましたので、こちらに書き込ませて頂きます)。
私は最近になって、戦後の日本(特に最近)が政治(朝鮮系議員の数は80名を超えると言われているようです)・メディア・教育(日教組)・宗教(創価・統一・オウム)・芸能などあらゆる所に力を持った在日朝鮮人(ユダヤの手先とも耳にしますが・・)によって、
「朝鮮人の朝鮮人による朝鮮人の為の政治」
が行われている状態である事を知りました。
テレビでは大切な情報は隠蔽され、毎日といっても過言ではない程、見たくもない韓国情報ばかり流れ、正直吐き気を覚えます。
私は、本当は反日的な国家の中国や韓国の事などよりも親日的な国家である台湾やインドやトルコの情報をもっと知りたいと感じていたので野口さんのブログを拝読させて頂き、とても嬉しくなりました。
台湾の皆様が日本を愛してくださる、その根底には過去の日本人の徳のある行動が理由だと思われ、そんな日本人が素晴らしいなぁ・・と誇らしくも感じました。
それと共に中国や韓国の日本に対する根拠の無い戦争行為の批判や日教組による自虐史観を教え込まされた事には、激しい怒りを感じます。
全ての日本人(特にネットと接する機会の少ない団塊の世代以上)の方が、中国人や朝鮮人の嘘や欺瞞に1日も早く気付いて頂きたいと願って止みません。
私は最近になって、戦後の日本(特に最近)が政治(朝鮮系議員の数は80名を超えると言われているようです)・メディア・教育(日教組)・宗教(創価・統一・オウム)・芸能などあらゆる所に力を持った在日朝鮮人(ユダヤの手先とも耳にしますが・・)によって、
「朝鮮人の朝鮮人による朝鮮人の為の政治」
が行われている状態である事を知りました。
テレビでは大切な情報は隠蔽され、毎日といっても過言ではない程、見たくもない韓国情報ばかり流れ、正直吐き気を覚えます。
私は、本当は反日的な国家の中国や韓国の事などよりも親日的な国家である台湾やインドやトルコの情報をもっと知りたいと感じていたので野口さんのブログを拝読させて頂き、とても嬉しくなりました。
台湾の皆様が日本を愛してくださる、その根底には過去の日本人の徳のある行動が理由だと思われ、そんな日本人が素晴らしいなぁ・・と誇らしくも感じました。
それと共に中国や韓国の日本に対する根拠の無い戦争行為の批判や日教組による自虐史観を教え込まされた事には、激しい怒りを感じます。
全ての日本人(特にネットと接する機会の少ない団塊の世代以上)の方が、中国人や朝鮮人の嘘や欺瞞に1日も早く気付いて頂きたいと願って止みません。
20. Posted by 竜馬好き 2010年03月27日 04:13
小隊長日記から来ました
>国家として当たり前の責任を果たしてほしい。
えらそうにこんなこと言うなら空援隊という組織と組織の理事の責任を果たしてください!
空援隊のホームページにも言い訳にもならない言い訳を書いてるだけ
海援隊を気どって悪いことをしてるなんて言葉に言い表せないくらい腹立たしいです
あなた方に日本政府を非難する資格があるんですか!!どうなんですか!!!!
>国家として当たり前の責任を果たしてほしい。
えらそうにこんなこと言うなら空援隊という組織と組織の理事の責任を果たしてください!
空援隊のホームページにも言い訳にもならない言い訳を書いてるだけ
海援隊を気どって悪いことをしてるなんて言葉に言い表せないくらい腹立たしいです
あなた方に日本政府を非難する資格があるんですか!!どうなんですか!!!!