つまり、「史実に忠実」をうたい文句としている話は、政宗が眼帯をしていないことで見分けることができます。
逆に、眼帯をつけた政宗は、渡辺謙が演じることで生み出された大衆ヒーローとしての系譜を継ぐ、娯楽作品キャラとして見分けることもできます。
以下、どのようにして眼帯キャラが誕生し、広まっていったのかを、子供向けの伊達政宗本とシナリオで検証します。
[史実の政宗]→[「独眼龍」追加]→[全国区キャラになる前の政宗]→[チャンバラ映画での刀の鍔眼帯発明]→[政宗眼帯化の前夜]→[NHKが眼帯を政宗に装着]→[眼帯政宗の増殖]→[BASARA政宗]→[眼帯を使わないという選択肢]
史実の政宗
伊達政宗は眼帯キャラではありませんでした。
大坂卯年図の一部に政宗が描かれています。
国立公文書館デジタルアーカイブ
大坂卯年図(おおさかうどしず)
元和元年(1615)5月の大坂夏の陣での、大坂城落城の状況を描いて売り出されたもので、瓦版の始まりと言われるものです。原図サイズ:71cm x 33cm
政宗は自分の隻眼を嫌い、両目を入れた彫像や絵画にするように遺言(藩士に対しては、つまり命令)しています。
このため、生前どんな格好だったかがわかりづらくなっています。
この図は当時の新聞記事ですので、政宗の意思が入っていません。「一般人の見た、政宗」はこういうキャラだったということです。眼帯はしていません。
もうひとつ、政宗の死後は陽徳院(ようとくいん)と名乗った妻の愛姫も、政宗の17回忌にあたって独眼の木像を作っています。
図説 伊達政宗 (ふくろうの本)
「独眼龍」追加
死後、江戸時代の後半になると、「独眼龍」の異名がつくようになります。
独眼龍伊達政宗は何故独眼龍と呼ばれたのでしょう? - ひーさんの散歩道
ちょっと脱線しましたが、当時は独眼龍と呼ばれた記録は無いそうです。
『伊達政宗言行録 木村宇右衛門覚書』に、死後自分の木像などを作る時は必ず両眼を付けて置くべし! 親から授かった健全な身体をこのようにしてしまったのは不幸このうえないことである。だから両眼を付けるようにと言い残しています。
独眼龍と呼ばれ、同じく片目で武勇に優れた中国人がいました。
それは、五代後唐(こうとう)の始祖李克用(り こくよう:856〜908)です。
彼の軍隊は黒い衣を着用していたところから鴉軍(あぐん)と呼ばれ恐れられていたようです。
この李克用と共通する点が多いことから政宗は独眼龍と呼ばれるようになったと思われます。
こんな長詩があります。
文政六年(1823) 頼山陽(らいさんよう)の漢詩で「多賀城瓦研歌」
この中に「河北終ニ帰ス独眼龍」と言う一句があると言う。
つまりこの文政六年には、独眼龍と呼ばれていたことになりますね。
伊達政宗言行録―木村宇右衛門覚書
全国区キャラになる前の政宗
1960年代以前、政宗とはどんなイメージで見られていたか。
1959年の作品。
独眼竜政宗 [DVD]
解説:http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1233928607
kotori672007さん
特徴ある隻眼と、センスのいい甲冑で、「名前だけは」有名でした。でも、生涯については、さほど知られていませんでした、一般的に。
一つ証拠として、昭和30年代に作られた、中村錦之助主演の「独眼竜政宗」という映画を観てみれば分かりやすい。(今年DVD化されました)
史実はほとんど出てこなくて、全編創作です。隻眼は、刺客に矢を右目に撃たれたから……となっていて、実際、大河の放映の前は、それが正しいって思ってた人も多いですよ。
錦之助は織田信長や徳川信康、坂本龍馬なども演じていますけれど、これほど史実的でない作品は、おそらくこれだけでしょう。
チャンバラ映画での「刀の鍔眼帯」発明
1960年代に入ると、
「黒い刀の鍔を模した眼帯を着けた、隻眼ヒーロー」柳生十兵衛が発明されます。
眼帯はここから、時代劇用のアイテムとして重要視されていきます。
史実上の柳生三厳(やぎゅう みつよし)はこういう顔。史料 柳生新陰流〈上巻〉の80ページ。
五味康祐の小説『柳生武芸帳』で隻眼キャラ化された十兵衛は、1960年代に映画シリーズ化されます。
俳優・近衛十四郎が演じる十兵衛は、初期は眼帯をしていませんでしたが、
『柳生一番勝負 無頼の谷』(1961)から黒い革眼帯、
そして原作者のアドバイスにより『柳生武芸帳 剣豪乱れ雲』(1963)から柳生鍔の眼帯をするようになりました。
→柳生一番勝負 無頼の谷|社団法人日本映画製作者連盟
→柳生武芸帳 剣豪乱れ雲|社団法人日本映画製作者連盟
刀の鍔そのものを眼帯に使ったり、刀の鍔の形の眼帯を使うのは、ここで発明されたフィクションです。
http://www.geocities.jp/konoejsr/profile-toeijidai.html
http://www.geocities.jp/chanbara310/eiga/yagyu1.html
http://www.geocities.jp/konoejsr/profile-hon.html
別冊宝島「この時代小説を読まずに死ねるか!」 宝島社
96・12 「剣豪乱れ雲」と「素浪人月影兵庫 赤い渦が捲いていた」のスチール写真と永田哲朗氏による解説あり。それによると十兵衛の眼帯を柳生鍔で覆うようにアドバイスしたのは原作者の五味康祐氏だそうです。
※『片目の十兵衛』(1963)では、近衛十四郎が演じる十兵衛と、山形勲が演じる伊達政宗の対面シーンがあります
「刀の鍔?手を守るあれだろ?目につけるなんてアホな。」と当時の人が思ったどうかはともかく、重さといい材質といい、顔面アクセサリとしてはツッコミどころだらけのものだったことは確かです。
ツッコミどころだらけだったからこそ、片目のキャラクターに「柳生」という看板を載せることができたともいえます。
近衛十四郎が演じていたときは「柳生鍔」を顔につけたキャラだった十兵衛ですが、
その後は「刀の鍔」を顔につけたキャラ、として、千葉真一や村上弘明へ受け継がれます。
柳生十兵衛 七番勝負 島原の乱 [DVD]
このチャンバラ映画で創作された刀の鍔でできた眼帯は、片目のキャラクターが登場するたびにさまざまに使いまわされ、やがて政宗の絵にとりこまれていくことになります。
柳生十兵衛=眼帯=刀の鍔、がどれほど日本人の心に焼き付いたのかは、十兵衛を女性化しようと萌えキャラ化しようと、現在でもかならず付いてくる「刀の鍔」に見てとることができます。
百花繚乱 柳生十兵衛 (1/8スケールPVC塗装済み完成品)
政宗眼帯化の前夜
さて、伊達政宗に話を戻します。
右目について。1979年の子供向け本では、そもそも疱瘡(ほうそう)=天然痘にかかった高熱による、失明エピソードが存在していません。失明の経緯についてはほとんど重要視されていなかったようです。
1970年代にベストセラーとなった山岡荘八作の小説「伊達政宗」(毎日新聞連載1970〜1973)。
「片倉小十郎が伊達政宗の失明した右目をえぐる」エピソードはここで追加されます。
史実上の伊達政宗は、墓所・瑞鳳殿の1974年の発掘結果で、右目の眼窩も正常発育(5歳の時にえぐらたならそうならない)と分かっています。
伊達政宗―奥州より天下を睨む独眼竜 (新・歴史群像シリーズ 19)より、伊達泰宗氏の文章
「独眼龍政宗」とよばれていたにもかかわらず、頭骨の左右眼窩(眼球の入る部分)にはどこにも損傷が見られなかった。
なお、右目の状態は、生前の姿を忠実に再現したと伝えられる伊達政宗甲冑像(瑞巌寺蔵)のように両目備わった状態で視力のみを失い、それに伴なう眼球内部異常により硝子体が白く濁っていたと考えられる。
このため、目をえぐられた、は可能性の低い説ですが、小説・大河ドラマ経由で政宗の経歴にとりこまれていきます。
この山岡荘八「伊達政宗」は、
1986年から、横山光輝による漫画化と、
1987年のジェームス三木脚本による、NHK大河ドラマ化(日曜20時放送)となりました。
横山光輝の漫画版では、小十郎がつけた傷はあるものの、史実通りに眼帯なし。
失明エピソードと幼少時
表紙
漫画文庫化されています。
伊達政宗(1) (講談社漫画文庫)
NHKが眼帯を政宗に装着
大河ドラマの撮影進行が報道されるなか、1986年後半に書籍で眼帯をつけた政宗が見られるようになります。イラスト・柳柊二。
伊達政宗 (講談社 火の鳥伝記文庫)
大河ドラマのシナリオで、目の傷が治ったら眼帯は外される予定だったようです。
独眼竜政宗〈上 野望篇〉
シナリオ中で、「眼帯」に言及している部分
梵天丸から藤次郎になったあたりは眼帯着用なし。しかし、初陣で、なぜか眼帯が復活しています。
子役からの引継後も眼帯はそのまま。
演ずる渡辺謙とともに、「山岡荘八・ジェームス三木・NHK」な伊達政宗は眼帯キャラ化しました。
地元新聞・河北新報での推移。
1987年1月1日、35ページ。NHKスタッフが成実記ほかの古文も読みこみ、約17万字の調査資料を作成した、とあります。
1月15日18ページと、2月21日10ページに、宮城県酒造組合の「眼帯のない政宗キャラクター」広告があります。
2月15日の「初陣」放映日。3ページに文庫本化された、山岡荘八「伊達政宗」の広告。徳川家康衣装の津川雅彦、眼帯・鎧姿の渡辺謙のイラストが、生頼範義により描かれて入っています。
2月22日、10ページに子孫の伊達篤郎氏(当時76)が登場しています。
史実に忠実にと注文し、よくドラマ化されていると褒めています。眼帯へのツッコミは特になし。
4月1日、13ページに渡辺謙が立ってバックライト付き図柄の、「NTTがテレホンカードを発売」ニュース。
つまり、政宗が隻眼であることは常識であり、
テレビドラマで隻眼の人が刀の鍔なかたちの眼帯をするのも、同時に常識。
よって政宗が眼帯をしていても、それほど気にする人はいない。
という時代であったと思われます。
眼帯政宗の増殖
TVドラマ放映後、数年。
「渡辺謙は眼帯を付けて伊達政宗を演じてたけど、柳生十兵衛じゃあるまいし、史実はそんなことないから」
という、歴史と劇は区別しましょうという立場の人は従来通りの政宗像を使います。
1991年の、石ノ森章太郎による漫画。マンガ日本の歴史(26)関白秀吉の検地 p.178
関白秀吉の検地と刀狩 (マンガ 日本の歴史)
しかしそこはNHKドラマの影響力。
1990年、地元新聞の河北新報社発行のマンガ「まんが宮城の歴史(2)」。
テレビドラマ内容が地元民に史実として固定されはじめます。
こうして、世に広まった「眼帯男・伊達政宗」のイメージにしたがい、過去に出版された伊達政宗を扱った小説も、眼帯をつけた表紙をつけて再刊するのが主流となっていきます。
海音寺潮五郎の小説『伊達政宗』(1962年5月〜1964年4月文芸朝日連載)も、2006年にこのイメージとなりました。
伊達政宗 (人物文庫)
BASARA政宗
2000年代に入ると、戦国無双や戦国BASARAといったゲーム、アニメで、フィクション上のキャラクター・眼帯伊達政宗はさらに彩られていきます。
戦国BASARA
リボルテックヤマグチ No.079 戦国BASARA 伊達政宗
なお、この戦国BASARAの初代ゲーム(2005年)は「パロディだらけでアホだけれど、どこか合ってる気もしなくもない」キャラクター創造をしており、おかげで眼帯に引き続いて、史実の政宗を侵食してきています。
このゲームで創造された言葉やイメージ
・奥州筆頭 伊達政宗(おうしゅうひっとう だてまさむね)
奇抜な格好をしてバイクを乗り回す、昭和の非行青少年の代名詞な暴走族。
そのリーダー格の(ヘッド)と、筆頭(ひっとう)、のだじゃれ。掛けことば。
部下の格好も、「特攻服」「ヤンキー」などを連想させるようになっています。
・青い鎧、六爪流
独眼竜=ドラゴン=青龍=竜の3本爪=両手に日本刀を3本づつ持たせる
・六本の刀での剣技
声優に、海賊を扱ったアニメ「ワンピース」で両手と口に3本の日本刀を持ったキャラクター「ロロノア・ゾロ」を演じた、中井和哉を起用。その2倍の刀でおかしさをアピール。
・ENGRISHを使う
史実でイスパニアに使節を送ったから、を「舶来好き=英語好き」と解釈する
ゲーム、アニメ好きで政宗を「筆頭」と呼んでいたら、分かっているうえでのシャレとなります。
しかし、まわりが「筆頭」と呼んでいるから、政宗を筆頭と呼ぶ人もそれなりにいます。
「独眼龍」と同様、「筆頭」も、ちょっと知識のあるオタクが元ネタをちらつかせて語り、うんうん分かる分かるあの李克用ね(笑)戦国BASARAの政宗ね(笑)、と言っているうちに元ネタのほうが知名度が低下してしまい、政宗のオリジナル属性となってしまう可能性も今後あります。
戦国BASARAのヒット以降は、眼帯キャラ元祖の柳生十兵衛と混ざり合い、最近の創作物では伊達政宗に剣豪属性がついてきているのも特徴です。
その他、各種の政宗キャラクター ねたミシュランより
伊達政宗や柳生十兵衛の眼帯について - 教えて!goo
伊達政宗の眼帯って、現物は残ってないんですか? - Yahoo!知恵袋
侍はみんな眼帯に刀の鍔使うんですか? - Yahoo!知恵袋
眼帯を使わないという選択肢
伊達政宗を眼帯化しないマンガは、史実ベースでいきたいというこだわりが出ています。
仙台藩祖伊達政宗ライフダイジェスト
まとめ、おわりに
目をえぐられるシーンについて。
山岡荘八が、毎日新聞連載の小説で、右目をえぐりとるシーンを入れる(1970年代初頭)
↓
墓所の発掘で、史実の伊達政宗は右目眼窩は正常だった(1974)
↓
山岡荘八の小説内容で、マンガ化、ドラマ化(1986〜1987)
眼帯キャラ化について。
(1)右目の視力を失っている、史実の伊達政宗
(2)片目をえぐり取るエピソードが追加された山岡荘八's 政宗(フィクション)
(3)山岡荘八's 政宗を、眼帯なしの部分は歴史に忠実とした横山光輝's 政宗(フィクション)
(4)山岡荘八's 政宗に、柳生十兵衛ライクな「刀の鍔眼帯」をつけたNHK大河ドラマ眼帯政宗(フィクション)
(5)大河ドラマ眼帯政宗(フィクション)をベースに発展した、各種の眼帯政宗(フィクション)
(1)と(5)が混同されつつある、ということです
おわりに。
「いい意味でずれてて/狂ってて面白いもの」を子供の頃に味わった大人が、どうズレてるかを正確に解説されないまま大人になると、それを歴史として子供に教えだす。
どんなに荒唐無稽なチャンバラ映画も小説も大河ドラマもゲームもアニメも、一般人に広まってしまえば、それが歴史認識となります。
更新履歴:
2010-03-21 柳生十兵衛の眼帯と、刀の鍔眼帯ルーツについて記述追加
2010-03-22 中村錦之助の政宗DVDについて追加
2010-03-24 新聞記事について追加。文中には入れませんでしたが、河北新報・昭和62年1月1日23ページの「政宗が弟の小次郎を殺したのは、天正18年のさらに2年以上前という文書が発見された」記事は興味を引きました。
2010-03-26 戦国BASARA、図説伊達政宗、伊達政宗言行録、火の鳥文庫伊達政宗、海音寺潮五郎の伊達政宗について追記。目次追加。
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土産物屋のトイレで貼ってあったチラシで
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なぜか 独眼竜の眼帯だったw
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