人事・訃報

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訃報:金嬉老さん81歳=寸又峡事件の元受刑者

金嬉老さん=岩下幸一郎撮影
金嬉老さん=岩下幸一郎撮影

 【ソウル大澤文護】静岡県の温泉旅館に人質をとって立てこもった1968年の「金嬉老事件」で無期懲役刑が確定した後、仮釈放で韓国に永住帰国していた金嬉老(キムヒロ)(本名・権禧老(クォンヒロ))元受刑者が、26日午前6時50分、前立腺がんのため、韓国・釜山市の病院で死去した。81歳だった。金元受刑者は25日午後、病状悪化のため、緊急入院していた。

 在日韓国人2世だった金元受刑者は68年2月、借金返済を迫った暴力団関係者2人を静岡県清水市(現・静岡市)のクラブで射殺した後、ライフル銃とダイナマイトで武装して同県・寸又峡温泉の旅館に経営者や客ら13人を人質にとって4日間立てこもった。

 事件当時、金元受刑者は現場に報道陣を呼び込んで民族差別を訴え、日本で初めての「劇場型犯罪」として衝撃を与えた。75年に最高裁で無期懲役刑が確定したが、99年9月に仮釈放が認められ、韓国に帰国した。00年9月には、釜山で交際中の女性と共謀して女性の夫の殺害を謀ったとして殺人未遂容疑で逮捕され、03年に出所するまで服役した。

 68年の事件以後、日韓のメディアが「日本で差別を受けた体験と長い刑務所暮らしが正常な判断力を失わせた」などとする金元受刑者の主張を大きく取り上げたが、その後、「金元受刑者を『英雄』に仕立てたメディアにも問題がある」との声が上がるなど、両国で論議を巻き起こした。

 2010年2月に韓国政府が公開した外交文書によると、金元受刑者は熊本刑務所に服役中、「暴行や差別的な扱いを受けた」と訴える陳情書を韓国の支援者を通じ、韓国外相あてに送っていたことが明らかになった。金元受刑者は韓国政府が日本政府に抗議するよう求めたが、韓国側の調査の結果、他の受刑者とのけんかは認められたが、看守による暴行などの事実は確認されなかった。金元受刑者は、その後も受刑者が暴行を加えたなどと主張していた。

 ◇母の墓参のため「日本行き希望」 最近漏らす

 【ソウル西脇真一】金嬉老(本名・権禧老)元受刑者は99年9月7日に仮釈放されたが、事実上日本に入国できなくなっていた。70歳で韓国暮らしを始めるまで生活の基盤は日本にあり、最近は日本行きを希望していた。

 永住帰国した釜山の日本人関係者によると、金元受刑者は最近、「もういい年なので、母の墓参りや知り合いにあいさつするため、もう一度日本に行きたい」などと語っていたという。

 この関係者は「韓国外交文書の公開で金元受刑者の話題が報じられたので、2週間ほど前に電話した。とても元気な声だったのに」と驚いた様子だった。ただ、再入国を求める要請を「日本政府にはまだしていないようだ」と語り、病魔の進行が予想以上に速かったことをうかがわせた。

毎日新聞 2010年3月26日 10時07分(最終更新 3月26日 13時03分)

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