北で耀徳収容所より恐ろしい甑山教化所(下)

 キムさんは既に新義州の道保衛部で6カ月にわたり取り調べを受け、体調を損ねていた。キムさんは「一緒に甑山に連行された17歳の少女は、保衛部の監獄で栄養失調にかかっていたが、そのまま甑山に連れて行かれ、その2カ月後に亡くなった」と語った。

 キムさんは、監獄に到着した初日から、ブタも食べないような水っぽい大根葉の粥を与えられ、1日12時間の労役を強いられた。キムさんは「体重が50キロから30キロに落ちて、これ以上は動けないという限界まで至ったとき、幸いにも大赦令を受けて釈放された」と語った。

 数百人の脱北女性のうち70%が栄養失調になり、毎日2-3人ずつ死んでいったが、遺体を納める棺はなく、ビニールで包み、共同埋葬地に埋めたという。04年に甑山へ連行されたある脱北女性は、そのときのショックで今も苦しんでいる。

 その女性は、「埋葬地に到着すると、犬が集まり遺体を掘り返して食べている姿に驚愕した」と語った。人の手足があちこちに散らばっていたほか、人骨が積み上げられた光景に、一度埋葬地に行った囚人は、精神異常の症状を呈するという。

 人民保安省出身の脱北者は、「甑山が全国的にうわさになったのは、囚人に課される短期的な過度の労働と栄養欠乏によって、政治犯収容所より死亡者が急増したからだ」と主張した。

 政治犯収容所より軽い刑を受けて甑山に連行されるのなら、むしろ耀徳に3年間収容される方がましだ-と言われるほどに、人々は甑山教化所を恐れているという。甑山教化所は10課に分かれており、一つの課は7から10の班で構成されている。

 1班は通常40-50人程度で、囚人の中から丈夫そうな者を選んで班長に選出し、班長が保安員の指揮を受けて囚人を管理、監督している。

 逃走者や監獄内で罪を犯した者に対しては、政治犯収容所とは異なり公開処刑は行わず、内部で処刑、あるいは監獄内の別の拘禁施設で特別な拷問を加え、死に至るまで加重な苦痛を与えるという方法で処罰するのが特徴だ。

姜哲煥(カン・チョルファン)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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