2010年03月25日

生方議員の「ヨミウリ的発達障害」

  理性
物事を正しく判断する力。また、真と偽、善と悪を識別する能力。美と醜を識別する働きさえも理性に帰せられることがある。小学館 日本大百科全集より 


人間の脳は「欲望脳」「感情脳」「理性脳」に分かれますが、生方議員の脳は、理性脳が発達しておらず、感情脳が肥大化してしまっています。 


ですから、「小沢やめろ」という国民の感情論をあたかも代弁しているかのような理性なき言行がなされるのです。 


読売グループの「読売的エゴイズム容認主義」は、何よりも自分の「感情」を優先させます。つまり、読売信者は、最大限に理性脳を働かせる紳士淑女とは正反対に位置づけられる考え方を持った人たちなのです。 


生方議員は読売新聞の元記者だそうですが、「真と偽」「善と悪」を識別できない、理性脳が発達していない元記者がどのような記事を読売新聞の読者に提供していたのかと考えると、まさに背筋が凍る思いです。 


「羊が泥穴に落ちたら、出してもらおうと鳴く。豚が泥穴に落ちたら、泥の中で転げまわるだけだ。」


チャールズ・アレン  


生方議員は泥の中で転げまわっている豚、私にはそうにしか思えません。民主党は、疲れきるまで放っておくことがベストであると思います。 


以下は数年前の記事です。 


日本人の弱さの真相 


「日本人の決定的な弱点」の自覚なくして再生なし 

日本社会は失敗続きです。行政然り、経済然り、教育然りです。私は、このままでは日本社会は決して再生できないものと考えます。 


その理由は、日本人が自らの弱点にまったく気づいていないからです。 


私はいつもマーク・トウェインの警句、「災いを引き起こすのは知らないことではない。知らないのに知っていると思いこんでいることである。」に即して考えるようにしていますが、まさに今日の日本人は、弱点を「知らないのに知っていると思いこんでいる」状態です。 


であるからこそ、災いが繰り返されるのです。であるからこそ、諸外国に負けるのです。 


日本人の決定的な弱点は以下の通りです。


日本人は元々農耕民族です。騎馬民族が有する「群れを成して成果をあげる」知識や技術が日本人には欠落しているのです。これが日本で起きるすべての災いの真因です。 


「群れを成す」ということは、人を組織化して効果的に動かすということですが、元々農耕民族である今日の日本人は、組織の力、つまりチームワークで成果をあげることができなくなってしまいました。 


できなくなった理由は、近年の行きすぎた個人主義と行き過ぎた競争至上主義、そして組織を効果的に動かすノウハウを「知らないのに知っていると思いこんでいる」からにほかなりません。 


私は東京ディズニーランドの組織運営を通じ、欧米型の「群れを成して成果をあげる」知識や技術をたたきこまれてきました。であるからこそ、日本の組織には決定的なこの欠陥があると言い切れるのです。 


「群れを成して成果をあげる」、つまりチームで成果をあげるということは、個々のメンバーの知識や技能を高めなければならないということにつながります。 


なぜならば、チームワークは掛け算であるからです。掛け算では誰か一人が0点を取ると、全体はゼロです。廃業した船場吉兆や事故米事件を引き起こした会社の社長など、トップが0点の仕事をする日本社会です。 


チームワークなど必要ないとする組織や社会は、人を育てられず、決して「群れを成して成果をあげる」ことなどできないに違いないのです。これでは日本社会の労働生産性は決して高まることはありません。 


さて、ここで真珠湾を攻撃した総指揮官の日本人論を紹介します。残念ながら今日のほとんどの日本人も同じだというのが、私の捉え方です。 


<引用開始>
ミッドウェー海戦は我が国民性の欠陥を見事にあばきたてた戦いであった。 

合理性を欠く我が国民性は、やることなすことが行き当たりばったりで、相互の間に理屈が合わない。



セクショナリズムの国民性はものを見る視野が狭く、やることが独善的である。因襲から容易に抜け切れない国民性はただちに百八十度転換の進歩的革新を行うことができない。 

熱しやすく、冷めやすい国民性はすぐに思い上がって相手を見下げる。かと思うと自主邁進の気力に乏しい日和見的な国民性は他力本願になりやすく卑屈な事大主義(力の強いものにひたすら従い仕えること)ともなる。

合理性を欠くために希望と現実を混同してことの臨み、破れてのち名論卓論を述べる。
<引用終了> 
淵田美津雄著 ミッドウェーより 


このように、セクショナリズムで独善的な国民性では、チームワークによる相乗効果も組織員の育成もできる訳がありません。これが、私が指摘する日本人の決定的な弱点であり、日本的組織の決定的な弱みであるのです。 


翻って、ディズニー・テーマパークの組織はどのような組織なのでしょうか。その答えは簡単です。個人の力を最大限に高めるとともに、個人の未開発の能力を開発し、チームワークにより卓越した相乗効果を生み出している組織と言えるのです。 


日本社会は制度疲労により疲弊しています。意識改革とともに、日本社会に騎馬民族の有する「群れを成して成果をあげる」システムをインストールしないとこの国は大変な事になる、私はそう憂いています。 


最後に、組織を円滑に動かし、組織員を育て、組織の労働生産性を高めるディズニーランドでも実践している秘訣中の秘訣をお教えしましょう。


 
それは、ほめることです。 


「悪い癖」があれば、指摘して直させることも必要ですが、基本的には長所を伸ばしていくというという教育方針の方が、人は成長します。短所も次第に改善されていくものです。人には個性があります。良い点を認め、良い接客をほめること、従業員を育成し、戦力化するためには、このことが何よりも大切なことなのです。 


坂本竜馬が西郷隆盛を「小さく叩けば、小さく響き、大きく叩けば、大きく響く鐘のようだ。」と評したことは有名ですが、このことは誰にでも当てはまることです。大きくほめて、大きく奮い立たせることが人を大きくさせるのです。 


ほめ上手といえばこの人です。1972年のミュンヘンオリンピックで男子バレーボールを世界一に導いた松平康隆監督の選手育成方法を記しておきます。 


<引用開始>
ほめの松平 ほめが八、叱りが二 

私の信念としては、人間はほめられて伸びるものだと思う。叱られて伸びても、しょせんはワクの中で、型にはまった伸び方しかできません。けれども、ほめられたら、ワクをはみ出し、どこまで伸びるかわからないような無限の伸び方をします。叱って伸ばすのは必ず限界がくるものです。 

選手を叱る場合、監督は、自分の能力や常識のワクの限度内で叱るものです。つまり、叱りには叱るための尺度があるのです。その尺度はほとんどの場合、自分の人生観と経験がもとになっているはずです。叱りすぎは、チームを自分の能力の限界内でしかつくれないことになるのです。ほめれば無限に大きく育つものを、叱って萎縮させてはもったいないかぎりです。
<引用終了> 
奇蹟を起こす統率学 松本順著 講談社