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2010-03-24

科学思想で生きてみる〜はじめに

人間は宗教社会性(とでもいうしかない)で生きている。


もし、「育つ食う生殖する過ごす死ぬ」だけなら、人間は猿人のままでよかったのである。だから「生きていりゃそれでいいんですよ」というのも、それ自体がそういう言い回しへの信仰でしかなく、在る意味ものすごく貧相な信仰である。そもそもそんなもんじゃ社会を組織できない。


食べられりゃいいです、衣食住あればいいです」っていうのは実は生物の基本でもないし(そもそも生物にそんな視点を当てはめても意味がないし。。)、人間の基本でも全くない



食べられりゃいいです、衣食住あればいいです」っていうのがそもそもなんらかの「教育」「調教」「洗脳」の結果であるともいえる(あえて言えば、奴隷化もしくは下層民化とでもいえばいいか)。


おそらく我々東北アジア人は他の地域の人々よりは一見「無宗教」者が多くみえるかもしれない。何よりも中心の中国が「共産化(一応)」しているくらいである。。台湾韓国、日本と大日本帝国系(苦笑)は60年代以降民間宗教を抑圧してきたように思う。。もちろん新興宗教は草の根で増えているようにも思うのだが。。


ここでいう「宗教」は人間の一生をもって他者と組織化するものである。ちょっと考えれば、無宗教といいながら、こうした機能がない人間社会などない。そもそも、道路などインフラさえも社会がなければあり得ず、その社会は単なる「食べられりゃいいです、衣食住あればいいです」だけでは成り立たない。もしそうなら、人間はそのまま狩猟生活か簡単な栽培生活で別な進化の仕方をしていたのではなかろうか?(実際そういうところで従属しているような民族ってどれくらい今残っているのか?アフリカとか南米とかオセアニアとか。。サン人とかひどい状況な気がするけど。。)


さて、そういうわけで、名のあるいかなる宗教にもアレルギーがある人でさえ、実は十分宗教的だし、その成果の中でしか生きれないのである。だから、もっと自覚的に宗教性を積極的に考えるべきである。


というわけで、ここでは積極的に「科学思想」が巷の宗教の替わりになるのか、それによって宗教の重要な機能をもてるのか??考えてみよう。キリスト教イスラム一神教は嫌なので仏教をもちあげるとかいう煮え切らない(もしくは誤解がある)態度はなしにしよう。。もちろん共産主義という前例もあるし。。(「宗教は阿片だ」といったのは半分正しいけど、あらゆる阿片性を排除できるの?というのには答えていないしね。例えば「党の権力」の阿片性とかね。。)


さて、いきなり問題は、科学思想とかいって主要な教義があるのか?ということである。。

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