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今年のスポーツ界もいよいよ“本格的シーズン開幕”です。すでに冬季五輪が終わり、Jリーグも開幕しているのですが、野球シーズンがやってくるとやはり、「今年も春になったんだなあ」と実感します。
昨年の今ごろは、吉田えり投手の存在もあって、設立1年目の関西独立リーグが想像以上の注目を集めていました。結局、資金難の問題、えり投手の退団、球団の脱退など、野球以外の話題ばかりだったような気がしないでもないですが、2年目を迎えた今年、新たに韓国人選手の球団「コリア・ヘチ(KOREA HAECHI)」が加わり、新たなシーンを迎えました。
リーグ側からの誘いもあって、韓国のクラブチームが母体となって球団が設立されました。監督は、かつて中日で守護神として活躍し、現在、韓国サムスンの監督を務める宣銅烈氏(47)と韓国で同僚だったこともある朴哲祐氏(45)。ヘテ(現KIA)で4番を務めたスラッガーです。選手の中には、韓国でプロ経験のある選手もいます。
「まだ野球をあきらめきれない、という選手は日本だけでなく、韓国にもいるんです。そんな選手に野球のできる環境作りの第一歩だと思っています。韓国と日本の交流、ということ以外に、このチームにはそんな役目もあると思います」。かつて日本ハムでプレーし、現在、チームの運営にも携わる田中実コーチ(42)は言います。選手は大阪・生野のコリアタウンで共同生活を送っています。
「少しグラウンドから離れてみて、やっぱり『もう一回野球やりたいな』と心から思ったんです。野球人生の着地? まだ考えられません」。と言うのは、マリナーズ・イチローのような雰囲気が漂うイケメン外野手、田久保賢植外野手(25)=175センチ、72キロ、右投右打=でした。そのキャリアを聞いてみると、エネルギーというか、バイタリティーというか…、とにかく“野球に情熱を捧げた人生”に驚きました。
千葉県生まれの田久保外野手は、50メートルのベストタイムが5秒9という俊足が武器。八千代西高を卒業後、中央学院大に進みました。大学は1年で中退したのですが、1年間のフリーター生活を経て、野球ができる環境を求めて、米国へ渡りました。その後、専門学校の日本ウェルネス専門学校でプレーし、2007年にはクラブチームや、四国アイランドリーグの徳島へ入団。翌年からはカナダの独立リーグや、元中日の谷沢健一氏が主催するクラブチームでプレーしましたが、昨夏、年齢的なこともあって、「自分の野球人生にけじめをつけよう」と、本格的な野球から離れることを決意し、一度は、営業マンとして新しい生活を始めました。「会社員として働くと、自分がずっといた野球の世界って『小さい世界なんだなあ』って感じたんです。そしたら、また野球がやりたくなって…」。昨年12月のトライアウトを知ると、いてもたってもいられなくなったようです。「しばらく離れていて、足は遅くなったし、打球は飛ばなくなったし…」とは言いながら、50メートルで6秒0のタイムをマークして見事に合格を勝ち取りました。
在日韓国人とはいっても日本育ちだから、まだ韓国語はあまり話せません。他の選手は韓国語で会話する中で、日本語と英語を駆使して必死にコミュニケーションを取ります。「カナダではベネズエラ人と同居していたし、フランス語しか通じないときもありましたから、そんなストレスには慣れてますよ。だけど、僕は(日本野球界の感覚で言う)“助っ人選手”ですよね。だからこそ、自分の持ち味のバッティングをしっかり出したいですね」。圧巻の“情熱の量”を持つ選手のプレーに、注目しないわけにはいきません。
そしてもう一人、福岡経済大から入団した石ジヒョン投手(23)=185センチ、85キロ、右投右打=の“野球への情熱”も並大抵のものではありません。韓国生まれの石投手ですが、あこがれの先輩だった、金無英投手(24)=現ソフトバンク=が日本の高校に留学するのを見て、同じように日本にやってきました。「日本の野球を知って、留学して野球の技術も磨いて、日本語も身に付けられれば、自分に大きくプラスになると思いました」。山口・早鞆高に加わると、エースを務め、県大会ベスト16に導きました。金先輩と同じ大学に進みました。四国・九州ILの福岡を経て、日本のプロ野球に飛び込んだ先輩の後を追うように、MAX147キロを誇る本格派右腕は、大学卒業後の進路に福岡入りを考えていました。「だけど、今年は福岡が資金難で、リーグ戦にでないことになってしまって…」。途方にくれていた時、友人からこのチームのトライアウトのことを教えられ、入団に至りました。
日本生活8年目。 日本語もマスターし、チーム内の通訳もこなします。日本の生活にも慣れているだけに、“生活のアドバイザー”的な役目も担っています。「とにかく、野球をもっとやれるところに行きたかったので、毎日楽しいです。今年の目標? とにかくチームの優勝しか考えていません。個人の目標? ないです。優勝です」。“自己犠牲の精神”が日本の野球界のひとつの特徴だと思う私にすれば、石投手はすっかり「日本人の心」を理解しているのではないでしょうか。「1番の目標は日本のプロ野球に入ること、それがダメなら韓国のプロ野球に入ることです。そのためにも、優勝しないといけません」。異国の地で、ありったけの情熱を野球に注ぎ込む、石投手の姿も私には、「圧巻」でした。
そういえば…。
全体の中で最もデキのいい、出色な部分を表す言葉に「圧巻」があります。これは古代の中国での官吏登用試験、科挙の中から生まれた言葉のようです。「巻」はその答案のことで、「圧」は、「上から押さえる」ということを表していますが、科挙の審査官が、最も優れた答案をすべての答案の一番上に乗せた、という故事に由来しているといわれています。そこから、書物の中のもっとも優れた部分を「圧巻」と呼ぶようになったといわれていますが、そこから転じて、「強く印象を与える」、「きわめて優れている」という意味で使われるようになったようです。
(2010年3月15日14時52分 スポーツ報知)
88年入社。香川県出身。整理部、運動部でのアマ野球、サッカー、ゴルフ担当を歴任し、現在は運動部デスク。軽妙な激辛トークで、部員を笑わせながら統率する。ナイターで巨人が負けると、仕事に影響しそうなほど落ち込むのが玉にキズ。