1998/9/18
黒沢明氏の死は全世界の人々から惜しまれ、海外のニュースでも大きく取り上げられた。これは日本の映像産業が、かつては世界をリードしていたことを改めて思い起こさせたが、ひるがえって衰退しきった現在の日本映画や、画一的なワイドショーやバラエティで埋まったテレビを見ると、その落差に暗然とせざるをえない。
一般には、映画はテレビの登場によって衰退したと思われているが、米国では映画は今や最大の輸出産業の一つであり、こうした映像コンテンツ(内容)の分野は、今後の多メディア化における中核産業と見なされている。ところが日本の映画業界は閉鎖的な系列興業システムによって自滅し、NHKはサラリーマンによる自社制作を続け、民放は劣悪な制作条件でプロダクションを搾取してきたため、日本にはまともな映像作家がほとんど育っていない。この人材の貧困がボトルネックとなり、通信衛星では番組の不足のために中継器が埋まらない状態である。しかしテレビゲームやアニメーションを見ればわかるように、条件さえ整えば日本人の映像センスは世界に通用する。この才能を生かし、次世代の産業を育てるには、これまでの通信・放送業界の構造を抜本的に変える必要がある。
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映像コンテンツがマルチメディアの本命と考えられるようになったのは、それほど最近のことではない。九〇年代前半には、ビデオ・オン・デマンド(VOD)と呼ばれる双方向テレビが競って開発され、中でもタイム・ワーナーが米国フロリダ州で行った実験は、数十億ドルを投じて五〇〇チャンネルのサービスを提供する世界最大の計画として注目を浴びた。他方、この計画が発表された九三年、イリノイ大学の全米スーパーコンピュータ・センター(NCSA)でアルバイトをしていた学生、マーク・アンドリーセンは、インターネットのホームページを読むための小さなプログラム「モザイク」を書いてNCSAのホームページに載せた。
マルチメディアの主役になったのは、巨額の資本の投入されたVODではなく、時給六ドルのアルバイトで書かれたモザイクだった。これによってインターネットは爆発的な拡大をとげ、他方タイム・ワーナーのVODは大幅な赤字を残して昨年、中止された。VODが失敗した最大の原因は、電話と同じ中央集権型の構造をとったことにある。中央のホスト機ですべてのコントロールを行うために巨大な設備が必要になり、端末の価格は一万二千ドルにもなってしまった。
これに対してインターネットは、データをコントロールしないでIP(インターネット・プロトコル)に乗せて指定された宛て先に送るだけの「ステューピッド・ネットワーク」となることによって、負荷を全世界に分散した。またHTML(ハイパーテキスト・マークアップ言語)は、情報を記述するためのオープン・スタンダードを提供し、全世界のユーザーが情報の供給者になることを可能にした。これによって、従来は想像もできなかった多様なコンテンツが生み出されたのである。
このネットワークの電話会社中心からユーザー中心へのコペルニクス的転換は、メディア全体の構造を変えつつある。米国ではインターネットを使って一分数セントで長距離電話サービスを提供する業者が次々に登場し、電話そのものがインターネットに吸収されるのも時間の問題だろう。さらに光ファイバーを二〇〇五年までに全世帯で利用可能にするNTTの計画が実現すると、電話回線でテレビ番組を見ることができるようになるから、放送も電波で行う必要はない。
現在のように大きな帯域を固定的に放送局に割り当てる方式は電波の利用効率が悪く、携帯電話の帯域は極端に不足している。この問題を解決するには、電話も映像もデータも区別せずにIPに乗せ、有線・無線を問わず必要なだけ使うことが合理的である。最終的には、映像=電波、音声=電話、データ=インターネットという現在の媒体ごとの縦割りの構造は崩れて、図のようにすべての情報が有線・無線を問わずIPによって国境を超えて流通するようになろう。
この次世代ネットワークの中心は、現在のようなデスクトップ・コンピューターではなく、キーボードなしで簡単に使える「情報家電」である。テレビ・冷蔵庫・エアコンなどに組みこまれるマイクロコンピューターの数は数年のうちにパソコンを越え、互いにネットワークで結ばれてIPを交信して動くようになる。デスクトップの世界は米国の「一人勝ち」状態だが、情報家電ではソフトウェアを家電に組み込む日本メーカーの製造技術が不可欠だから、これは日本の家電産業が活性化するきっかけとなりうる。またインターネットで映像が全世界に流通するようになれば、コンテンツ産業は新たな成長部門となる可能性もある。
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しかし、今のままでは日本の情報産業の将来は明るくない。それは、官庁も放送局もメーカーも、いまだに従来の縦割り構造の中で既得権益を守ろうとしているからである。その典型が、先ごろ出された地上波放送のデジタル化についての方針である。それによれば、既存の放送局に優先的に電波が与えられ、電波を有料でまた貸しすることまで認めらている。
この方針は、電波を持つことが放送の不可欠の条件であり、それを独占することが利権だという前提にもとづいているが、インターネットで放送が可能になれば、電波を持つ必要はない。放送局にとっても、一兆円以上かけて山の中まで中継局を立てるよりNTTの光ファイバーを借りた方がはるかに低コストですむ。
多チャンネル時代には、電波はもはや利権ではなく、むしろ制作能力が稀少となる。したがって放送局は電波を切り離して制作部門に特化し、有線・無線の中から最適の媒体を選んで番組を有効に活用した方がよい。このようなアンバンドリング(業務分離)は情報通信の世界的な潮流だ。この点で郵政省が通信衛星と放送衛星で中継器を持つ「受託放送事業者」とそれを利用する「委託放送事業者」を分離したことは一歩前進である。地上波でも両者をアンバンドルして電波は入札によって一般に開放し、使途を限定しない「帯域免許」として効率的な利用をはかる必要がある。委託放送業者の認可制は廃止し、全面的に自由化すべきである。
日本メーカーは「高品位テレビ」などの在来型の技術にこだわったため、インターネットの世界では大きく出遅れ、映像伝送(ストリーミング)技術の国際標準は米国製のソフトウェアになっている。しかしインターネットで放送するためには、現在のHTMLベースの技術では不十分であり、映像コンテンツを表現する機能を備えた新しいオープン・スタンダードを作る必要がある。情報家電の世界では日本メーカー抜きの標準化は考えられないから、これは日本発の国際標準を作るチャンスである。われわれは今、大学と企業の共同研究でその基礎となる新しい言語の開発を進めている。
金融技術の発達によって銀行と証券の垣根が消滅したように、インターネットも通信と放送の境界をなくし、ネットワークの構造を根本的に変えつつある。次世代のメディアの中心となるのは、電話会社でも放送局でもなく、みずから映像を世界に発信するユーザーである。日本の情報産業が活性化し、新たな黒沢が現れるためには、情報通信の分野でも既存の集権的な供給モデルに決別して新規参入を促進する「ビッグバン」が求められているのである。