古くからフェラーリ社に文具などを納入している『オリヴィエーリ』の現在の当主、ピエトロさん。「うちがフェラーリ社に納めてたのはニョッキというメーカーの大ボトルだったよ。なぜヴィオラだったのかは、私には判らないけどね。フェラーリ社がニョッキを注文してくれてた理由は、大きなボトルを用意してたのがニョッキだけで、もしかしたらお得だったからっていうのもあるかも知れないけど……でもね、ニョッキのインクはどれもおしなべて綺麗な色だったんだ。とてもイタリアらしい色だった。それが気に入ったから、かも知れないね。ニョッキは昔からあったメーカーだったけど、残念ながらもうなくなっちゃったんだ。小さな会社だったからね」


長年エンツォ・フェラーリの秘書を務め、オフィシャルな場で最も近いところにいたひとりであるブレンダさん。「確かにエンツォ・フェラーリは、ヴィオラのインクを好んで使っていました。自分の名前をサインするときだけじゃなくて、手帳に何かを書き込むときなどにもね。インクのメーカーは、そう、ニョッキでした。マラネロにある文具屋さんが届けてくれる大きなボトルから、彼が使いやすいようにスタッフが小さな瓶に詰め替えて、彼はそこから万年筆にインクを入れて使っていたんです。ただ、なぜヴィオラを使うようになったのかについては判りません。私が彼と仕事をするようになったときには、すでにヴィオラを使っていましたから」


フェラーリ社の前身といえる会社に経理担当として入社してからエンツォが亡くなるまで、43年以上にもわたって彼と親しくしていたベンツィさん。御自身は1971年にフェラーリ社を辞しているが、その後もフェラーリ家一族の個人的な資産管理を委ねられていた。「もちろん彼がヴィオラで文字を書いていたのは知ってるよ。……思うに、自分のためのオリジナルが欲しかったんじゃないかな。あるいは彼の過去に、そうした思い入れを持つに至った出来事が何かあったか。不思議なことだけど、彼がヴィオラで文字を書いているのを何度も見ていながら、それは当たり前のことだったからなのかも知れないけど、そのことについて話をしたことは一度もないんだ」


エンツォが健在だった頃のフェラーリ社とエンツォ自身のスポークスマン的役割を担っていたのが、ゴッツィさん。現在ではエンツォ・フェラーリに関する著作なども多々あるゴッツィさんだが、かの時代には世界に向けて発信するフェラーリ社からのインフォメーションは、すべてゴッツィさんがエンツォとふたりで相談しながらコントロールしていた。ゴッツィさんのコメントに関しては、次号、7月6日発売のティーポ誌の連載『エンツォ・フェラーリのパープルを追って』で掲載する予定なので、まずはそちらをお待ちいただくこととさせていただきたい。若干タイミングはずれることになると思うが、追ってこちらにも掲載する予定だ。しばしお待ちを!

テストコース「フィオラノ・サーキット」敷地内にある有名な建物。この中にもエンツォの執務室がある。

執務室の最も奥まった場所にあるエンツォのデスク。彼はこの椅子に座り、陣頭指揮を執ったのだろう。

机上にあったスケドーニ社製の革製バインダー。その上には晩年よく使ったというパープルのサインペンが。

かつてモデナにあったエンツォの執務室は、現在「ガレリア・フェラーリ」に移設され、展示されている。

インク瓶はなかったが、彼が使っていた万年筆が残されていた。メーカーはイタリアの「オマス」。

エンツォが愛用していた「ニョッキ」の「ヴィオラ(パープル)」と同じ製法・原料によるパープルのインクを 限定生産・販売する運びとなった。名づけて「ヴィオラ・ディ・エンツォ」。

前のページへ次のページへ
ページトップへ