2010/03/24(水) 06:54:48 [対韓外交見直し資料]
歴史共同研究委 報告書を公表
相手にするべきではない「韓国」
歴史共同研究委 報告書を公表 韓国 日本の攻撃ありき
平成13年の教科書問題を契機に始まった日本と韓国の学者、研究者で構成する日韓歴史共同研究委員会(日本側委員長、鳥海靖・東大名誉教授)は23日、第2期の報告書を公表した。古代、中近世、近現代史の分科会加え、今期から教科書小グループが新設され成果が注目されたが、約2年半の研究では韓国側が特に「新しい歴史教科書」を繰り返し批判。日本側には、「まず攻撃ありきで、議論は全くかみ合わなかった」と、韓国側のスタンスへの疑問と批判が強く残った。産経新聞紙面(切り抜き)3月24日朝刊(3面)より参照のため抜粋引用/写真は産経紙面の同記事より参照のため引用
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位置づけに本質的な「食い違い」
表題は、「日本と韓国の学者、研究者で構成する日韓歴史共同研究委員会(日本側委員長、鳥海靖・東大名誉教授)は23日、第2期の報告書を公表した」、と報じる記事である。先般の日中共同の歴史研究と同様に、双方の食い違いが浮き彫りになり、平行線にあるかの状況について記されている。
認識作業以前の問題として、そもそも、日韓双方には、日中のケースと同様の、研究の位置づけそれ自体に食い違いがある。いわば、いずれのケースでも、日本側は「共同研究」を純粋な歴史研究、と位置づける方向性にあるが。しかし、対する中韓は、それぞれに政治利用を前提として「共同研究」を位置づけているからだ。ゆえに、たとえば、相手が「日中」の場合は「六四事件」(1989年)を除外したように、ご都合主義が先行し、焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)の文化体質が地金を露わにするのである。
元来、研究には、曖昧を付する政治性や利権、国家の外交、力学的な関係などには無関係な、厳正、且つ客観的な土壌が不可欠である。すなわち、たとえ、100万人、1000万人が異を唱えようとも、1つの「事実」に勝るものはない。分野を問わず、学識者にはこの気概がなくては存在の意味はない。
それゆえ、間違って御、相互の顔色を観ながらの作業に劣化するようなことがあれば、それは、最早、「研究」とは言い難い。表題に報じられる「共同研究」のスタンスは、特に、事実と法則性を見出すことを是とする理工系の基礎研究では、考えもおよばない事例である。むしろ、歴史研究においてもこの基本は不可欠であり、研究に相手国から手かせ、足かせをかけられる状況にあれば、純度の高い研究は不可能である、と。その旨を明確に伝え、プロジェクトを解消して然りである。
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「日韓歴史共同研究」を持続すべきか?
今般の事例をもとに、良識の今後の参考のために、「「日韓歴史共同研究」を持続すべきか? 」と題するアンケートに集約させていただいた。関心をお持ちの方には、民意をお示しいただく上で、投票をお願いできれば幸いである。なお、ご参加いただける場合は、ご回答に際し、設問をご確認の上ご投票をお願いできれば幸いである。
アンケート(上記から直接投票できます)
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■ 主な関連記事:
・韓国紙への意見書 2008/07/17
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まともに相手ではない韓国
表題には、「まず攻撃ありき」の韓国側のスタンスが紹介されている。例外はあるのかもしれないが、概ね、「事実」を呈示、指摘されれば、火がついた爆竹のように感情を露わにする。このような体質を土壌に持つ国の学者諸氏との、まともな共同作業は困難である。
紙面には、「日韓の歴史問題の“ガス抜き”をねらった外交上の副産物だった共同研究」、とあるが、理工系の視座から指摘させていただければ、曖昧な妥協性を掲げるほどに、韓国の政治利用のスタンスに揺さぶられるほどに、研究は「事実」からかけ離れて行くに違いない。まして、学際の面で、ノーベル賞受賞は1人も存在せず、模造と捏造を国是とする韓国からは、学ぶべきスタンスも無い。虚構に譲歩するようなことがあれば、研究それ自体の劣化を招く。まともに相手にするべき国ではない。
共同研究のこれまでの成果といえば、むしろ、韓国のおぞましさを再認識できた点にあるのではないか。以って、継続解消を前提とした見直しがなされて然るべき筋道にある。
平成22年3月24日
博士の独り言
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路傍の春(筆者)
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2007/05/18 00:00 カウンター設置 (ブログ再始動の翌年に設置。数値はPCカウントのみ累算です。機能上、携帯アクセスはカウントされていない状況です)
Author:博士の独り言
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