きょうのコラム「時鐘」 2010年3月24日

 花便りが各地から届く。週間天気予報欄には、まだ雪だるまのマークが顔を出すが、もう厄介ものではない。風情ある名残の雪である

木々が芽吹く春の山を、「山笑う」と言う。品のあるほほ笑みであろう。冬の間は「山眠る」。夏は「山滴る」、秋は「山粧(よそお)う」と俳句愛好者に教わった

もっとも近年、「滴る」「粧う」は影が薄くなったとも。確かに、夏の緑はどこか元気がないし、紅葉の具合もよろしくない。早晩、「山泣く」という季語が生まれるのだろうか

緑滴る山を描き続けた画家に、興味深い話を聞いた。画家は、緑がうせた冬や早春のころも、熱心に通って絵筆を動かし続けた。「冬は山が裸になって本性を現す。幹や枝の姿がはっきり分かる。それを頭にたたき込まないと、山の感動は描けない」

冬枯れの裸の姿を見て、緑滴る山を描く。画家の目は不思議である。が、厳しい冬を知っているからこそ、春の喜びをかみしめることができる

正岡子規の句も教わった。「故郷やどちらを見ても山笑ふ」。こんな時代だからなおのこと、春のほほ笑みに心をとめる余裕を持ちたいと思う。