「安重根死刑命令」原本を発見(下)
日本の外務省・外交資料館で発見
さらには、「死刑確定後にはより警戒を厳にする必要があり、夜勤看守を増加せしめ、監獄内外と附属官舎付近一帯を日が昇るまで巡察警備させた」と書かれている。
国家報勲処の関係者は、「日帝が安義士収監後に警戒を大幅に強化したのは、韓国の同胞による遺体奪取を予防しようという意図があると共に、遺体の故国安葬によって先々安義士の墓地が聖地化し、抗日運動の重点としての役割を果たすことを懸念したためだと見られる」と語った。
安重根に対する死刑執行命令記録の原本には、安重根の住所を「韓国平安道鎮南浦」と記しており、職業(無職)や名前(安応七 安重根)、年齢(33歳)、罪名(殺人犯)、刑名(死刑)、判決言渡日(1910年2月14日)などが明示されている。安応七とは、安重根の幼名だ。この記録は、日帝が1910年2月14日に安重根に対する死刑を宣告してから、1カ月と10日が経過した3月24日に死刑を執行するよう命じたもので、命令から二日後に死刑が執行された。
国家報勲処の関係者は、「今回発見された資料は、既に分かっている内容が多く含まれているものの、関連資料はないと日本政府が言っていたのは虚言だったことを示している」と語った。金揚(キム・ヤン)国家報勲処長はこの日、国防部ブリーフィングルームで記者会見を開き、「今や安義士の遺体発掘の方向を転換すべき。日本側の誠意ある姿勢転換を促す」と語った。
金処長は、「これまで旅順監獄周辺に対する調査に重点を置いていたが、これからは日本が所蔵する資料に対するより深いアプローチが必要だ。徹底した記録文化を持つ日本の特性を考慮すればなおのことで、わたしたちは日本側が決定的な資料を持っているものと信じている」と語った。
韓国政府は今月26日、ソウル市庁前で政府主管の中央追念式を国民祭典形式で実施し、追念式の後には光化門広場まで平和大行進を行う予定だ。
また国家報勲処は、関東都督府の「情況報告」には安重根を含む228人の独立運動家が載っており、このうち89人は初めて確認された名前だと発表した。さらには、金九(キム・グ)をはじめ、一部大物クラスの独立運動家らの知られざる行跡も記されており、注目を集めている。1922年3月23日に作成された「上海臨政北満不良鮮人団連絡」では、上海臨時政府警務局長だった金九が満州やシベリア方面に連絡、日本の官吏の内情を探り、親日朝鮮人暗殺を指令したという内容が記されている。
ユ・ヨンウォン記者
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