<1.「真光」 とは?>
「真光」とは、神道系の新興宗教で「テカザシ」を標榜する団体(のうちの1つ)です。
入信すると、ほほ笑みをたたえた男女が大歓迎で迎えてくれます。
まるで長年の友人のようにきさくな態度。 そう、あなたも入信すれば判ります。真光は、すばらしい団体なんです。
「これまでの人生であんなに褒められたことはなかった」
相手をひたすら褒め上げ、その人格を受け入れてあげる「愛の爆撃」と呼ばれるテクニックである。
これだけなら通常の商行為でもよくある話だが、「愛の爆撃」との違いはカルトのメンバーが本気≠ナ相手を愛そうと努めることだ。
それが説得力を生む。
そして自分を受け入れてくれる人たちを「善い人だ」と感じるようになり、(同調性の原理)
また「こんなに一生懸命に話してくれるのだから、きちんと相手しないと悪いな」とも思うようになる。(返報性の原理)
彼らの主張は、病気や災難に見舞われるのは80%「霊障」のせいであり、それは「テカザシ」でしか解消できない というものです。
しかしその理屈でいえば、国家は、病院の充実じゃなくて、「テカザシ」の充実を図れば良いことになります。
大怪我をしたら病院ではなく近くの真光に行けばいいことになります。
だからその理屈でいえば、世界は、真光が80、病院が20、の割合にならなければ「おかしい」訳です。
先人が西洋医学を苦労して学び取り、洋書を翻訳して四苦八苦した医学の進歩自体、本当に馬鹿しい、ということになります。
「エイズだって癌だって大丈夫」ということになります。
そして病院がつぶれ、、製薬会社がつぶれ、、雇用問題にまで発展するでしょう。それを知っているから彼らはあえて真実を発表しないのかもしれません。笑
「手かざし」で病気が治るといい布教するのに、入信して病状に改善が見られなかったら
「病気治しではない! 御利益信仰ではない!」などと言われるのです。
大勢の信者の中から、「御利益が在った」、「救われた」人間を拾い出し、それを「宣伝」に使い、
「教えを盲信し、悲惨な結果に至った人間」は、「切り捨て」たり、「信心が足りない」などといい、
「苦しんでいる人間の傷口に塩を刷り込む」ような真似をします。
「お金持ちの信者」には、積極的に御奉納(献金)をお勧めし、財的曇りを消すように「導いて」いきます。
「貧乏な信者」にも、積極的に御奉納(献金)をお勧めし、財的曇りを消すように「導いて」いきます。
結局、どちらにしても、何があっても、「真光にお金を払いなさい」ということなのです(^^;)
※Win−win situation―どちらにころんでも教団のよいようになる状況
よいことも悪いことも、その光がもたらしたものとみなされる。
もしある人が「よく感じる」ことができれば、それは光が働いているとされ、
もし「悪く感じる」ことがあれば、それは光が毒素を溶かし、毒素が排泄される過程で悪く感じるとされる。
しかしこれは良いことであり、もし毒素が光によって溶かされなければ、その毒素は固化して塊となり、
その人を「結果として殺してしまう」とされる。
もし何も感じなければ、それは段階を経るために時間がかかっているのだとされる。
ほとんどの信者はこのように物事を考える程度のレベルで教団と関わっており、説明できない現象はすべて「光」の奇跡と解釈してしまう。
特に、ガンのような病気が快方に向かったりするとそうである。
悪いことがあれば、罪と穢れを詫びるために寄付をし、よいことがあれば神への感謝のために寄付をする。
岡田氏(救い主)の教えは、お金や物質主義的な考え方への執着を捨てるように信者を巧妙に導き、
約10種類の寄付を通して「お金が真光に流れ込む」ようにしてある。
もし、教団の予言どおり世界が破滅したら、真光はそれに備えていたことになる。
もしそれがおこらなくても、真光はその努力によって神の怒りを鎮め、人類を救ったという手柄をたてることになる。
彼らが主張するには、世界が今まで破滅を免れてきた唯一の理由は、岡田女史(教え主)が人類に成り代わって神に詫びているからだという。
一方で彼女は、残された時間は少なく、真光の信者はもっと努力しなければならないと警告している。
岡田女史は、1993年にイスラエルへ旅行し、ハルマゲドンを食い止めたと主張している。
彼女が中東にいる直接の結果として、突然イスラエルとパレスチナ間の平和協定へむけての最初のステップが達成されたという。
彼女は、彼女がその最初のステップを成し遂げたのだと主張して、うまく自分のことを「宣伝」した。
しかしながら、その平和へ向けてのチャンスが後になって失われたことについて、信者はあまり深刻に受け止めないらしい。
一般常識から見れば「見るからに怪しい金儲け宗教、インチキ宗教」と思う事でしょう。
本部の指示を受けている幹部は、組み手(信者)がどんな悩みを抱えているかなんてまるで考えないで
「あなたは財的財穢が深いです、御奉納しなさい」と言います。
まさに、これは取りやすい所から金を取る悪徳商法そのままの手口。
小金を貯めている老人に優しくして金を巻き上げる「豊田商事」のやり口そっくり。
罪の意識を植え付け金をだまし取る、その為の人集め、その為の教義教理、その為の手かざし、その為の怪しい奇跡。
拝金主義と怪しい奇跡の「御利益信仰」 それが真光のインチキ商売なのです。
先日久方ぶりに道場へ寄ったのですが、何を言うかと思えば、
「お前は神に生かされているということを忘れるな!」 「感謝の気持ちを示せ! お金を払え!」というものでした。笑
神様はお金を使うのでしょうか?・・・
「神に生かされている」といいますが、だからといって「お金」を払う気はまったくありませんね。
<2.薬=薬毒?>
薬を「薬毒」といい、(できるだけ)飲まないようにする。
<薬=毒であり、副作用のない薬は存在しない。その時の状態により、毒にも薬にもなる>
・・・でもこれって「一般常識」じゃないんでしょうか。 つまり、「真光の教え」=「一般常識」ということなのです・・!?
薬を『毒』というならば、信者が医者である場合、何故、処方するのでしょうか?? 『毒』を与えることが、「利他愛」なのでしょうか?
よく分かりません。笑
<3.出口なし!>
身体の中に霊がとりついてるとか、終末論(火の洗礼という)で恐怖心を煽ることを言いながら、
一方で「陽の人になれ」というダブルスタンダード。
いいことは神様のお仕組みで、本人が一生懸命神向きしてるから。悪いことはミソギハライか清浄化か霊が邪魔してることになって、
どっちにしても「神様に感謝」か「本人が悪い」の選択肢しかないのです。
首から「オミタマ」というペンダントを下げさせられ、それを粗末に扱うと、大変なことになるとノタマイます。
つまり、「オミタマ」とは、「一度つけると二度と外せない」ものなのです。 もし外せば「家族が死んだり」という不幸がくるからです。
「オミタマ」によって、人類史上初めて、神と繋がったといいます。 しかし人間は、誰でも昔から 神と繋がっているのです。
<4.ハルマゲドンがきてもだいじょうぶ!>
「火の洗礼」で生き残れるのは真光の信者だけで、入信してやめると入信しないよりもっと大変なことになるといいます。
いうまでもなく、「火の洗礼」とは、オウム真理教、エホバの証人、法の華三法行の「ハルマゲドン」と同義であり、カルト宗教の「切り札」である。
これがあることにより、
「入信しなければ生き残れない」・・となり、辞めれなくなり、人救いの為、勧誘にいそしむことになります。
教団にとっては非常に都合のよいアイテムであります。
行きはよいよい、かえりは怖い・・・トオリャンセの世界です。 これでは気が狂う人が後を立たないのも頷けます。
真光さんばかりではありません。 「現世利益」を売り物にする宗教は同じです。
かつて私の地域では、創価学会員が病院を回って、信仰をすれば病気が治ると患者に入信を迫ったそうです。
あなたが不幸なのは信仰が足りないから。信仰をすれば病気が治ります。夫婦仲がよくなります。
子供が素直に育ちます。勉強ができるようになります。お金持ちになります・・・・・・。
そういう宗教は、信者が幸せになったら成り立ちません。 みんなが不幸でなくては困るのです。
<5.嘘は泥棒のはじまり!>
教義は、「これでもか!」というくらいの「嘘オンパレード」です。
「上級研修会」では「ムー大陸の遺産」が公開されたり (そんなものが本当に在ったら世界中の科学者がビックリ仰天しちゃいます)、
「ダーウィンの進化論は嘘」「人類は日本が起源」と言い張り、「では、科学の本などに掲載されてる類人猿などの化石は何なの?」と質問すると、
「科学者達は事実を隠しているんだ!」といいます。笑
「世界中の科学者が人類が日本で生まれたことを隠すために捏造までして共同して陰謀を働いている」そうです。
「救い主」の岡田良一にしても、「大本教」から派生した「世界救世教」の幹部でしたが、
「セクハラで罷免」され、それを隠して真光を創設したのです。
(彼がもし、釈迦やイエスと同列に置かれる存在ならば、なぜ元救世教の一幹部でしかなく、しかも罷免されるのでしょうか)
教義もなにもかも当然「ソックリ」です。 にもかかわらず、根拠もなく、自分たちは「唯一無二の神の組織」といいます・・・。
「世界真光文明教団の岡田良一」は、死ぬ前に、「私の言葉を変えてはならない」との遺言を残し、突然病死しましたが、
その後その「愛人」である井上甲子が、自分が正当なる後継者であると言い出し、裁判となりました。
とうぜん裁判には負け、岡田良一の言葉を「変えて」、その4年後、「崇教真光」を造りました(分裂)。
崇教眞光の組み手がつけるバッジ(神紋)にはイスラエル国旗と同じ六亡星の形(教団内部ではカゴメ紋という)が使われていますが、
これも別に神様から示されたわけではありません。
世界真光文明教団との抗争で裁判に敗れ分派する時に、(真光文明教団とは昭和57年に裁判所の調停による和解が成立しています)
「和解成立後、遅滞なく紋章に新たな外縁または台座を付加する等、世界真光文明教団が現に使用する紋章と識別できるように措置を講ずる。」
という一項があったためそうなったわけです。
ちなみに、現在高山に世界総本山が建てられていますが 本来は昭和49年までは伊豆に建てられるはずでした。
これも、伊豆の本山建設予定地が真光文明教団側に所有権があったために そのようになったわけです。
崇教眞光では「天越根中日玉国、高山の地にご建立せよ」という 重大なる御神示によるものだと主張しています。
「万教帰一」を唱え、あらゆる宗教の元となる教え(超宗教)という割に「ご分裂」してしまい・・・
正に 「アバキの世に飲み込まれた教え」 と言えましょう。
<6.一切お金は出しません!>
真光は慈善事業は「一切」しません。
戦争によって「ズタズタ」になった国々で飢えに苦しむ罪のない子供たちが餓死していても、
それは「ミソギ」であって、その子の魂が清まるからそれでいいのです。下手にお金を出したら、その子のザイエを増やすことになってしまうのです。
だから一切お金は出しません。 献金はいくらでも受け付けますが。笑
光を与えることが最高の形の利他愛なのです。だから、
あなたの眼の前で罪のない子供が「ズタズタ」になっていたとしても、その子に必要なものは「テカザシ」です!
もしそれがあなたの子供であってもです!
<7.それでいいんです!!>
手かざしでは人は救えない。餓死直前の子供を手かざしで魂霊をきれいにしようとしても子供は死ぬでしょう。
「それでもいい!」と、真光は言います。
それは「ミソギ」であって、たとえ「ズタズタ」でも、その子の魂が清まるから「それでいい」のです。
まず、その子に必要なのは「手かざし」ではなく「食事」なのではないでしょうか?
信者が手かざしを行い、会議、遠足、合宿、月始祭に行っている間もアフリカの子供達は『バタバタと』死んでいるのです。
これだけおかしな教団なのに、何故、人は騙されてしまうのでしょうか?
どれだけ確かな理由を並べられても、彼らは目覚める事を拒否します。 それにはそれなりの「理由」があるのです。
最近になり、インターネットでその「手口」が詳細に暴かれていますので観てみてください。
<8.お笑い手かざし道場 >
組手(信者)「真光は凄いんだぜ。奇跡が続出!」
「この間、事故に遭ったけど、車だけ破損して俺は無傷だった。乗る前に車を手かざししておいたんだ。
それだけじゃないぜ。職場で足を火傷したんだが手かざししたら治っちまったぜ。あっと言う間だったぜ。」
友人「ふうん」
組手「そうそう、こないだ、空き巣に入られちまった。でも金庫は無事さ。金庫の周りはいつもお浄めしてたんだ。警察も不思議がってたよ。
まだあるぜ、
親父が突然入院したんだけど、毎日お浄めしてやったら早く退院して今は元気さ。医者も驚いてたぜ。凄いだろ!!」
友人「お前、真光やるようになってから、やたら災難に遭うようになったな」
E N D
良一氏は、昭和22年ごろ名古屋地方で世界救世教に入信し、熱心な信者となった。 昭和24年彼は東京の西荻窪にある分派教会の博愛教会に割り当てられた専従の(給与も支払われる)幹部となった。 良一氏は、岡田仲道として知られており、信者に”光玉先生”と呼ばせていた。 良一氏は救世教では禁止されている、”額の上に手をかざし祈言”を唱え霊を浮かせる行為をしたことと、さらに信者の女性が悲鳴を上げる場所を触り、救世教を解雇された後、世界真光文明教団を起こした。 良一氏は「主神」からの啓示(神示)(昭和34年2月27日)以前に救世教時代に信者に「光玉先生」と呼ばせ、「手かざしを実践」していたからこの神示自体が信憑性に欠ける代物であり、教えの根幹が脆くも崩れ去ったと言える。
(参 考)「天の時至れるなり。起て、光玉と名のれ。手をかざせ。厳しき世となるべし。」(昭和34年2月27日神示)
参考文献:「1」神道事典 國學院大學日本文化研究所編集 弘文堂H6年初版 編集委員 井上順孝 (國學院大學日本文化研究所教授)他。
「2」新宗教事典 H2.3.10初版 発行:弘文堂 「3」新宗教教団・人物事典 H8.1.30初版 発行:弘文堂