最終更新日:08/08/2001
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1.Mahikari - an Insight
真光 - ある洞察
A SHORT STUDY OF (*****)
MAHIKARI CULTURE.
(○○)真光文化に関する小研究
By
Steve & Yumi Allerton
スティーブ&ユミ・アラートン
起源:これまでの調査により判明した真光系教団の系統図
1892−大本教* (*)印は現在も存在していることを示す。
└1934−S界救S教*(SKK)..21派の教団を生み出した。
└ 1959−S界真光文明教団*(SMBK) http://www.mahikari.or.jp/
└ 1974−神幽現救S真光教団* http://www.comlink.ne.jp/~syg/
└ 1978−○○真光* (光記念館 http://www.hikarukinenkan.or.jp/index.html
)
└ 1980−ス光光波S界教団*(アイ200友の会http://www.ai200.com/ai200/)
└ ? −陽光子Tの会* http://www.yokoshi.or.jp/
└ ? −真光正Hの会*
Note:
1)岡田良一氏は、仲道(ちゅうどう), 光玉、聖玉、聖凰という別名を使っていた。
2)井上甲子(こうこ)女史は、すでに成人した後で岡田氏の養子になり、名前を岡田に変え、恵珠、聖珠という別名を使った。彼女は岡田氏の教団を離れ、彼女自身の教団、○○真光を1978年に設立した。以下では彼女のことを岡田女史(ミズ岡田)と呼ぶ。
救い主岡田−非イエス: 教団の主張によると、教団は宗派や宗教ではなく、超宗教であるという。つまり、その他のすべての宗教がそこから生じた原点の宗教が復活したものということである。S界真光文明教団(SMBK)の創始者である岡田良一氏(1901-1974)は、その教えの中で次のように言う。これまでの宗教は間違った歴史の中から生まれ、ほとんどがうそに基づいている。最高の神が彼に与えた役割は、その間違いを正し、人類をすべての源である日本へ立ち返らせることである。
岡田氏は自分自身をキリスト教の教義にある復活した救世主であるとみなし、今世紀(20世紀)末の世界の破滅に先立って起こるであろう天変地異に備えるよう信者に警告を発したことは疑う余地がない。彼は霊的に清まった人々だけが生き残ると主張した。彼は続けて主張した。すべての宗教は真光より劣る。なぜなら彼は神と直接コンタクトできる唯一の人であり、神は啓示を彼に与え、それによると真光は神の唯一本当の宗教だということだからである。
人々を引き入れる魅力は、魂や心や体を清めるため手から放射される’神の光’という形で現れている。人がこの’光/エネルギー’を使えるようになるための唯一の方法は、現在の霊的指導者に献身し、月々の料金を支払うことで霊的につながり続ける真光の信者になることである。もし人が「めざめて」その他のタイプの寄付を利用してより多くのお金を寄付すれば、真に祝福された模範的な信者になることができる。
関与のレベル: 真光の中で経験する教団とのかかわり合いには異なったレベルがある。最も浅いレベルでは、普通の人々はいくらかの料金を支払って3日間の研修を受け、「御み霊(おみたま)」と呼ばれる「神の」ペンダントが与えられる(教団内では「許される」という)。○○真光の現在の教祖である岡田女史によって神とつながった(と教えられている)ペンダントを身につけているとき、彼女の身体を通して光/エネルギーが世界に向かって放射されるという。もし、彼女の身に何かが起これば、神の真の光が通る道が消え、世界が救われる道が絶たれるという。すべての信者と神の力との霊的つながりも消えてしまうという。すべての真光信者にとって、考えるだけでもぞっとすることである。この理由により、最初の3日間の研修後も教団に留まることを選んだ人々は、ずっと教団から離れられない。最も影響を受けやすい青少年は、もし召集があれば彼女を守ることに命をかけるように教え込まれてしまう。
真光の信者は、御み霊(おみたま)/ペンダントの中身を見ることを禁止されている。そうすることは神とのつながりを切り、神の力から切り離されることであると警告されている。何人かの元信者はその御み霊を開け、中に岡田良一氏の最後の別名「聖凰」または「聖」という文字の書かれた紙が入っていることを発見した。このことは長年信者が教わりつづけてきたこと、すなわち御み霊の中の紙には最高の神のシンボルである「ゝ(チョン)」のマークが書かれているということと違う。(御み霊の中身の写真:
http://members.ozemail.com.au/~skyaxe/omitama.htm
)
信者は、そのペンダントは命よりも大切であると教えられる。故意に開けたり、落としたり、濡らしたり、布団につけたり、X線にさらしてしまったりすると、神につながるコード(霊線)を切ってしまい、悪霊が流れ込んで不幸がその人と家族に降りかかると教わる。また、いくつかの場合、ペンダントはつけている人をその身代わりになって救ってくれる力があるという。そのため、霊的つながりを保つことは、生死に関わることになりうるという。もし信者が「昇進」をして自分の家に「御神体」とよばれる神殿をもつことができるようになると、そういう規則はもっと極端になっていく。もし、誰かが屋根に登ったり、ご神体の上に乗ったりしたら、その人は死んでしまうかもしれないという。かなり激しいことである! これらの規則を破ることによって、信者は救われるチャンスを逃してしまうという。目に見えない、得体の知れない邪悪な力がその人や家族に降りかかるという恐怖を植え付けることは、非常に効果的な戦略である。神の天罰というものは、マインドコントロールにおける最高の手法である。
「神の光」とは何か?: その光/エネルギーについては本当のことは誰にもわからない。しかしウインストン・デイビス氏は、彼の本「道場−現代日本における魔術と悪魔払い」の中でよく分析している。彼が言うには、それはある種の魔法/魔術であり、教団によって作られ維持されているパラダイム(物の考え方、現実認識)の刺激に反応するための条件付け、としている。何が人々をそんなにも長い間ひきつけるのか? 潜在的な恐怖は別として、たぶん光を与えたり受けたりすることによって得られる「結果」によって励まされているからである。よいことも悪いことも、その光がもたらしたものとみなされる。それは、win-win
situation(どちらにころんでも教団に有利な状況)である。もしある人が「よく感じる」ことができれば、それは光が働いているとされ、もし「悪く感じる」ことがあれば、それは光が毒素を溶かし、毒素が排泄される過程で悪く感じるとされる。しかしこれは良いことであり、もし毒素が光によって溶かされなければ、その毒素は固化して塊となり、その人を結果として殺してしまうとされる。もし何も感じなければ、それは段階を経るために時間がかかっているのだとされる。ほとんどの信者はこのように物事を考える程度のレベルで教団と関わっており、説明できない現象はすべて「光」の奇跡と解釈してしまう。特に、ガンのような病気が快方に向かったりするとそうである。
** より高いレベルへ進むことは、より深い関わりと高位の指導者から「認められる」ことを求める人々にとっては、真剣に取り組むべきこととなる。新しい信者をつれてくること、寄付金を増やすこと、「神への奉仕」をすることは、信者にとってはよい評価を受けるために必須のことである。
世界に広がる信者: 過去30年以上にわたって、信者数はすべての真光系教団の中で増えつづけ、50万人から300万人に達すると推定される。そして、基本的な会員費を含め、寄付によって集められた非課税のお金が日本へと集められ、数億ドルをかけて世界中で不動産の所有を増やしつづけている。この資金製造機の能率のよさに疑問を呈した人々は、悪霊に操られているとして非難される。岡田氏は3日間の初級研修の間、そのような「霊的な邪魔」をうけた人々に対して注意するように信者に警告し、その警告は教団と関わる限り繰り返し強調される。
寄付(御奉納): 教団への関与を深めていく過程において、信者は色々な種類の寄付(現金のみ)をする。ある種の寄付は、信者がつらいときに行うものであり、それは信者が多くの罪と穢れを神に詫びるためであり、たいていの場合、その問題が大きいほど寄付の額も大きくなる。何かがうまく行ったときにする寄付もある。それは神の守護に対して感謝を示すための寄付である。すべてのお金はとにかく神のものであり、寄付をすることは神にお金を返すことだと教えられる。できたばかりの紙幣を使ったり、アイロンで紙幣のしわを伸ばすことが、神に寄付をするときの神への崇敬の証として、とてもよいこととされている。
繰り返すが、真光はwin-win
situation(どちらにしても教団が得をする状況)にある。悪いことがあれば、罪と穢れを詫びるために寄付をし、よいことがあれば神への感謝のために寄付をする。岡田氏の教えは、お金や物質主義的な考え方への執着を捨てるように信者を巧妙に導き、約10種類の寄付を通してお金が真光に流れ込むようにしてある。
日本に流れ込むお金の推定額は、○○真光だけで一年に300万ドルから700万ドル(オーストラリアドル)に達する。しかし、現金が奨励されているので、誰も正確な額を知ることはできない。幾層にも重なった組織構造と秘密主義が、お金の流れの追跡を困難にしている。いったんお金が真光に寄付されたら、何が起ころうとも信者には戻らない。
真光の信者(組み手)−真のユダヤ教徒: 真光の公式な書物によれば、信者は真のレビ人(レビ族の子孫)とされる。岡田氏は、ユダヤ人はソロモン王の寺院を破壊させたことによって神の恩寵を失い、結果として歴史を通して災難を受けているのだと教えている。ユダヤ人を完全に破滅させる代わりに、神はレビ人と呼ばれる民族を用意した。岡田氏はそれが日本民族だと説いている。レビ人は、ユダヤの聖なる遺物の管理人であり、最も神から恩寵を受けた民族だという。真光の信者は、現代においてそれらの聖なる遺物を引き受けた神に選ばれた人々であるから、上述のレビ人の生まれ変わりの魂であるという。
○○真光は、ス座と呼ばれる大きな神殿を建設した。創造神の世界総本山は、1984年に2万平方メートルの土地に450億円(約5億オーストラリアドル)をかけて完成した。彼らが言うには、これは新しいソロモンの寺院であり、神の祝福の中にとどまる最後のチャンスなのだという。それは来るべき21世紀へのノアの箱舟とも呼ばれている。ス座は、一度に1万人が参列できる。もし、この新しい時代のソロモンの寺院がどんなかたちであれ脅かされたり、信者が礼拝とその維持を忘れるようなことがあれば、世界は神によって破壊されるという。ユダヤの人々が歴史を通して迫害を受けつづけたように。これは、「真のレビ人」(○○真光の信者)に与えられた聖なる使命であり、「光」を与え、多くのお金を寄付し、教えに忠実であることによって、世界の破滅を食い止めるのだという。皮肉なことに、真光の元の教団、S界真光文明教団も、2百万平方メートルの土地にス座と呼ばれる大きな神殿を建設した。どちらが新しい時代における唯一のソロモン寺院なのだろうか?両方とも岡田氏の教えに基づいているのである。
エホバとアラーは日本人である: 岡田良一氏が教えるところによれば、ユダヤ教/キリスト教の神エホバは実は国よろず造り主様と呼ばれる日本の神であるという。彼がソロモンの寺院を破壊したとき、内側にヘブライ語で契約の箱からとった言葉である"I
AM THAT I
AM"と書かれた黄金のカップすなわちマナ(食べ物)のつぼは日本へ返され、伊勢神宮に納められているという。日本の天皇だけがそれを見ることを許可されるという。もし誰かがそれをみたらその人は殺されるという。そのような優先権がきまっているという。
「遅かれ早かれ、ローマ法王をはじめとして世界中の人々が、伊勢神宮を訪れて祈りをささげなければならないだろう。そうしないと、神から恐ろしい審判を下される時がきてしまう。」イスラエル(ユダヤ教国)とキリスト教国の神は日本に祭られているのだから、その信者たちは日本、「メッカの地」に巡礼しなければならないという。岡田氏はまた、荒み霊と呼ばれるもう一人の日本の神は、アラーとよばれるマホメットのことであり、それは日本に起源があり、現在は伊勢神宮に祭られているという。岡田氏によれば、イスラム教もその起源が日本にあり、マホメットはそのことを良く知っていたという。
日本に従属するイスラエル: 岡田氏によれば、モーゼはシナイ山で姿を消したあと日本にやってきて、神道の神官からトレーニングを受け、36戒律のうちの20戒律とダビデの星をイスラエルに持ち帰るために与えられたという。彼はその20戒律のうちの10戒律を表の戒律として書き表し、残りの10戒律は裏の戒律としたという。
「レビ」という言葉は、スの神の魂または太陽神を意味し、日本民族を意味するという。岡田氏はさらに、日本の皇室はスメラミコト(太陽神またはスの神=色々な汎神論や多神教の頂点、また一神教においてもその頂点にあたるもの)の直接の子孫であると主張する。エホバは同じスの神の系統に属し、スメラミコトから枝分かれした神と呼ばれる。岡田氏は、ユダヤ人はダビデの王家を持っているかもしれないが、日本人には皇室があり、それはスの神の直系であるという。岡田氏の論理を使えば、彼が言うにはユダヤ人がヒマワリを彼らのシンボルとしているのは当然のことであり、その理由は根源のスの神、すなわち日本から枝分かれした一族だからだという。皇室の紋と日本の国花は菊であり、それは太陽のシンボルだという。日本語で「himawari」と呼ばれるヒマワリは、太陽の周りをまわるとか、太陽に従うという意味を持ち、だからユダヤ人も日本の周りをまわる(従う)のだという。イスラエルは日本に従う従属関係にあるという。
岡田氏と真光は、日本語はすべての言語の起源であると主張し、日本語に対する彼ら独自の意味の取り方を基礎にして、すべての物事を見ている。彼らは聖書の言葉、「はじめに言葉ありき、神は言葉とともにあり」を利用している。岡田氏が言うには、「はじめ」は日本に置き換えられ、「言葉」は日本語に置き換えられるという。真光はまた、モーゼ、イエス、ブッダは日本人の子孫であり、最終的には日本へ帰り埋葬されたという。エデンの園もまた日本にあり、アダムとイヴは最初の人類ではないという。「アダムーイヴ」というのは一人の力のある王の名前だったという。(→4.真光、ムー大陸、そして天皇崇拝、参照)
正当化されたユダヤ人大虐殺: 正当化されたユダヤ人大虐殺:岡田氏はまた、ヒットラーは太陽の霊である’ひ’の霊的な行に属すると説明した。岡田氏はヒトラーによってシンボルとして使われたスワスチカ(かぎ十字章、逆まんじ)を’ひ’と呼んだ。彼は’ひ’は太陽神の力のシンボルである陽の霊の方向に回転する、すなわち霊を陽に開く意味を持つと教えた。ヒトラーの起源に関する岡田氏の説明では、第二次世界大戦におけるヨーロッパでの軍事侵略は正当化され、それは創造神の祝福を受けた壮大な神の計画の一部だという....神はユダヤ人とその他の戦争犠牲者を罰したのだという。ユダヤ人とその他の犠牲者は、彼ら自身あるいは先祖の罪と穢れをあがなうこと以外に他に選択肢がなかったのだという! ダビデの星をかぶせたスワスチカは真光の重要なシンボルである。○○真光はダビデの星を彼ら自身のものとして復活させた。彼らの主張によれば、神がダビデの星を根源の超宗教に戻し、また本来の名前、岡田氏はそれをカゴメの紋という、に戻したのだという。
軍隊のユニフォームに身を包んだ真光青年が岡田女史の名前をたたえながら隊列を組んで行進するのを見ることは、第二次世界大戦当時にヨーロッパに住んでいた年配の信者にとってはヒトラー青年団の記憶を生き生きと思い出させるものである。その類似性はぞっとするほどである。真光青年もまたその制服や普段着に、真光青年であることを示すために決められたスワスチカのマークを付けている。
正当化された日本の軍事侵略: 戦後の日本における、(すべての個人ではなく)日本政府が示している一般的な態度は、責任をとりたがらず、また南京レイプ事件や第二次世界大戦におけるアジア/太平洋地域への侵略を認めたがらないというものである。太平洋における日本の軍事行動は、「大東亜戦争」と呼ばれ、日本が国としての主体性を失うことを退け、アジアを共産主義の脅威から開放するための戦いだったとされている。
日本の極右軍国主義者は、「大東亜戦争」は日本の天皇の「神」の名のもとに行われた聖なる戦いだったと主張している。真光もまた、教団の書物や陸軍中佐であった岡田氏の伝記のなかでこの見方を肯定し、このように書いている。「彼は病気のため、最前線(1937年、中国でレイプや略奪が行われていたところ)の自分の軍隊と一緒にいられなかったことを悔しがった。彼は代わりに電話で状況を聞いていた。」岡田氏はまた、連合国軍によって破壊されるまで、第二次世界大戦中の帝国の戦闘機を作る工場を所有していた。彼は日本の帝国主義に献身し、それは彼の伝記や教え全体に反映されており、それは真光の隠された錨(根本をなすもの)である。ほとんどの信者はこのような錨が存在していることを知らない。
こういう報告がある。日本の歴史教科書は、帝国主義者の見地を反映して書き直され、学校で使われている。主な支持者は石原S太郎氏という、有名な国粋主義者であり、彼は作家であり以前の内閣の運輸大臣である。彼の視点では、南京レイプ事件は中国の作り話でありうそであるという。岡田氏と石原S太郎氏の接点は、真光の書物の中に見出され、石原氏の子息のN晃氏によって確認されている。
石原S太郎氏は、オウム真理教が1989年に東京都庁に申請して許可され、宗教法人の資格をとったときの主な後援者だったとうわさされている。このことは、東京の地下鉄サリン事件の直後におきた彼の突然の辞任を説明するものである。(東京都庁は、そのときの文書をメディアにコピーして配ることをしないだろう。それは完全に違法であり、意図的な妨害である。)自民党の元国会議員である「ハマコー」こと浜田幸一氏は、石原氏、山口氏、中西氏をオウム真理教の後援者だとして、1995年夏の昼のテレビショーで非難していた。
オウム真理教と真光: 日本の中心的政党である自民党とのつながりが暴露されていくことは興味深いことである。もし、オウム真理教が主要な世界の大惨事を引き起こすための機構だとしたら、真光は大惨事のあとの新しい秩序を日本の天皇の名のもとに作り上げるための機構といえるだろう。真光の信者は、自分たちを「種人(たねびと)」と呼び、生き残ってリーダーシップをとる役目があると信じている。これが、信者をより一生懸命にさせ、より多くの時間とお金を教団の拡大のために捧げるようになる要因の一つである。
ここにはもう一つの"win-win
situation"(どちらにしても教団に有利な状況)がある。もし、教団の予言どおり世界が破滅したら、真光はそれに備えていたことになる。もしそれがおこらなくても、真光はその努力によって神の怒りを鎮め、人類を救ったという手柄をたてることになる。彼らが主張するには、世界が今まで破滅を免れてきた唯一の理由は、岡田女史が人類に成り代わって神に詫びているからだという。一方で彼女は、残された時間は少なく、真光の信者はもっと努力しなければならないと警告している。
真光は、世紀末の世界終末論のヒステリーを生み出して保ちつづけ、それを利用して教団を存続させている。そのヒステリーを教団が大きくなるための手段として用い、儲けの多い宗教マーケットにおいて、魂の救済と愛と調和に満ちた平和な世界での永遠の生命を究極の商品としている。オウム真理教は、彼らの力を悲劇的な結果によって示していく過程において、さらなる一歩を踏み出して予言されていた社会の動乱を時期尚早に引き起こしてしまったことは、よく知られている。1995年の東京における地下鉄サリン事件は、世界を震撼させたが、それは彼らの軍事的たくらみや政治的課題の氷山の一角に過ぎなかった。(→5.御聖言−警世の書−、参照)
信憑性?: 公式な写真の中で、岡田良一氏は誇らしげに米国国際アカデミー協会から授与された勲章を身に付けている。彼は勲章の巨大な複製を日本の熱海の自宅の外に飾ることさえしている。教団によれば、その勲章は1972年2月17日に東京ヒルトンホテルにおいて当時の外務大臣であった福田赳夫氏の出席のもとに授与され、福田赳夫氏を発起人としてパーティが開かれ、10を超える国の大使や国内の多くの著名人が参加した。岡田良一氏はその受賞によって、何人かのアメリカ大統領や、ローマ法王や枢機卿やカンタベリー大主教などに引けを取らない人物であると認められたという。
米国国際アカデミー協会は岡田氏にナイトコマンダーの称号と最高の(ギリシャの)勲章であるセントデニスザンテのナイトの勲章を与えた。教団によれば、その勲章はキリストの時代の紀元34年に制定され、国際的に賞賛に値する貢献をした人々に授与されるということである。
世界中のデータベースや図書館での調査や、騎士道の専門家からの情報によりわかったことは以下のとおりである。:
この勲章は"Self-styled
order(セルフスタイルドオーダー:自称勲章)"と呼ばれる私的に作られたものであり、かの悪名高い伯爵である
Pericles Voultsos によって1940年代ないし1950年代につくられ、彼によってたくさんばらまかれた。イタリア政府は1953年に信用できない勲章のリストを作り、この勲章もそのリストの中に入っているものの、この勲章は彼の発案によるものであり、本物の勲章を真似たものでもないため、非難されることはなかった。この勲章は個人事業団体が与える勲章であり、本物の騎士道の勲章ではない。このような個人的な勲章をつくるねらいは、有名人に勲章を送りつけてその有名人の名前を会員の中に入れて(その団体の宣伝などに)活用するためである。有名人の多くはその勲章をもらってもありがたいとは思わず、勲章を身につけることもない。私たちは、かかわらないようにしたほうがよいと、アドバイスされた。
(注:セルフスタイルドオーダー(自称勲章)に関する情報源)
http://www.chivalricorders.org/orders/self-styled/slfstlod.htm
http://www.heraldica.org/topics/orders/itbgord.htm
ザンテというのはギリシャの沖にある島のことである。セント・デニスという人がどういう人だったのかについてははっきりしたことはいえないが、一つの伝説によれば、彼は紀元250年に首をはねられたあと立ち上がり、首を持って歩いたとされている。または、ディオニシュオスアレオバゴスと呼ばれるもう一人の人物と混同されているのかもしれない。アメリカのワシントンにおいて、米国国際アカデミー協会と呼ばれる組織にコンタクトをとってみたところ、この協会はそのような賞など与えておらず、それはつくり話だろうということであった。この協会以外では、米国国際アカデミー協会と呼ばれる組織は今までのところ見当たらない。
世界の宗教の統一: ○○真光の基本的な教義の一つには、すべての主要な宗教の「統一」があり、これはまたS界真光文明教団の主要な信念の一つでもある。その基礎には、すべての宗教は霊的にも物理的にも人類の起源である日本から生まれているという信念があり、神から与えられた真光の使命はすべての人類をその起源である日本の皇室のもとに立ち返らせることだという信念がある。
1974年に岡田良一氏がS界真光文明教団の創始者および指導者として亡くなったとき、裁判の記録によれば、彼の後継者は関口尊師(Reverend:
師、尊師)であった。岡田女史は、岡田良一氏の通夜と数年後の裁判の両方の席においてこの事実を認めている。岡田氏が亡くなったとき、彼の教団の中には2つの派閥があったらしい。一つは関口氏率いるもので、もう一つは岡田女史が率いていた。このときすでにS界真光文明教団は分裂寸前であり、すべての宗教を統一するというその基本的な教義は崩壊の危機にあった。
1974年6月25日に、岡田女史が関口氏と27人の立会人に対して関口氏がS界真光文明教団の次の指導者であるという発表を行った後、彼女は自分の派閥の一人から、関口氏を教祖として承認することに関してはその人の了承がなければこれ以上何も言ってはいけないと言われた。1974年7月5日に、彼女は秘密裡に自分をS界真光文明教団の代表者として大森の登録事務所に登録した。後に彼女はそれを取り下げることになった。彼女は自分が教団の次の指導者になると主張し、関口氏と27人の立会人は彼女の言葉を誤解したのだ、と言った。6月25日に彼女が言ったことは、関口氏は自分の代理人である、というものだったと彼女は主張した。この主張は、6月25日に彼女が実際に言ったことと完全に矛盾するものであり、長年にわたる混乱と裁判での争いを引き起こした。信者たちの寄付は、信者に知られること無く裁判における弁護のための費用に費やされた。なぜ岡田良一氏は明確な意思や書面による指示を残さなかったのだろうか? もし彼がそのような非常に重要なことをするのを忘れたのだとしたら、その他にも何を忘れたというのだろうか?彼の神はどこにいたのであろうか?
この時点で真光に対する全般的な信頼性は、厳しい監視下におかれるべきであった。岡田女史の宣伝戦略はトップギアに入った。関口氏は何人もの愛人を持っているとか、病気にかかっているなどと誹謗中傷された。一方で岡田女史は、その当時の真光信者にとって究極の使命であった神の世界総本山すなわちス座の建設という、神が与えた役割を担う唯一の人とされた。岡田女史が裁判で負けることが明らかとなったとき、彼女は○○真光と呼ばれる自分自身の教団を1978年6月に設立した。S界真光文明教団の多くの信者は離脱し、○○真光に行った。なぜなら、道場(各拠点)の指導者たちが、岡田女史に対して忠誠を誓い、道場の信者たちを引き連れて彼女の側についたからである。普通の信者たちには、元の教団に留まる選択肢はどの段階でも与えられなかった。このような教団の指導権をめぐる争いは、一般には信者に知られていない。典型的なカルト教団においては、沈黙することこそが最高の戦略なのである。
最近、その沈黙の殻が破られてしまい、その情報は色々な情報源から流れ始めた。○○真光の信者にとって最も痛い一撃は、岡田女史のス座は、元の教団であるS界真光文明教団のス座より小さいことを知ることである。
現在の○○真光は、信者だけが信じられる(信じたがる)言葉を使って上述の経緯を説明しようとしている。それは、世界中で起こっている信者の流失を食い止めようとする努力の中で行われている。例えば、次のようなものである。
岡田氏の霊/魂は、亡くなった後49日間さまよっていたのです。岡田氏は個人的に、S界真光文明教団を1974年の6月13日に彼女に渡しました。それは彼が亡くなる10日前のことでした。岡田女史はそれを公表しませんでした。彼女は、岡田氏が霊の世界で人類の救済者としての役割を始める前に(注:岡田氏の霊がさまよっている49日が終わるまでは)、教団を継ぐことを宣言するのは非常に無礼なことなのでできないと感じたのです。
教団の指導者たちはまた、世界中の元信者たちの研究チームがあつめた情報はすべてうそだと言っている。
次第に明らかになっていることは、真光が宗教を統一するというよりむしろ超宗教になるということは、岡田氏独自の歴史解釈や「黄金の言葉」と「神」の導きなどを利用して、日本は偉大な国であるという思想を使い、個人個人がもともと持っている信念の核心部分を捨てさせることに等しいのである(←注:この一文はよくわからないので訳が間違ってるかもしれません)。真光それ自体を神が人類に与えた唯一の宗教とする試みは、信者をとても混乱させるものである。特に、○○真光はS界真光文明教団の分派であり、また文明教団もS界救S教の多くの分派の一つであり、さらにS界救S教も1892年に設立された大本教によって生み出されたものである。
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真光裁判資料
・S界真光文明教団側の資料(英文) http://geocities.com/Tokyo/7137/truth1.htm
・「宗教関係判例集成」 第一書房 第4巻・第5巻 「S界真光文明教団代表役員地位保全事件」
・原審:東京地裁、(昭四九(ヨ)第二〇四六号地位保全仮処分申請事件)
・「中外日報」昭和57年9/3 9/6 9/8 9/15号
・「宗教法学会報」昭和59年11月17日
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岡田氏は他の教えを盗用した: 調査によれば、岡田良一氏はS界救S教の信者であり指導者の一人でもあった。彼は「岡田仲道(ちゅうどう)」という名前で知られており、光玉尊師(先生?)と呼ばれることが好きだったという。彼は性的な不品行をしたことと霊との対話(霊査)に没頭したために教団を追われた。彼が言うには、すべての人には憑依した霊がついており、それが問題を引き起こすと主張していた。1959年に、彼はS界真光文明教団と呼ばれる彼自身の教団を設立した。
岡田氏が主張するには、1959年の2月に神が昏睡状態にある彼を起こし、光玉という名前と神の啓示を与えたという。彼は1959年の2月以前に光玉という名前を使っており、その「神の啓示」は実際は彼の以前の師であった岡田茂吉氏(親戚関係はない)の教えのコピーである。神のペンダントを使うことや、光を手から放射することもまた、S界救S教の特徴である。(→3.崩壊しつつある真光の基礎、参照)
真光は、岡田氏はS界真光文明教団を始めるまでは何の宗教にもはいっていなかったと主張する。彼が10年ほどの間S界救S教の信者であったという事実は、岡田氏がブッダの予言にある「その人」であるという主張と矛盾するものである。:
「正しい教えを説く‘その人’は、在家から現れる。(宗教の経験を持たない人の中から現れる。)」
(注:「在家」とは、ブッダの弟子以外、すなわち仏教徒以外のことである、という解釈もあります。しかしながら、真光では(初級)研修において、「在家」とは宗教の素人という意味であり、岡田光玉氏はその素人であった、だから岡田氏はブッダの予言した救世主だ、と教えています。つまり、「在家」という言葉の正確な意味はともかく、真光(岡田氏)は明らかに自分の理解した「ブッダの予言」に沿うように岡田氏の過去を隠蔽し、岡田氏を救世主にしたてあげようとしています。)
岡田氏は、大量で多岐にわたる情報の中から、自分は現代の混迷を正す役割を神から与えられたのだという主張を支持する情報を集めた。彼は良く知られた日本の伝説や神話に対して新しい意味や説明を考え出すことさえして、事実をねじ曲げて彼の目的に合うようにした。彼が以前にいた教団であるS界救S教と真光との主な違いは、岡田氏の軍人としての固定観念に伴う先入観から生じている。
英語/日本語の翻訳: オリジナルの日本語の教えを調べることは興味深い。岡田氏は関連する教えを一つにまとめず、むしろ教えをまとまりのない形でたくさんの書物に分散させている。このようにして、その底流にある哲学が隠されてしまっている。客観的な研究者は、その教えの階層と岡田氏の哲学の意図に対する基本的な洞察を得るためには、初級、中級、そして上級研修を受ける必要がある。岡田氏の教えを深く調べようとする信者でさえ、それは難しくて時間がかかり、日本語が読み書きできることが必要なため、あきらめてしまう。信者はとにかく日本語を理解する必要はないと言われる。岡田氏の教えは「黄金の光」に乗っており、その本は「光」を放射しており偉大な救いをもたらすとされる。結果として、ほとんどの真光の信者、特に日本人でない信者は、岡田氏の言葉の中に何が含まれているのかを知らない。普通の信者たちは、指導者に教えられたとおりの非常に浅くて個人的な理解に基づいて教団を弁護しようとする。ある意味で、真光の信者は岡田氏の教えを分析的な視点から読む気力を奪われている。どのような混乱も、解決するために手をかざして「光」を与えよ、「もっともっと光を与えよ」と指導される。愛とか調和とか利他愛などの、「心地よい言葉」に包まれつつ、感情的に反応することが奨励されている。
彼の教えの中にある、日本語と英語の言葉づかいは非常に巧みである。ロマンチックで健全な概念が、彼のゆがんだ歴史認識と、一般的な認識を彼独自のイデオロギーに変更させようとする熱意を挟み込んでいる。この研究の著者が参照している真光の情報源の多くが、今だに英訳されていない。日本語のものでも英訳でも、現在の状況にうまく合致するように変更されていることは明らかである。つまり、1978年の厳しい裁判を戦ったあとに設立された○○真光は、すべての出版物から岡田氏の元の教団名であるS界真光文明教団という名前を消し、岡田良一氏によって使われた名前としてその名前「○○真光」を挿入することさえしている。岡田氏が○○真光が設立される4年前に亡くなったという事実は、彼ら(○○真光)にとっては信用問題とはならないらしい。これはまた、面白いことでもある。なぜなら、岡田氏ははっきりと自分の言葉を変えてはならないという教えを残しているからである。
歴史を書き換える真光: 岡田良一氏の教えを研究すると、彼は事実とフィクション、神話と伝説をまぜこぜにし、世界の歴史を書き直し、不思議で疑わしい話を作り上げているのは明白である。そして、「彼こそが現代において最高神と直接のつながりをもつ唯一の権威である」という断固とした警告を発している。彼は歴史、科学、宗教、そして哲学に対しても意見をもっている。彼は、現代は「かつてなかったほどの間違った時代(逆法の世)」である宣言した。彼の「神の」役割は、これらの間違いを正すことであるという。(彼は現在、霊界において働いているという。)岡田女史は、この「神の役割」を繰り返し強調する。そのスタート地点は、日本が霊的、心的、肉体的なあらゆるレベルで人類文明のゆりかごであることを世界にわからせることである。岡田女史は、彼女の養父からの連続的なイメージ(彼女が正当な後継者であるというイメージ)を作り上げるため、自分の教団の歴史を書き換えることさえしている。
神になった岡田良一氏: 教え主様(教えのマスターという意味)として知られる岡田女史は、○○真光の霊的な指導者であり、岡田氏の教えを神の法として支持し、信者は個人的に自分自身のカルマに対して責任があること、どんな種類の災難も個々の信者の心の状態や教えの実践の不足が原因であると強調している。
何年もかけて、岡田女史は莫大な費用をかけていくつかのモニュメントを建設し、彼女自身も自分を神の地位に引き上げた。つまり、最高の神と直接コミュニケーションできる唯一の人ということであり、「神は私に何々をしなさいと命じました...」という言い方をする。神について言及するとき、彼女は岡田氏の呼称も使い、「神と救い主様(聖なる救済者という意味)は....」という言い方をして、岡田良一氏が今は神となっていて人類を救う使命を持っているという信者の信念を繰り返し強めている。興味深いことに、彼女が彼のための神殿(43メートルの高さのピラミッド)を1992年に日本に建設したあと特に、岡田良一氏を見たとか彼が現れたとかいう体験談が、熱狂的に報告され事実として受け入れられている。
神になりつつある岡田女史: このカルト教団は今絶好調であり、内部での宣伝だけでなく外部の人をひきつけるために、その信憑性を強める目的で今だに神話を作りつづけ、非常に多くの信者の体験談を出版しつづけている。岡田女史は、1993年にイスラエルへ旅行し、ハルマゲドンを食い止めたと主張している。彼女が中東にいる直接の結果として、突然イスラエルとパレスチナ間の平和協定へむけての最初のステップが達成されたという。彼女は、彼女がその最初のステップを成し遂げたのだと主張して、うまく自分のことを宣伝した。しかしながら、その平和へ向けてのチャンスが後になって失われたことについて、信者はあまり深刻に受け止めないらしい。ここにも、もう一つの"Win-win
situation"(どちらにころんでも教団のよいようになる状況)がある。
あなたの隣にいる真光: 真光は、静かにゆっくりと、将来にわたって存続するためのインフラストラクチャー(設備)を作りつづけている。オーストラリア首都圏政府から、その拡大計画の助けとなる土地を援助されたことは、教団にとっては強力な後押しである。教団の信者はすでに、この土地はオーストラリア社会のものではなく、日本に住む岡田女史のものであると誇らしげに語っている。
真光の勧誘活動における主要な目標は、社会に影響力のある人を引き入れることである。政治家、医者、裕福なビジネスマン、公務員などは理想的なターゲットである。これらの新しい信者が右翼思想をもっていると大歓迎である。真光は、陸軍中佐であった岡田良一氏と皇室神道から受け継いだ厳格な保守的右翼思想を持っている。
興味深いことには、ベルギー政府が教団を危険だと認定したときに、オーストラリア政府は教団の後押しをしている。オーストラリア首都圏政府にとって、ヨーロッパで何が起こっているのかに注意することは、自殺行為だとでもいうのだろうか? 臆病な政府を告訴してオーストラリア人の健康と安全のために働かせるようにするには、もっと多くの人々が死にかけていないとだめだとでもいうのだろうか?
ベルギーが道を開いた: 宗教団体を調査するベルギー政府委員会に最近報告されたところによると、○○真光の幹部は、彼らの団体はS界真光文明教団と呼ばれていたが1978年に○○真光に名前を変えたと主張しているという。委員会は、○○真光をSahaya
Yoga,
統一教会、創価学会、サイエントロジーなどと同じカテゴリーに入れ、ベルギーにおけるもっとも危険な団体の一つと指定した。危険な団体を確認したことにより、ベルギー政府は現在の法律を国会で議論し、元信者たちのリハビリをしたり、団体の危険性を公表したりするための手続きを進めている。オーストラリアのニューサウスウエールズの立法審議会のメンバー、The
Hon. Franca
Arena、はオーストラリアの人々に情報を公開してカルト教団から守る必要があると見て、(ベルギーと)同じような国会委員会をつくることに向けて動いているところである。
社会福祉団体としての真光: 教団にある微妙な矛盾の一つに、数カ国で非課税の地位を得るために「慈善団体」という言葉とその一般的な意味を利用しているということがある。岡田氏の教えの中で明らかなように、彼は慈善活動のことを人類の苦難を永続させてしまうものと考えていた。もしある人がつらい状況にあってそれに対して援助がなされたならば、その援助はその人のカルマの解消と清浄化を妨げることになり、実際には不親切をしているのだという。さらに悪いことには、援助をうけている人は「悪いカルマ」を積み上げているという。だから、われわれより恵まれない人々を助ける活動をしている今日の世界中の人道主義団体は、実際には人類を霊的に汚しているのだと岡田氏は言う。○○真光の免税された資金は、一セントも社会には還元されない。それなのに、その指導者たちには高額の給料を支払う十分な資金的余裕があるのである。
一方、お金と時間と労力を岡田氏の教団、真光、に捧げることは、本当の意味での慈善活動なのだという。彼の「唯一最高の宗教」が広がるにつれ、より多くの人々が「光」を受けられるようになり、霊的に救われるという。この方が、戦争によってズタズタになった国々で飢えに苦しむ罪のない子供たちに食料を与えたり、われわれの社会の片隅にいる恵まれない人々を助けることよりも、ずっと良いことなのだという。このような実際的な形の援助は、彼の教えの中では非難の対象となっている。
真光の信者は、このような領域においては岡田氏の教えの厳しさから逃れることはできない。もし信者がつらい状況に陥ると、それは信者自身のせいであり、霊的なレベルが低いとか、教えに従っていないとか、罪と穢れを消すようにと神に祝福されているのだ、とされる。教団は、その苦しみをやわらげるように具体的な形で手を差し伸べることはせず、うれしそうにアドバイスをする。霊的な障害を取り除くため(悪魔払いのため)手をかざして「もっと光を与えなさい。」 そして「もっと道場に来なさい」と。真光の言葉では、光を与えることが最高の形の利他愛なのである。
信者の中では、日本にある真光の本部に各地域の拠点への財政的支援を期待することは、岡田女史と神からお金を盗むことに等しいと考えられている。地域の信者は彼ら自身が費用を負担しなければならない。子供を含めて信者たちは自分たちに対しては節約し、真光の神に対しては惜しみなくお金を払うことを奨励されている。真光にとっては、教団外での経済援助活動を考えることだけでも、全く受け入れがたいことである。
待遇の良い真光幹部: このような偽の人道主義的意味でなされる献金は、○○真光の幹部に還元される。特に、○○真光オーストラリア(有限会社)の幹部たちにである。住居、ベビーシッター、食事、国外国内の移動などが無料でまかなわれ、そして贈り物をもらっている。(ある人は誰がlocal
Perks
税を払っているのかいぶかしがっている) 信者は、幹部は給料が安いという印象をもっており、幹部は人生を神に捧げているのだから、彼らを助けるのは正しいことだと考えている。このような信者の幹部に対する気前のよさは、異常なほどであり、時として幹部がそれを尊大にも期待してしまったりする。
岡田氏は教える。「川上を清めれば川下も清まる。」オーストラリアでは、これは次のように解釈されている。普通の信者は、もし幹部を助けたり援助したりすれば、自分たちもより霊的に清まる。もし信者が幹部に仕えれば、幹部は神のための神聖な仕事をより多くできるようになり、それは幹部をより清まらせる。もし幹部がより清まれば、幹部は川上なのだからその恩恵は普通の信者にも行き渡る。だからみんなが霊的に向上する。より高い位の幹部に仕えることは、神への奉仕と呼ばれる。それは、真光の教えを説く講師になったり、真光にフルタイムで雇われるためのトレーニングを受けることを許可される(「許される」)ための資格を得る際の必要条件になっている。多くの信者は、世間知らずかもともと気前がいいため、その言葉どおりに従ってしまうのである。
真光と免税: 真光が行っている最も大きなごまかし行為の一つは、課税を免れていることである。○○真光は、社会が行っている人道主義的な意味での慈善活動からの恩恵を受けることを拒否しない。この種の形の慈善活動は、岡田氏の教えの中で完全に否定されているにもかかわらずである。このような場合、すべてのお金は神のものと言って、教団は矛盾を全く認めない。真光は神の唯一の正しい宗教なのだから、教団に利益をもたらす仕組みは、どんなものでも受け入れるのである。真光はこれを「神の仕組み」と呼ぶ。
次の文章は、岡田良一氏の言葉をアラートン夫妻が日本語から英語へ翻訳したものである。(1997年5月5日)
(注:英語版を日本語へ翻訳しなおしました。)
慈善活動とはどうあるべきか
寸教3、p.82-83
病気の人を救うために病院を建てること、そのためにお金を集めること...これらは薬によって汚染された患者の数を増やすだけです。それらは慈善活動とは言えません。私はそれらを偽の慈善活動と呼びます。それは罪と穢れを蓄積するだけです。「慈善活動」とは、人間から病気と貧困を取り除く行いのことであり、この地上に真の平和で安全な文明を実現することです。
天国文明を広める目的においては、現代において常識と考えられている間違いを正すことも「慈善」活動です。そのような活動により多くのお金を差し出すこと...これも慈善活動です。現代は偽の慈善活動が氾濫しており、世界はますます悪くなっていきます。
このような理由から私は、それだけになおさらなのですが、偽の慈善活動に一生懸命な人に対して望むことは、真の慈善活動に目覚め、貧困と病気に苦しみ心の平安を得られない人々を真の救済へと導くことに目覚めて欲しいということです。
もしある人が1億円を(真光に)寄付したとします。
それがどれほど救いの和をひろげるか想像してみてください。
それこそが偉大な救いではないでしょうか? 私はそれを「慈善活動」と呼びます。
免税されている真光スクール: 真光の野望の1つは、岡田氏の教えに基づいた学校をつくることである。彼は帝国主義、軍国主義、国家神道を決して捨てなかった。日本の真光信者の校長は、最近時計を100年前に戻し、1890年に発布された教育勅語の一部を毎朝朗唱するように指示した。教育勅語は衆参両議院において1947、1948年に排除・失効確認が決議された。それは、国家への忠誠、軍国主義、先祖への崇拝などの国としての「美徳」を生み出し、皇位を守り維持するため、また、従うべき理想のモデルとして軍国主義的ヒーローを復活させるために使われたのである。この種の熱狂が、1941年の憂鬱(敗戦のこと)をもたらしたのではなかったか? 日本の保守的な政府組織は、この帝国主義的な宣伝活動が国民の間に再び現れていることに喜んでいる。
この校長は、日本の著名な真光信者であり、真光の書物のなかに誇らしげに登場している。オーストラリアの真光は、日本の真光に従属している。すべてのポリシーは日本から来る。それは、彼らが建設したオーストラリア学校ではなく、日本の真光の帝国主義者の機関である。世界中の真光の拠点から集められた若者が、日本へ行き、特別な真光の学校(訓練部)で厳しく指導され、真光の幹部(導士)となる。日本人でない真光の生徒も教えられ、日本語で教育勅語を朗唱することを要求される。
もし彼らがオーストラリア社会で確固とした地位を得て、キャンベラにおいて彼らに与えられた土地を足がかりにスタートし、支払いを済ませて引っ越してきたら、そこの真光の学校でいったいどんなゆがんだ歴史、科学、宗教などを教えるのだろうか?オーストラリアの国がしたいことは、その子供たちを、オーストラリアは日本に属しているという考えにさらすことだとでもいうのだろうか?日本は霊の起源の国であり、人類のゆりかごであるという。オーストラリアは日本のある神にちなんで名づけられたという。日本は地球上で一番古い土地であり、ムー大陸の名残であり、そのもともとの名前は天国を意味する「アマグニ」だという。
岡田氏は主張する。歴史は妄想にもとづいており、特に人類と日本に関してはうそだらけである。日本の天皇は、世界の統治者となるべきであり、民主主義は程度が低く(真光内では禁止されている)、真光流の神政政治が未来において行われるという。真光はその信者を岡田良一氏の教えと、岡田女史の意思と、彼女が指定した代表者たちに完全に従うようにそそのかしている。彼女の権限に疑問を呈することは許されず、それは「霊の邪魔」として扱われる。教団内とより広い社会においてさえ、民主主義を完全に否定している。岡田はそれらを教えの中ではっきりと述べている。真光学校はオーストラリアの子供たちにいったいどんなインパクトを与えるのだろうか?
混乱: 真光は、見えないように隠された構造の中に、カメレオンのような性質と多面的な階層を持っている。もしある信者が教えの中に矛盾を見出したら、「霊的成長が足りない」とか、「文化に基づいた誤解をしている」とされる。代わりに、もし教団に対して批判がむけられたら、邪神が悪い霊を使って神の唯一の宗教を破壊しようとしているとされる。もし、元信者が教団との関わりに疑問を持てば、それは霊的に邪魔されているとされ、邪霊に支配され、正しい道に背を向けているとされ、または「神の光」や「神の支配」の霊的圧力に耐えられなくなったとされる。インターネットを含むメディアは、悪の力によって操作されているとされる。信者にとっては、それらから遠ざかることが、邪霊に操られず、汚されないようにするための最も良い方法とされる。
二つの教団の興味深い違いの一つは、元の真光(S界真光文明教団)は非常にオープンであり、インターネットをその宣伝に利用しているが、○○真光は逆で、プラグを引き抜いている(インターネット上での宣伝はまったくしていない)という事実である。
教団内でもし誰かが亡くなると、その人はスの神によって呼ばれ、岡田良一氏(今は彼自身が神とされている)とともに霊の世界で人類の救済のために働くのだとされ、または、その人はその人自身と家族の罪と穢れを究極の犠牲(命)によってあがない、きれいになって神に近づいたのだとされる。信者にとっては、魂が消滅するという恐怖は現実のものであり、もし彼らが真光を実践することによって清まることがなければ、神に見放され、再び生まれ変わることができないという。このようなことが信者の間では広く信じられている。
もし信者が経済的な損失を被ったら、それはあがないとか清浄化とか呼ばれる。真光は教える:過去生で起こったことを反映して現在の状況が生じているのだから、と。神は、負のカルマの輪廻を断ち切るために、過去生の罪と穢れに満ちた状況を正す機会を与えつづけているのだという。どんな場合でも、岡田良一氏の教えに基づいた適切な答えが用意されている。理性的な精神は沈み、独特の安心感の中に陥り、または、生きている現実に対してまっさらな麻痺した状態になってしまう。教団の指導者は、出来事がなぜ起こるのかについて、無数の説明を考え出すことができる。岡田氏は自分が人類の救済者であり、真光は唯一本当の宗教だと宣言したので、教団の幹部たちは彼の教えに基づいている限りどんな説明でも考え出す権限をもっているとされる。彼らは結局は、彼ら自身と教団を守っているだけである。
結論: もしある人が真光教団に入ることを考えているのなら、それはそれで民主主義における権利であるが、私たちがその人に強く望むことは、たくさんの情報に触れて欲しいということである。また、客観的な精神を保ちつづけるように努力するよう望む。そうすれば、その必要(教団に入る必要、居続ける必要)がなくなったときに感じる痛みを減らすことができる。
ある人が教団を離れるための勇気ある一歩を踏み出したとき、あらゆる面で御しがたい禁断症状に襲われるかもしれない。フラッシュバック(突然の回想)が新しい生活や夫婦関係、家族関係を不安定なものにするかもしれない。教団を離れて何年もたってからでさえ、そうかもしれない。真光は、巧妙な麻薬のようなものであり、自分自身や人類、地球のために何か良いことをしたいという、人々の良心や人のよさを食い物にしているのである。
私たちは、世界中の元信者の仲間とともにいることに喜びを感じ、真光を離れた人生がすばらしいものであることを見出している。それは、妄想や暗闇の覆いのようなものが消え去ったような感じである。私たちは疑いもなく、正しい選択は教団を去ることだと言える。多くの人々がセラピー(治療)として教団を暴露する挑戦を始めており、それは彼らの健康、富、精神的な健全さを取り戻すためであり、それに成功している。私たちは、長年にわたる教団との関わりの中で得た私たちの経験と知識が、他の人々にとって、教団をはっきりと見通せるようになるための助けになることを望んでいる。私たちが長年持っていた不安と心に深く根ざしていた懸念が、たくさんの人々の関心を引くことが、私たちにとっては大きな救いになるのである。
私たちがこの研究をより深めるにつれて、明らかになってきたことは、岡田良一氏に関する事柄の多くが隠されていることである。私たちやほとんどの信者は、その表面の下に本当は何が横たわっているのかを知ることができない(できなかった)。
私たちの真光文化に対する理解をまとめたこの研究は、あらゆるレベルでの日本と伊勢神宮、世界への真光の深い関わりに対しての、ほんのわずかな洞察である。これは私たちの推測だが、教団と岡田女史こそが人類が生き残るための唯一の鍵であると信じる尊大な(○○)真光カルト文化の中で、岡田女史の役割は注意深く作り上げられて神になるということになり、彼女はそのなかに長年にわたってとらわれてしまったのではないだろうか?
私たちは、そのうちにより多くの情報が利用できるようになることを望んでいる。熱心な真光の信者は、ショックをうけ、教団とのかかわりをあらゆる面で再評価するようになるだろう。自分の持つ愛すべき、寛大な、そして親切な側面が奪い尽くされ、危険なほどにゆがむ前に、距離をおいて物を考え、よく見よう。自分の精神的、心的、肉体的な面にわたってコントロールを取り戻し、子供たちに、より広い社会で生き、また社会に貢献していくための知恵を身につけることなく育つというトラウマ(精神的外傷)を受けさせないようにしよう。
オーストラリアの○○真光は、記録によると、私たちの行動を指して、私たち元信者はこなごなにするための斧を持っていると言ったという。その斧はこう呼ばれている。
(Truth!)真実!
主な情報源と脚注
*'Commentary; Kami Muki Sanji ' by Kotama(Yoshikazu) Okada
Printed 1982 in Japanese.
「神向き賛辞解説」岡田光玉(良一)1982年(日本語)
*'Goseigen The Holy
Words ' - Revelations given to Kotama Okada ( Mahikari
Bible)
「御聖言:聖なる言葉」−岡田光玉に与えられた神の啓示(真光バイブル)
*'Dai sei shu ' - ( Great holy
Master) - Kotama Okada's biography.
「大聖主」−岡田光玉の伝記
* Other printed Mahikari
material.
その他の真光出版物
* Repeated Primary, Secondary and Tertiary kenshu's
and study classes.
初級、中級、上級の研修テキスト?
* 'All The Emperors Men ' by Garry
Greenwood.
「All The Emperors Men (みんな天皇のしもべ)」 ゲリー・グリーンウッド
*'Wages of Guilt
by Ian Buruma
「Wages of Guilt (罪の代償?)」 イアン・ブルマ
*'Dojo- Magic and Exorcism
in Modern Japan ' by Winston
Davis.
「道場−現代日本における魔術と悪魔払い」 ウインストン・デイビス
*'Thank God For The Answers At
Last ' by Dr A.K.Tebecis
「ありがとう神様、ついに答えは与えられた」 アンドリス・テベシス博士
* ***** in
Context by Rustin Selvey
「***** in Context (文脈中の○○?)」 ラスティン・セルベイ
*Former
Mahikari members with the tenacity to say enough!.....and do something about it!
Special thanks to Fabien Cheslet, Garry and Wendy Greenwood, Richard Goh and
Rusty
Selvey.
忍耐強く、協力してくれた元信者の人々
ファビエン・チェスレット、ゲリー・グリーンウッド、ウェンディ・グリーンウッド、リチャード・ゴー、ラスティ・セルベイ
**
Acknowledgment- For the inspiration to look beneath the surface. ........A
failed Company Director/ Mahikari leader who had the courage to shake hands on a
deal, his God his witness.......... and break
it!.
謝辞: 隠された事実を調べるためのインスピレーションをくれたことに感謝します...失敗した会社の役員であり真光の幹部の方へ。勇気をだして手伝ってくれたことに..????
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