Tuesday, April 21, 2009

真光とスワミ・ラーマ (Mahikari and Swami Rama)

To the English reader,

After Okada, the founder of Sekai Mahikari Bunmei Kyodan, died in 1974, some strife started between Sekiguchi and Ms Okada concerning who should be the successor of SMBK. This led to the 'Mahikari court case' which lasted for years. According to the court documents, Ms Okada said that Okada had worn around his neck 'Omitama' given by 'Mr Rahmu'. 'Mr Rahmu' and 'Mr Rahma' were the same guy, which can be seen in the quotes from "Go-taidanshu" below.

The guy called 'Mr Rahma' is generally known by the name Swami Rama(1925-1996). A yoga master. A guru. His real name is apparently Brij Kishore Kumar.

"Swami" is primarily a Hindu honorific title to refer to a sage or master. As for 'Rama" , it is cosidered to be the name of an avatar of Vishnu (God) in Hinduism. Rama is also the name of a legendary prince who appears in the ancient great epics of India, the Ramayana.

Thus the words "Swami" and "Rama", used together, sound like somebody great.

The Himalayan Institute, which he founded, tells great things about him in its Internet site.

How did this person and Okada meet each other?

This post also tells what Okada said about "gyo", which means ascetic practices such as yoga and Zen.

----Phoenix 3000



世界真光文明教団を設立した岡田光玉(本名:良一)が1974年に死去したあと、教団内で後継者争いが起こり、これが数年に渡る「真光裁判」になっていきました。その資料の中に「ラーム氏」からもらった『御み霊』を光玉が首にかけていた、という恵珠の話が出てきます。 〔注1〕 この「ラーム氏」というのは「ラーマ氏」のことで、下記の『御対談集』の引用部分を見れば、同一人物であることがわかります。

ラーマ氏とは、通称スワミ・ラーマ(1925−1996)。〔注2〕 ヨガの指導者。グル。本名は Brij Kishore Kumar だそうです。〔注3〕

スワミというのは、ヒンドゥー教などで、聖者、師などを呼ぶ尊称。ラーマという語に関しては、ヒンドゥー教にヴィシュヌ神という神がいて、その化身にもラーマという名が出て来ます。また、古代インドの大叙事詩「ラーマヤナ」にラーマという王子が登場します。〔注4〕 

スワミとラーマ、両方合わせて相当偉そうな名に聞こえます。

彼が設立したヒマラヤ研究所 (The Himalayan Institute) のインターネットのサイト〔注5〕には、なかなか立派なことが書かれています。

この人物と真光の岡田光玉(本名:良一)とはどのように知り合ったのでしょうか。

ラーマに関して光玉が言っていることを拾ってみましょう。


   このあいだもインドのラーマさんがいらした。この人はヨガの世界最高峰の人ですからね。そのラーマさんが、私のところへ、ヨガの真髄を伝えたいと来られ、六日間(三日は泊まりきり)いた。  ーー『御対談集』 p231−232;昭和45年1月、対談者・藤田義郎(政治評論家)

   ヨガの方では世界で今一番の師匠になっているラーム氏というのがいるんです。ラーム氏のお師匠さんは今ヒマラヤに入っています。ラームさんはインドの四つの大学でヨガの教授をやってる、そのラームさんがどういうわけかしらんけど、私を訪ねてきて、六日間、ヨガの神髄を伝えたいという。それではぜひというので、六日間泊まり込みで全部説明してくれたんです。  ーー『御対談集』p306;昭和49年2月、対談者・本山博(文学博士)


「世界最高峰の人」「ヨガの方では世界で今一番の師匠になっている」と、光玉はえらく持ち上げていますが、これらがラーマを描くのに妥当かどうかとなると、ちょっと疑問があります。また、「ラームさんはインドの四つの大学でヨガの教授をやってる」と光玉は言っていますが、1969年、日本滞在後、ラーマはアメリカへ行き、1971年にヒマラヤ研究所を設立。光玉がこの話をした1974年前後も、かなりの時期をアメリカで過ごしていたようですから、「インドの四つの大学でヨガの教授をやってる」との表現が事実に合うのか、ここでも首をかしげます。調べた範囲でのインターネットのサイトにも、ラーマが1970年代に「インドの四つの大学でヨガの教授をやっていた」との表現は見当たりませんでした。

「どういうわけかしらんけど、私を訪ねてきて」と光玉はしらばっくれています。光玉も恵珠の崇教真光もその辺の経緯には黙りを決め込んでいます。が、ラーマの弟子側が語っている話がインターネットにあります。〔注6〕

それによると ...師匠の要請で、ラーマは日本(とアメリカ)へ。まず、東京空港に着く。行く先の当てはなく、手元にはほんのわずかなお金しか持っていなかった。着ていた伝統的ヨガ行者の衣装が、ある真光信者の注意を引き、家に招待。家には息子が病気で寝ていたが、ラーマがその子のいる部屋に入ると、その子は劇的に回復。父親はこれに感動し、自分の師(光玉)にラーマを紹介。光玉とラーマは即、仲良くなり、強い結びつきが成立、ラーマは光玉の客として6ヶ月日本に滞在し、真光の信者にヨガの瞑想法を紹介した、というものです。

1974年光玉死去の際、光玉が恵珠を後継者にした、と言っていますから、恵珠側の主張 〔注7〕 だけしか聞いていないのだろうと思われます。この点、当時恵珠側に引っ張られて行った、多くの『組み手』と大差ないでしょう。光玉亡き後には恵珠の客として真光の大祭に時々顔を見せたり、祝電が届いたりすることになります。だからといって、『聖者スワミ・ラーマ』が『来た』『祝電を送ってきた』と、崇教真光が自慢するほどのことではないでしょう。ネットで次のような書き込みがあったことを、一部だけですが、紹介しておきましょう。


   崇教真光に、スワミラーマが来賓で祝辞を言ったからといって、真光の正統性の証明にならない。
   これは、オウムの浅原死刑囚が、ダライラマと知り合いだったといった類の代物です。  ーー真光関係者集合!!(45)720 (原文のまま)

   スワミラーマって、ダライラマやローマ法王級の有名人ですか?   ーー真光被害者の会736


ちなみに、1984年の世界総本山建立特別大祭、1992年の光神殿(奥津城ー光玉の墓)竣工式には参列ではなく、祝電でした。

上記のヒマラヤ研究所のサイトに戻りましょう。それによると、ラーマに出会ったあと、光玉は真光の業に加えて、ヨガの方法も実践するよう、自分の信者に奨励した、とあります。はて、真光にヨガの瞑想法なんて含まれていたでしょうか。祭典の時に短い『黙想』はありましたが、ヨガに基づいたと思われるような瞑想の実践はありませんでした。この種の、修行を伴うような瞑想はいけない、と言われていました。瞑想中に本霊が体を離れた隙に体が霊に乗っ取られる、とか、荒行をする者には雑霊が憑いてしまう、との説明もなされていました。つまり、真光以外はやらないほうがいいのだ、という結論に導かれていきます。次の引用を見て下さい。


   行というのは人力なんで、神力とは別なんです。つまり自分の意思の力でエネルギーの波動を起こしていく。だからそこへゆく迄には非常に自分自身の体力を使ってしまうということが一つ。それから行の悪いところは、たとえば行をやった坊さんや神主さんほど一番われわれのところにお世話になる必要が出てくるのです。何故かというと、行場にいた霊に憑依される。何十匹とかかるのです。これはきっと本山先生の検査でもわかると思いますが、人間が精神統一したときには一番霊がかかりやすい。その人自身の魂の性質と霊作用そのものがよほど高まり浄まった人でないと、精神統一したために、逆に変な霊にかかられてしまう。

   だからわれわれの所では絶対に行をさせないのです。上級の幹部でも、特級の研修を終わって、私の方の業を完全に教えられるくらいのものでなければ行は教えない。座禅を組んだり観法をやったりすると雑霊が沢山かかっちゃう。自分が浄まってからの行ならいいんですよ、下手な霊が入ろうと思っても入れないから。 ...  ーー『対談集』p308


霊や霊の憑依を信じる人、信じたい人は、フムフム、そうなのか/そういうこともあるのだろう、と光玉の話に簡単に乗ってしまうかもしれません。が、ちょっと視点を変えてみると、ここで客観的な検証に耐え得るような、確認された事項、確認できる事項は一つもありません。「きっと本山先生の検査でも分かると思いますが」という光玉の言葉しかありません。確認できないままに、光玉が言っていることを、「真理(神理)である/真理(神理)なのだろう」と信じてしまうのが『組み手』という信者の実態です。そして光玉の嘘に関しては寛大で(というより、光玉が嘘をついたということの意味が認識できない状態)、こじつけをしてでも光玉の嘘を正当化しようとします。 〔注8〕 つまり、光玉が好き勝手なことを言っても、でたらめなことを言っても、妄言を吐いても、信者は、それを尊い『神の教え』として、また、『神理』として、有り難く頂戴する、という図式になります。

光玉はここで『人力』と『神力』とを、ヨガや座禅のような行は人力、真光の業は神力である、として、対比させていますが、光玉の『神力』というのは手っ取り早く言えば『神任せ』でしょう。手をかざして、あとは『その結果』ー 実際にはその後起こったこと、というだけのことが大部分 ー に真光流解釈を当てはめて行く、というものです。だからこそ『真光の業』は「自分自身の体力を使ってしまう」業ではないとも言えるのではないでしょうか。手をかざすという行為によって、自分が目に見えない世界に働きかけている、との錯覚に陥り、ごく当たり前の出来事も含め、身の回りに起こる出来事を、真光流に解釈していくよう信者は条件づけられていきます。

<座禅、観法等、行をすれば、また、精神統一をすれば、霊に憑依される>と光玉はおどかしています。しかし、例外を作っています。「浄まった人」なら、精神統一しても変な霊にかかられない、そういう「浄まった人」なら行をしていい、というわけです。

では、真光の考え方では誰が「浄まった人」に相当するのでしょうか。光玉は、『魂の性質と霊作用そのもの』などという言葉を使って、<魂の性質と霊作用そのものがよほど高まっている>と表現し、あたかも意味深の如く聞こえさせていますが、これも光玉が勝手に言葉を使って、実体のないものをあるかの如くに見せていると見る方が妥当でしょう。<魂の性質と霊作用そのものがよほど高まっている>状態がどういう状態なのか、誰にもわからないのですから。

そもそも真光の業は『浄めの業』であるはずなのに、自分がどれだけ浄まったのか、測りようがありません。浄まったのかどうかさえ、わかりません。『お浄めで浄まるのだ』と信じ込まされ、期待させられるのですが、自分はこれだけのことをしたのだから、少しは浄まっただろうと思うことは、『我』や『慢心』であるとして退けなければなりません。『浄まった』と自覚もできなければ、自己診断もできません。『浄まっただろう』と憶測することも抑制されます。真光では「浄まるための努力」ー 結局は「教団に奉仕すること」ー があるだけで、「浄まった」状態に達することはあり得ません。

「上級の幹部でも、特級の研修を終わって、私の方の業を完全に教えられるくらいのもの」という部分に関しても、問題が出てきます。『特級の研修』と言えば、神秘的に聞こえるかもしれません。中味がわからなければなおさらのこと、あれこれと神秘的なことを憶測することになるでしょう。それが光玉(及び彼に続く教団)の狙いであって、実際には無いも同然と考える方が現実的です。たとえ「〇〇は特級研修を受けた」と言われているとしても、誰もその真偽を確かめようがないし、上級研修さえインチキ性のある、怪しい教えが一杯なのですから、冷静に考えれば、『特級研修』がまともだとはとても思えません。『特級研修』というのは真光の中に数多くある、思わせぶりの、飾り言葉の一つと見てよいでしょう。

「われわれの所では絶対に行をさせない」「行は教えない」と光玉は言っています。人に教えるほど習得していた『行』など光玉にあったのか、当然疑問になりますが、光玉の話の流れに沿ってみましょう。「浄まってからの行ならいい」「われわれの所では絶対に行をさせない」「上級の幹部でも、特級の研修を終わって、私の方の業を完全に教えられるくらいのものでなければ行は教えない」「われわれの所で幹部に絶対行をさせない」(『御対談集』p309)とを合わせてみると、「行を教える程、行をさせる程、浄まった人は真光にはいない」と言っているのも同然でしょう。もちろん、自分のことは『浄まった者』として例外にして、自分の作った真光の世界に君臨させているわけですが。

光玉は『菩薩の行』、恵珠は『特級研修』に加えて『仙洞の行』をしたではないか、と異議を唱える信者もいることでしょう。では、『菩薩の行』『仙洞の行』とは何か、自分自身にまた他人に、明確に説明できるのでしょうか。せいぜい『 - - - の最高の秘術である/奥義である』といった、教団の思わせぶりの言葉を受け売りするぐらいでしょう。<『菩薩の行』をした>というのは光玉の「自己申告」であり、<『仙洞の行』をした>というのは光玉の「申告」を受けて恵珠が「自己申告」をし、教団がそれらの「申告」を明確な根拠を示すこともなく『事実』として扱っている、というだけのことです。『組み手』と称する真光信者は、このような真光の主張を、わけのわからないまま簡単に『本当のこと』として扱ってしまうという一例でもあります。

「われわれの所では絶対に行をさせない」「信者に行は教えない」と言っているのに加えて、「行をやった坊さんや神主さんほど一番われわれのところにお世話になる必要が出てくるのです」とも光玉は言っています。<行をやった坊さんや神主さんだって真光に来なくちゃならない>のだから、真光さえやっていれば充分である、と言っていることになります。

「信者よ、お前達は浄まっていないのだから、行や精神統一をすると悪いことが起きるぞ」と警告し、真光以外はやらない方がいいのだ、真光さえやっていれば充分である、との方向に信者の思考を誘導しています。

こうして見て来ると、『人力の行』である、ヨガの瞑想法など真光に入る余地はありません。光玉が自分の信者にヨガの瞑想法を奨励した、というラーマの弟子側の話とは食い違っています。ちなみに、ここで紹介した、ヒマラヤ研究所のサイトの話はラーマの著書『Living with the Himalayan Masters』の中にあるということです。

<続く>


〔注1〕「『最初の啓示』その五」(2006/08)参照。
〔注2〕http://kumbhamelatimes.org/about_swami.asp
   http://www.meaus.com/Swami_Rama_of_the_Himalaya.html
〔注3〕 http://www.rickross.com/reference/swami_rama/swami_rama2.html による。
〔注4〕真光関係者集合(51)762、ウィキぺディア;http://ja.wikipedia.org/wiki/ヒンドゥー教
〔注5〕「ヒマラヤ研究所」The Himalayan Institute, or The Himalayan International Institute
 http://kumbhamelatimes.org/about_swami.asp
〔注6〕http://kumbhamelatimes.org/news1archive.asp?dt=1/17/2001
〔注 7〕「ヨのみ霊もちて娘に与えよ」との光玉の走り書きの紙切れを見つけた、よって、光玉は恵珠を後継者にしていた、というのが恵珠側の主張である。そのうちいつの間にか、光玉死去の10日前に「『ヨのみ霊』継承の儀」が執り行われたとの主張が加わるようになった。
〔注8〕「真光の世界とは ー その4:真光信奉者の弁」(2007/04)参照。


ーー火の鳥Phoenix3000