Tuesday, September 23, 2008

真光の祖師岡田光玉曰く、「超古代史が、学問で裏付けられてきて、反論する余地を与えなくなりつつある」 Okada, the founder of Mahikari, said, 'The super ancient history is being backed up by studies'

To the English reader,

A quote in the last post 'Okada's teachings concerning the history of Japan and the world' showed Okada's expectation that the various studies would soon prove Japan to be the oldest country in the world and to be the land of the origin of mankind and that it would become a common knowledge that Japan is the oldest country. ("Go-taidan-shu" p.378-379)

In another quote from 'Commentary on Kamimuki Sanji' (p516), he says that rearranging has started in fields such as archeology, anthropology and biology. This statement goes beyond just an expectation. It sounds as if the world had started to acknowledge those things mentioned above.

More of his very positive words on this matter - positive but muddled up - are shown in this post.

Look at the statements below, for example.

It has been found that Japan had already developed splendid culture at least 600,000 years ago. ('Commentary on Kamimuki Sanji' p.241)

The super ancient history told in the super ancient documents is being backed up by various scholarly fields such as new archeology, anthropology, geology and oceanology, which is giving no room for counter arguments.
('Commentary on Kamimuki Sanji' p.244)

With the knowledge of the present age (2008), it is clear that Japan's 'splendid culture' (indeed any culture) of 600,000 years ago hasn't been found after all, and the 'super ancient history' of Japan is in general considered to be pseudo-history.

----Phoenix3000


前回の「日本と世界の歴史」で、日本が世界で一番古く、人類発祥の地であるということが諸分野においてもやがて証明され、日本の古さが常識になることへの光玉(本名:良一)の期待が伺える部分を紹介しました。 〔『御対談集』(p378−379)〕

また、『神向き讃詞解説』(p516)では <考古学とか人類学とか生物学というような分野でも、立て直しが行われだしている>と言い、単なる期待を通り越して、その動きに世間が向かっているかのような言い方をしています。

『神向き讃詞解説』(p241)でも「最近の考古学ではいろいろの点で古文献を裏づけしだしています。」と言って、次の陳述をしています。問題点が幾つも出て来ますので、書き出してみましょう。 


   例えば、日本には石器文化がなかったなどといっていたところが,そのなかったはずの石器が出てきたりしています。それも、戦後、世界の学者が日本に入りこんで片っ端から証明していったものが多数を占めています。ラクダやワニが出てきたり、はては巨石器までもが発見される。少なくも六十万年前の日本には、すでに立派な文化が発育していたということがわかってきました。  ーー『神向き讃詞解説』p241


*「なかったはずの石器が出てきた」などと聞くと、即、岩宿の「旧石器発見」の件がパッと思い浮かんで,それ以上考えないのではないかと思います。しかし、最初の部分の「日本には石器文化がなかった」との光玉の表現は正確でしょうか。今から約16,500年前から約3000年前の縄文時代にも石器は使われていたからです。〔注1〕

*1949年以前、日本における旧石器時代の存在は否定されていました。1949年(昭和24年)相沢忠洋が岩宿の関東ローム層の中に明らかに人為と認められる石器を発見。この年日本における旧石器時代の存在が確認されたという経緯があります。その辺のところは飛んで、いきなり「それも、戦後,世界の学者が」と言って、あたかも世界の学者が戦後日本にやって来て、「石器文化」があったことを証明していったかのように聞こえます。

*<戦後、日本に入って来た世界の学者>とは一体誰のことでしょうか。「世界の学者」というからには、一人や二人ではなく、3、4カ国以上からの数名の学者達の名が挙げられてもいいはずです。

*「入り込んで・・・証明していった」という表現には、あたかも彼らがそれまでの日本の考古学の通説を無視して、日本にも石器(というより旧石器)時代があったはずだとして、乗り込んで来たかのようなニュアンスです。少なくとも、指導的役割を果たしていったかのような言い方をしています。

*片っ端から何を証明していったというのでしょうか。旧石器時代があったことでしょうか。それとも「ラクダやワニがいた」ことを証明していった、ということでしょうか。

*<多数を占めている>なら、「世界の学者が証明していったもの」の、長いリストが出来そうですが。光玉はこの自分の主張の元になる情報をきちんと把握していたのでしょうか。それとも、「自分が言うんだから本当だ」「自分の言うことを疑うのは霊障である」として、光玉も光玉に続く教団も済ましてしまっていたのでしょうか。

*インターネットで検索してみると、ワニの化石は1964年(昭和39年)大阪の豊中市で発見されています。〔注2〕 その後も日本各地で見つかっているようです。しかし、この、1964年の発見に、光玉の言うところの「世界の学者」が関わっていたのかどうか大いに疑問です。

*ラクダの化石についての言及は一件ありました。昭和41年6月6日付けの「新潟日報」に、「25万年前、ラクダも一越路町の遺跡で確認 8月から本格調査ー」との見出しで、報じられたとのことです。〔注3〕 これを取り上げた光玉の弁を受けて、「霊障解消物語」では、「ラクダの化石(25万年前 新潟)等が見つかっています」と言っているのだと思われます。〔注4〕 確かに越路町では足跡化石やいろいろな化石が見つかっていて、100万年前にはゾウやシカやウシの仲間がすんでいた、とのことです。〔注5〕 「え!ラクダも日本にいたの?」と、大きな注目を集めてもいいはずですが、このラクダの化石(或いは足跡化石?)の発見がその後特に話題に登らないのはなぜでしょうか。この記事の追跡調査の出来る方、いらっしゃいませんか。

*さらにもう一つ、越路町の当時の発掘に「世界の学者」が関わっていたのでしょうか。

*「ラクダやワニ」と「巨石器」とを並べるのも、随分粗雑なやり方です。1964年に発見されたワニの化石は約30ー50万年前のものと推定されていますが、その全く同じ年代の地層から石器が見つかったというわけではありません。にもかかわらず、このように並べることによって、光玉は一緒くたに同じ古さにしてしまっています。そして、次に続く文章の<60万年前の日本に立派な文化があった>ということに繋げて行ってしまっています。

*その上「巨石器」というのが何を指すのかも不明瞭です。石器の巨大なものでしょうか。それとも「旧石器」とか「古石器」の間違いでしょうか。巨石文化の巨石や巨石遺跡のことでしょうか。巨石文化というと、巨石記念物を特徴とする文化で、日本では、ほぼ縄文時代にあたる「新石器時代」です。〔注6〕 もっと新しい時代になるので、これもちぐはぐです。また、自然造形であろうと思われる巨石群でさえ、自然造形の可能性は拒絶し、人工のものだと一部の人々は言い張り、古代への幻想を膨らますこともあるようです。〔注7〕

*<少なくとも60万年前の日本には、すでに立派な文化が発育していたということがわかってきました>というのも、問題になる陳述です。何をもって「立派な文化」というのでしょうか。石器の使用が「立派な文化」であり、この文化が光玉言うところの、<メソポタミアの文明やギリシアの文明などとはお話にならないような、古い文明>なのでしょうか。光玉が真光を始めて50年近く経つ、今の時点で振り返ってみてください。「少なくとも60万年前の日本には、すでに立派な文化が発育していた」というようなことはわかってきてないのですから、それを<・・・わかってきました>と言った光玉には、深刻な問題が潜んでいることを如実に示しています。


こうして見ると、光玉は寄せ集めてきた事柄を無責任に、また、中途半端に並べています。一見事実を言っているような口調で、実はどれがどこまで事実なのか、わけがわからないような、混沌とした内容になってしまっています。戦後、世界の学者さえ、日本の古さを証明していったのだから間違いない、といったイメージまで作って、そのあげく、「少なくも60万年前の日本には、すでに立派な文化が発育していたということがわかってきました」との勝手な結論を出したのです。

2000年の旧石器捏造発覚事件の前までは「ほら、救い主様(光玉)の言った通りだ」と真光信奉者は鼻高々だったことでしょうが、旧石器捏造発覚で「新しい考古学」も振り出しに戻ってしまいました。ウィキペディアよると、日本の旧石器は、今のところ最古のもので、4万年前までさかのぼるかどうかというところだそうです。〔注8〕 9万年前とか、13万年前の地層から石器が見つかったという声もありますが、光玉の言った「60万年前」とはとんでもなく違っています。

わかってきてないことをわかってきたことにしてしまう、確たる事実ではないことを明らかな事実であることにしてしまう、そんな光玉の話法が浮き彫りになってきます。前回のポストでも自分の説に合うものは勝手に「事実」としてしまう光玉のやり方に触れました。「真光の世界とはーその5」でもこの件について取り上げました。〔注9〕

『大聖主』には4ページ余に渡って、相沢忠洋氏との初対面の時の模様が描かれています。〔注10〕 相沢氏の話の中に、光玉の話が挿入されている箇所がありますが、そこにも「外国の歴史家や考古学者」との言及が見られます。


    日本の歴史家や考古学者がほおかぶりしていた間に、米英独など外国の歴史家や考古学者が、逆に真日本超古代の研究をしている。私の踏査研究では、日本の石器文化は、巨石文明時代にさかのぼる。  ーー『大聖主』    p97  


<英米独など外国の歴史家や考古学者が真日本超古代の研究をしている>とのことですが、一人二人の変わり者ではなく、主流としてこのような事実があったのでしょうか。これを裏付ける情報を光玉は提供したのでしょうか。この陳述が紛れもない事実だったという根拠を崇教真光は明確に示すことができますか。日本の「超古代」を研究した外国の学者がいたとして、その人(々)が日本の「超古代」が本当であるとの結論を出したのでしょうか。

こういった資料を示すことが出来ないのならば、この陳述も、光玉がよくやるこじつけか、誇張、と見てよいのではないでしょうか。

「私の踏査研究では」というのを、客観的な研究である、と受け取ったら、光玉の話術にはまってしまっていることになります。日本が人類発祥の地である、との大前提の下、偽書でも奇異な説でも、神より示されたとして利用した人物なのです。そのような人物の「踏査研究」にどれだけの信憑性・客観性があるのでしょうか。

再度触れますが、「巨石文化」というのは、新石器時代にあたり、日本では縄文時代にあたる、ということです。この定義を当てはめてみると、「日本の石器文化は、巨石文明時代にさかのぼる」というのは「日本の石器文化は縄文時代にさかのぼる」ということになり、何の変哲もない陳述になり、このことを述べるのに『踏査研究』など、全く不必要です。

もっとも、光玉にあっては学問的定義や実際の事実に関する正確さなどどうでもよく、自己流に言葉を並べて、人類発祥の地である日本が世界で一番古い文明・歴史を持つのである、とのイメージに最終的に繋がっていくように聞こえればよかったのでしょう。

次の部分でも、<超古代史が色々な分野の学問で裏付けられてきていて、反論の余地を与えないようになりつつある>と光玉は言っています。


    とにかく、日本の、天地創造からの超古代史と民族の流れを見れば、基教,仏教、神道などの、宗教や国の名前や国旗の関係などすべてが解明されます.そして、その超古文献による超古代史を、現在では、新しい考古学や人類学やあるいは地質学、海洋学といった学問で裏づけられてきていて、これに反論する余地を与えないようになりつつあります。まさにアバキの世です。 ーー『神向き讃詞解説』p244


「日本の、天地創造からの超古代史・・・を見れば」と言っていますが、どこにそれがあるのでしょうか。「日本の、天地創造からの超古代史」というのが「竹内文書」のような偽書ならば、信憑性はないことになります。信憑性のない物を元にして、「すべてが解明される」ということはありません。「すべてが解明される」などというのは、非現実的な結論になります。「超古代史」とやらが、後世の作であれば、その時代の知識を利用して「宗教や国の名や国旗の関係等」をこじつけることもできます。

光玉の言ったことが本当だと主張するのであれば、「日本の、天地創造からの超古代史」を提示し、光玉の言うように「基教,仏教、神道などの、宗教や国の名前や国旗の関係などすべてが解明される」ことを堂々と世間に明示し、誰でも調査できるようにすべきです。それができないのであれば、光玉の教えは根拠がなく、妄言である、と真光の外の人々に言われても仕方ありません。

2008年の現在、<「超古文献による、超古代史」が、新しい考古学、人類学、地質学、海洋学といった学問で裏付けられて>きていないことは明白です。ましてや「反論する余地を与えないようになりつつある」というのも、実際には逆で、「超古文献による、超古代史」とやらは、根拠のない代物である、との捉え方が現実世界での世間一般の評価です。光玉の言っていたことがいかに現実離れしているかを示しています。

「アバキの世」というのも、光玉の意味したものとは実際は逆になりました。光玉の死から34年経つ今日、光玉の教えがいかに正しかったか世間が知るようになったのではなく、逆に、光玉の教えがいかに妄想的であったかということがアバカレル世となったのだと言えるでしょう。


〔注1〕年代は「縄文時代ーWikipedia」による。サイトによって多少の開きがある。
〔注2〕「豊中市|マチカネワニ」 http://www.city.toyonaka.osaka.jp/top/shoukai/gaiyou/ichiban/wani.html
〔注3〕「詳細」 http://nplsv.pref-lib.niigata.niigata.jp/fmi/xsl/refdetl_rel.xsl?QuestionNo=  (管理番号522)
〔注4〕「霊障解消物語」 http://doragonn10.hp.infoseek.co.jp/koukogaku.htm
   日本では50万年前のワニの化石やナウマンゾウの化石、ラクダの化石(25万年前 新潟)等が見つかっています。しかもこのような動物の古い化石は日本でしか見つかっていないこともあり、日本がその昔陸続きであったことを意味しています。(今日の海外に生息する動物もかつての日本から移り住んだもの)
 
〔注5〕「ゾウがいたぞう越路町」 http://www.town.koshiji.niigata.jp/zou/zou.htm
〔注6〕「日本の巨石文化」 http://www.jomon.or.jp/saji.html
〔注7〕「足摺岬縄文灯台騒動」 http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/column/asizuri.htm
〔注8〕「日本列島の旧石器時代」- Wikipedia 参照。
〔注9〕「真光の世界とはーその5:ムー大陸、レムリア大陸」 (2007/05)
〔注10〕相沢忠洋との対談は、昭和41年6月の日付で『御対談集』(p162−165)と『神向き讃詞解説』(p605−607)にもある。ただし、相沢氏の話の中に光玉の話が挿入されているのは『大聖主』だけである。


ーー火の鳥Phoenix3000