After Mahikari...真光を離れて真光の世界とはーその5:ムー大陸、レムリア大陸アトランティスも、ムーも、真光の世界では『実在した』とするものです。真光信者がそれを否認することは、『救い主』と呼んで讃えている、真光の教祖岡田光玉(良一)の説いたことを否定することになります。また、それらは、光玉が説いた通りに認識しなければなりません。 もし仮に、古代文明の遺跡らしいものが発見されたとしても、大きさや位置が違っていたり、時代や内容がずれていたならば、光玉が正しかったとは言えません。なぜならば、光玉は『古文献は非常に正確なものだった』と言っていますし、自分の言うことは、主神が自分を導いて示した事柄である、と主張したからです。『ピッタリと一致している』はずの事柄が、あちこちで事実と食い違っていれば、その人の言うことには距離を置いて聞くほうが賢明でしょう。光玉はまた、『私のコトバと業と教えを私の造り事と思う事勿れ』(陽光子祈言集P.61)とも言っています。ムー大陸は、チャーチワードが一連の本で描写したものであって、光玉が作ったものではありません。しかし、光玉は、自分の説に都合の良いように部分的に変えつつ、チャーチワードの説を『本当のこと』として取り入れ、アトランティスを交えての、『集団霊障』まで作り上げたのです。(「真光の世界とはーその3」参照) ムー大陸について、光玉が説いたことを『神向き讃詞解説』で見てみましょう。
ここにはムー大陸の位置と大きさ、そして、レムリア大陸との関連が述べられています。ムー.レムリア、アトランティスを含めた世界地図が下記のテキストに見られます。 『祖師(聖凰真光大導主)御講述 中級 真光研修用テキスト:第二十三 有史以前太古の大陸 世界文明の流れの概略図』 『祖師(聖凰真光大導主)御講述 上級 真光研修用テキスト:第七 世界五大文明 五大宗教発生源とその流れ』 英語版「暴かれた真光」のこのページに行くと、真ん中あたりに、英語版ですが、地図を見ることができます。左端に書いてあるのは、Atlantis was developed by the people of Mu で、元の日本語版には『アトランティスはムー帝国が開拓した』とあります。 さて、ここで、レムリア大陸について、簡単に触れておきます。動物分布を調査していたイギリスの動物学者が、1874年、キツネザルの奇妙な分布を説明するため、マダガスカル島、南インド、マレーシアをつなぐ、幻のレムリア大陸の存在を想定したのが始まりで、この大陸の名はキツネザルを意味するレムールから採った名称である、ということです。(注1)この提案はのちに大陸移動説によって否定されたし、また、キツネザルの化石がその他の地にも見つかり、この仮想大陸説への関心が薄れたという説明も見つけました。(注2) 注1 参照:http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0732.html 注2 参照:http://www.yamaguchi.net/archives/000357.html このような大陸が仮想される以前には『レムリア大陸』というものは『太古の伝説の大陸』でさえなく、「先史時代の人々によって名付けられたわけでも、確かめられたわけでもなかった」ということです。 (参照:http://www.enpitu.ne.jp/usr10/bin/month?id=104303&pg=200305 ------ 2003/05/29 レムリアの誕生・復活) その大陸が、太古の世界地図に現れる、ということ自体がおかしいのですが、光玉は、ムーやアトランティスとともに『実在したもの』として扱い、研修テキストの世界地図にも載せた、と言うことが出来ます。 今度はムー大陸について見ます。 光玉の説明では、日本はムー大陸と繋がっていて、日本はムーだった、と言っています。が、チャーチワードによって描かれた地図では、日本はムー大陸の一部でもありませんでした。それを無理矢理つなげようとするためでしょうか、事実を述べているといった口調ではあるけれど、どうもこじつけのような説明がちらほらと見られます。チャーチワードのムー大陸の地図はここで見ることができます。この地図が示すムー大陸の西は日本には達していませんし、東の端もアメリカ大陸に達していません。真光の研修テキストの世界地図では、ムー大陸の西端は日本まで延長してあり、東の端はアメリカ大陸との空白を埋めるべく、仮想大陸レムリアが目一杯に大きく描かれています。こんなことで、ムー大陸の断層がアメリカの西海岸に出ているなんて、変な話です。それに、もしムー大陸の断層がこれらの海岸に出ているのなら、調査して、その断層を見つけることはそう難しいこととは思えないのですが。 上記の『神向き讃詞解説』よりの引用部分に、下記の引用も加えてみましょう。 また日本の古文献では、釈尊が日本に来ていることが記されており、現実にその証拠もありますが、ムー大陸の研究からも、この点が一層はっきりしてきています。そうすると、太古の古文献というのは非常に正確なものだったということもいえるわけです。 『太古の古文献というのは非常に正確なものだった』『現実にその証拠がある』『発掘物で証明され出している』『ムー大陸の研究から明らか』『実にはっきりした裏付けができた』『-----が判明してきている』等、光玉は自信をもって、明瞭に述べています。しかしながら、光玉の描く真光の世界から一歩踏み出して、現実の世界、特に二十一世紀にはいった今の時点でこの件を見てみましょう。 『古代ムー大陸』の初登場は一世紀半ほどさかのぼった、19世紀のことのようです。元英国陸軍大佐を自称するジェームズ・チャーチワードが1931年前後に一連の『ムー大陸』に関する本を出版しました。光玉が受け取ったとする『最初の啓示』が1959年、現在2007年です。もし、光玉の言うように、現実にその証拠となる発掘物があり、チャーチワードの話が本当である、と判明してきたのなら、世界の大半はその実在をとうに認めていることでしょう。 現実はどうでしょうか。 ムー大陸の存在が『明らか』になるどころか、逆に、地質学的にはそのような大陸の存在した可能性はなく、チャーチワードが引き合いに出している『証拠類』は、信憑性がなく、彼の話は創作である、という見方に落ち着いています。残っているのは、古代文明の幻想に人間が抱くロマンの部分でしょう。 少し具体的に見てみましょう。どんな模様の類いでも、チャーチワードの手にかかると、ムーの記録だということになってしまった、彼が傍証として上げている資料を見ると、『トロアノ古写本』は実際には『ムー大陸』とは何の関係もない、天文学書だったと判明し、『ラサ記録』は捏造である、とわかり、イースター島の碑文は現在でも充分解読されていないのに、それからの『引用文』まである(注3)、彼の語り口については、彼が見たとするインドの粘土版と、メキシコで発見された石板に書かれていたことを、ムー大陸があったころの記録文書と見立て、仮説というよりも妄想に近い、「見てきたような説得力」をもって"詳細"に申し立てている、とあります。(注4) 注3 参照: http://homepage3.nifty.com/boumurou/tondemo/dic/mu.html http://www.nazotoki.com/mu.html http://ja.wikipedia.org/wiki/ジェームズ・チャーチワード 注4 参照: http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0732.html 光玉とチャーチワードを比べてみると、両者とも、経歴詐称の問題があるし、確たる証拠もないのに、裏付けがあると言い、チャーチワードは『見て来たように』詳細にムー大陸を描いて見せている一方、光玉も『霊界・神界・神霊界を見て来たように』あれこれと詳細に説いたし、これらの面では両者とも似た者同士です。光玉が、チャーチワードの話法にすっかり乗せられて、自分の虚構の世界に取り入れた様には、光玉がしばしば好んで使う動物名を借りれば、タヌキがキツネに乗せられた図が描ける、と言ったら言い過ぎでしょうか。 ーーー火の鳥Phoenix3000 | ||
Last updated : 19 October 2007 |