(cache) 真光の祖師が受け取ったとする『最初の啓示』につ いて ー  その真偽  <その四>

After Mahikari...真光を離れて


真光の祖師が受け取ったとする『最初の啓示』につ いて ー その真偽  <その四>



経歴隠蔽、という事実や『光玉』という名にまつわる事実との食い違いだけでも、『最初の啓示』の信憑性が崩れるには充分です。もっと踏み込むと、もっと矛盾点が出てきます。

『最初の啓示』が降りたとする環境について、岡田 良一(光玉)自身が違ったことを言っています。 (「真光と犬の話」参照)
『手をかざせ』も元々は『光玉と名のれ』と『厳しき世となるべし』の間に入っていなかった可能性が強いことにも触れました。(「『最初の啓示』<その一>」参照)
『最初の手かざし(=犬への手かざし)』の時期も大きく矛盾しています。(「真光と犬の話」、「『最初の啓示』<その一>」参照)

さらに『御対談集』286頁の中で、「一通り科学 的知識はある、科学的常識で判断する」と自負する一方で、『キツネかタヌキに騙されているのかな』というあたり(<その三>参照)も、辻褄が合わないのですが、いかがでしょうか。

『30年史』68頁にも、昭和34年の『最初の啓示』について光玉が述懐しているというなかに『狐か狸にでも騙されているのではないか』との部分があり(下記参照)、下記に示した『神向き讃詞解説』にも『狐か狸にでも操られたかなあ』という光玉自身の表現があります。

「科学的常識云々」と「キツネかタヌキ云々」というのは、それぞれ単独で見る分には、「さもありなん」と思われ、『本人だってまともな感覚を持っていたから、動物霊の仕業かな、と最初疑ったんだ』と光玉に都合良く受け取り、『本人だって疑ったんだから』と、光玉に降りたとする『啓示/神示』があたかも客観的な事実であるかのごとく思い込むように、気付かないうちに誘導されていきます。ところが、距離を置いて、先入観なしに見れば、『動物霊の仕業か』などというのは、『一通り科学的常識はある、科学的常識で判断する』と自負する人の言うことではありません。「それは単なる言葉の綾だよ」と信奉者は言い逃れするかもしれません。光玉の言うことはこのような『言葉の綾』で結構成り立っています。彼の言うことにおける一貫性のなさが『言葉の綾』として見過ごされていいものでしょうか。

それにしても『キツネかタヌキの仕業かな』とか、『借金返しに夢中』といった表現がなぜこんなに好んで使われるんでしょう。
『借金返しに夢中』というのは、これもひょっとしたら、隠している実際の事実から目をそらす為の手段か、そうした方が都合がよい、効果的だからなのか、と疑いたくなるのですが。

光玉の『借金』と『借金返し』の根拠となる事実をご存知の方、いらっしゃいましたら、お知らせください。ただし、教団及び教団追従者の出版物は、参考にはなっても客観的根拠にはなりません。念のため。
終戦直前の爆撃によって、光玉の陸軍の飛行機製造工場が破壊され、『莫大な借金』が残された、としています。(『30年史』64頁、『大聖主』71頁)『戦災の借金』は当時どのように扱われたのでしょうか。

さて今度は、崇教真光の現在の主張、<ふとしたことから手をかざして、瀕死の犬を救ったことから、救い主は神霊の世界へ関心を深め、借金返しのかたわら神の世界の勉強もしていた、(『30年史』66頁)>の後半に特に注目願います。

昭和34年の『最初の啓示』の以前に「神霊の世界へ関心を深め、神の世界の勉強もした」のなら、次のテキストの部分や光玉自身の言葉とも矛盾してきます。特に注目してほしい三カ所を**印で挟みました。


祖師御講述中級真光研修用テキスト(1980年代初期の頃)2頁
     
昭和34年2月27日午前5時、高熱による五日間の人事不省から醒めた救い主に、突如として、主神より神示が天降った。 
(略)
救い主は、かつては科学技術の勉強を深くなされ、又、飛行機会社や幾多の技術関連会社を経営され、いわば**宗教とは全く違った道を歩んでこられました**。
そのため御神示を賜った時も、まるで狐にでもつつまれたような状態で、重大使命を深く受け止めることができなかったそうです。
しかし、手をかざさなければならない状態 に追い込まれ、手をかざされた。すると、盲人の目は開く。. . . .

『神向き讃詞解説』昭和57年(1982)発 行  32頁

<神向き讃詞に言及して>しからば、このようなものがどうしてポカッと私にしめされたのか、**私自身そのようなことには関心をもっていなかった当時昭和34年頃)のことで**、「光玉と名のれ。手をかざせ」などと言われても、狐か狸にでも操られたかなあとしか思えなかったのも無理はなかったのです。
いやしくも、科学を勉強し、飛行機製造会社の社長までやってきた人間でしたので、**正直いって、そういうことにたいしてはあまり関心をもっていなかった**し、現在のように信じ込めるという状態ではなかったのです。 ーー  注 ー (昭和34年頃)は原文にはいっています。

ここでも、神霊の世界へ関心を深め、神の世界の勉強もした、という崇教真光の描く「光玉像と、正直いって、そういうことにたいしてはあまり関心を持っていなかった、という彼自身が描く「光玉」像とが一致しません。

科学技術の勉強をし、飛行機会社を経営した、というのは終戦前のことであり、これが「宗教とは全く違った道」だと言っているのだ、という解釈は妥当です。ですが、1945年前のことからいきなり1959年の『最初の啓示が与えられた』時に飛躍して、『啓示』、特に『手をかざせ』に対する困惑を述べています。「いやしくも、科学を勉強し、飛行機製造会社の社長までやってきた人間だった」というのは、終戦前のそういった活動の心理的枠の影響が、1959年の『最初の啓示』の時までにも及んで、「神」「霊」といったようなことには関心がなかった、そんな自分に『最初の啓示』が降りて、困惑したのだ、という光玉の主張なのです。
これまでに見た文献における彼の困惑は、妙なことに、主として『手をかざせ』に対する困惑です。『御対談集』(280−281頁)の光玉自身の言葉によれば、『光玉と名のれ』という指示は、まっさきに躊躇無く受け入れています。(<その三>参照)『手をかざせ』『手をかざして人の病気を治せ』という指示を受け入れられずに、『一週間ぐらい立ち上がれなかった』としているのです。

『30年史』68頁では、

「なかなか立教にふみきれなかった、というよりも御神示そのものを信じることが出来なかった。何か狐か狸にでも騙されているのではないかと、今になると恐懼身の毛のよだつ思いだが、神様を疑ってしまった。
モウシェにしても釈尊にしても、あれだけの霊術、救いの力を発揮してもなかなか立教に立ち上がらなかった。その心境がよく理解できる」と後に述懐されています。

本人が「御神示そのものを信じることが出来なかった」「狐か狸にでも騙されているのではないか. . . . . . .神様を疑ってしまった」と三重に畳み込み、『自分も疑ったんだから/信じられなかったんだから』という話法で、いかにも客観的出来事であるかのように見せています。さらに『今になると恐懼身の毛のよだつ思いだが』などと付け加えていますが、これも、本人だけの、観念的な表現であって、客観的事象は何も含まれていないことに留意すべきです。『御神示そのものを信じることが出来なかった』と言い換えているところは、他の箇所での彼自身の記述と比べると、ちょっと符合しません。『天地一切神の声 . . . 神理のみたま、汝の**に入る。汝その聞く所を語らん。.. . . 光玉と名のれ。』は、他の箇所では受け入れるのにさして問題にしていないからです。

なかなか立教に踏み切れなかった、御神示そのものを信じることが出来なかった、と言い、モウシェや釈迦の心境に自分をなぞらえていることも注意を喚起すべき箇所です。
自分の立場になぞらえている『モウシェ』『釈尊』とは、旧約聖書に沿った『モウシェ』、伝統的な文献で伝わる『釈尊』のことなのでしょうか。
それとも、光玉がその名を利用して勝手に描いている『モウシェ』像、『釈尊』像なのでしょうか。これはまた別の方向に展開して行きそうです。

また、『神向き讃詞解説』の上記引用部分で『最初の啓示』と『神向き讃詞』への言及が光玉の記述では一寸混乱しています。『神向き讃詞』のことを話しているのに、『最初の啓示』のことに話をすり替えてしまっています。結局『神向き讃詞』が何時(『最初の啓示』の前か後か同時なのか)、どうやって(「ポッカと」以外に)、光玉に示されたのか、言わずじまいです。この本を持っていて、興味のある方は、24−25頁を参照してください。

ここでの本題にもどります。時期的にはここでジャンプしてしまった1945年から1959年の間を埋めるのが崇教真光の「ふとしたことから云々」になります。でも、これまでに示したように、このパッチワークはちぐはぐで、前後がうまくマッチしません。矛盾さえしています。断片的に示されるから、全体の流れからするとおかしい、ということに気付くのは困難です。特に信者は、光玉やその教え、教団の言うことに疑いや疑問を持てば、そのこと自体が、「人知」「我」「霊障」等であると称して、『陰』『悪』『邪』のイメージを植え込まれていますから、変なことを変だと認識するのは余計困難です。

{科学を勉強し、飛行機製造会社の社長までやって幾多の技術関連会社を経営してきた人間だったので、昭和34年の『最初の啓示』の時までは、神や霊などに関心がなかった。昭和34年に『最初の啓示』が降りて、犬に手かざしをした}

それとも

{昭和34年(1959)の『最初の啓示』の十年以上も前、終戦直後/終戦後間もなく、ふと犬に手かざしをしたことから、(さらには手をかざしたら 奇跡が次々に起こったことから)、借金返しをしながら、神霊の世界に関心を持って勉強した。やがて、昭和34年に『最初の啓示』が降りた。}

さて、どちらが本当なのでしょうか。光玉が一人しかいない以上、両方が正しいというのは不可能です。解釈の違いというのも成立しません。こうして比べてみると、どちらも釈然としません。この入り交じった矛盾のなかにどれだけの真実があるのでしょうか。

『最初の啓示』など元々なかったのだと考えるならば、頭を悩ませる必要はないのですが。

   ーー  火の鳥phoenix3000

Japanese
Last updated : 28 April 2007