After Mahikari...真光を離れて真光の祖師が受け取ったとする『最初の啓示』につ いて ー その真偽 <その三>(2)の「手をかざせ」にもどります。 「真光関係者集合 (40)ー166」によると、 光玉の『最初の手かざし』は、昭和48年頃の教団発行(陽光文明研究会)の『生と死』では、終戦直後となっている、とあります。 『崇教真光30年史』66頁の<ふとしたことから 手をかざして、瀕死の犬を救った>との話も、戦後 間もなくのことのようですから、光玉の最初の手かざしに関して両者は時期的には似ていることになります。 さらに、『最後の岩戸開き』では、もっと劇的な表現で、崇教真光のこの路線を固めようとしているようです。 八坂東明著『最後の岩戸開き』(1997) で、終戦直後に、「手をかざせ!」という姿無き声を聞いて手をかざしたら奇跡が次々に起こって、 びっくりした岡田師は謎を解明する為に必死で心霊科学から、宗教や超心理学の研究に参入したそうです。ーー 真光関係者集合(40)−166 上記の『生と死』に関する部分と同じく、真光信奉者の書き込みだと思われます。 この本の著者の八坂東明はネットの情報によると、 崇教真光の三代目の教え主岡田晃弥(晃祀)と同一人物で、別名手島泰六、恵珠のゴーストライターであると噂のあった人物だそうです。 この人によると、光玉は終戦直後に「手をかざせ」 という『姿無き声』を聞いて手をかざしたら奇跡が次々に起こって、びっくりした、ということですが、これは、『御対談集』の光玉自身の話と明らかに違っています。 たしか昭和34年の2月27日ですが、私の家の神様を拝んでいたら、大きな声で「光玉と名のれ。きびしき世となるべし」という声が聞こえたのです。. . . . .(略). . . . というんで「光 玉」と名のった。それから「手をかざして人の病気を治せ」と言われるでしょう。私はは じめ、 自分にそんな聖者みたいな真似が出来るのは いくら馬鹿でも考えられない。そんなことを考える のはそれこそ気違いだ。待てよ、借金返しに夢中で 自分は気が変になったのじゃないか、ひょっとしたらキツネかタヌキに憑かれたんじゃないかというわけで、一週間 くらいは立ち上がる気は全然し なかった。ところがふと犬に手をかざしてみたら犬 の病気が治っちゃった。それが始まりで、人の頭がいたいというのでやってやるとスッとしたと言う。 ーー 『御対談集』 280−281頁 崇教真光が嘘をついているのでしょうか。それとも 光玉が『御対談集』で客に対して嘘を言ったのでしょうか。 ちなみに私が組み手だった時聞かされていたのは、『最初の手かざし』は、「終戦直後」や「戦後間もなく」ではなく、『最初の啓示』の後でした。従って犬への手かざしも『最初の啓示』の後でした。 参考のためにもう一カ所見てみましょう。
上記の光玉自身の話は『30年史』(そして『最後の岩戸開き』)とは全く一致しません。 『犬への手かざし(=最初の手かざし)』の時期が大きく食い違っているだけではありません。『最初の啓示』の以前に手かざしをした人間、そしてそれを契機に神や神霊の世界を研究した人間が、昭和34年の『最初の啓示』で命じられた「手かざし」をとてもではないけど信じられなくて初めはやらなかった、やるように追い込まれた、というのは辻褄が合いません。 昭和34年の『最初の啓示』以前に、「手をかざしたら次々に奇跡が起こって、びっくりし、謎を解明する為に必死で心霊科学、宗教、超心理学の研究に入った」人物が『最初の啓示』を受けて、「まさかこんな事をやってあらゆる病気を治せる力を出せるといわれても到底信じられない」と言うでしょうか。ここでも辻褄が合いません。 終戦直後(または終戦後間もなく)ふとしたことから手かざしをしたという、崇教真光の描く「光玉」像と、昭和34年の『最初の啓示』で『手をかざせ』と言われて困惑する、彼自身が描く「光玉」像とがこんな風に違っていてよいものでしょうか。 彼自身が描く「光玉」像では「手かざしなんて、初めて聞く」といった印象を前面に押し出しているわけですが、このような態度は何をねらったもので しょうか。 自 分の真光を、他宗教から独立した独自の教えに基づくものとして出発させたかったのだと思われます。それには自分の救世教との関わりとそこで浄霊をやっていた事実は邪魔だったので、その経歴を葬り去って、宗教上では過去を白紙にし、既成宗教とは何の関わりもなかった自分、つまり、「宗教の素人」であった自分に、突然神から正法の教えと真光の業が与えられた、という設定で始め、それを公の主張にしたわけです。もし本当の経歴を最初から 正直に真光の出版物で内外ともに公にしていたら、どうなったでしょうか。いくつか挙げてみます。
結果として、突如神示が降りたとする本人だけの主張は、「手かざし」の強調と、それが誘発する『霊動』現象に支えられ、その真偽を表立ってチャレンジされることなく、立教後40年近く、安泰を享受していたと言えま す。真光出版物には光玉の救世教所属のことが述べられていないために、確固とした追求がなされず、 ジャーナリストの中にさえ、教団(特に崇教真光)の主張をそのまま受け入れて記事にしている者もいるくらいです。簡単に言えば、経歴隠蔽にはそれなりの効果があったわけです。 予備知識なしに『手かざし』『霊動』を目撃、体験して、一旦「不思議なことがあるものだ」と思ってしまうと、光玉(及び真光)の説明を鵜呑みにする土壌が出来てしまい、真光の業が、神、霊魂、憑依霊の実在を証明するものと思い込んでこの世界にのめり込み、それから、「光玉が救世教の信者だったんだって」と耳にしても、意識の中のかすかなささ やきにしかならず、「だから、どうした?」と意識の隅に簡単に押し込んでしまいます。
と光玉に言わしめてもいます。 光玉及びその真光の主張だけ見ると、「そうか。大変だったんだなあ。」と思うかもしれません。けれど、この『正法の教えと業』は、すでにあった救世教の教えに真の道、生長の家等の教えをブレンドしたものと、浄霊の手かざしからとった業であるというその流れがわかると、当時天からいきなり降って湧いたものであるかのような光玉の主張は事実にそぐわなくなります。『それこそ初めて正法の教えと業をいきなり出して』との表現は、経歴隠蔽があってこそ成立する表現なのです。 光玉の救世教所属の事実を認めず、否定しさえした崇教真光が、いまさらこの事実を公に認めて、『最初の啓示』が作り出す、『奇しき出来事』であるとのイメージ効果を投げ捨てるとは思えません。 --- 火の鳥phoenix3000 |
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Last updated : 7 May 2007 |