After Mahikari...真光を離れて真光の祖師が受け取ったとする『最初の啓示』について ー その真偽 <その二><1>に関して 「光玉」と名のれ」と示されているのであって、「光玉の名を与う」とは示されてない、との真光信奉者の見解がありましたので、ここにさらに研修用テキストの一部と、光玉自身の言葉を引用します。 祖師御講述 中級真光研修用テキスト 救い主の神名について 8頁 救い主は、立教に関する最初の御神示で、「光玉」の御神名をいただかれたのであります。その後、聖玉の御神名を賜られました。 『神向き讃詞解説』昭和57年(1982)発行 39−41頁 次に、私が戴きました御神名について簡単にご説明しておきます。最初「光玉」というみ名を戴いたわけですが、 神道界の人は最初このみ名も疑われたわけです。それで同じように神伺いされますと、そのいわれまでチャンと出ました。 . . . . .(略) . . . . . . それで結局、これは私が自分でいい加減につけた名前でないことがわかったしだいです。 真光のテキストでも、「いただいた」と表現されていますし、最初「光玉」というみ名を戴いた、と光玉自身が言い換えてもいます。平たく言えば、光玉の名を与えられた、との光玉自身の主張ですから、この真光信奉者の見解は成立しません。「光玉」の名は、世界救世教時代に自分が気に入って回りの信者にそう呼ばせていた事実があり、昭和34年に神から与えられた、”新たな”神名ではなかったのです。つまり、事実を隠して、『昭和34年に神から与えられた名である』と宣言したのです。 さらに、真光に出て来る、こういう場合の『神道界の人』とは、「真の道の人」のことであって、『神道界の人』と言い換えることによって、さも権威ある出来事であるという、事実とは離れた印象を作り出しています。 この「真の道」の『神伺い』というのは、事前の申し合わせも可能という代物で、しかも光玉がすでに「真の道」の会員であれば、彼に好意的な回答が出るのは当然であり、「光玉」の名の『いわれ』の説明が何であろうとも、「元々自分で付けた名」である事実には変わりありません。(真の道での、光玉の『み魂伺い』の件にまつわる事実もネットのあちこちで指摘されています。) 聖玉という名について、光玉は昭和36年に神より与えられた名である、非常に恐ろしく感じた、と言っていて、これは『崇教30年史』と一致しているのではありますが、光玉はさらに、昭和39年5月15日と明記して、『光玉』と書こうとしていたら、失敗し、『聖玉』と書いたら、スラスラといった、と言っていますから、この日以降、『聖玉』の名を使うようになった、ということになります。岡田道一の『神癒の科学』に賛同者として、『岡田聖玉』の名が使われているという指摘があったことを紹介した<その一>をもう一度参照して頂きたいと思います。 なお、ここで光玉が『神秘体験だ』としている出来事は、実際にあった事なのか否かは脇に置くとして、『神秘体験』と呼ぶのにふさわしい出来事でしょうか。 普通の私達でも、書類を書いていて、同じようなところを二度、三度と間違ってしまい、気分転換をしてからもう一度試みたら、今度はうまくいった、というような経験は起こり得ます。 光玉は自分の不注意を、『神が気に入らないのだ』と勝手に解釈しただけ、気分を変えて別の名を使ったら、スラスラといっただけ、と言えないでしょうか。 そして、光玉の作り出した世界はかなりの部分がこんな風な「解釈の仕方」で成り立っているようです。 さて<その一>で、『最初の啓示』の前にも『啓示』はあったのだ、『声なき声』の形であったのだ、とする崇教真光の主張について触れました。 『崇教真光30年史』平成元年(1989)発行 64−65頁の記述を参照して下さい。 最後に、神様にお詫びをしたいと、軍隊からもらった軍服を質に入れ三百円のお玉串をもって、お詫びのお参りをし、いよいよ死に場所を求めはじめたとき、何処からの声か、この時の状況を光玉自身はどのように表現しているのでしょうか。密接に関連する部分だけここにあげてみます。比較してみてください。 . . . . . . そこで私はもう自殺するよりしょうがなくなって、自殺する場所を探したのです。ここでの光玉自身の表現では、精神分裂症のように『姿なき声』『声なき声』が聞こえたのではなく、「思い出した」とか「気がついた」「考えた」となっています。後に、その時のことを思い返して、思い出した姉の声を『神の声でしょう』と解釈しているわけです。しかもその『声』は「お前の先祖の罪穢が消えるぞ」ではなく、「貧なる者よ、汝は幸いなり」だったのです。 崇教真光は何を目指してこのような書き換えをおこなっているのでしょうか。 昭和34年の『最初の啓示』は立教に関する『啓示』であって、それより前にも『啓示』はあったのだという話に、どうして持って行きたいのでしょうか。 こんなふうに真光の祖師光玉にまつわる大事なことを書き換えてしまっている崇教真光の主張にどのくらいの信憑性があるのでしょうか。 それとも、これも光玉自身の一貫性を欠いた話から来ている矛盾でしょうか。 光玉自身の言っていることにも一貫性がなかったりしますから、「救い主様」と言葉で讃えるわりには、目の上のこぶでもあるかもしれません。 『最初の啓示』についての彼自身の言葉を一カ所下に示しておきましょう。 私はいまの『御聖言』にもございますように、「光玉と名のれ、手をかざせ」という神示のままにしただけですからね。これが一番最初に私が受けた神示です。 ーー 『御対談集』昭和60年(1985)発行 232頁 --- 火の鳥phoenix3000 |
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Last updated : 28 April 2007 |