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天声人語

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2010年3月18日(木)付

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 まず、場所がよろしくない。中東のカタールといえば、日本サッカー史の語り草「ドーハの悲劇」の舞台である。同名の痛恨が、今度は水産史に刻まれるかもしれない▼大西洋クロマグロをワシントン条約で保護する動きが、ドーハでの締約国会議で山場を迎えた。絶滅の恐れが認められれば、輸出入が禁じられる。当たり前に市場に出ていた魚が、いきなりパンダやジュゴンの仲間入りだ。「最後の手段」が出番を間違えた風でもある▼批判の的は、天然の幼魚を一網打尽にし、いけすで育てる蓄養だ。脂が乗りやすい蓄養マグロは大半が日本向け。国内には在庫が十分あり、同種はわが太平洋にもいるが、いずれ品薄と高騰が心配される。卵からの完全養殖が穴を埋めるのはまだ先だろう▼ビジネスと天然資源の間合いは難しい。目先のもうけに皆が突進すれば、枯渇という仕返しに遭う。トロより赤身が好きなへそ曲がりとしては、高速で回遊する天然物を細く長く楽しみたい▼すし職人の小野二郎さん(84)が、『すきやばし次郎 旬を握る』(文春文庫)で、マグロの「甘酸っぱい香り」「押しつけがましくない甘みと渋み」の由来を語っている。「大海原を泳ぎ回る巨大な赤身魚の血がもたらす香り、そして味なんですね」と▼口からエラに抜ける海水で呼吸するため、マグロは泳ぎ続けないと死ぬ。巨体が命がけで蓄えた自然の恵みを、ありがたく、節度を持って味わうのが人の道かと思う。ワ条約による「別件逮捕」の当否はさておき、漁を控える勇断はあってもいい。

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