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#05 医学関連漢字を紐解いてみました (1) |
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医学領域では漢字を非常によく使います。そして、医学漢字は世間一般に馴染みの薄い、非常にコムズカシいものが多いのも特徴といえます。
そこで今回のCoffee Breakは趣向を変えて、医学領域、とりわけ外科領域で頻用される漢字で比較的平易なものに絞って、「漢和辞典」を駆使してその字義を探求してみました。
本来の日本語、すなわちわれわれ日本民族がもともとしゃべっていたいわゆる「大和言葉」とか「和語」とよばれる言葉には、
「臓器」を表す言葉はよくよく探してみても「きも」と「わた(=「はらわた」は合成語で「はら」の「わた」のこと)」くらいしか見当たらないようです。
「きも」は実質臓器、「わた」は管腔臓器といったところでしょうか・・・。実に、大雑把ですね。
これはとりもなおさず、古代の日本人が魚はよく食べるが獣の肉はあまり食べなかった!?(本当ににそうだったかどうかは専門家に委ねることとしましょう)・・・
ということに由来するような気がします。魚を捌いて内臓を処理したときにぱっと認識できるのは卵巣を除くと「肝臓」か「消化管」くらいのものですからね。
それではさっそく見てみましょう。 |
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医とは内科・・・ 外科は職人・・・? |
まず手始めに、われわれが学び実践している医学の「医」を取り上げてみました。
さてこの「医(イ)」という文字は、一昔前までは「醫」と書かれていました。
戦後新字体制定の時に省略して「医」としたようですが、
もともとの「医」は「エイ」と読み、「矢」を「匚(かくす)」ことを表した文字で、「矢をしまい込む容器」のことでした。
「医(エイ)」に手で行う動作を表す動詞記号の「殳」を加えた「 (エイ)」は
「しまい込む、隠す」ことを表しました。
「醫」は「 」に「酉」すなわち酒壺を加えた漢字で
酒壺に薬草を封じ込めて薬酒を醸し出すことを表しました。
こうしてみると「醫(イ)」の文字の原義は「酉(=酒/薬)を処方して治療に当たる」ことであり、
これは「医薬同源」の考えが根本にあることが伺えます。古くは日本でも医者のことを「くすし」と呼んでいたのも同様の思想によるのでしょう。
やはり、「内科」が王道ということでしょうか・・・。
一方、「醫」の異体字に「 」があります。
「酉」の代わりに「巫」が加わっています。
「巫」は「巫女」の「巫」ですから、「 」の字は
より宗教的あるいはシャーマニズム的な意味合いが色濃く出た文字といえましょう。
よく時代劇中で、疱瘡などの大病を罹った「やんごとなきお方」を、
坊主が必死に加持祈祷しているシーンが登場しますが、きっとあんな感じのイメージでしょう。
周知のように、英語では医学のことをmedicine(メディスン)といいますが、これはラテン語のars medicina(アルス・メディキーナ:art of medicine)に由来します。
ラテン語辞典を引っ張り出して調べてみると、medicina(メディキーナ)には「医学・医術」のほかに「薬」の意味もあり、
また「治療」「投薬」「薬物療法」の意味で派生語のmedicatio(メディカーティオー:英medication)という語彙があります。
現在のヨーロッパ諸言語ではギリシャ語などの一部の言語を除いて、
「医学」を表す単語にはラテン語のmedicina(メディキーナ)に由来する語を継承しているようです。
なんだか漢字の「醫(イ)」に通じるものがあり、興味深いです。
洋の東西を問わず、医学は「内科」が中心ということみたいです。
実際、西洋では中世、医術とは「投薬」を行う「内科」のことであり、外科の地位は非常に低く、汚らわしい職業とまでされ、「医術」とは認めてもらえなかったようです。
当時外科治療を担っていたのは「理髪師」で、理髪店の店頭のトリコロールの看板が
「赤(動脈)・青(静脈)・白(包帯)」を象徴したものであることは余りにも有名な逸話です。
東洋でも状況は大差なく、「醫」の漢字がもともと「内科」寄りの意味合いを持っていたのに対し、
「外科」を表す、あるいは象徴する文字は見当たりません。
「外科」は英語でsurgery(サージャリー)ですが、調べてみると、これは古いフランス語経由で、ラテン語のchirurgia(キールルギア)が伝わったもので、
さらに古典ギリシャ語のχειρουργικη(ケイルルギケー:cheirurgike)に由来します。
この単語はχειρον(ケイロン:cheiron「手」)とεργον(エルゴン:ergon「仕事」)の合成語で、
原義は「(熟練した)手作業」のことでした。
この言葉は日本語の「処置をする」意味合いで用いられる「手当(てあて)」や、「手術」、「手技」という言葉に通じるものがあるように思えてなりません。
まさに外科の本質を見事にとらえた名称であるといえましょう。
ちなみに、ギリシャ神話にケンタウロス族という上半身がヒトで下半身が四つ足の馬の格好をした野蛮な種族が出てきます。
このケンタウロス伝説は乗馬文化を持っていなかった大昔のギリシャ人が東方の騎馬遊牧民(スキタイ人?)が乗馬しているのを見て怪物と見間違え、
擬人化したのが伝わったというのが本当のところのようでして・・・まあ、それは余談ですが、この野蛮なケンタウロス族にあって非常に聡明な賢者がおり、
名をΧειρων(ケイローン:Cheiron)といいました。
彼はアポローン神の息子で医学の神’Ασκληπιος(アースクレーピオス:Asklepios)に医術を伝授し、
死後天に昇って「射手座」になったとされますが、彼の名はχειρον(ケイロン:cheiron「手」)に由来します。
さらにギリシャの古い伝承によると、彼の弟子である医学の神’Ασκληπιος(アースクレーピオス)の子孫に
医学の父‘Ιπποκρατης(ヒッポクラーテース:Hippokrates)がいるとさていれます。
想像力豊かな古代ギリシャ人の妄想と的確な表現力に敬意を表します。 |
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東は岩・・・ 西は蟹・・・ |
次に、われわれ外科医が最も関心を寄せる疾患である「癌(ガン)」について調べてみました。
「癌(ガン)」という漢字は、病気であることを意味する「やまいだれ」と「嵒(ガン)」を組み合わせた文字です。
「嵒(ガン)」は見慣れない漢字ですが、この文字の○は「石」を表しており、
「嵒(ガン)」は山中にごろごろ転がる岩石のことで、つまり「岩(ガン)」と同じ言葉らしいです。
以上を踏まえると、「癌(ガン)」という文字は「からだの中に岩のようにごつごつ硬い固まりがごろごろとできる病気」という原義をもつと解釈できます。
英語で「癌(ガン)」に相当する単語はcancer(キャンサー)ですが、少し改まった単語では「癌腫」に相当するcarcinoma(カースィノーゥマ)といいます。
この単語を日本人医師の大半は「カルチノーマ」と呼んでいますが、実はこれは英語とドイツ語のKarzinom(カルツィノーム/カァツィノーム)のごちゃ混ぜ読みで、
日本の医学会の中にはこのような複数の言語が入り乱れた単語が氾濫しています。
たとえば「白血病」をleukemia(ロイケミア)と呼んでいるヒトが大勢いますが、正しくは、英語ではleukemia(リューケミア)
ドイツ語ではleukämie(ロイケミー)といいます。
この現象はとりもなおさず、日本の外科学の中に戦前・戦中のドイツ語主流の医学教育が色濃く残存しており、
これが近年の英語主流の情報とうまく使い分けできなくなってしまったからでしょう。
話がそれてしまいましたが、ついでにドイツ語では「癌(ガン)」のことをKrebs(クレプス)といいます。
ちなみにラテン語ではcancer(カンケル)、ギリシャ語ではκαρκινος(カルキノス:carcinos)というようです。
比較すると、英語のcancer(キャンサー)がラテン語由来、carcinoma(カースィノーゥマ)がギリシャ語由来であることが判ります。
(※-omaは「腫瘍」を表す接尾辞。)実は、英語、ドイツ語、ラテン語、ギリシャ語の4言語すべてで
(さらにフランス語など、ヨーロッパの大半の言語で)、「癌(ガン)」を表す単語は本来「蟹(かに)」を意味していました。
星座に詳しい方は蟹座のことをcancer(キャンサー)ということを思い出すかもしれませんね。
「癌(ガン)」を「蟹(かに)」と名付けたのは古代ギリシャ、
前項で記した医学の父‘Ιπποκρατης(ヒッポクラーテース:Hippokrates)であるといわれているそうです。
進行した乳癌は体表に露出し「蟹の甲羅」のような塊になり、引き攣れを伴います。
また切除した乳房腫瘍を観察すると、線維性の索状物が多数周囲にのびつつ短縮して周囲に引き攣れを来しており、硬いしこりから浸潤している様子が観察されます。
彼はこれを見てκαρκινος(カルキノス:carcinos(=カニ))と表現したようです。
このように、われわれ外科医が最も関心を寄せる疾患である「癌(ガン)」について、東洋と西洋での名称を調べてみましたが、
いずれも癌の硬くごつごつした性状を的確に見抜き、東洋ではごつごつした固まりがごろごろ転がっている、すなわち「転移性」に注目して「嵒(ガン=岩)」と、
西洋ではその「浸潤性」に注目して「蟹(かに)」と命名したことが判りました。
古代人の観察力と比喩能力は凄いですね。 |
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胃は袋・・・ 腸は長く・・・ 肛門は穴・・・ |
  イ (ヰ) |
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  チョウ (チヤウ) |
← |
  ヨウ (ヤウ) |
最後に、われわれ外科医が専ら扱う「消化管」に注目してみました。
「胃(イ)」はからだのパーツ/臓器を表す「肉月」に「田(デン)」と書きますが、なぜ田んぼ?と不思議に思われる方も多いことかと思います。
調べてみると、「胃(イ)」という漢字は、語源も意味も発音も「田(デン:田んぼ)」とは全く無関係であることが判明しました。
この漢字の上半分の「田」は意味的にも発音上も「囲(圍)(イ)」に近く、
さらに正確には篆書体のように、もともとは「囗」の中に「米」が入った文字でした。
したがって、「胃(イ)」という漢字の原義は、飲み込んだ「米(=穀物、食物)」を蓄えておくための「囗(=袋)」状の「月(=臓器)」であると解釈できます。
「胃(イ)」のことを英語ではstomach(ストマック)といいますが、ドイツ語ではMagen(マーゲン)、オランダ語ではmaag(マーハ)、
デンマーク語ではMave(マーヴェ)といい、英語を除くゲルマン諸語は似た語形をしています。
実は古い英語にも、もともと「胃(イ)」を表すゲルマン祖語由来の語形がありましたが、
後からフランス語経由で入ってきたギリシャ語のστομαχος(ストマコス:stomachos)に地位を追われてしまい、
現在ではmaw(モー)という単語が痕跡的に残っているに過ぎません。
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  コウ (カウ) |
← |   コウ (カウ) |
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このmaw(モー)という英単語はもともとの「胃(イ)」という意味から、
牛などの反芻動物の「第4胃、皺胃」に限定して用いられるようになってしまいました。ちなみにこの反芻動物の「第4胃」は焼肉やホルモンでは「ギアラ」と呼ばれています。
他の「第1〜3」までの胃は食物の発酵に用いられ、胃液はほとんど分泌されないのに対し、
「第4胃」のみが、ヒトの「胃」と相同の胃液を分泌する「腺胃」であることを付け加えておきます。
ギリシャ語には前記のστομαχος(ストマコス:stomachos)のほか、γαστηρ(ガステール:gaster)という単語も存在します。
両者は使い分けされるようになり、単独で用いられるときは前者のστομαχος(ストマコス:stomachos)が、
「胃の〜」という意味の合成語の構成要素の場合は後者のγαστηρ(ガステール:gaster)が専ら用いられているようです。
στομαχος(ストマコス:stomachos)の原義はστομα(ストマ:stoma「口」)からの通り道で、
「喉」の意味でしたが、後に「胃」の意味で用いられるようになりました。
ラテン語にはこれが伝わりstomachus(ストマクス)が一般に用いられていました。
16世紀頃の解剖学者たちはstomachus(ストマクス)の本来の意味が「喉」であったことを重視し、
混乱を避けるためにventriculus(ウェントリークルス=英語ventricle)という単語を用いました。
この語はもともと「小さい腹」の意味でしたが「空洞、小部屋」を表すようになり、
さらに「胃」や「心室」、「脳室」を表すようになりました。
現在ではおもに「心室」の意味合いで使用されており、
「胃」という意味ではラテン語解剖学用語でしか使用されません。
「胃」の下流にある「腸(チョウ)」ですが、この漢字は「肉月」に「昜(ヨウ)」と書きます。
「昜(ヨウ)」という漢字は「陽(ヨウ)」の原字で、太陽が高く明るく上に昇る様子をかたどった文字ですが、
この場合、(チョウ)という音を表す単なる音符として用いられています(形声文字)。
「腸(チョウ)」の音と意味は「長(チョウ)」に由来し、
したがって、「腸(チョウ)」という漢字の原義は、(お腹の中にある)「長」い「月(=はらわた・臓器)」と理解することができます。
英語では「腸(チョウ)」のことを一般にgut(ガット)またはbowel(バウエル)といいます。
gut(ガット)は「腸」、広義には「消化管」全体を表す言葉で、
さらにはヒツジなどの腸を加工した「腸弦」、バイオリンやラケットのガットのことも指します。
bowel(バウエル)は古いフランス語経由でラテン語のbotulus(ボトゥルス「腸詰め、ソーセージ」)が借用されたものです。
ちなみにこの単語はボツリヌス菌Clostridium botulinumの語源でもあり、
この細菌がソーセージやハムで媒介されることから名付けられたと言います。
ドイツ語ではDarm(ダルム/ダァム)といいますが、これはゲルマン祖語の「通過」をあらわす言葉に由来します。
この単語はさらにインドヨーロッパ祖語にまで起源を遡ることができ、同系の単語にギリシャ語のτορμος(トルモス:tormos「空洞」)があります。
また英語では医学用語としての「腸(チョウ)」のことをintestine(インテスティン)と言いますが、
この単語はラテン語のintestinum(インテスティーヌム)に由来します。
さらに遡るとintestinum(インテスティーヌム「腸」)←intestinus(インテスティーヌス「内部の」)←intus(イントゥス「内部に、内部で」)に由来しますから、
このことからラテン語のintestinum(インテスティーヌム「腸」)の本来の意味は(からだの)内部(にある臓器)=「内臓」のことだったことが容易に理解できます。
ラテン語と同様の状況はギリシャ語でもみることができます。ギリシャ語では「腸(チョウ)、とくに小腸」のことをεντερον(エンテロン:enteron)といいますが、
εντερον(エンテロン:enteron「(小)腸」)←εντερος(エンテロス:enteros「内部の」)←εντος(エントス:entos「内部に、内部で」)と
由来を遡ることができ、ギリシャ語εντερον(エンテロン:enteron)もラテン語同様もともとは「内臓」のことであったことが判ります。
この単語は医学用語としては「小腸の」あるいは単に「腸の」を表す合成語の構成要素としてよく用いられています。
消化管をさらに下流に下るとやがて出口の「肛門」にたどり着きます。
この「肛(コウ)」という漢字ですが、からだのパーツを表す「肉月」に「工(コウ)」と書きます。
「工(コウ)」という文字は分厚い板の上面から下面に穴が貫通していることを縦線で表した指示文字で、
「穴を開ける」→転じて「細工する」という意味になりました。
同系統の文字に「攻(コウ=突き抜く)」、「孔(コウ=突き抜けたあな)」、「空(コウ、クウ=広い穴、空間、空)」があり、
「肛(コウ)」という漢字の原義は「月(=からだ)」の中央に突き抜けた「工(=穴)」と解釈できます。
さらに語源を遡ると、「口(コウ=口、孔の開口部)」という漢字とも同系統であるとされます。
「肛門」を表す単語はどの言語にも多くのスラングがあるので、それらは割愛しますが、医学用語としては英語ではanus(エイナス=肛門)、anal(エイナル=肛門の)といい、
これはラテン語のanus(アーヌス)に由来します。
このラテン語はもともと「輪」を意味する言葉でしたが、「肛門」の婉曲表現として用いられるようになりました。
ギリシャ語ではπρωκτος(プロークトスproctos)といいますが、この語が指す範囲はやや広く、直腸の付近まで含めた言葉です。
ちなみに「人工肛門」や「瘻」のことを英語でstoma(ストーゥマ)といいますが、
これは先に述べたとおり、ギリシャ語στομα(ストマ:stoma)に由来し、原義は「口」あるいは「孔の開口部」です。
開口部をつくる造瘻術、人工肛門造設術を"-stomy"といい、また管腔の開口部同士をつなぎ合わせる手技を"anastomosis(アナストモーゥスィス=吻合術)というのは
ここから派生しました。
だらだらととりとめのない内容になってしまいましたので、今回はこの辺で終了させていただこうと思います。
お見苦しい文章にお付き合いいただきましてありがとうございました。(以上) |
(文責 高角康志) |
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