小説 「L spin out the life」

これは、映画「L change the WorLd」をベースに
創作した、二次創作(スピンアウト)小説です。

松山ケンイチさん演ずるL、いわゆる松山Lをフィーチャーした作品。
基本設定と登場人物は「L change the WorLd」と、
ほぼ同じで
それに独自の視点を加え、新たなテイストの物語に仕上げました。

映画をご覧になってないかたにも、お楽しみいただけるように作りました。
ただ、前作の映画「デスノート」「デスノート the last name」について
描かれている部分が、かなりあります。これらの作品においては
まず先にご覧いただいてから、お読みくださるのが懸命と存じます。

また番外編として
「15日目の雨の朝」「新しいぼくらの名前」があります。
こちらもあわせてお楽しみください。

Ty17l01

L spin out the life 《 1 》

 強く生きたがってる生命ほど、喰らって美味いもんはねえ。
 何かに執着してるとか、欲望に取りつかれた奴だと、それはもうたまんねえ味だ。
 その点、お前は本当に喰えない奴だな。

 * * *

 神になりたがっていたあの夜神月っていう洟垂れのガキが消えたのち、名前を書けば書かれた人間が死ぬノート、すなわちデスノートの所有権は、月の宿敵だった名探偵Lの手に渡った。そして俺様は自動的に、Lにくっついていく羽目になった。
 まあそれは決まりだから仕方ないとして。実はあと何日かの寿命だと自分で知っている人間が、いったいどんな悪あがきをするのか、俺としては少々楽しみでもあったのだ。
 ところがだ、ところが。
 全っ然おもしろくねえ、このLって野郎!
 世話になってたワタリとかいう老いぼれを弔ったあとは、日本での活動拠点のひとつらしい、都心にあるこのレジデンスに閉じこもり、ずっと仕事、仕事、仕事だ。俺が月に憑いてたときに、キラ対策本部で垣間見てたその姿と、まったく変わんねえ。退屈した俺が話しかけてもまるで無視。
 ワタリの残したファイルを横に積み上げあいつは、数ヶ国語を駆使しコンピュータで世界中のさまざまな捜査機関と連絡をとった。そして一週間ほどで五件の未解決事件を解決した。十三人の凶悪犯をとっつかまえ二件の事件を未然に防いだ。その合間にケーキを三ホールたいらげ、ドーナツとシュークリームとプリンとチョコレートとチェリーパイとバウムクーヘンにアイスクリーム、カステラも二斤食った。
 おいおいおい、俺様は大食い甘味王の観察日記をつけるために、ここまでついて来たわけじゃないんだぜ。自由にならない身の俺がいい加減、何か変化はないものかとうんざりしはじめた矢先、インタフォンが鳴った。

 ソファにしゃがみ込んだまま眠っていたらしいLが、億劫そうにパソコンを操作して、エントランスからの映像を呼び出した。
 モニタには、人の良さそうな東洋系の男が映し出されている。
「FBIより参りました。スルガといいます」
 そう名乗り、身分証を提示したあと、男はキョロキョロとあたりを見回しながらマイクに近づき「例のノートの後始末をまかされています」と小声でつけ加えた。
「……聞いてないです」
 Lがそう応えると
「すべて秘密裏に動いてますので」
 と、またささやき声で言った。怪しい態度。だいたいFBIの奴がこんな素っ頓狂な顔をしてるか? どちらかというとFBIよりお笑い芸人にふさわしいツラだ。
 スルガと名乗る男に、Lはそっけない口調で応答した。
「デスノートはすでに燃やしてしまいました。あなたにやっていただくことはありません。お帰り下さい」
「ま、待って下さい」
 スルガはしつこく食い下がる。
「キラとの闘いでFBIからもたくさん犠牲が出ました。例のノートが関わっていたことはわたしも密かに聞いています。
 ナオミもレイもわたしの大事な仲間でした。ぼくは自分が何もできなかったのを悔やんでるんです。せめて何かの役に立ちたいと思ってるんです。あなたが自分の生命と引き換えに、キラという殺人鬼を倒したことは知っています。だからせめてあなたの役に立ちたい。何でもします。何でもいいです。家事でも身の回りのお世話でも……」
 スルガが「家事でも身の回りのお世話でも」と言ったとたん俺は見逃さなかったぜ。Lの野郎が、背後に山と積まれた処理済のファイルとお菓子の残骸を、一瞥するのを。

 十数分後、俺たちはエプロン姿でせっせと働くスルガの姿を、隣室のモニタから眺めることになる。
「お前の考えてることはわかってるぜ。たとえFBIでも信用できない、そうだろL?」
 こいつは相変わらず、俺を無視したままだ。
 せっせと書類を片付け、掃除機をかけながら、とぼけ顔のスルガが時折するどい眼光を放っているのがモニタ越しでもわかる。きっと何か手がかりはないかと探しているんだ。
 FBIだってバカじゃない。あのノートを手に入れた者がどんな力を持ちどれだけ世界に君臨できるかを知ったら、ぜひ欲しいと思うだろう。しょせん正義なんて絵に描いた餅。どんなことをしても手に入れたいと思う輩がいても当然だ。
 俺はたまらずクスクス笑った。
 この男の態度にはそんな裏のご事情が見え見えだし。きっとあいつ、部屋がすっきり片付いたあたりでLに「ご苦労さま」って追い出されるんだろうな。
 ……ああでも、そうするとまた退屈になっちまう。

「ご苦労さまです。スルガさん」
 Lがマイクで、スルガに呼びかけた。
「しばらくうちにいて身の回りの世話をして下さい。引き続きよろしくお願いします」
 スルガが、モニタの向こうでほっとしたように人懐こい笑顔を見せる。そんなLの対応に、俺は密かに目を剥いた。
「休憩は自由にとっていいです。ただし室内は禁煙なのでタバコを吸われる際は屋外に出て下さい」
「えっ、ま、待って下さい。ぼくはあなたに何も言ってませんよ。どうしてぼくが喫煙者ってわかったんですか?」
 そう言いながら慌てるスルガに、Lは応えた。
「個人の気質、趣味や嗜好などはその人物の、仕草や行動に如実にあらわれます」
 ははーんなるほど。実際、如実にあらわれてるよな、お前にも。
 高い身長の割に体重は軽そうだ。青白い顔、毎日が変わり映えのしない白い長袖Tシャツとくたびれたジーンズ、ボサボサの頭。外見などまるで気にしない性質らしい。だがそのいっぽう、物にまともに触れない潔癖症のような仕草を見せることもある。食事も睡眠さえも常識的な人のとりかたをしない。指をくわえ爪を噛む行為はあまりにも幼児的だ。優秀な頭脳を備えているという割には、ひどくバランスを欠いた危ない奴。それがL、お前。
 極めつけ、そんなふうにまるで先の読めねえ人を食った態度だ。
 L、いったい何のためにこのスルガという男を招き入れる? いまのお前にとってはこの男の存在は厄介なだけじゃないのか?

 そうだ。察しのいい奴ならわかるだろう。こいつのそばに俺がいる、ということは、デスノートは燃やされていない。ノートはまだLの手元にあるのだ。
 この数日間、俺はこいつのそばにいて耳元でずっと囁き続けていた。デスノートを使え、使えって。しかし結果はこの通りだ。こいつはまったく聞く耳を持たなかった。
 だけどそれならそれで早くノートを燃やしちまえばいいんだ。そうすりゃ俺だってここから解放される。また新たな死神のノートを準備して誰かの前に落としに行ける。時間稼ぎをしているつもりならそれは無駄だ。たかが数日遅れたところで何の意味もない。人間界と俺たち死神に流れる時間はまるで違うんだからな。

 何をするつもりだ。ノートをそばに置いてL、何を考えてる?
 お前には時間がないんだぜ。
 死神である俺の目には、お前が自らノートに記したお前の死ぬ日がはっきり見える。
 敵を倒す。ただそれだけの目的で二十三日後と記した、お前の死ぬ日が。

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L spin out the life 2

Ty17l01

 * * * 《 2 》

「すみませーん、玄関を開けて下さーい」
 エントランスで、スルガが買い込んだ食料品を両手に抱え叫んでいる。ここ数日で、ハウスキーパー生活にすっかり適応したようすだ。たとえFBIをクビになっても、こいつならきっとプロのハウスキーパーとしてやっていけるな。
 この一日でまたニ件の事件を解決したLがドアを操作すると、やがて笑顔のスルガが室内に入ってきて、どすんと荷物をテーブルに置いた。Lがデスクの前を離れ、裸足でぺたぺたとその前までやってくる。

「買ってきましたよ。お饅頭にくず餅にドラ焼き、それから桜餅かしわ餅、草だんご」
 順番にテーブルに並べはじめる。俺はいい加減うんざりしながらそれを眺めた。
「あっ、それからですね。甘いものも良いけどやっぱりビタミン摂らないとって思ったんでこれを買ってきました。いかがですか?」
 そう言ってスルガが紙袋から最後に取り出したのは、美味そうな真っ赤な林檎だ。
「あっ、林檎!」
 思わず叫び、手に取ろうとした俺の前をかすめるように、Lは林檎をわしづかみにし、そのままがぶりと林檎にむしゃぶりついた。
 あああっ、まじかよ!
 俺は目の前が真っ暗になる気分だった。冗談だろ。大好きな俺の……俺の林檎。
「うわあ、そんなにかぶりつくほど林檎がお好きだったんですね。それならもっと買ってくればよかったですね!」
 陽気にそう言うスルガに、Lは林檎を口いっぱい頬ばったまま応えた。
「……コライヘクラハイ」
「はいっ?」
「リンゴキライヘフ。モウツギハラハッテコライヘ……ッゲフッゲフ、ゲフゲフ」
「だだ大丈夫ですかっ!」
 スルガが慌てて背中をさすろうとするのを、Lはよろよろと避けトイレに飛び込んでバタンとドアを閉めた。おいおいおいLさんよ、嫌いなものそこまで無理して食う必要あんのかよ。こりゃ明らかな俺に対するツラ当てだろ!

 ああっまじで頭にきたこのLっていう野郎。何をそう意地になってるのか知らんが、ノートを燃やしても燃やさなくても結局、俺にとってはあまり変わりないんだ。
 あのとき「眠るように、安らかに」なんて、ふざけたこと書きやがったがな。ニ十三日めにそうやってお前が死んだら俺は開放されて、また新たな獲物を探す。その期間だけ黙って退屈を我慢すればいいってだけの話だったんだ。
 だがいま俺はお前のその態度にキレた。本当にキレた。見てろよ、絶対デスノートを使わせてやる。デスノートを使わせその魔力に取りつかせ、あの夜神月が陥ったような深い虚無の闇に落とし込んでやる。
 やってやるぜ。お前があと十三日でくたばっちまうまでにな。

 * * *

 そんな調子で俺が鼻息を荒くしているのをよそに、Lの野郎はまたさっさと事件を片付けた。スルガはこいつが散らかしまくった部屋をさっさと片付けた。
 ワタリの残した事件ファイルも、そろそろあといくつかで尽きようとする頃、新たな展開があった。

 死んだワタリのもとへタイからの国際電話だ。Lが代わりにその電話をとり、翌日その電話の主を緊急に日本に呼び寄せた。空港で、特別に用意された飛行機から降ろされるそいつを見たら、白いシャツにオリーブ色のズボンをはいたガキんちょだ。まだ小学校にも上がらないぐらい小っちゃい。
「おいおいL、いったいどうしたこったい」
 俺は聞いた。当然こいつは応えてくれない。
 病院で検疫検査を受けたあとレジデンスへ向かった。ちなみに、ハウスキーパーのスルガは呼び出しがあったとかで、FBIの日本支部オフィスへ出かけて留守。いまここにいるのはLとガキと俺様の三人だけだ。
 物体を通り抜けられる俺にとっては何てことない話だが、この建物はまるで迷路みたいな作りになっている。Lが及び腰でトイレはここだのこっちがシャワーだのと案内しはじめた。少年もかなり緊張しているようすだったが、ふと何かに興味を持ったらしい。小声で「あ……」と叫ぶLの脇をすり抜け、小さな部屋に駆け込んだ。

 そこは全く外界とシャットアウトされたこの建物内で唯一、太陽の光が入る場所だった。模様入りの刷りガラス越しに入ってきた陽光は、白くやわらかく少年を包み込む。少年はほっとした顔で、そこに小さく丸くなって座り込んだ。
「……ここはワタリと自分しか入ったことがなかったのに」
 ぽつんとLがつぶやく。そして棚に並んでいたいくつかのお菓子を独特の仕草でつまんで取ると、しゃがみ込み、少年の前に差し出した。
「……I'm Watari's near friend, so I'll save you instead of him」
 少年の反応はない。Lも黙ってうつむいた。シャツの袖からのぞく細い指が所在なげにお菓子をいじっていたが、やがてそれも止めてしまい、時間だけが白く過ぎた。
 あまりにも痛々しいというか悲しくなるよなその光景に、俺も思わずため息をつく。
「そんな調子で、子守なんてやれんのか、無理なんじゃねえのか。お前」
 Lもふう、とため息をつきこちらを見上げる。
「子守は初めての経験ですが」
 ……ん?
「どうやら苦手な部類に入るようです」
 L……いま、お、俺に応えたか? 俺に応えたか?
 わけもなく嬉しくなり「いま俺に応えた?」と聞き直そうしたとたん、あいつはふたたび目を逸らし、そして何事もなかったかのように立ち上がりやがった。
 
 まあ、しばらくそんな調子で、ぎこちない空気だったんだがな。
 若干この場所にも慣れ、じっとしてるのにも飽きてきたんだろう。少年は好奇心にまかせて室内をウロウロしはじめた。Lもそれに気付いてデスクの前を離れてみたはいいが、やっぱり坊主のケツを、ただ心細げに追うだけだ。
「I'll near you. ……and save you」
 何かボソボソ言ってるが、そんな小っちゃい声じゃ相手には聞こえないぜ。
 それにしてもスルガに掃除を頼んどいて正解だった。あの散らかし放題の中にガキなんか入れたら、ここはいったいどうなっていたことか。
 まあ死神の俺が、心配するこっちゃないけど。
 ふと、少年がテーブルのパズル雑誌に目をやった。スルガが暇つぶしのために持ち込んだもので、数字のパズルがやりかけのまま放ってある。見ると難問だ。きっと途中でギブアップしたんだな。
 あろうことか少年は、興味深げにそれをのぞき込むと鉛筆を握りしめ、こともなげにパズルを解きはじめた。
 Lが背中を丸め、おそるおそる少年に近づいていく。少年が問題を解きおえると、Lは上唇を突き出しそのページを一瞥した。それから、指の先でつまむようにして次のページを開いた。ペンを手にし、自分が半分解いたあと彼に次をうながす。少年はまたこともなげに解いた。Lがまた半分解いたあと、次をうながした。少年はまた解いた。数回それを繰り返すうちに、いつの間にか二人はぴったり寄り添っていた。
 ほほう、と俺は正直、感心した。
「L。お前さ、子どもの相手するの意外とうまいじゃん?」
 そう褒めてやろうとして気がついた。
 こいつは決して子守をしてるわけじゃない。ガキ相手にムキになりパズルを解いてるだけだって。

 * * *

 Lは、少年からFのイニシャルが入ったロケットを受け取った。これを渡すためにこのガキは遠路はるばる日本へ来たらしい。おそらくワタリへ託されたものなのだろう。Lが蓋を開けるとマイクロチップが出てきた。

 仲間ということなのだろうか。先日、Lはワタリの訃報をイニシャルのついた数人の人物にメールで送っていた。すぐに返事が返ってきたメールもあったし、何人かからは直接、電話がかかってきた。しかしそれは音声変換がなされていて、声だけでは男女の別も国籍もわからなかった。
 おそらく、仲間ではあってもLたちは互いのことを知らない。つながっていたのはどうやらワタリだ。見かけは飄々とした人の良さそうなじいさんだったが、あの人物には底知れぬ何かの力があったらしい。
 そして、Fからの返事はそのとき来なかった。
 コンピュータでマイクロチップのファイルを開けてみる。動画だった。Fとおぼしき二十代後半の男性が、ハンディカメラを持ちそれに向かって話す姿が映っていた。

「この村はウイルスにやられました。おそらく全滅です、恐ろしい感染力だ。俺自身もやられました」
 彼の背後に広がるのは、一見のどかな熱帯らしき田園風景。しかしよく見ると、あちこちに人が倒れているのがわかる。
「発症すると短い者では半日、長くても一週間以内で死に至ります。致死率は百パーセントに近い。殺人ウイルスです」
 カメラは村へ入り込み、その凄惨な光景をまぢかに映し出した。苦悶し、身体じゅうから血を流しているたくさんの人々。こときれたのか目を開けたままの女性の姿も見える。赤ん坊の泣き声や、助けを求める人の声も入っている。
 いきなり画面がひどくゆれた。Fが何かに気付いて走り出したのだ。ガサガサと鳴る草のあいだから振り返った映像には、細菌に対する完全防備の服装をした、不気味な集団が映し出された。
「ブルーシップによる生物テロというあなたの見方は正解でした。あいつらは環境保護団体なんかじゃない。恐ろしいテロ組織だ」
 また画面が切り替わった。ジープの中だ。揺れるリアウィンドウから後ろを見ると、熱帯の森の向こうに大きな黒煙が上がり、ヘリコプターらしき爆音も遠くで聞こえている。
 Fはカメラを誰かに持たせているらしい。助手席の低い位置から見上げるように、車を運転するF本人の姿が映し出されていた。
 発症したのだろう、Fの容貌はずいぶん変わってきていた。鼻から耳から血を流しさらには、たちまちのうちに目も赤く充血しはじめる。大きく肩であえぎながら彼はハンドルを握り、言葉を続けた。
「ワタリ、早く手を打たないと大変なことになる。きっと全世界にこの殺人ウイルスが蔓延します。ここにいるこの子が唯一の村の生き残りです。どういうわけか彼だけ発症していません。彼がキーです、彼にこのメッセージを託します」
 画面が揺れた。いま俺たちの前にいるこの少年がほんの一瞬映し出され、それからすぐに真っ暗になった。
「What happened to him afterwards?」
「……was burnt」
 少年の返事を聞いたLの唇が「焼カレタ」と、小さく動いたような気がした。

 Fのファイルには、他にも生物テロに遭遇したいくつかの村のデータや、彼が調べ上げたらしいブルーシップの情報が入っていた。
 ブルーシップは、日本を拠点とする環境保護団体。以前、メンバーが過激な言動をしてマスコミをにぎわせたことがある。内容は「人類を減らさないと環境が守れない」というものだった。そのときは「不注意な発言で、言葉がひとり歩きをした」という責任をとり、トップが交代したといわれている。
 現在は、的場大介という男がこの集団のトップだという。じつはこの男は裏の世界で死の商人として名が通ってもいた。そういう意味では、この団体の胡散臭さは変わらないわけだ。ブルーシップには天才的なハッカーや科学者もメンバーにいるということだが、それらに関しての詳細は不明だ。

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L spin out the life 3

Ty17l01

 * * * 《 3 》

 物事ってのは、続くときにはやたらと続くもんだな。
 夜になってLのもとに、また新たな来客があった。
「……ワタリさんのお宅ですか?」
 坊やとスルガは向こうの部屋でぐっすりお休みだ。Lは夢中で本を読んでいた。羊羹を頬ばりながら片手でパソコンを操作し、モニタには目もくれずインタフォンに応答する。
「ここはワタリという家ではありません」
「……ワタリさんは、いらっしゃらないんですか?」
「いまはいません」
「おいL!」
 俺は、たまらず口を出した。
「お前の体内時計はぶっ壊れてて気付いてないようだが、おかしいぜ」
 Lが顔を上げる。
「午前二時。人間の時間でいうと真夜中だろ。こんな時間に小さな女の子が、ひとりで知らない家に訪ねてくるもんなのか?」
 モニタには、クマのぬいぐるみを手にしリュックを背負った、制服姿の女の子が映し出されている。画質の荒いその画面からでも、おかっぱ頭のその子が泣きはらした顔なのがわかった。
「ワタリはもういませんが代わりにわたしが聞きます。何かご用ですか」
「お使いをたのまれました。アジア感染症センター所長の二階堂公彦からです。わたしのお父さんです。お父さんはさっき死にました」
 それだけ言って、女の子は画面の中で泣き崩れた。

 * * *

 女の子は二階堂真希という名前らしい。いま小学六年生だという。
 彼女の話を要約するとこうだ。
 父親はアジア感染症センターの所長、二階堂公彦。真希は学校帰りにセンターへ寄ることを日課としている。母親はおととし他界して、父ひとり娘ひとりの関係だ。二階堂は真希をとても可愛がっていた。
 昨日の夕方、真希は父親にお使いを頼まれた。誰にも言わずに、ある物をワタリという人物に届けてほしいと。住所を聞き、電車でそこに向かおうとしたが、ふと思い出したことがあった。
 真希は父親の肩幅を知りたいと思っていたのだ。誕生日に手編みのセーターを贈るつもりだった。誕生日は冬だが、自分のつたない技術ではいまのうちから始めたほうが懸命だと思っていた。どうしても今日必要というわけではない。ないはずなのになぜか真希は気になった。途中下車して感染症センターに戻った。

 建物に入ると雰囲気が一変していた。人が血を流して倒れている。
 驚いて研究室へ向かった。父親の安否が心配だった。研究室の手前まで来たところで言い争う声に気付いた。ひとつはスピーカーからの父親の声。室内からマイクロフォン越しに話している。
「まさかこれを使ったのか。実験のためだけに作ったこのウイルスを」
 おそるおそるのぞき込むと、研究員のひとりが見知らぬ人物たちを引き連れ、父親とガラス越しに対峙していた。その研究員の顔を見て、真希は少なからずショックを受けた。センター内で自分がいつも懇意にしていた人物だったからだ。
「ワクチンは完成している」
 ガラスの向こうで、二階堂が言う。
「しかし君らに渡すわけにはいかない。殺人ウイルスはワクチンとペアになって初めて完成するものだ。それが手に入らない限り君たちはウイルスを使いたくても使えないだろう。何しろ感染したら、自分たちが死ぬかもしれないんだからな」
「そうやってあなたがどんなに抵抗しようと無駄ですよ、二階堂博士。たとえばこれから、真希ちゃんに危害が及ぶと言えば?」
「真希には手を出すな!」
 父親が悲痛な叫びを上げる。「ならいっそ、お前らに見せてやる」
 二階堂は身体を保護していた防御服をやおら脱ぎ捨て、自らの腕に殺人ウイルスを注射した。
「その目で見てみろ、お前らがこれから使おうとしている死神の姿を!」

 * * *

 まあ、ここまで話せただけでも気丈な子だ。そのあとの真希の話は声にならず、ずっと泣きどおしだった。
「父親の死にざまなら、俺がわかるぜ」
 Lの耳元で囁いてやる。
「焼け死んだんだ。自ら研究室に火を放った。そいつらにデータを渡さないように。殺人ウイルスとそのワクチンもろともな」
 それを聞いたLの唇が「焼ケ死ンダ」と、かすかに動いた。

 Lは、真希が届けた二階堂からのパケットを手に取った。開けると入っていたのは中身の入った注射器だ。
「これはたぶんワクチンじゃない。殺人ウイルスのほうですね」
「じゃあ、ワクチンは?」という俺の声を無視して、Lは椅子の上にしゃがんだまま、少女がテーブルに置いていたクマのぬいぐるみを指でつまみ上げた。「ほかにも何かお父さんから預かったものはありますか」
「何をするの!」
 少女が慌てて立ち上がり、Lの手からクマを奪いかえす。
「これは関係ないわ。お母さんの形見なの。わたしが肌身離さず持ち歩いてるの!」
 Lは、反対の手に持っていたハサミを置いた。
「なるほど。あなたが肌身離さず持ち歩いてるものなら、隙をついて博士がそこに何かを隠した可能性は低い。細工したあとも別に見られませんから、それはただのぬいぐるみでしょうね」
 呆れた。情ってもんがないのかこいつ。父親が無残に焼け死んだばかりという娘の目の前で、母親の形見を切り刻もうとしやがった。

「真希さんといいましたね。お父さんは発症したときどんな症状でしたか」
 真希は応えない。当然だろう。
「鼻や耳から血をだらだら流しましたか。目からも出ていましたか」
 おいおい、だからやめろって。
「……はい」
 そう返事をした少女がすさまじい目でLを見返すが、Lはまったく意に介さない。
「おそらく研究所で作られていた殺人ウイルスが流出し、タイの村でのテロに使われたのですね。ワタリが関わったのはきっとその事実に関して裏付けを取るためだ」
 立ち上がって上唇を突き出し、裸足でぺたぺたと歩き回りながらひとり言のように言ったあと、さらにこうのたまいやがった。
「考えごとをしたいのでひとりにしてくれますか」

 * * *

 朝から起きてきたスルガが「子どもが増えてる!」と目を丸くした。
 ソファでぐっすりと眠り込んでいた真希は、人の気配に慌てて起き上がった。朝食を整えてくれたスルガに「ありがとう」と礼を言った。Lは眠らず、ずっと何冊もの本を読んでいた。合間に気分転換のつもりだろうか、事件をひとつ片付けたりもしていた。
 聞きなれぬ電子音でLが顔を上げると、真希が自分の耳に体温計をあてている。彼女は数値を確かめるとそれをノートに記録して、とげのある声でLに説明した。
「日課なんです。お父さんから毎日注射をしてもらって、日に四回こんなふうに体温を測るんです。邪魔をしてしまいどうもすみません」
 ついと立って、あのとき以来、少年のお気に入りとなっている陽射しの小部屋に、彼と一緒におとなしくこもってしまった。

 Lが本をあらかた読み終わったころ電話が鳴った。Lがマイクロフォンのスイッチを押す。相手の声は男か女かはわからないが、日本語だ。
「Kデス、ハジメマシテ」
 イニシャルで呼ばれる仲間のひとりだった。たしか真っ先にメールの返事をくれた人物だ。簡潔だったが、ワタリへの追悼の意があふれた文面だった。Lが膝を抱えて、椅子に深く沈み込んだまま、長い時間その画面をぼんやりと眺めていたのを、俺も憶えている。
「はじめまして、Lです」
 スピーカーからKの声が、続けて流れてきた。
「ワタリノコトデハ、連絡ヲアリガトウゴザイマシタ。メールヲ送ッテイマシタガ、ヤハリ直接、オ悔ヤミヲ申シアゲタクテ」
「どうもありがとうございます」
「アナタノ活躍ハ、ニュース等デ見テイマシタ。“キラ”トノ戦イハ大変デシタネ」
「いえそれほど」
「トコロデ、何故ワタリハ亡クナッタノデスカ。ナニカ、病気ダッタノデスカ」
 Lがマイクロフォンに向かって、ゆっくりと言葉を選ぶように応える。
「……ワタリは、わたしと“キラ”との戦いの、巻き添えになりました」
 それを聞いた電話の向こうで、小さくため息をつく気配があった。
「アナタハ、ワタリトズット一緒ニ、イタノネ」

 その後、Kとひと言ふた言交わしたあと電話を切り、Lはおもむろに立ち上がった。履き古した青いスニーカーをデスクの下から引っぱり出し、とんとんと履くと、子どもたちのいる小部屋に向かった。
「真希さん」
 Lの呼びかけに、少女が振り向く。
「お父さんを殺した研究員は女性ではありませんか。Kというイニシャルの」
 真希はこっくりとうなずいた。「久條……久條希実子です」
「そうかやはり」
 Lはふたたび踵を返した。俺が「Kっていま電話があったKか?」と聞いたが、無視された。
「荷物をまとめて下さい。ここはつきとめられた」
 Lがそう言ったとたん、けたたましく警報機が鳴った。

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L spin out the life 4

Ty17l01

 * * * 《 4 》

 好奇心にかられた俺は壁を突きぬけ、侵入者とやらの姿を拝みに廊下まで出てみた。
 そしてひと目でそいつらを気に入った。見るからに我欲のカタマリ。あいつらみたいな人間にデスノートが渡ってくれれば、本当におもしろい展開が期待できるんだが。残念ながら今回はちょっと無理っぽいぜ。
 久條希実子は、髪をひっつめにしたスーツ姿の小柄な女だった。気が強そうだがコケティッシュな顔だちをしている。あと十センチ背が高けりゃ申し分ない美人だったろう。あとは、昨日Fからのファイルで見た的場大介って大柄な男と、ブルーシップのメンバーらしき数人。

「ここをロック解除して」
 久條が何かのメカを首から下げた男に命令する。「はい」と男がドアに近づいたとたん、それが開き、中からあの真希という少女がすごい形相で飛び出してきた。
「真希ちゃんやっぱりここにいたのね」
 久條が、わざとらしく眉をひそめる。
「聞いてちょうだい、お父さんが大変なの。事故でちょっとした菌に感染してしまって。あなたがワクチンを持ってると言うから、わたしたちずっと探していたのよ」
 この女、よくもつらつらとそんな科白が出てくるなあ。
 真希はこぶしを握りしめて叫んだ。
「人殺し! お父さんは死んだわ。わたし知ってるもの。見たのよあなたたちがお父さんを殺すところを」
 それに対して久條は「あらそう、仕方ないわね」と、ため息をついた。
「全部Lっていう人に話した。Lが手伝ってお父さんの仇をとってくれるの。Lとさっき約束したの!」
 おいおい嬢ちゃん、そんな約束はしてない。
 久條もそれを聞いてふん、と笑った。
「ワタリの代役でLに助けを求めたようだけど、彼にはちょっと無理なんじゃない? わたしは子どもの頃の彼を知ってる。たしかに天才的頭脳は持ってるわ。でも苦手なものもたくさんあってね。物事はすべて理屈、理屈でしか動けないの。人の感情に対してものすごく疎いのね。真希ちゃんがどれだけ訴えたとしても、あなたがいったいどんな気持ちでいるのか、おそらくいまの彼、全然ピンときてないわ」
 真希が、くっと唇をかみしめた。
「いい真希ちゃん、下手にこちらに抵抗しても無駄よ」
「来ないで!」
 ふたたび叫ぶ真希の手には、いつのまにかあの注射器が握られている。
「これは殺人ウイルスなんでしょ? いまからこれを打って、わたしもお父さんと同じように病気に感染してやる。そしてすぐみんなにうつして殺してやる。あなたたちに復讐してやるんだから!」
「嬢ちゃん、早まるな」と言ってやりたいところだが、俺の声はどうせ聞こえない。
 真希は自分の父親がやったように、注射器を振りかざすといきなり腕に刺した。

「何やってるのこの娘をつかまえて!」久條が叫ぶ。
 銃を持った男があわてて真希を捕らえようとしたとたん、俺の目の前を何か黒いものが横切った。それはブンと唸りながら宙を切り、男の顔に激突した。
 くわぁんくわぁん、と大きな金属音が壁面に反射する。見ると黒いものはフライパンだった。投げたのはLだ。おいおい運動音痴かと思ってたが結構コントロールいいじゃねえか。それともいまのはビギナーズラック? 
 さらに逆方向からまた何かが飛んできて、久條たちの顔面を直撃した。
「うわあっ」「やだ何これっ」悪人どもが口々に叫ぶ。飛んできたのは生卵だ。さらにその上に大量の白い粉がバサリと降ってきた。粉まみれの悪人どもは視界を遮られ、さらに「ゲフゲフ」とむせる始末。
「ざまあみろ!」
 卵と小麦粉の投じ手はエプロン姿のスルガだった。この見事なコントロールだったらFBIをやめても、きっとそういう関係の職業につけるだろう。何かはわからないがな。
「いやだあ、離せ! お父さんの仇を討つの!」
 そう叫んで暴れる真希の腕をぐいぐいと引っぱりながら、Lは隠し扉を抜け廊下を走った。途中でスルガと坊主も合流した。スルガがいくぶん興奮した声で言う。
「ホットケーキを作ろうと思って買ってきたんです。子どもたちもいるから、みんなで焼くと楽しいぞって思って」
「それは残念でした」Lが応える。「でもフライパンは役に立ちました」
 やがて、秘密の地下駐車場に出た。
「車で逃げます。スルガさん運転して下さい」

 * * *

 壁を抜け屋外へと先回りしていた俺は、急発進で地上に出てきた彼らの車を見て思わずプッと吹き出した。じつにポップでカラフルでファンシーな、クレープ販売用の車両だったからだ。
「カムフラージュされた移動型の基地です。ちゃんとクレープも焼けます」
 律儀に説明しながらLがスイッチを押すと、ウィィィンという音がして、調理台の脇に小型モニタとキーボードがあらわれた。それを使ってLは、さっきまで自分が使っていたレジデンスのコンピュータを呼び出し、内部のデータをすべて消去した。
 そうしておいて、真希のほうへ向き直った。
「自覚できる体調の変化はありますか」うなじに、細い指を当てる。「ただし汗ばんで脈が上がっているのは走ったせいだ。さほど体温が変化したようすもない。皮膚も粘膜もいまは正常」
 真希がどぎまぎしながら、小さく「ありません」と応える。
「お父さんの場合はどうでした。このウイルスを注射して発症するまで、どれくらい時間がありましたか」
「お父さんは、すぐに……」
 その真希の応えに、Lはしばし考え込んだ。「何かが、違うんだな」
 窓の外を見ていた少年が、Lに振り向き「They run after us!」と叫んだ。
 Lは少年に、了解したと合図をし、また真希のほうを向いた。
「彼はこのウイルスに感染して全滅したタイの村の、たったひとりの生き残りです」
「えっ」
 真希がはっとしたように少年を見る。
「なぜ彼がウイルスに感染しなかったのか。なぜあなたは感染したのに急激な発症が抑えられているのか。それがこのウイルスとワクチンの謎を解くキーです」

 外では猛スピードで走るクレープ屋の後ろを、フライパンをぶつけられた男ともうひとりがバイクで追いかけてきていた。どちらも粉まみれ卵まみれの異常な姿だ。
「どうしますLさん。さっきから撒こうとしてるんだがしつこいんだ」
 ハンドルを握るスルガが叫んだ。
「次で曲がって降りる準備を。スルガさんはこのまま運転を」
 人通りの多い繁華街で、混雑にまぎれ、Lと真希と少年の三人は車をすばやく降りた。スルガの運転する車はバイクを後方にくっつけたまま、また全速力で走り去った。
 クレープ屋と粉まみれの連中による尋常じゃないカーチェイス。平和な市民の目には、きっと小麦粉の利権をめぐる何かの抗争と映るだろう。

 * * *

 途中でLは書店に立ち寄り、東京近郊の一万分の一地図とガイドブックをいくつかつまみ上げた。近くのカフェに入って、苺の妖精パフェとやらを注文すると、おもむろに買った地図とガイドブックを広げ、何かを調べはじめた。
「……これから、どこかに行くの?」
 おそるおそる真希が問いかける。テーブルには紅茶とホットケーキが並んでいるが、あまり食は進まないようすだ。
「ウイルス研究者の松戸浩一氏を訪ねます。ウイルスに関してはわたしは管轄外ですから、一夜漬けの知識ではおそらく太刀打ちできないでしょう。松戸氏の住まいは鎌倉ということだ。ルートを確認していますのでしばらく黙っていて下さい」
 真希は「はい」と小さくうなずき、次に隣の少年がオレンジジュースとホットケーキを並べたまま、夢中で紙ナプキンの上に書いているものをじっと見つめた。
「フィボナッチ数列ですね」ちらりと見てLが応える。「彼は数学の天才なんです」
 真希はふうん、という顔をした。「なんか、変わってる子だと思った」
 Lが少年に「She says that you are strange」と声をかけた。
「……Say, both you are strange too」
 少年の応答に、Lは口の端を少し上げた。
「彼に言わせれば、あなたもわたしも変わっているらしいです」
 真希も「じゃあみんな変わってるんだね」と言ってくすっと笑った。
「変てこ三人組だ」

 彼女がふと思いついたようにリュックを開け、ピンクのノートを取り出した。表紙にかわいい手描きのイラストがある。どうやら真希本人と父親の似顔絵らしい。
「じゃあこれさ、解けるかな。お父さんから毎日もらってた宿題なんだけど」
 真希がぱらぱらとページをめくり、そのひとつを彼に向けると、少年はそこに書かれていた図形問題を、興味深げに見つめはじめた。
「ルートはすべて記憶しました」
 スプーンをくわえたLが、地図をパサリとテーブルに置いた。
「この苺の妖精パフェを食べ終わったら、出発します」

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L spin out the life 5

Ty17l01

 * * * 《 5 》

 都心から郊外へ向かう電車の中で、Lは松戸浩一氏について軽く説明をした。
「ウイルス研究の第一人者です。以前あなたのお父さん二階堂公彦氏と共にウイルス学の本を書いていました。いまは現役を退いているということだがその理由はわかりません。しかしいずれにしろその能力は高い。打開策は見つかります、安心して下さい真希さん」
「はい」と小さな声で応えながら真希はうつむき、恥ずかしそうにクマを握りしめた。
 変てこ三人組とはよくいったものだ。なかでもL、いちばん変てこなのがお前だ。坊っちゃんだって、ちゃんとおとなしく席に座っているんだから、お願いだからつり革にぶらさがるな。真剣な話をしてるのにまったく説得力がないぞ。
「そういえばあなたはさっきわたしと何か約束した、と彼らに向かって叫んでいましたね」
 テナガザルのような格好でLが言う。真希は「はい」とまた小さく応えた。
「すみません。……つい」
「いいですよ。この事件いずれにしても最後はあの連中に行きつく。わたしが解決すると必然的に、わたしがあなたのお父さんの仇をとることになる。それで良いでしょう、約束しましょう。ただし」
 真希が「はい」と小さな声で応える。
「仇をとるといっても生命を奪うとは限りません。いいですね」
 真希は表情を固くしたまま、こくりとうなずいた。

 昇降口のあたりで、いきなり「ギャハハ」と耳障りな笑い声が上がった。
 見るからにオツムの程度の低い連中が数人、床に座り込んだまま騒いでいる。どうやらワンセグ携帯でテレビを見ているらしい。クチャクチャと何かを食べながら、他の客の迷惑もかえりみず、車両の一部を陣取っている。
 ふと、そのうちの何人かがこちらに目をやった。互いにいやらしく目配せをする。やばいL、目をつけられたぜ。
 立ち上がった彼らが、必要以上に肩を揺らしながら、こっちに来ようとしている。
 真希が気付いて顔をそちらに向けたとたん、「バイキンだあ!」という叫び声が上がった。
 テレビを見ていた仲間のほうが、おののくように携帯電話を放りだし「バイキンだあ!」と、わなわな震える指で真希を指さす。
「あ……あいつだあの女、恐ろしいバイキン!」
 俺がひょいと横からのぞき込むと、テレビに緊急ニュースが入っていた。
 画面には、さっきまで粉まみれだったあの女が、やたらと深刻そうな顔で登場している。そしてその画面の隅には真希の顔写真が、いまと同じ紺色の制服姿で映っていた。
「……に感染した少女がセンターから脱走しました。非常に感染力が高く、致死率はほぼ百パーセントという、いわゆる殺人ウイルスで……」
 二階堂博士の死亡で、アジア感染症センターの責任者代理となった久條希実子は、その立場を利用し、緊急事態として真希を公開捜索する手段に出たのだ。

 画面が切り替わり、真希の顔写真はアップで映し出される。
「あの女だ、殺人ウイルスだあ!」
 男が発したパニック状態のその声は、いきなりその仲間にまで伝染した。奴らが恐慌に襲われるさまを目の当たりにした車内に、たちまち嵐が巻き起こった。ニュースを知らない連中さえも、その声にまるで感染したかのように次々と恐慌状態になった。
 人々は立ち上がりわれ先にと昇降口へ向かった。タイミングよく駅に着いたのは幸いだ。さっきのオツムの弱い連中が先に立ち「殺人ウイルスだあ!」と叫びながら転がるように車外に出ると、わけがわからないまま、今度はホームにいた人々にまで恐慌が伝染した。
「降ります」
 騒ぎにまぎれるように、Lが真希と少年の手を引いた。
「公共交通機関以外での移動手段をとりましょう」

 * * *

 ふと、Lが眉をひそめた。
 駅前のレンタサイクル店で二台分のレンタル料を払おうとしたときだ。ハッとしたように慌ててジーンズのポケットを探る。
「わたし持ってる」気がついた真希が、横からいそいで料金を支払った。
 パニックになった駅で、混乱にまぎれて改札を出たまではよかったが、まさか金を落とすなんてお前らしくない失敗だぜ。ちゃんと俺は言ったんだ、「おい、落としたぜ」って。なのにお前はそれを無視するんだもんなあ。お前が悪いんだな。
 クレジットカードが当面、使えなくなるのを見込んで、現金を持ち出したのは懸命だ。だがなくしちまったら何にもならない。小学生に頼らなきゃなんないとはさすがのお前も計算ミスだ。まったく慣れないことをするもんじゃないぜ。うひひ。

 変装のため、真希が制服姿から赤いワンピースに着替えると、手元にある現金はますます心もとなくなった。どうする、もうすぐ夕方だ。今日じゅうに鎌倉に着くなんて到底、無理だ。
 変てこ三人組は、ひたすら自転車をこぎ続けた。
 その間Lはひと言も口をきかなかった。金の件が相当ショックだったんだろう。それでも道にも迷わず、正しいルートをたどって行くからさすがなものだ。少年をカゴに座らせ、後ろに真希の自転車を従えながら、Lは黙々とペダルをこいだ。

 結局、日が暮れてしまい、三人組は国道沿いの小さなネットカフェに泊まった。狭いブースの、子どもふたりが身を寄せ泥のように眠るその横で、Lは長い手足を折り曲げ、膝を抱えてパソコンを使った。
 しかしながらブルーシップには相当腕のいいハッカーがいるらしい。Lが持っていたアクセス権はことごとく拒否される羽目になった。
「これじゃ助けを呼びたくても、どこにも連絡とれねえなあ」
「……こうなることは、想定済みでした」
 飲み放題サービスの超激甘ミルクティを、ガブガブとあおりながら強がってみせてるが、そうやって俺にまともに返事するってことは、Lお前、相当参ってるってことだぜ。

 * * *

 早朝、変てこ三人組はネットカフェを出て先を急いだ。
 コンビニでキャンディ一袋とビスケット四枚入りの小袋を買ったところで現金が尽きた。三人でビスケットを一枚ずつ分け、余ったひとつをLがじっと見ているのに、真希が気付いた。
「はい」袋ごとLに渡す。「身体が大きいんだから、食べなくちゃね」
 顔を伏せたLが、力なく応える。
「持久力がなく、頻繁に栄養補給を必要とするのはむしろ、小さい身体である子どものほうです」
「あっ、そうか」
 そう言って真希があっけなく彼の手から少年にビスケットを移動させた。ここで俺は見逃さなかったぞ。Lの奴が未練がましくそれを目で追ったのを。
 少年はビスケットを三分の一かじり取ると、残りをきれいなふたつに割った。そしてそれを真希とLに差し出した。
「ありがとう」真希がニッコリ笑う。
 Lも小さく「ありがとう」とつぶやいた。指でつまんだビスケットのわずかな欠片を口に入れ、ゆっくりと咀嚼しながら、目を閉じた。

 人ごみを避けて彼らは進んだ。
 ブルーシップの連中は、おそらくスルガのメリケン粉製目つぶしが功を奏したのだろう、こちらに誰がいて何人で行動しているのか、おそらくまだ把握していない。もしあそこで、Lがあいつらに顔を知られていたら、こんな意外な移動手段さえとれなかったに違いない。
 しかしこの方法は、Lたちにとっても過酷だった。
 パトカーのサイレンが近くで聞こえると、三人は怯えるように物陰に身を隠した。公園の水飲み場の鉄臭い水で、かわるがわる喉をうるおした。まぶしい陽射しが照りつけ、ゆらゆらと陽炎の浮かぶアスファルトの坂道を、自転車を押しながらのぼった。

 なあL、お前も夕べ気付いたはずだ。
 潤沢な資金も後ろ盾もなくなったいま、お前には何の力もない。お前は世界の隅っこで、同じような境遇の子らと身を寄せ合うしかない哀れなみなし児だ。こうやって空の高みから見下ろすと、お前はビスケットの欠片にも満たない、ちっぽけな存在なんだぜ。

 なあL、だからデスノートを使えよ。
 そうすればお前は神の力を得られる。
 世界の中心に戻ってくることができるんだぜ。

 なあ、L。

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L spin out the life 6

Ty17l02

 * * * 《 6 》

 三人が疲労困憊の状態で、松戸邸に到着したのはその日の夕方だ。
 松戸浩一博士は、ニュースを見て知人の娘の安否を気遣っていたらしいが、まさかその娘が自分のもとに来るとは夢にも思わなかっただろう。ましてやその連れが、見るからに奇妙な生っちろい青年と幼い男の子だとは。
「くわしく……説明する前に……何か……」
 玄関先でそこまで言って倒れ込んだLを支え、真希が「甘いものを!」と叫んだ。

 和洋折衷の居間で、冷たい麦茶とミルク金時とくずきりと水羊羹と最中と鳩サブレを頂戴し、真希がシャワーを借りているあいだに、Lがこれまでの経過をざっと説明した。そのあいだ少年はLの横にぴったりと寄り添っていた。
 話を聞いた松戸氏は、ううむ、とためらうそぶりを見せた。
「わたしは現役を退いている。ろくな施設もない。せっかくだが……」
 松戸がそう言おうとした矢先、髪を濡らしたままの真希がバタバタと居間に飛び込んできた。腕を押さえいまにも泣きそうな顔だ。
「病気が……わたし、病気が」
「何?」松戸の顔色が変わる。「見せなさい」
 真希の腕をとり、赤く腫れた部分を丹念に確認して、ほっとした顔を見せた。
「安心なさい、これは発症じゃない。ただの植物負けだよ。さっき林か何かを通ったろう。かゆみがあるんじゃないかね?」
「はい」
「こっちへ来なさい。うっかりかきむしる前に薬を塗ろう」

 真希を籐の椅子に座らせ、薬を塗りながら松戸は、Lに向かい怒ったように言った。
「殺人ウイルスの感染力が、どの程度のものかまだわからない。身体にちょっと傷でもつけばそこから空気感染をしたかもしれない。あるいは蚊や蚋などの昆虫が媒介となる恐れもあった。そんな無茶をして君たちはここへ来たんだぞ」
 Lが応える。
「わたしは死神によって生かされています。この少年はウイルスで全滅した村にいて、なぜか感染をまぬがれました」
「そういう問題じゃな……」
 松戸氏はまた何か言いつのろうとしたが、やがてふっと息をついた。
「わかった。わしも力になろう。真希さん、安心しなさい。お父さんの思いはちゃんと受け止める。一緒に二階堂博士の無念を晴らそう」
 真希の肩に手を置く。彼女は涙を流しながら、はい、と声にならない返事をした。
「ただしもう遅い。動くのは明日からにしよう。今夜はうちで休んで、ゆっくり疲れをとりなさい。……君も」
 Lのほうに向き直った。
「風呂にでも入って。その坊やと一緒に」
 とにかくその科白を聞いた瞬間のLといったらなかったぜ。鳩サブレを手にしたまま、鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔でフリーズしちまった。

 * * *

 翌朝から、雨が降った。
 松戸博士は、数年前に妻を亡くし息子も独立したとかで、この鎌倉の古い家にひとりで住んでいるのだという。
「ひさしぶりのにぎやかさだなあ」
 はしゃいだようにそう言いながら、博士は年代物の国産車のハンドルを握り、雨の中を近くの大学まで向かった。たまにそこの研究施設を使わせてもらっているのだそうだ。
「真希さんは毎日、感染センターで二階堂博士に注射をしてもらい一日に四回、体温を測っていました。ただし本人も何のためかは聞いていなかったそうです」
 Lが説明した。松戸氏は応える。
「注射か、もしかして二階堂博士と真希さんの違いはそれかもしれない。ちょっと調べてみる必要はあるな」
 真希と少年の身体を検査し、しばらくは大学と博士の自宅を往復しながら、経過を見守る日が続くことになった。その間Lはどんな裏ワザを使ったのか、大学のコンピュータで予備のアクセス権を復活させ、クレジットカードも使えるようにして、さらに放りっ放しにしていた残り二件の仕事をやり終えた。

 作業がひと段落した夜のことだ。研究施設の隣にある古い予備室で、松戸博士が事務用椅子に腰掛け、湯飲み茶碗を抱えながらLに話しかけた。
「つかぬことを聞くが、Lくんはあの“L”なのかね。少し前に世間で騒いでいた、キラ事件というやつの」
「はいそうです」
 窓際の古ぼけたソファで、饅頭を手にうずくまったLがそう応える。松戸博士は、ほお、と大きく息をつき首を振った。
「驚いた。まさかこんなに若い人だったとは。しかもこんなに……」
 言葉を途中で飲み込んだ。おそらく「変人」と、言おうとしたんだろう。
「わたしが現役を退いた理由を、話していいかい」
「どうぞ」
「今回と同じように、新種のウイルスにたいするワクチンの開発に関わったんだ。わたしは自信を持っていた。必ずワクチンを作れると思っていた。だが結果は失敗だった。大勢の人が、なすすべがないまま苦しんで死んだ」
 わたしに驕りがあったんだよ、と松戸博士は続けた。
「よく新種などというが、多くのウイルスはこの地球上に太古から棲息しているものだ。なぜ人がそれに感染するかというと、森を開きそこにあった生態系を壊したからだ。本来なら足を踏み入れるべきでない領域に、むやみに踏み込んでいったからだ。
 人には本分というものがある。生命は操ろうと思って操れるものじゃないんだ。人がそのことを知りもっと謙虚になれば、そうむやみに感染したりはしない。自然のしくみとはそういうものだ。自分たちが生かされていることに、人は、もっと気付くべきなんだよ」

 博士は席を立ち、静かに窓辺に寄った。外で雨はしとしとと降り続けている。
「しかし、今回のウイルスは人が作りました」
 Lが言う。博士はうなずいた。
「そうだ。人が自分の欲求を満たすために作った。それがどんなに身の程知らずな、恐ろしいことかも知らずに。それに対する責任をわたしたちは取る必要がある」
「そうですね」Lもうなずく。
 ふと思い出したように、松戸氏が聞いた。
「そういえば先日、君は『死神によって生かされている』と言ったね。いったいそれはどういう……」
「話すと長くなりますから」
 Lはそう応えて、口の端で少しだけ笑った。
「わしはそろそろ、また研究室に戻るよ」
 そう言って松戸博士は、眺めていた窓からLに視線を移動させた。というより彼が抱えていた銘菓饅頭二十個入りの箱に。
「……もしよかったらその饅頭、一個でいいからわたしにくれんかね、Lくん」

 * * *

 新たな展開があった。
「真希さん。君が受けていた注射は、おそらく通常の栄養剤だよ。ブドウ糖だ」
 松戸博士が、こう言いながらLたち三人がいた予備室に入ってきた。
 椅子を後ろ向きにだらりとまたがった格好でパソコンを扱っていたLが、「それはどういうことですか?」と、顔を上げて博士に聞いた。
「五時間のブドウ糖負荷試験というのをやって出た結果だ。真希さんは、日常生活には支障をきたさない程度の、軽い低血糖症を持ってる。」
 不思議そうに「低血糖症?」とつぶやく真希に、松戸氏はうなずく。
「血中の血糖値をうまくコントロールできなくなる病気でね、おそらく注射を打ち始めるまでは自覚症状もあったと思うよ。だるいとか、気分が重いとか」
「あ、はい」真希はうなずいた。
「お母さんがずっと入院していて、わたしも、とても気持ちが暗くなっていた時期がありました。身体の調子も少し悪くなって……」
 そうか、と博士は納得したように言った。
「Lくん。君のところを彼女が訪れてから、食べたものを全て書き出してもらったんだ。幸いなことに偶然、血糖値がずっと絶妙なバランスを保っていられる内容だったんだな」
 なるほど、Lのおかげで甘いもの尽くしか。
「食欲がなかったことで少量ずつの摂取にとどまり、血糖値の急激な変化をまぬがれた。これがたぶん、ウイルスを抑えることにも役立ったんじゃないかと思う」
「糖分がですか?」
「ああ」
 博士は真希に向き直る。
「真希さん。お父さんは、何も言わなかったんだね」
「はい」
 博士が彼女に歩み寄った。真希は、博士の顔を見上げた。
「これは、わしのうがった考えなんだがね。君のお父さんは、糖分がウイルスの発症を抑えることを把握していた。君に注射を打っていたのは低血糖の治療もあるが、ワクチンが完成する前、自分たちに万が一のことがあったとき、少しでも時間を長く作っておくためだ。これはねお父さんの、お父さんなりの君への愛情だったんだと、わしは思うよ」
 それを聞いた真希の目に、たちまち涙が溢れ出す。
「……お父さん!」
 そう言って、ぽろぽろ涙を流す真希の肩を、松戸博士がやさしく支えた。
 椅子の背にあごを乗せたままそれを眺めるLのそばに、いつのまにか少年がやってきていて、ぴたりと寄り添った。

 そうだ。俺はここ数日、彼らふたりを見ていて不思議なことに気付いていた。
 Lがコンピュータの前に座り作業をしているときは、少年も何か別のことに没頭している。しかしいったんLが作業を終えるか、あるいは飽きてぼんやりしだすと、どういうわけか少年も近くにいる。ほとんど言葉を交わすこともないが、彼らはくっつきあい、しばらくのあいだ一緒に時を過ごしている。
 あたかもそれは、お互いの欠けた部分を補っているような姿だった。

 * * *

 雨は、相変わらず降り続いている。
「……何かが欠けているんだよ」と、松戸博士が力なくつぶやく。
 ここ数日で、博士はすっかり老け込んだ印象だ。無理もないだろう。ほとんど徹夜のような状態で作業を続けている。ワクチンの生成に、糖分が重要な役目を果たしていたことまではつきとめたが、そのあとのパズルのピースが揃わないのだと。
 Lは、暗い夜の雨を見ながら応えた。
「あと六日。六日で決着をつける必要があります」
 松戸氏が、ふと顔を上げる。「……六日?」
 はい、とLは窓の外に目を据えたまま、青白い顔で小さくうなずいた。
「それまでに必ず完成させて下さい。どうか、お願いします」

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L spin out the life 7

Ty17l02

 * * * 《 7 》

 あくる日、雨が上がった。
 少年がばたばたと足音をたてながら、興奮して予備室に駆け込んできた。
 室内にいたのは、ぐったりした松戸博士とその肩を揉んでやっている真希と、いつのまにか彼の定位置になった窓際の、パソコンの前に座り込んだLだ。
 三人が驚いて少年を見ると、彼は何かを叫んでいる。おそらく村の言葉なのだろう、必死で訴えてはいるがまるで意味がつかめない。少年はLのもとに駆け寄り、白いシャツとジーンズをぐいぐい引っぱった。
「Boy, calm down. ……And in English」
 Lの言葉に少年はちょっと息を継ぎ、叫んだ。
「Thirteen eleven! Thirteen eleven!」

 少年に手を引かれたLが外へ出てみると、雨上がりの泥の地面に、大きく何かの図形が描かれている。十三、十一という解答がその図形から導かれていた。
「これ、お父さんの宿題!」
 何ごとかとつられて出てきた真希が、図形を見て叫んだ。慌てて予備室に戻ると、リュックからピンクのノートを取り出しページをめくる。松戸博士も肩をぐりぐり回しながら、興味深げに身を乗り出してきた。
「何ですか、宿題って」
 そう言いながらLがノートをのぞき込む。彼女が少年に見せていたこれには、どうやら気付いていなかったらしい。そういやお前、あのとき苺の妖精パフェに夢中だったんだもんな。
 Lが一瞬、息を飲むのがわかった。
「……ライト」
 そうLの唇が動く。俺が後ろからのぞくと、以前に見たときは気付かなかったが、そのページには、例の図形のほかに文字が記されていた。

 =light と。

「……偶然だ」
 何かを振り切るようにそうつぶやいて、Lはピンク色をした可愛いノートをつまんで手に取った。そして夢中でそれまでのページをめくる。
「真希さん、あなたのお父さんはどうやら、このノートに暗号メッセージを隠していたようです」
「暗号?」
 真希の問いかけに、Lは「そうです」とうなずいた。
「見て下さい。こちらのページのものは“HOPE”、こちらは“WATARI”と解読できます。この法則を当てはめると十三、十一というのは“MK”だ。」
 Lの頭脳が、高速で回転し始めている。
「MKイコール、ライト。……光、光明。これは、混迷の状態にあればこの方向へ行けとのサインです。ワクチンの謎を解くキーはこの“MK”にある。松戸博士、何か心当たりは?」
 名前を急に呼ばれた博士は飛び上がった。「そ、そんなこと突然言われても」と慌てる松戸氏に、たたみかけるようにLは言った。
「では、これからわたしが“MK”で思いつく言葉を上げていきます。その中で何かピンとくるものがあったら、すぐに応えて下さい」
 Lは予備室をぐるぐる歩き回りながら、俺にはさっぱりわからない“MK”なるものの名前を目まぐるしく挙げていった。やがて、松戸博士もつられるようにぐるぐると歩きはじめた。唖然とする子どもたちを前に、ふたりは互いに二つの円を描くように歩き回った。

「……midkine」
 Lがひとつの単語を口にしたとたん、松戸博士の顔色が変わった。「それだ!」
 博士はぴょんと大きく飛び上がったあと、だだっとLに駆けより彼の両手を握りしめて上下にぶんぶん振った。
「それだ、それだそれだそれだ。ああ、わしも大バカだったよ。こんな単純なことに気付かんとは! せっせっせっ……」
 Lが、つかまれた手を離そうともがきながら言った。
「生物の発生の時期に、重要な働きをすると考えられている蛋白質ですね」
「そうだ、そうだそうだ。ぶっぶっぶっ……」
「分裂をくり返す受精卵が、脳や臓器など特徴のある細胞へと分化していく時期に、大量に生成される。細胞より分泌、血管じゅうを巡って周りの成長を助ける」
 そうだ、そうだ、と博士はうなずいた。
「ミッドカインは細胞の寿命を引き延ばし、増殖させる大切なファクターじゃよ!」

 だがしかし、とLの手を離して松戸氏は続けた。
「この物質は生物の発生中期でピークを迎え、その後は急激に減る。人の場合、生まれたあとはほとんど生成されなくなるんだ」
 力なく椅子に腰掛け、ふう、と大きくため息をついた。
「そんなもの入手できない。また人工的に作るなんてとんでもない話だ。莫大な時間と費用がかかる。ここなんかじゃ無理だよ……」
 なんだなんだ、ただのぬか喜びか。人間ってのは難儀なもんだ。結局は金ってやつが問題になるのか。

「……この子は、どうですか?」
 Lの声に「えっ」と、松戸博士が顔を上げた。
 奴のそばには、ぴったりと寄り添う少年の姿がある。
「しかし子どもといっても、ミッドカインが生成されるのは、いまも言ったように胎児の時期のみだ。この子はあまりにも大きすぎるよ」
 松戸の反論に、Lは冷静な声で応えた。
「彼は、村人全員がウイルスで全滅した村にいて、感染をしていません。病院とここで検査を受けましたが、それは通常の検疫と血液検査ぐらいなものだ。ミッドカインに関しては未知数です。調べる価値はあるのではないでしょうか?」
 それから、少年の前にしゃがみ込んで両肩を抱き、彼にこう告げた。
「You know, you are special. You'll have to do it」
「……Yeah」少年が、こっくりとうなずく。
 ふたりの姿を見て松戸博士は、大きく息をつき「わかった」と応えた。
「一縷の望みだ。坊や、わたしたちを助けてくれ」
 ではさっそく検査の準備に取りかかる、と、バタバタしながら予備室を出て行った。

「Am I helpful for you?」
 そう問いかけた少年に、Lは「Yes」と応えた。そしてそのままぎゅっと少年の背中を抱きしめる。
「Near, I'm so proud of you!」
「ニア? ね、ニアってその子の名前?」
 気付いた真希が、Lに聞いた。
「わたしが付けました。彼は本名をなかなか教えてくれませんので。呼ぶときに名前がないと不便だ。わたしも以前、そういうことを言われた」
 Lがそう応えながら立ち上がる。真希は「あっ」といたずらっぽく目をくるりとさせた。
「大発見! わたしたちつながってるよ、アルファベット順に」
 L、M、N、と、それぞれ指をさしていきながら「やっぱりさ、運命の仲間だったんだよねえ」なんてことを言ってはしゃいだ。
「ねえ、変てこ三人組、復活しようよ!」
 真希はいい子だ。いまひどく傷ついてはいるが、本来は明るい、強い子だ。
 こんな少女が死の病にとり憑かれているなんて、たとえ死神の俺でも心が痛むぜ。

 * * *

 三人は、建物の屋上に上がった。
「海が見える!」
 真希の指したその先に、遠くきらきらと光る海がある。雨上がりの空気はじつにみずみずしく、森林や若い草花の息吹まで感じられるようだった。建物をとり巻く木立からは、ぴちぴちとさえずる鳥の声がそよ風に運ばれてきた。いつのまにか雲も消え、彼らの頭上には、まぶしく青く澄んだ空が広がっていた。
 ビニール製のシートをまだ少し湿り気の残るコンクリートの床に広げ、お弁当やデザートやお菓子を並べた。ニアが検査を受けているあいだに、真希とLが大学の購買部で調達してきたものだ。
「トムヤムクンもあるんだよ! ……といってもインスタントで」
 真希がインスタントのカップスープをニアに見せながら、小声でLに質問する。
「ねえL、『お口に合えばいいけど』って、どう言えばいいのかな」
「I hope you like it」
 にあ、あいほーぷゆーらいきっ、と、たどたどしく真希が口にすると、ニアは「sure」とニッコリ笑い返した。
 こうして、ささやかな午後のピクニックが始まった。
「ねえL、聞いていい?」
 いつものように背中を丸め膝を抱えた格好で、おはぎを頬ばっていたLを、のぞき込むように真希が話しかける。
「はい」
「あのさ、何でそんなに、いつも甘いものが好きなの?」
 おお、それは俺様も、こいつにいちばん聞きたかった質問だぜ。
「特別に好きというわけではありません。脳は安静状態でも一時間に五グラム、一日およそ百二十グラムのブドウ糖を消費しています。フルに脳を働かせておくにはこのように、継続して糖分を摂取しておく必要があるのです」
 真希は「好きで食べてるわけじゃないんだ……」とつぶやいたあと
「でも、ちゃんと他のものも食べないと、健康で長生きできないよ。姿勢だっていつも悪いし。ねえL、ちょっと立って背伸びしてごらんよ。深呼吸してさあ」
 うむを言わさぬ調子に、仕方なく立ち上がったLが、ゆっくり背筋を伸ばした。
 ほらピンとして! とまるで母親のような口調で真希が言う。隣では、ニアがお腹を抱えて笑っている。
 この日の空はとても高かった。遠くからかすかに爆音が聞こえる。飛行機が銀色の翼をきらりと光らせながら、小さく東のほうへ向かっていた。
 ひゅう、と涼しい風が吹いた。Lの黒い髪と白いシャツの裾がなびく。
 Lはそのまま深く大きく息をし、透きとおった空を見上げ、そしてまるで祈るように静かに、目を閉じた。

 その日の真希はじつによく喋った。
「Lってカノジョいるの?」「どんなタイプが好み?」「デートはどこへ行きたい?」などと、思春期の娘らしい質問を矢継ぎばやに浴びせ、奴を大いに面食らわせた。
 Lが「真希さんあなたはどうなんですか」と反撃すると
「わたしは、お父さんがいちばん」
 そういう健気なことを言って、笑った。
 ピクニックシートを片付け階段を下りていこうとしたとき、真希がLを呼び止める。怪訝そうに振り返った彼に、真希はまたニッコリ笑い「ありがとう」と言った。

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L spin out the life 8

Ty17l02

 * * * 《 8 》

 その日の夕暮れ、Lは都内にいたスルガを呼び出した。
 スルガは例のポップでカラフルでファンシーなクレープ販売車に乗り、颯爽とやって来た。大学の通用門前で出迎えたLに、じゃらりと何かが入った大きな袋を渡す。
「これは何ですか」
「クレープの売り上げ金です。ヒマだったんでちょっと作ってたら、ここ数日で評判になっちゃって、こんなに売れちゃいました!」
 さすがだスルガ。もしFBIをクビになっても、きっとクレープ屋で成功する。
 Lは、ちょっとだけ口の端を上げたあと言った。
「いったん東京へ戻ります。連れて行って下さい」
「了解!」

 東京へ行く道すがら、Lはスルガにことのいきさつをざっと説明した。
「大変なことになっていたんだ。呑気にクレープなんて焼いてる場合じゃなかった」
 運転席でそうつぶやくスルガに、助手席のLは「とてもおいひいです」と応えた。手にはスルガ特製チョコバナナクレープ。指をしゃぶってるのはチョコがくっついたんだろうな。
「スルガさん、あなたは見かけよりずっと優秀なようです。こちらの力になってくれると助かります」
 スルガはちょっと何かを言いかけたようだったが、黙った。しばらく黙って運転を続けたが「やっぱり」と助手席のほうを向いた。
「運転」Lが注意をうながす。
「すみませんLさん。わたしはあなたを騙そうとしていました」
 スルガは言った。
「FBI上層部は何かを企んでいました。わたしがデスノートをあなたから回収しようとしたのは、その指令を受けたからです」
「運転」
「連邦捜査局だからといって、正義の輩ばかりとは限りません。エドガー・フーヴァーなんて例もある。自分のためだけに力が欲しい連中はごまんといるんだ」
 こんな実情、聞いたって楽しくないですよね、とスルガがつぶやく。
「あなたのところを訪問する前、キラ事件に関係した捜査員たちに少し話を聞いたんです。事件については皆さん何も言わなかった。複雑な事情があるなって感じました。……たとえば、内部にキラがいたとか?」
 おお、けっこう鋭いな、スルガ。
「もしそのノートがなかったら、キラはごく普通の人間として、自分と同じように多少の不満もありながらも、当たり前の人生を送れたかもしれない。そう思いました。
 上層部には『デスノートはLが焼却した』と報告しました。たとえあなたからノートを受け取ったとしても、上には渡さずわたし自身の手でそれを処分するつもりでした。ひょっとしたら、それでFBIをやめることになるかもしれません。苦労して就いた仕事ですが、わたし自身はそれでいいかって思ってます」
 やめたってお前なら、ハウスキーパーでも卵を的に当てる芸人でもクレープ屋でも、何でもうまくやっていけるぜ。

「ノートを持ったら、ろくなことはありませんね」
 Lが、ぼんやりと口を開く。
「死神の奴はとにかくうるさい。下らない話を耳元でずっと繰り返します。いまもつまらぬことを後ろで」
 うるさいとは何だ。下らない、つまらないとは。俺がそう言おうとしたとき、スルガがゆるやかに車を止めてニッコリした。
「到着しましたッ」

 * * *

 レジデンスは、Lたちが着のみ着のまま脱出した数日前の状態で、ひっそりと闇に沈んでいた。いつもの部屋に入ると、収納場所は開けるだけ開けられ、書類が室内に散乱している。おそらくワクチンの謎を探ろうとしたブルーシップの仕業だろう。
 それらをまたぐように通り過ぎて、Lはあの陽射しの小部屋へ向かった。白い光を透かしていた刷りガラスの向こうは、当然のことだがいまの時間、漆黒の闇だ。
 ほの暗い間接照明の中、Lは部屋の中央まで足を踏み入れると座り込み、何かのスイッチを押した。Lの前にぽかりと暗い穴が開く。深く手を差し入れ、彼がそこから静かにつまみ上げたのは、真っ黒な二冊のノートだ。
 そうだ。ひとつは俺様のノート。もうひとつは愚かな死神が、ひとりの少女の生命を引き延ばそうと禁を犯し、そのためこの世に落ちてくることになったノート。
「名前を、書く気になったか?」
 俺は、Lの耳元で囁いた。

 Lはうつむいたまま、何も応えない。
「小西朝夫、吉沢保、三沢初音、加賀見シン、そして的場大介に、久條希実子。お前がこの数日間かけて調べ上げたブルーシップの連中だ。顔だってちゃんとお前の頭の中に入ってる。奴らがことを起こす前にこの名前を全部デスノートに書けば、すべて一気に解決する。あの子の父親の仇だって取ってやれるんだぜ。いったい何の問題がある? なあL、それを使えよ」
 Lは応えない。
「ワクチンが本当に完成するって思ってんのか。以前あのじいさん失敗しちまったんだろ? 今回が成功だというのは虫のよすぎる展望だ。殺人ウイルスが世界に蔓延して、取りかえしがつかなくなる前にやれよ。
 使い方は他にもあるぜ。あいつらの名前でなくていい。二階堂真希、その名前を書けばあの子は、身体じゅうから血を流し悶え苦しむ前に、楽に死なせてやれるじゃねえか。それからニア、お前が名前をつけてやったあの子。お前が死んで、やがて人々が死の病に犯され絶え果てても、あの子だけが生き残らなきゃなんねえ。この世にひとりぼっちだ。そんなの可哀想だろう? いまのうちに名前を書いといてやれよ」
 ノートを手にしたLが、ついと立ち上がる。
「……あの子の本名は、知らない」
「はぐらかすな!」俺は叫んだ。
「わかってるんだぜL。お前、これまでデスノートを燃やさなかったんじゃねえ」
 Lが、硬直したように動きを止めた。
「燃やせなかったんだ」

 Lは、黙ったままだ。
「お前という人間は、火に触ることができない。そうだろ?」
 二冊のノートは、バサリと奴の足元に落ちた。
「Fという男や二階堂博士が焼死したと聞いたとき、お前はかすかに怯えていた。スルガの喫煙を屋内では許さなかった。この建物内に火の気のあるものはない。なぜなら、お前自身が火というものを恐れているからだ。おおかたお前自身も憶えていないような小さなガキのころに、そうさせる何かがあったんだろうな」
 図星だ。ここまで動揺するこいつの姿、俺は初めて見たぜ。
「この数日間で身にしみてわかっただろ。お前はちっぽけなただの人間。未来は計れず、過去の捉われから逃げることもできない。 ……天才? ははっ笑わせるぜ! 俺にとっちゃお前だって、みんなと同じ汚いただの血と肉の塊に過ぎない。簡単に動かなくなり、いずれは腐る。それだけの存在だ」
 気力が一気に萎えたように、Lはがくりと膝から崩れ落ちた。床に手をつき、うなだれたまま肩で大きく息をつく。
「俺のペンを貸してやるよ」足元にペンを転がしてやった。
「無造作に、自分の名前を書き入れたろう。あのときみたいに連中の名を書いてやれ。どうせお前は天国にも地獄にも行けない。デスノートをいちど使っちまったんだからな。ならいっそ死んでこの世から消える前に、世界を救うため、神ってもんになってみたらどうだ?」
「……月くんの死にざま。あれが神だとでも」
 小さく震える声でLが応える。おれはふんと笑った。
「あいつは、ただのガキだ」
 そしてお前は、ガキ相手にムキになってただけだ。

 細く白い指で、Lは俺のペンを取った。

 凍りつくような時間が流れた。どのくらいそうしていただろう、Lはデスノートの前に座り込み、震える手で俺が与えたペンを握りしめていた。
 やがてLは、うつむいたままペンを床に投げつけ、目の前のノートをばさりと手で払いのけた。
「なんだあ、やっぱり使わねえのか」
 つまんねえ。やっぱりこいつおもしろくねえ。
 世の中にはこれを使いたい奴はいっぱいいるだろう。ブルーシップの連中なんか絶対そうだ。いや悪人とは限らない。あの可愛い真希っていう嬢ちゃんは、あれだけあの連中を恨んでる。もしこのデスノートを手に入れ「名前を書かれた者はすべて死ぬ」なんて仕組みを知ったら、きっと迷わず書くだろう。「久條希実子」って名前をな。
 そのときLが、はじかれたように顔を上げた。
「しまった……!」
 二冊のノートを手に取ると、俺がこれまでに見たこともないような素早さで部屋を飛び出した。

 * * *

 暗い駐車場の中に、カラフルなクレープ販売車が停まっている。
「急いで大学へ戻って下さい」
 そう言ってLが乗り込むと、スルガがすぐに車を発進させた。Lが携帯電話をジーンズのポケットからつまむように取り出したとき、「Lさん」とスルガが呼びかけた。
「Lさん、ぼくを騙してましたね」
「……はい?」
 スルガは運転しながら続ける。
「最初、デスノートをあなたは燃やしたって話してました。だけどそれは嘘だった。行きの車中であなたは言いました。『死神がずっと耳元でうるさい』って。ノートの持ち主と触った者にだけ見えるという死神が、なぜいまもあなたのそばにいるのか。それはデスノートがじつは燃やされず、ずっとあなたの近くにあったからです」
 ほほう、スルガやるじゃん。やっぱりお前、まじにデキル奴だった?
「そしてたったいま、あなたはそのノートを処分してきた。そうですね?」
 スルガが助手席のLに振り向いた。Lは「運転に集中して下さい」とだけ応えた。
「なんで……何であなたは、そんなにひとりで背負い込むんですか!」
 スルガは爆発したように、一気に言葉を吐き出し始めた。
「キラの件だって、あなたが自分の生命を犠牲にすることなんかなかったのに。あれだけのチームワークで事を成し遂げたんだ。優秀なチームだ。あなたが早まらなくとも、全員で必死で考えれば、いくらでもキラを倒すアイデアが出たはずです」
「わたしは早まってなどいません」
「早まってます!」
 ぴしゃりとスルガが言った。
「あなたは結局、誰も信じようとしていない。人を信じることを知らないまま死のうとしてるんです。これが早まってるでなくていったい何なんですか」
「運転」
「あなたみたいな天才には、わたしら凡人の気持ちなんてわからんでしょう。だけどいいですか。みんな心を痛めてるんです、あなたのために」
「運転」
「いくら天才だって、ひとりで世界を変えられるわけない」
 スルガが大きく鼻をすすり上げる。
「あなただって、所詮はノートの犠牲者のひとりにしか過ぎない。……悔しいんですよわたしは、悔しいんです。必ず誰かが犠牲にならなければならない世の中ってのが」

 しばらくスルガの鼻をすする音だけが、暗い車内に響いた。渋滞もなく車の流れは早くて、この分だと思ったより早く鎌倉に戻れそうだった。
 Lが、静かに口を開いた。
「スルガさん、運転しながらでいいです。左手をちょっと貸してくれませんか」
「えっ?」
 不審そうに左手をLへ差し伸べたスルガの眉が、ぴくりと上がった。
「……これは?」
「スルガさん、これであなたにも死神の姿が見えるようになりました」

 スルガの手はLの持つデスノートの上に置かれていた。
 言葉を失ったまま、慌ててあたりを見回すスルガに、俺も満面の笑みをもって応えてやる。Lがまた「運転」と注意をうながした。
「スルガさん、たしかにわたしは嘘をついてました。デスノートはわたしの手元にありました。そしてこのようにいまでもあります。さきほど処分をし損ねたからです」
 Lは、視線を前方へやったまま言う。
「これからデスノートをしばらくあなたに預けます。お願いしてよろしいですか」
「ええっ!」スルガが目を丸くした。
「これから忙しくなります。ノートにかまけている余裕がありません。ただ、あくまでも預けるだけです。いま関わっている事件が解決したら、ノートを最終的に処分するのはわたし。これは、わたしが死ぬ前の最後のわがままだと思って下さい」
 動揺したスルガがハンドルを取られる。Lはまた「運転」と言った。
「スルガさん。それでよければ預かっていて下さい」
 スルガがやっと「いいんですか。わたしがそんな」と口ごもって応えると
「あなたを信じていいんでしょう?」
 Lの口の端が、ちょっとだけ上がった。
「ちょっと電話をします」
 携帯電話をふたたび手にしてリダイアルボタンを押すが、数回のコールのあと、またすぐに切った。
「さっきから、真希さんも松戸博士も一向に出てくれません。何かあったのかもしれない。急いで下さいスルガさん」
 スルガが「了解」とばかりに、アクセルを踏み込んだ。

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L spin out the life 9

Ty17l03

 * * * 《 9 》

「いやあ、すまんすまん。すまんかった!」
 そう言いながら、松戸博士はやたらハイな調子で、Lとスルガの前に登場した。
「すっかり夢中になってて電話に気付かんかった。しかしだ、ジャジャーン! 君たち喜びなさい、ワクチンがとうとう完成したぞぉ!」
 そんな博士を無視して、Lが予備室じゅうを落ち着きなく歩き回った。「博士、真希さんはどうしましたか?」
「えっ、真希ちゃんはついさっきまで、坊主のそばにいたが……」
 ニアは窓際のソファで毛布を掛けられ横になっていた。ぐっすり眠っているようだ。
「しっ」
 ニアを起こさないよう息をころしながら、Lは彼の胸ポケットを探った。ピンク色のノートを破った一枚が、折りたたまれて入っていた。
 松戸博士とスルガが横からのぞき込むなか、Lはその紙片を広げた。
 そこにはいかにも女の子らしい丸っこい文字で、ひと言「さようなら。ありがとうございました」とあり、その下にはLとニア、それに博士と思われる似顔絵のイラストが描かれていた。三人ともニコニコした幸せそうな笑顔だ。
「え、えっ、こ、これは?」
 思いもよらない事態に、博士は何が起きたかまだ把握できないでいるらしい。
「博士はここでニアと一緒にいて下さい。スルガさん、真希さんを探しましょう」

 * * *

 Lとスルガ、ふたりが手分けをして彼女を探したが、見つかったのは、ひと気のない埠頭に落ちていたクマのぬいぐるみだけだった。泥にまみれ腕がもげかけたその姿は、そこで尋常ではない何かが起きたことを匂わせていた。
 それを持ち帰ったLに、松戸博士は泣きそうな顔で訴えた。
「いったいなぜなんだ。せっかくウイルスが完成したんだぞ? これであの子は健康な、普通の女の子に戻れるはずだったんだぞ?」
「だからこそですよ」
 Lが応える。
「いま真希さん自身が、普通の女の子に戻っては困ると思っていたんです。いまの彼女はいわば殺人ウイルスが体内に仕込まれた爆弾だ。それを武器にして、父親を殺した連中に命がけの復讐をいどもうと考えたのです。だけど、それこそ十二歳の女の子が考えることだ。たかが知れていました」
「逆に、拉致されたってことか」スルガがつぶやいた。
 Lが、ほころびたクマをじっと見つめながら「わたしのミスです」と言った。
「彼女の心理を推測することを怠っていました。彼女から離れるべきでなかった」
「わしだってそうだ。……でもまさか、小さな女の子がひとりで、そんな大それたことをするなんて誰も想像しないよ」
 松戸博士はすっかり意気消沈している。そりゃそうだろう。本来ならワクチンの完成は、喜ぶべき大ニュースのはずだからな。

「真希さんを手に入れたブルーシップが、次にどう出てくるか。それが問題です」
 Lは、事務用椅子に座り込み、くるくると回りながら話を続けた。
「的場大介、彼の裏の顔は死の商人。おそらくタイでの生物テロは、ウイルスの効果を調べる人体実験であったとともに、ウイルスを欲しがる国へのデモンストレーションです。焼き払えばすむ程度の小さな規模の村を、わざと狙っていましたから」
「……そんなことのために、この子はひとりぼっちにされたのか?」
 スルガが、ニアの寝顔を見てつぶやく。
「もしこのウイルスを武器として各国に売り込むとしたら、必ずワクチンとセットにする必要があります。しかし、奴らのもとにワクチンはない確率のほうが高い」
「ワクチンは絶対に渡さんよ!」
 松戸博士は、やたらとムキな口調だ。
「わかっています。ただ心配なのは、今回の真希さんと同じように、たとえ自分の生命を犠牲にしても目的を遂げたいという過激な考えを持つ人間が。そう、死ぬことを恐れない人間が、あの中にいるかもしれない」
 スルガがううん、と唸って頭を抱える。
「そうなれば奴ら、無茶な行動を起こす恐れがあるってわけだな」
「こうしちゃおれん!」松戸氏はぴょんと立ち上がった。「すぐにでもワクチンの量産体制にかからねば!」
 データやサンプルを準備するため研究室に戻ろうとした博士を、椅子に座ったLがふと思いついたように呼び止めた。
「ここに、針と糸は置いてありますか?」
 そう言いながら、ずっと抱いていたクマのぬいぐるみを博士に示した。

 * * *

 翌日、松戸博士は早朝から、つきあいがあるという近隣の薬品メーカーに、ワクチンのデータとサンプルを携えて出かけた。Lとスルガは、そのままブルーシップの出方に対しての対策を練った。
「売り込むとすれば、資本力の大きい国です。しかも常に強い力を欲している国」
「……アメリカか?」
「可能性がいちばん高いのはそうですね。八十六パーセント」
 スルガがふと眉をひそめて「ちょっと待てよ」と言った。
「ブルーシップの連中はワクチンを持ってないんだろう? それならどうやって殺人ウイルスを売り込むんだ?」
「専門家が何かの薬品を手に『これはワクチンだ』と断言すれば、おそらく大抵の人間は信じるでしょう」
 スルガが呆れたように目を剥いた。
「そんなには簡単に騙されないだろ? 取引する相手だって、人の死を金に変えるような腹黒い連中たちだ」
 Lが、かすかに笑う。
「騙されるのは相手じゃありません、自分たちです。夕べも言いましたよね、自分の生命を犠牲にしても目的を遂げたいという過激な考えを持つ人間が、内部にいるかもしれないって。そうなればブルーシップも所詮、そのために使われる道具のひとつにすぎません。死神は、最後の最後に牙を剥きます」
 そう言ってLは窓の外に目をやり、爪を噛みながらそのまま何かを考え込んだ。

 ソファで眠っていたニアが起きて、目をこすりこすりLのもとにやってきた。気付いたLが、彼に問いかける。
「Do you wan'na go pee?」(おしっこ行きたい?)
「……Yeah」(……ウン)
「OK, let's go together」(オッケー、じゃあ一緒に行こ)
 そういうふたりに、スルガが驚き
「When did you make such a friendship each other?」
(いつのまに君たち、そんな友情をつちかったの?)
 そう聞くと、Lは目を伏せ、ちょっと照れたような顔をした。
「トイレ行ってきます」
 席を立った彼に、スルガが問いかけた。
「この子はもちろん知らないんだよね。あなたがあの、その、あと四日しか……」
 言いよどむスルガに、Lは小さく微笑む。
「ご心配なく。そうなる前にちゃんと連れて行きます」
「どこへ?」
「ワイミーズハウス。わたしが育った場所です。あそこなら、安心して彼を預けられますから」
「幸せに、暮らせるんだよね?」
「はい」
 部屋を出て行こうとするふたりに、スルガが「もうひとつ」と呼び止める。わざわざドアのところまで出ると、「それにしても、Lさん」
 ちらりと俺を一瞥し、眉をひそめてささやいた。
「本当に、何日もこんな調子でずっと死神につきまとわれてたんすか? ……やりにくかったでしょう」
 おいおい、ちゃんと聞こえてるぜスルガ。

 * * *

 動きがあったのは、その日の夕方だ。
 毛布にくるまり、予備室の奥にあるソファで寝息をたてていたスルガは、ニアに揺り起こされた。
「L wan'na tell you, c'mon!」
 スルガが目をこすりながらパソコンの前まで来ると、Lはチョコレートを片手に、朝からずっと変わらぬ調子で作業を続けている。
「彼らを見つけました」
 Lがモニタ画面に広げたものは、どこかの航空会社の搭乗リストだ。社外秘のものだがおそらくこいつのことだ、うまく引き出したのだろう。
 スルガが、画面の文字を追いながら言う。
「翌朝の八時。東海国際空港発ロサンゼルス行987便。このリストから見るとあいつらは、ひょっとして緊急医療チームに化けているのか?」
「彼らにとって、いまの真希さんはウイルスを運ぶための大切な器。彼女をアメリカまで連れていくのにいちばんよいカムフラージュです」
「何としても、阻止しなけりゃならないな」
 息巻くスルガに、Lは言った。
「いずれにせよ、いま博士が奔走してくれているワクチンの完成を待たなくてはなりません。それまですることはありませんから、まだゆっくり寝ていて下さい」
「L、あなたこそ眠ったらどうです。昨夜から全然、寝てないんじゃないか?」

 それに対してはスルガ、心配ご無用だ。
 昨夜どころか、俺はLのそばに来てから、こいつがちゃんと寝る姿をろくに見たことがない。おまけにこいつ、松戸邸を訪れた夜にあの子らと川の字で無理やり布団に押し込まれて以来、四日のあいだ平気で眠ってない。

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L spin out the life 10

Ty17l03

 * * * 《 10 》

 ガシャン! とフロントバンパーが激しい音をたて、柵を蹴散らす。
 スルガの運転するポップでカラフルなクレープ販売車は、緊急車両用のゲートを突破した。慌てて追ってくる警備員を尻目にいくつものパイロンをからからとなぎ倒し、いきおいよく東海国際空港の敷地内に侵入する。 
 朝の八時。ロサンゼルス行987便はすでに出発時間が来ていたが、おそらくたったいま起きた不審者侵入事件……というか、こいつらがやらかしてるこの騒動に対しての措置なのだろう、そのままポートにとどまる姿が遠くに見える。それに向かってスルガは、ぐいぐいとアクセルを踏み込んだ。

 昨夜、Lたちは夜更けを過ぎ、ようやくワクチンが出来たとの連絡を松戸博士から受けた。薬品工場でそれらの品を受け取り、博士にニアをまかせたあと、彼らはそのままインターチェンジから高速に乗った。全速力で走って、翌朝八時発の987便にギリギリでまに合うか、まに合わないかの時間だった。
「L、何か秘策はあるのか?」ハンドルを握りながらスルガが問う。
「ありません。突入のみです」
 Lの応えに、スルガは目を丸くした。「と、突入?」
「キラ事件のときに、わたしの思いもつかない手段を取った捜査員がいました。それをちょっと真似してみようと思っています」
 警視庁刑事部部長でキラ対策の責任者、そしてキラこと夜神月の父親でもあった、夜神総一郎のことだろう。第二のキラ出現でパニックとなったTV局に自ら乗り込み、局面を打開した人物だ。しかし、あのときお前は、確か「自分にはできない」などとほざいてなかったか? それをやってみたいとは、本当にどういう心境の変化だ。

 で、まあ、さっきのがその真似というわけである。
 987便に向かい疾走しながら、スルガが言う。
「L、実戦ならおれのほうが慣れてる。やっぱりこれから先はおれがやったほうが」
 Lはシートベルトをはずしながら、「いいえ」と応えた。
「これは、わたしにしかできないことなので」
 ワクチンの入ったケースを斜め掛けにしたLが、車のスライドドアを開く。どういうわけだか、ポートで停止していたはずの飛行機が、大きくエンジンの音をたて始めていた。
 タイミングを計り、旅客機に一番近づいた地点でLは車を飛び降りる。一瞬よろけたが、すぐに体勢を立て直しタラップへ走った。スルガはするりと飛行機から離れ、追いかけてくる空港の車を相手に、ハリウッド映画並みの派手なカーチェイスを始めた。
 いっぽう慌てる整備員たちの制止をふり切り、Lはそのままタラップを駆け上がるが、動き始めた飛行機とタラップはすでに大きく幅が開いていた。
 轟音の中、Lが躊躇なくその空間に跳ぶ。
「無茶するな! ここから落ちたら足なんて簡単に折れる。すっげえ痛いぞ。『安らか』なんてとんでもねえぞ。下手したらここでお陀仏だぞ」
 言ってやったがいつものごとく聞きやしない。まあ、聞ける状態じゃないか。
 しかしながらだ。こいつが運動音痴というのはやっぱり俺の勘違いだったか。それともこれは単なる火事場の馬鹿力か。何とか乗降口に引っかかりもがいたあと、腕の力で自分を引っぱり上げ、Lはガタガタと揺れる旅客機に乗り込んだ。

 はあはあと大きく肩で息をつくLの名を呼ぶ人物がいた。久條希実子だ。客席へと続く通路の入り口で立ちはだかっている。
「あなたが、Lね?」
 死神の俺が口を出すことでもないが、この国のセキュリティはなってない。飛行機の中だというのに、彼女の右手にはしっかり拳銃が握られていた。
「K……久條、希実子」 
 Lがつぶやく。
 久條希実子の左側の腕には、ぐったりとした真希が抱えられている。
 彼女が必死に抵抗した結果なのか、それとも事故なのか、真希の腕にはざくりと大きな傷が入り、そこから血が流れ出ている。そしてその傷から溢れた毒は空気を伝い、いまや機内じゅうの人々に広がろうとしていた。
 意識も朦朧としているらしい真希が「ごめんなさい」と、小さく口を動かす。
「K、あなたの計画はもう破綻しました。本当はこんな場所で彼女を傷つけ、人々をウイルスに感染させるつもりなどなかったのでしょう?」
 肩に掛けていたハードケースを床に置き、Lは一歩前に踏み出した。
「あなたが、ワクチンの完成に興味がないことは推測できました」
 久條は「近づかないで!」と、Lに銃口を向けた。
「さすがね。なぜそう思ったの?」
 Lは、また一歩進んだ。
「あなたが、子どもの頃のわたしを知っていたのと同様、わたしも昔のあなたを記憶しています。ワイミーズハウスで見たあなたは、聡明で知的で、判断力に優れ、とても正義感の強い少女でした。
 そのような人間が死の商人と呼ばれる者たちと行動をともにするというのは、理由があるはずです。ブルーシップはかつて『環境を守るために人類を減らす』という信念で活動をしていました。いわゆる『人類削減計画』です。そしてまた、あなたのように理想が高く、潔癖な性格の人間は、何かをきっかけにして極端な行動に走る傾向がある」
 あの、夜神月のようにか?
「あなたがその『人類削減計画』に傾倒し、その考えを実行に移そうと動いていると考察するなら、平仄は合います」
 久條の持つ銃口が、Lの左胸にぴたりと向けられた。
「それ以上近づくと、撃つわ」
「わたしは死神に生かされています。撃たれても死にません」
 Lの言葉に、久條は「何よそれ」という顔をした。当然だろう。

 それにL、お前ひょっとして勘違いしてるぜ。確かに死ぬのは二十三日後とデスノートに書いただろうが、何もそれで不死身になったというわけじゃない。足を折るのと同様、心臓を銃でブチ抜かれたら当然、死ぬに決まっている。
 旅客機が、いきなり大きくガガッと揺れた。
 機は滑走路に入る手前で大きく進路をはずれ、斜めになって止まった。久條の左腕から離れた真希が崩れおち、どさりと床に倒れた。久條は銃を両手で持ち直し、再びLの胸に向けた。すでに彼女の鼻や耳からも、だらだらと血が流れはじめている。
 大きく肩で息をしながら、Kは笑った。
「あなたが邪魔をしなければ、このまま計画は進められるわ。外を見てよ。みんな集まってきてる。この飛行機が死神の器だってことも知らないで!」
 確かに外が騒がしくなってきていた。この異常事態に空港警備の車や消防車、救急医療車などの緊急車両が、次々とこの987便をとり囲み始めたのだ。その中に蔓延しているのは“死”なのだとはつゆも知らず、まったく無防備な状態で。

 ああそうだ。俺の目には最初から見えていた。ブルーシップの連中の寿命が。
 こいつらの生命がL、お前と同じくあと数日で終わることを俺は知っていた。だから最初に見たとき、こいつらにデスノートが渡るのは、無理だと思ったんだぜ。
 ついでに言うと連中だけじゃない、この真希って嬢ちゃんの死ぬ日もだ。しかも決して「安らか」にではなく、身体じゅうの穴という穴から血を吹き出し猛毒を撒き散らして、大勢の人間を巻き添えにしながら苦しみぬき、みじめに果てることをだ。
 L、だからあのとき言ったろう。「いまのうちに楽にしてやれ」って。
 空気感染で殺人ウイルスは、またたくまに狭い機内に広がっていた。早い者はもうすでに、久條のように顔から血を流し始めている。あの的場って男やその手下の連中だって例外じゃない。的場なんてガタガタ震えながら「俺たちはワクチンを打ったんじゃなかったのか?」なんてのたまっている。気の毒に。久條からそんなふうに聞いたんだろうが、じつはそうじゃなかったんだな。
 乗客乗員合わせて三百五十名あまりの旅客機内は、いまや阿鼻叫喚の地獄へと化していた。しかもそれは、まだほんの皮切りにしか過ぎない。この殺人ウイルスがいったん外へ流れ出たら、もう人の手では止められない。
 ブレイクアウト。
 これからこの飛行機の周りにいる奴らへ、そしてその周りへ。さらに周りへ。何千人、何万、何億と、殺人ウイルスの感染は拡大し、やがて全世界は死に覆われる。
 それが、俺たち死神によって描かれたお前たち人類の運命。未来図だ。
 俺はあまりの嬉しさに、思わず「ひゃっほう!」と叫んだ。まさに入れ食い状態。退屈な時間ももうすぐ終わりだ。さしずめ死神天国。

 両手で銃を構えたまま、久條はLの前に立ちはだかり続けた。気丈な女だ。もう気力だけで立っているのだろうが、それでも鋭くLから目を逸らそうとしない。
 L、ついでにもうひとつ言うとな。デスノートで書きかえられる前のお前の命、本当は、今日で終わるはずだった。ワタリとともに銃によって。無残にな。

 そうだ。今日の、ここで。

 皮肉な話だ。ノートによってほんの数日だが、お前はその寿命を引き延ばせたかもしれなかった。なのに結局、本来ならやらない無茶をお前はやって、自らの運命の場所に戻ってきた。
 ……だから言ったろう。「使え」って。

 Kは、口から泡になった血を吐きながら言った。
「殺して何が悪いの? このままではもう未来はない。環境は悪化の一途をたどり、地球の循環サイクルは破壊されるわ。原因を作ったのはおしなべて人間。人間はみんな自分勝手よ。二階堂博士は研究のためといいこんなに凶暴な殺人ウイルスを作った。ブルーシップの連中は金にしか興味がない。ねえ結局、世の中こんな奴らばかりでしょう。死んだって仕方ない奴らばかり。人間はこれから、この世界を勝手な自分の欲のために破壊し、食いものにしてきた罰を受けるだけ」
 Lが、ゆっくりと久條に近寄っていく。やがて彼の左胸にはKの持つ銃口が、ぐいと押しあてられた。
「でも安心して。自分だけ助かろうとは思わない。……わたしもそんな欲に満ちた人間のひとりだってことは、痛いほどよくわかってるから」
 彼女が引き金を引こうとする瞬間
「……教えられたのは、そんなことでしたか?」
 Lが、口を開いた。

「あなたが幼い頃からワタリに教えられてきたのは、そんなことでしたか?」
 Kの目が、はっと光る。
「目的のために生命を、自分のものも他のものも軽んじてよいと、そういうことでしたか?」
 Lは、たたみかけるように聞いた。
「ましてや、他人の生命を巻き添えにするなどということは」
 機内に響く、人々の助けを求める声。
「許されないはずだった」

 Lの言葉は、小さく、曇る。
「……わたしは……間違っていた」

 L、お前。
「どんなに、悔やんだって……」

 お前。

「悔やみきれない」

 
 泣いて、いるのか?

 
 
 Kが声もなく「ワタリ」とつぶやく。気力はそこで途切れた。
 彼女は銃を手からぽとりと取り落とし、血の涙を流しながらその場に倒れ込んだ。
 そんな久條を一瞬のうちに支え、Lはいつのまにか手にしていた注射器を、かすかに抵抗しようとする彼女の腕に打った。
「あなたには責任があります。たとえ過ちを犯したとしても、生きていれば未来は変えられる」
 そう久條に告げたあと、返す手で真希の腕をとる。「もう、大丈夫です」
 すばやくワクチンを注射した。朦朧としながらも必死で伝えようとする少女に
「何も言わなくていい。君はがんばった」  
 低くつぶやき、彼女の肩をぎゅっと抱いてみせた。

「乗客の皆さん!」
 次の瞬間、強く張りのある声が旅客機内に響く。
「ワクチンを持参しました。皆さんは助かります。安心して下さい!」
 この頼もしげな声はいったい誰かと思って見回し、そしておったまげた。Lだ。
「客室乗務員、医療従事者、そして比較的症状の軽い人は協力をお願いします。ワクチンは豊富にありますので、必ず全員にいき渡ります。慌てず、落ち着いて行動して下さい。必ず互いに声をかけて、力を合わせましょう。皆さんを信じます」
 Lの頭の中には、この旅客機の搭乗者数や座席の状況、乗客名など詳細な予備データが、コンピュータ並みにすべて入っていた。奴の指示は一縷の乱れもなく的確で、ワクチンは最後尾までひとり残らずスムーズに回された。人々は争いになることもパニックになることもなく、次々とワクチンを接種していった。
 そして、そんな光景を俺は唖然としながら眺めていた。
 こんなことがあっていいのか?
 俺の目には映っていた。三百五十余名の名前の下に書かれた寿命が、あと数日で終わるはずだった彼ら全員の生命の期限が、どんどん新しいものに差し替えられ、長く引き延ばされていくところがだ。さらにはその周囲、またその周囲までが次々と変わり、新しい未来が広がっていくようすがだ。
 入れ喰い状態だったはずの何億もの命が、たちまち俺の目の前でふいになった。

「おい、L!」
 そう言おうとして気がついた。最後尾の席からゆっくりと戻ってくるあいつは伏し目がちで、いつものように背中を丸めた姿だった。しかし、その唇には人を食ったように不遜な笑みが浮かんでいる。
「L、お前……お前、俺をハメやがったなあ!」
 そうだったんだな、L。最初からお前は、すべて計算済みだったんだな。
 デスノートをなかなか処分しなかったのは、このためだった。やたら仕事に熱心だったのは、こうやって俺のハナを明かすにふさわしい事件を探す目的もあったからだ。
 人が死んで俺がそいつらの命を頂戴しようとするその直前に、目の前でそれを阻止する。未来を変え、寿命を長く引き延ばしてみせる。そうやってお前は死神の俺に、初めからひと泡吹かせるつもりでいたんだ。してやられた。

 すれ違いざま、悔しまぎれに俺は言った。
「デスノートは人間を不死身にする道具じゃないぜ。あと一瞬でも遅かったら心臓を撃たれて死ぬって、お前わかってなかったろう?」
 Lは、ふんと鼻で笑い「心臓を銃で撃たれたら死ぬのは常識ですよ」と応えた。
 この野郎、あれはハッタリかよ。ふざけやがって。
「ちくしょう!」
 そう叫んだ俺に、Lは口の端をくいと上げて、銃のかたちに作った指を向けた。
「バアン!」

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L spin out the life 最終話

Ty17l03

 * * * 《 最終話 》

 事態は、たちまち収束に向かった。
 真希や久條らを含む、987便のすべての乗員乗客は、厳重な管理のもと病院に搬送され、手厚い治療を受けることになる。この殺人ウイルスはいずれ、完全にシャットアウトされるだろう。
 喧騒の中、巨大な飛行機の下で、ひとり膝を抱えうずくまっていたLのもとに、ニアが駆けよってきた。気付いて立とうとした彼に、坊主が思い切りタックルする。ふたりはその場にころりと転がった。ニアはLの顔をのぞき込むと、その胸の上でけらけらと声をたてて笑った。
 Lは、その後ろから来たスルガと松戸博士のふたりに対し、起き上がって深く礼を述べた。
 スルガが、少し左足をひきずっているLに気付き、慌てて聞く。
「ひょっとして、怪我をしましたか?」
 Lは「たいしたことありません」と応えた。
「しょっぱなで、少々くじいたようです。慣れないことはするもんじゃありませんね」
 そう言って、少しだけ微笑んだ。
 スルガがいそいそという感じで、二冊の黒いノートを差し出す。それを受け取りながら今度はLの奴、苦笑をまじえ誰に言うともなくつぶやいた。
「……最後の悪あがきのつもりだったが、ここまで大掛かりに発展するとは、さすがのわたしも計算違いだ」

 そんな自分とノートを交互に見つめる松戸博士の、不思議そうな興味深げな表情にも気付いたらしい。Lは言った。
「これらは殺人ウイルス以上にやっかいな代物ですから、すぐに処分します。スルガさん、火をつけるものをお持ちですよね」
 慌ててスルガが「あ、はいはい」とポケットから取り出したのは、何かの粗品のような、派手なセンスの悪い安っぽいライターだ。それを受け取ったLは、眉ひとつ上げずに着火操作レバーに指をかけ……

 火をつけやがった。いとも無造作に。

 * * *

 それからのLのことなんか、俺様は知っちゃいねえ。
 デスノートを、燃やされちまったからな。

 ----L spun out the life.(Lが生命を引き延ばした)
 あんな光景、死神の俺でさえ、見たことも聞いたこともなかった。
 俺たちの掌の上で踊ってるだけだと思っていた人間の、信じがたい力を見せつけられたような気がした。ひょっとしたら人間は、自分たちの歴史のなかで、ああいう現象を「奇跡」とでも呼んでいるのだろうか。
 だとしたらあの瞬間、あいつは、限りなく神に近い場所にいたのか?
 まじかよ。

 なあ、L。
 本当のこと言うと、俺はちゃんと見届けたかったんだぜ。残された最期の二日と半分を、お前がどんなふうに生きたのかを。
 病院で回復したあの娘は、お前が不器用に縫いつくろってみせたあのクマを見て、どういう顔して笑っただろう。
 天才にしか知りえない孤独というものを、お前とあの少年はどんなふうに分かち合ったんだろう。
 お前が奇跡を起こし変えてみせたこの世界は、お前の目にどんなふうに映ったか?
 足の痛みは、お前が生きていることの証として感じられたか?
 あのときの空の透明な青さは、深く息を吸い、肺腑で感じた空気のみずみずしさは、お前の記憶にしっかり刻み込まれていたか?

 なあ、L。
 俺は本当に、お前に聞きたかったんだぜ。

 ……L。

 
 L。
 
 
 
                                       (終)

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「L spin out the life」アンケート

Ty18lra えるるんぶきみかるた

「L spin out the life」、おかげさまで、終了しました。
恒例(まだ2回目だけど)感想アンケートなど募集します。
差し支えなければ皆さま、お応えくださいませ。

 * * *

【1】 お気に入りのキャラは誰?
(A)L  (B)その他(           )

【2】 お気に入りのシーンは?
(                        )

【3】ここはもっとこうすれば、というところは?
(                        )

【4】 これからどんなものを読みたい?
A デスノート・LcWの二次創作シリーズ
B デスノート・LcW以外の二次創作
C 二次創作以外の小説(    )
D 小説以外の創作作品(    )
E 映画の感想など、創作以外のもの
F プロフィールをちゃんと仕上げてくれ

【5】 そのほか感想、質問、意見などあればどうぞ。
(                        )

メールのあて先は、こちら→「tomtit」へのメール
※回答には、お手数ですが上の文章をコピペしてお使いください。

 * * *

というわけで、終わりましたな。
わたしが方法を知らなかったので、飛行機は止めそこねました。
そのうえ「デスノート the last name」の、あのシーンで
えるるんは、ちょっと臭かったらしい(!)というオチまでついてしまい……。

Ty16l032

いい加減な部分は、山ほどあるんです。

ひょっとしたらワクチンって
発症してしまったら、効かないんじゃないかしら?
そもそも予防のために、体内に免疫を作るものなんですから。

だからLが機内に持ち込むのは、抗ウイルス薬でなきゃならんのではないか
と、気付いたのが、もうずいぶんあとになってからで(笑)。

そのあたり、考え直すのがめんどくさくってパス。
ほかの科学的な記述も、すべてハッタリです。申しわけない!

関東地方の地理もよくわかってないので
チャリで鎌倉まで一日半というのが、正しいのか見当つかない。
(そもそもLたちは最初、東京のどこにいたんだ…笑)
空港も、東海地方にあると設定してはみたけど
そこまで車でどれくらいかかるのか、まるでわかってない。

そもそも、FBIの日本支部ってどこにあんのかしら?
んで、ワイミーズハウスはいったいどこにあんのかしら?

まあ、そんなこんなで結局はデタラメ話なんですけど
細かいとこは気にせず、楽しんで読んでいただけるのがいちばんです!

 * * *

↓妄想おまけ。

すべて終わったのち、滑走路をあとにするご一行。
スルガが背中を向け「ほら」と、おぶさるよううながす。
とまどうL。

「遠慮するな」と、松戸博士がニッコリ笑う。
「エンリョスルナ!」見よう見まねでニアも明るく叫ぶ。
ちょっと照れたような顔をしながら、スルガに身を預けるL。

「……ところで、ここの空港レストランの名物に
『スーパーグレートエキサイティングパフェ』というのがあるそうでな。
フルーツ満載アイスクリーム満載の、超人気メニューらしいんじゃ。
ただし大きすぎて、とてもひとりじゃ食べきれん。
なあLくん、食うのをぜひ手伝ってくれんか?」 

とことこ楽しそうに歩きながら、振り向いた松戸博士に
Lを背負ったスルガが「しっ」と、笑顔を向ける。

「……ぐっすり寝てます」

 * * *

このおまけについても、大ウソが(笑)。
先日、「相棒」の再放送をやってたんで、ワーイって観てたら
右京さんが、亀山くんに背負われてる(萌)シーンがあったんだけど
ちょっと背中で寝るのはムリだろう、という体勢でした。
あれだけの体格差があって、それですから
デカイえるたんが、スルガの背中で寝るのはムリムリ~!

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