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「ドラちゃんのおへや」模様替え

 昨年から少しずつ、「ドラちゃんのおへや」の更新準備を進めていたが、ようやく一区切りを付けて、今日更新する事が出来た。

 今回は、サイトデザインをスタイルシートに完全対応させる事を第一の目的としていたので、内容面での変化はあまりないが、それでもHTMLを書き直すだけで結構な手間になり、一年以上かかってしまった。昨年の更新は、まず新デザインでページを作ってから従来のスタイルに書き直していたので二度手間になっていたが、これでようやく内容の充実に集中して力を入れる事が出来る。
 内容的には変化が少ない中で、テレビアニメのデータは比較的変更点が多い。DVD-BOX「ドラえもん タイムマシンBOX 1979」のブックレットを元にして帯番組時代のスタッフデータを可能な限り追加・訂正したし、1996・1997・2005年放映分については本放送版のエンディング・クレジットより原画と声の出演のデータを加えている。
 ビデオテープからダビングしてPCに動画ファイルとして保存したおかげで、エンディング・クレジットが参照しやすくなった。原画と声の出演については、1998〜2004年放映分も録画データの整理が出来次第、追加していきたい。

 「藤子・F・不二雄大全集」の発刊で原作漫画のデータも大きく修正する必要が生じているが、こちらはひとまず様子を見る事にして、今のところ50音順作品リストとブランド別単行本リストに既刊分のデータを加えたのみにとどめている。
 いずれ全集の『ドラえもん』が全巻揃ったら、アニメデータに記載している原作の単行本収録状況などをまとめて修正する事になるだろう。


 とにかく、長期間続けていた作業が一段落したので、肩の荷が下りた気分だ。
 しかし、更新したいネタは色々と準備中なので、近いうちに次なる更新の準備に入りたい。そろそろ旧ドラのコーナーを何とかしたいな。
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映画『ドラえもん のび太の人魚大海戦』感想

 先日、ドラえもん映画の新作『ドラえもん のび太の人魚大海戦』を観てきた。
 今回は、短編原作をベースにしたオリジナル作品であり、この手法で制作された作品は、アニメドラのリニューアル後に限ると2008年の『ドラえもん のび太と緑の巨人伝』に続く2作目となる。

 最近のドラ映画は、2008年の『緑の巨人伝』は後半が意味不明の展開、昨年の『新 宇宙開拓史』は原作と登場人物がひどく改悪されていたと言った有り様だったので、オリジナルだろうとリメイクだろうと映画新作に期待してはいけないと思うようになっていた。
 だから、今年の『人魚大海戦』を観るにあたっては、期待値を低くするどころではなく、全く期待しないでおいたのだが、それでもなお「チケット代と映画を観た時間をムダにしてしまった」と、観た事を後悔せずにはいられない作品だった。


 ここから、映画の具体的な感想を書いていくが、正直言って今回はどう感想を書いていいものか困った。
 同じオリジナル作品と言う事で『緑の巨人伝』と比較してみると、『緑の巨人伝』は渡辺監督の作家性が出過ぎて、映像の「見せ方」に力を入れすぎたが故に、後半の展開が意味不明になってしまったのだと感じた。それに対して、『人魚大海戦』は監督をはじめとするスタッフが何をやりたいのか、よくわからなかった。部分部分については「こう見せたいのだろうな」と言う意図は分かるし、『緑の巨人伝』のように「今、何が起こっているのか理解できない」と言うような事はなかった。しかし、全体の話の流れは非常にチグハグで、一本の映画として何をやりたいのかが伝わってこなかった。

 結果として、作品全体としての印象は散漫で、鑑賞からまだ一週間も経っていないのに、どのように感想を書いていいかわからなくなったというわけだ。『緑の巨人伝』は、意味不明だが映像としての印象は強かった。つまり、私にとって『緑の巨人伝』は「積極的に批判したくなる失敗作」で、それに対して『人魚大海戦』は「批判する気も起こらない失敗作」と言える。
 だからと言って、これで感想を終えてしまっては、「具体的に何が悪いのかも指摘できない者に、批判する資格はない」と言われてしまうので、思いつくままに順不同で今回の映画の不満点を述べていく。

 まず、何と言っても最も残念なのは「伏線の放り投げ」だ。所在不明の伝説の剣や、その鍵となる五つの星などの重要そうな設定を仕込んでおいて、「祈ったら剣が出てきました」なのだから脱力してしまう。しかも、なぜか都合よく前線に出てきていた敵の親玉の前に剣が出てくるのだから、ご都合主義にしてもあんまりだ。
 さらに、伝説の剣は「宇宙を支配できる」ほどの巨大な力を持っており、だからこそ人魚族も怪魚族も手に入れようとしていたはずなのに、ドラえもんの出した「名刀「電光丸」」にあっさり負けてしまうのだから、開いた口がふさがらない。
 そもそも、人魚族・怪魚族を異星人としてSFっぽい設定にしている割には、物語のキモである剣に関する描写が完全にオカルトになってしまっているのはいただけない。オカルトっぽい描写があっても、きちんと(作品内の設定としては成り立つ)説明をして納得させられるのが『ドラえもん』ではなかったのか。

 また、後半で描かれた人魚族と怪魚族の戦闘は全く緊張感がなく、観ていてあくびが出そうになるほどだるい映像だった。
 こんな事になっている一番の原因は、演出の見せ方が悪いという事なのだろう。緊迫感を出すべき最終決戦の場面でドラ・ドラミの黒焦げなんてギャグを入れても逆効果だ。
 さらに、登場人物全員が非常に頭が悪く、突っ込みどころ満載のボケた行動をとっていたのもよくなかった。「女王から全権を任された」ソフィアが先頭に立って白兵戦を行うのも不自然だし、それに合わせるかのように敵のボス・ブイキンまで出張ってくるのも変だ。ブイキンにあまりにもボスとしての貫禄がないので、後ろには真の親玉が控えているのではないかと勘ぐってしまったが、そんな事もなく話が終わったので、拍子抜けだった。

 とどめに、何ら共感できない「友情」「涙」の押し売りには、完全に白けさせられた。ソフィア姫とは一緒に遊ぶ場面が描かれていたので、友情を描いても
まあ不自然でないが、のび太達とは何らいい関係にはなかったハリ坊との友情が唐突に描かれたり、ずっと厳しかった女王が前触れもなくソフィアに「愛しています」と言ったりする場面には呆れた。言葉にすればその場面に説得力が出ると言うものではないだろう。
 過去の作品を引き合いに出す事はしたくないのだが、あえてここでは触れておこう。『ドラえもん のび太の大魔境』で、ジャイアンがペコと共に敵地に乗り込もうとして、結局全員がまた一緒になるまでの場面とは、悪い意味で好対照だった。『大魔境』のこの場面では、主題歌「だからみんなで」が流れており、セリフは全くない。しかし、画面を観ていると、自然とジャイアンやのび太達の心情が伝わってくる。原作も含めて、初期大長編の中でも屈指の名シーンの一つだ。そのような場面を過去に観ているからこそ、今回の口先だけで感動させようとするシーンのオンパレードにはがっかりして、またうんざりさせられた。


 他にも、いい加減「あったかい目」はしつこくて鬱陶しいとか、ハリ坊やトラギスはいらないとか、架空水の影響の仕方が一定でないとか、怪魚族はそれほど特に「醜い」とは思えないとか、フエルミラーで何で色違いものもが出てくるんだとか、突っ込みどころはたくさんあり、挙げていったらきりがない。
 今回の作品は、残念だが子供だましの域にすら達していなかったと思う。もちろん、子供向け映画は真摯に子供に向き合って作られた作品が一番で、なおかつ大人も楽しむ事が出きれば言う事無しなのだが、それが出来ないにしてもせめて子供だましレベルにはしてほしかった。
 最後の新作予告を観る限り、来年はあの有名旧作のリメイクであるのは間違いないだろう。非常にファンが多くて名作と言われる作品なだけに、いまから不安で仕方がない。

 最後に、今回の映画で「よかった」と思えた部分も挙げておこう。芸能人の声の出演で浮いている人がおらず自然に聞けた事と、海の作画が綺麗だった事は、よかった点だ。肯定できる部分がこれだけしか無いというのも寂しい話だ。
 あ、武田鉄矢の歌を忘れていた。歌自体は悪くないのだが、流す場面に無理があって、あまり印象がよくなかった。と言うか、あの歌はわさドラの雰囲気からは浮いていた。もはや、ドラ映画は武田鉄矢の歌を流すべきものではないのだろう。
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ついに地デジを導入

 ついにと言うか、それともようやくと言うべきだろうか、地上波デジタル放送の視聴環境を整えた。
 今のところ、画質を考えなければ地上波アナログ放送でも特に視聴に支障はないのだが、今後は地デジ移行を促すテロップがどんどん増えて大きくなる(参照)ので、テロップが視聴の邪魔にならない今のうちに地デジに移行しようと思っていた。そこへ、あるきっかけがあって、地デジ導入を真剣に考えるようになった。
 と言うわけで、一念発起して地デジの受信・視聴環境を、一週間ほどかけて整えた。ちょっと手こずったが、ようやく安定して視聴&録画ができるようになった。


 地デジを観られるようになったらまず確認しようと思っていたのは、アニメ『ドラえもん』だ。
 最近のテレビアニメはほとんどが16:9の画角で制作されており、アナログではレターボックス放送になるが、『ドラえもん』は上下に細めの黒帯を付けて左右を少しカットした中途半端な状態で放映されている。わさドラが始まってから5年近くになるが、この状態はずっと気になっていた。

 さっそく、3月5日の特番をデジタル・アナログの両方で録画して、OPで気になっていた部分を見比べてみた。




上・アナログ、下・デジタル


 この場面は、アナログでは左にちょっとだけ見える「もの」が何なのかわからなかったが、地デジを見てやっと映写機だとわかった。

 アニメ本編でも色々とカットされている箇所がのがわかったが、全体を通して見てみると、人物を中心寄りに配置している場面と、そうでなく最初から16:9の画角のみを前提に作ったと思われる場面が混在しているようだ。これも、移行期ゆえの混乱だろうか。他のアニメだが、以前に16:9と4:3の両方の画角を意識して描かれた絵コンテ(4:3でサイドカットされる部分に点線が入っている)を見た事がある。わさドラの中途半端なサイドカットでも、やはり切られる部分を考慮しているのか、気になる。わさドラの絵コンテを見てみたいものだ。

 他に、地デジで個人的に有りがたいのは、OPクレジットがくっきりしていてちゃんと読める点だ。
 わさドラのOPクレジットは、アナログ放送では字が潰れてしまって拡大しても判読が難しい事が多く、スタッフリストを作る時に苦労していた。特に、夏季限定「ドラえもん音頭」EDはフォントが小さくて大変だったが、これからはクッキリ綺麗な状態で読める。


 以上のように、『ドラえもん』に関しては、地デジの導入でかなり視聴環境が改善された。
 わさドラはHD制作なのに今のところソフトはDVDしか出ていないので、その点でも地デジの録画を保存する事には意味がある。深夜アニメは今年に入ってBDのリリースがかなり増えてきたが、『ドラえもん』のような子供向け作品ではまだまだだ。もっとも、ドラの場合はたとえBDが出たとしても本放送の状態そのままで収録される事はないだろうから、いずれにせよ本放送の録画は手放せない。

 『ドラえもん』以外のアニメでの収穫となると、『ひだまりスケッチ×☆☆☆』のOPで、らすちゃん画伯の描いたウメスの絵をしっかり確認できたのはよかった。小さい絵なので、アナログでは潰れてしまって普通のウメスと区別が付かなかった。
 おそらく、今まで気が付いていないだけで、他にもこのような見逃している細かいネタはあるのだろう。この一週間、試験運用として色々と録画してみたが、HD制作&放送されている番組は、さすがにアナログ放送とは全然画質が違う。三重テレビのローカルニュースまで無駄にHD画質なのには笑った。



 何はともあれ、地デジの環境が構築できて気分的にも落ち着いた。これで、ある日突然アナログ放送のテロップが巨大化しても問題はない。
 『ドラえもん』は今後欠かさず地デジで録っていくつもりだが、ドラ以外で観ているアニメは大半が3月一杯で終わるので、それらについてはアナログで録画を続けて、4月新番組から本格的に地デジで録っていくつもりだ。
 地デジはこれでいいとして、後はBSだな。この勢いで、3月中にはBSデジタル用のアンテナを設置してしまいたい。
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「超ひだまつり -2〜4時間テレビ-」感想

 2月20日に、パシフィコ横浜で開催された「超☆ひだまつり -2〜4時間テレビ-」に行ってきた。
 内容は歌あり、トークあり、お絵かきコーナーありで、2007年の「超ひだまつり」に近いバラエティ豊かな構成で、ひだまりイベントらしくネタも満載。しょっぱなからオバマ大統領が出てくるのだから恐ろしい。今までのイベント同様に、DVD化しないからこそ出来るネタが多くてやりたい放題な感じだった。
 歌とそれ以外のコーナーが入り混じった構成だったので、流れに沿った感想は書きにくい。なので、思いつくままに印象的だった点を挙げていく事にする。


 まず、出演者の中で今回一番印象的だったのは、何と言っても校長先生役のチョーさんだった。昨年の「超ひだまつりZ」と同様に、開演前のアナウンスから笑わせていただいた。昨年はスケジュールが合わずにチョーさんは録音でアナウンスのみの参加だったが、今回はようやくご本人が登場した。
 ステージに出てくる際は校長先生のお面を被っていたので、ちゃんと顔を出すまでは本物のチョーさんかどうか分からず、それもあってお面を外した時の会場の盛り上がりはすごかった。『ひだまりスケッチ』は出演者のほとんどが女性で、レギュラー出演している男性声優はチョーさん一人。しかも、ベテランの域に達して年齢が離れているのだから、このようなイベントでは下手をすると一人浮いてしまう恐れのあるポジションだが、全くそんな事はなく、それどころか会場を一番沸かせていたのだから、すごい。さすがに「チョーさん」で長年親しまれてきた人だけの事はある。私も、生でチョーさんの姿を見たのは初めてだったので嬉しかった。
 終盤では、『ひだまり』とは全く関係のないチョーさん作詞・作曲の歌を披露する一幕もあり、登場してからラストまで、ずっと大活躍だった。

 声優陣では、新入生コンビがどんな感じになるのか気になっていたのだが、素直な印象を書かせていただくと、まだ完全に馴染んではいないかなと思ってしまった。他の出演者は1期からずっとやっているメンバーなのだから、仕方がない事なのだろうけど。新入生はまだソロのキャラソンも持っていないのだから、ぜひまた次のイベントを開催して、ソロ曲を歌わせてあげて欲しい。
 残りの、いつものメンバーはいい意味でいつも通りに面白かった。marbleの菊池さんまでブタ役(?)で声優に挑戦していたのには笑わせてもらった。marbleの二人も、2007年の「超ひだまつり」で初登場した時は結構緊張していたように見えたが、今回は声優陣と一緒になって完全にノリノリで、伊達に今までのイベントに出ていたわけではなかったのだなと思わされた。

 各コーナーに目を向けると、今回も独創性にあふれた(?)企画ばかりで面白かったが、特に「曜日対抗ひだまり選手権」のお絵かき対決がよかった。
 何と言っても新谷画伯の「ハイジ」が凄まじかった。あんな絵が描けるのも凄いが、あれをハイジだと読み取った後藤さんはもっと凄い。私は説明を聞いている途中まで本気で何の絵なのか分からなかった。意志の疎通に成功して三年生チームの二人が抱き合う姿は感動的だった。他にも、「痴呆症のサ○エさん」とか、妙にかわいいダースベイダーとかの味わい深い絵が続出して、大いに笑わせていただいた。
 それにしても、新谷画伯はもうすっかり絵のコーナーでのオチ担当になってしまっているなあ。2007年の「超ひだまつり」からポジションが変わっていない。絵のコーナーがこれだけ面白いのも、DVD化など考えずに出演者が好き勝手に書いているからなのだろう。

 歌に関しては、3期のキャラソンがまだリリースされていないせいもあってか、ソロのキャラソンは歌われなかったが、アスミス&チョーさんの「おんなのこ・おとこのこパズル」や、うめ先生&miccoさんの「さくらさくら咲く 〜あの日君を待つ空と同じで〜」などイベント限定ユニットもあって、よかった。普段聴けない組み合わせでの歌はイベントならではで楽しい。
 イベント自体は全員ソングの「ひだまりランド・ゴーランド」で一端幕となったのだが、その後のアンコールの盛り上がりが凄かった。アンコールで前述の「さくらさくら咲く 〜あの日君を待つ空と同じで〜」と全員による「できるかなって☆☆☆」が歌われて、今度こそ終わり…かと思いきや、会場の盛り上がりは全く収まらず、「もう一回」コールが止まらない。そこに校長先生のアナウンス→「私が歌っちゃいましょう」と、チョーさん再登場。ここで、先ほどちょっと触れたチョーさん作詞・作曲の哀愁漂う「ゴミ収集車の歌」を披露。1コーラスで終わらず2番に入ったら会場も一緒になって歌っており、異様な盛り上がり方だった。
 そして、出演者全員が再登場して、今度こそ本当に最後の歌「スケッチスイッチ☆☆☆」が歌われた。通常の「スケッチスイッチ」との違いは、サビの繰り返しが延々と続くところで、最初に繰り返した時には何が起きたか分からず耳を疑った。ソロを出演者が二人ずつ担当して、最終的には6回繰り返して曲は終わった。まさかダブルアンコールのためにこんな隠し球の曲が用意されているとは予想できない。さすがに繰り返し3回目くらいで疲れてきて、最後の方はかなりハードだった。普通に「スケッチスイッチ」を2回繰り返して歌うよりもきつそうだ。でも、最後のこれで完全に会場のみんなが一体になった感じだった。その時のテンションの上がり方は、ちょっと言葉にできないくらいだ。


 と言った感じで、イベント全てが終了して時計を見ると、21時44分。開演は当初の予定から30分遅れて18時だったので、4時間近くになっていた。
 タイトルに「2〜4時間テレビ」と付いているから、最大で4時間はあるかもしれないとは覚悟していたが、遅くなってもせいぜい当日の新幹線で帰る事が出来る時間までだろうと思っていたので、ちょっとびっくりだった。念のために宿を予約しておいて本当によかった。

 『ひだまりスケッチ』関係のイベントは、これまでの「超ひだまつり」「超ひだまつりZ」が面白かっただけに、今回はもしかしたらネタ切れで苦しいのではないかとちょっと思っていたが、全くそんな事はなく、過去のイベントに引けを取らない面白さだった。『ひだまり』スタッフ・キャスト陣の「楽しむ・楽しませる」サービス精神は会場が大きくなっても変わっておらず、素晴らしい事だと思う。
 3期『ひだまりスケッチ×☆☆☆』も折り返し地点を回っており今後の展開が気になるところだが、アニメ4期があろうと無かろうと、ぜひまた楽しいイベントをやって欲しい。そう思える楽しい時間だった。
 なお、今回は銀河満月さんと一緒に参加した。これまでの『ひだまり』イベントは一人で参加していたが、やはりこのようなイベントは誰かと一緒に行った方が、より楽しい。それも、よくわかった。銀河満月さん、今回はありがとうございました。



※↓「超ひだまつり -2〜4時間テレビ-」twitterアカウント。アフターレポート有り。
http://twitter.com/tyohidamatsuri
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藤子・F・不二雄大全集 第1期 第7回配本 感想

 遅くなってしまったが、以前に予告したとおり、今月からは『藤子・F・不二雄大全集』の感想を、毎月書いていく。今回は第7回配本、これで第1期も後半突入だ。ちょっと前までは刊行開始を今か今かと待ちわびていた気がするが、時の経つのは早い。



・『ドラえもん』第5巻

 「学年繰り上がり方式」編集、今回は1965年度生まれの人が読んだ『ドラえもん』。前にも書いたが、自分の生まれた年はもっと先だ。こんなに分厚い本で5巻も出ても、まだ先は長い。この全集であらためて『ドラえもん』の作品群がどれだけ膨大なものか、実感させられている。
 この巻の単行本初収録作品で特にお気に入りなのは、2話目に入っている「むしめがねにへんしん」。こういうバカバカしい話は大好きだ。最後のコマで、ちゃわんむしジャイアンを放ったらかしてみんなが飛んでいくところは何度見ても笑える。幼年向けの2ページ作品は埋もれていたものが多くてもったいなく思っていたので、こうやって単行本化されたのは嬉しい。欲を言えば、カラーで見たかったところだが。

 単行本初収録作品以外でも、過去の単行本と違いがある話がいくつかあるが、その中では「のび太放送協会」が目にとまった。FFランド版では「NOHK」だった「のび太放送協会」の略称が、今回はズバリ「NHK」になっている。「NHK」が手書きなので、おそらく初出の状態に戻したのだろう。こういう細かいところの仕事がこの全集のいいところだ。
 他には、巻末の特別資料室に「姫子とドラえもんのまんが教室」が再録されたのも見逃せない。合作漫画「ドラえもんの逆襲」の「服を脱いだドラえもん」は非常にインパクトが強い。ドラえもんが「餅」にしか見えない。お遊び企画とは言え、作者が直々に描いているのがすごい。F先生もよくもこんなドラを描いたものだ。
 同じく特別資料室で「ドラとバケルともうひとつ」も紹介されていたが、こちらは突っ込みが足りなかったと思う。迷(?)企画「スターたん生」は、初出版の「ジ〜ンと感動する話」と合わせて完全収録して欲しかった。「ドラとバケルともうひとつ」は、他の月の紹介も不十分だし、全部合わせて復刻して欲しい。全集の一冊としては難しいかも知れないが。



・『オバケのQ太郎』第4巻

 この巻を語るには、何と言っても「国際オバケ連合」復活の話題は避けて通れない。
 旧『オバQ』は、近年まで作品全体が読めない状況にあったので、全集の各巻各話全てが記念すべき復活を果たしたと言えるが、そんな中でもこの話は特別だ。黒人差別問題で抗議を受けて単行本が回収される原因となった話だけに、どのような形で収録されるか非常に気になっていたが、旧単行本からの変更点は「人間でいえば、人食い人種にあたる」→「オバケを食べちゃうオバケじゃよ」の一箇所のみ。この程度の修正で出せるのだったら最初から抗議など突っぱねていればよかったのに、と思わずにはいられない。
 「バケ食いオバケ」がよくて「人食い人種」がNGなのは、実在するかどうかの違いなのだろうが、実に曖昧な線引きだと、この全集における他の「自主規制」も含めて、表現というものの難しさをあらためて考えさせられた。
 堅苦しい話はともかく、「国際オバケ連合」は旧『オバQ』の中でも好きな話なので、あまり原型が損なわれずに復活したのはよかった。「食べてしまえ」のギャグが消されなかった点は素直に喜ばしいし、世界平和を願うオバケたちの姿は微笑ましくて、読んでいていい気分になる。人種差別どころか、人類もオバケもみな兄弟と謳った作品なのだから、これからも広く読まれて欲しい。



・『パーマン』第5巻

 「小学館コミックス」掲載分。この全集ではこれまでで一番薄い本となっている。巻ごとに厚さが違うと本棚に並べた時にやや気になるが、これまでの単行本と違って掲載誌ごとにまとめた結果なので、これはこれで正解だと思う。
 この巻は「くるわせ屋」の収録が一番の注目点だ。てんとう虫コミックスでは1995年の増刷でカットされ、FFランドには最初から収録されなかったいわくつきの作品。「国際オバケ連合」ともども気になっていたが、「バケ連」がセリフ一箇所の変更で済んだのに対して、「くるわせ屋」はかなり多くのセリフが変更されてしまった。元の状態を知っているせいで、読んでいて違和感を覚える。
 一番大きな変更点は、くるわせ屋が狂わせる対象が「人生」になった点だろう。「くるわせ屋」の名前を残す以上、何を狂わせるのかに触れないわけには行かないわけだ。この変更の是非はともかくとして、さぞ苦心して考え出したのだろうなと、ある意味感心してしまった。そりゃあ、頭が狂ったら人生も狂うよなあ。同じ「狂う」という言葉でも、人の頭が発狂するのはダメで「人生」ならOKと言うのも非常に微妙な線引きだ。やはり、自主規制は難しいものだ。

 規制の話だけで終わってしまうのもどうかと思うので、この巻全体にも触れておこう。
 巻頭の「ウラトルPを見たい」は初見。旧『パーマン』は図書館で全話チェックしたつもりだったが、「小学館コミックス」だけ忘れていた。カラーテレビが出てくるあたりに、時代を感じさせられる。この話のような日常エピソードから、「水爆とお月さま」のような重大事件、「エベレスト決死行」の大冒険までバラエティ豊かなところが面白い一冊だった。『パーマン』と言う作品の懐の深さを感じさせられた。
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