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日朝に離れた我が家族 発言続ける映像作家・梁英姫さん(2/2ページ)

2009年12月14日

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写真自分の家族離散の背景となった北朝鮮への帰国事業について講演する梁英姫さん=11月25日、東京都世田谷区の駒沢大、豊間根功智撮影

 「タブーと言われていた国にも、泣きもし、笑いもする人たちがいる」と評価を受け、ベルリン国際映画祭の最優秀アジア映画賞、サンダンス映画祭審査員特別賞と相次いで国際賞に輝き、多くのマスコミに取りあげられた。

 変化は昨年に起きた。母とともに長兄を見舞おうと北朝鮮行きを申請した際、朝鮮総連の担当職員から「お母さんはいいが、娘さんはダメです」と言われた。梁さんによると、総連側は映画について謝罪文を出せば許可してもいいと打診してきたという。

 だが、梁さんは逆の行動にでた。評論家の佐高信さんとの対談集「北朝鮮で兄(オッパ)は死んだ」(七つ森書館)を11月末に出版し、映画に盛り込まなかった長兄の病気のことも告白した。「約9万3千人の帰国者の家族には、自分たちがどんな生き方をしてきたのかを明らかにする責任がある」と考えたからだ。

 今年夏、長兄は56歳で急逝した。その2カ月後、母だけが墓を参りに北朝鮮に渡った。今年11月上旬には、脳梗塞(こうそく)で寝たきりだった父が亡くなった。兄たちに電報で知らせることができたのは1週間後だった。

 家族は離れたらアカンのや――。そう、「ディア・ピョンヤン」の副題につけたが、かなう見通しはまだ立たない。(武田肇)

     ◇

 〈北朝鮮への帰国事業〉 1959年12月14日に新潟港から最初の帰国船が出て、84年までに在日朝鮮人と日本人配偶者計9万3千人余が海を渡った。差別や貧困に苦しむ在日が祖国に帰る「人道航路」と新聞やテレビも後押しする報道をしたが、現地の社会になじめず、生活困窮に陥った人が多いとされる。

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