国際シンポジウムにて大切な人と
テーマ:研究・仕事“The International Symposium on Zen Paintings and Inscriptions”
先月に研究仲間からメールがあり、出席してほしいとあったので行ってきました。
某大学の新しい会館です。
学会やシンポジウムでは、個々が写真で記録するのも当たり前の光景になりました。一部をご紹介しながら。
今回は、新しい学会発足記念のシンポジウムであり、あえて分野をいうのであれば、日本美術史ですね。私は美学も専門領域なので、美術史と通じるという理由で声がかかったのかと。
出かける前。LOUIS VUITTON
の名刺入れ(マルチカラーパレット
と
タイガ)と台湾故宮博物院でのスタンプをしたノートを持って。
メールを受け取った際に添付されていたプログラムを見た瞬間に嬉しいことが。
私が大学院生の頃から慕う「研究上の姉」の台湾人Lofen姐の報告が決定だとあって。
これは行くでしょ!と。
Lofen姐は現在シンガポールの某大学准教授。私が大学院生の時に、東大の先生に紹介されてLofen姐を知り、すぐに台北の中央研究院に会いに行きました。
今回は、Lofen姐が来日。
私も日本にいること、さらにはこのシンポジウムに出席することをメールで伝えておいて再会。それまでもメールなどで近況報告はしていたけれど、日本で開催の学会で再会することになるとは(没想到)。
非常高興!
Lofen姐とT大の知人の先生の発表後、休憩ですぐに話をして。
お互いつい大きな声で、「好久没見了啊!」とテンションが。
その後、日本語を話さないLofen姐とは、中国語(ときどき英語)で会話。
相変わらず、Lofen姐の話しぶりは優しくて、でも明快。
発表内容も、私が問題として提起している部分と偶然にも重なっていて。
Lofen姐は文学から美術史の方向。
私は文学・哲学(思想)から美学の方向。
だから、勿論領域を同じくしています。
ここのところの研究状況・研究活動の報告をしているうちに、あっという間に休憩時間が終わり、また引き続き他の報告も続いて。
ディスカッションでは、新学会発足の理念と所謂意気込みの説明がなされてしまって、ディスカッションにならなかったという奇妙な事態が。そのため、Lofen姐と東大の先生の発表については後日メールで意見交換することに。その方が専門的なことが言えますね。
そうそう、プログラムでは英語表記もなされていたので、てっきり英語メインだと思って行ったら、日本美術史の専門の方々がほとんどで、メインは日本語だったという。だから、その時壇上にいたLofen姐には通訳がついていないも同然の状態で、ただ会場を眺めていたのが非常に気になりました。海外ゲストをしっかりサポートしないと、とハラハラと見つめていました。
これ以上は、踏み込んだ内容になるので伏せます。
ただ、嬉しいことに、Lofen姐の発表とはまた問題意識がある線で繋がってゆくような気配。
独特の言い回しで。
「中央集権的なそれではなく、遊牧民のような線」として。
このことを問い続けるのは、人間の根本にある感覚や知覚にも関わることであるし、続けてゆきたいこと。
そういった考え、認識を改めて確認した後は、お互い一人で思考する。
これが研究者かもしれません。
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休憩時間に一緒に写真を撮りました。
研究仲間の男性にお願いして、お互いのデジカメに収まって。
私側のデジカメでは、こちら。勿論、向かって左がLofen姐。著名な研究者のひとりでもあります。Lofen姐のデジカメの写真はどうなっているかな。また交換します。
そうそう、送った写真を誉められて。最近だと夫との写真が好きだったみたい。
ファッションにも興味のあるLofen姐は、しっかり私のLOUIS VUITTON
をチェックしていて。Lofen姐も私くらいの年齢の頃は、ミニスカートにハイブーツというスタイルが多くて、それも何となく通じるというか。女性が少ない世界でもあるから、実はこんなことも話したりします。
全身写真を撮す時間がないほどに忙しかったのでほぼ同じコーディネートを載せます。
こちら。このLOUIS VUITTON
コーディネートで行きました。
LOUIS VUITTONのメンズコレクションのカメブローチとスイートモノグラムのペンダントを入れ替えたくらいかな。
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帰宅してから、ささっと着替えて軽いお食事に。
珍しくデジカメを家に置いていったので、出かける前まで。
今日は、学問の神様、「ガネーシャ」を持って行っていました。ZOCALOのものです。
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ここ何年かは体調も原因とはいえ、本当にいろいろとありました。その前に出会ったLofen姐は、私にとっても大切な人。研究をめぐる共通もしくは相反する面があることって重要だし、何よりもこの人間関係。離れていても通じるという喜び。もっともっと話したいと思える関係は財産です。
多謝你,再見!
また会いましょう。
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