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きょうのコラム「時鐘」 2010年3月21日
奈良公園の鹿が洋弓で射貫かれて死んだとの記事があった。奈良の鹿は国の天然記念物である。犬に襲われて死ぬことはあっても、人の矢に刺さって死ぬなど聞いたことがない
奈良市民は早起きだという。早く起きて玄関先を見る。江戸時代の話だが、神の使いとされた鹿が倒れていたら大変。責任を問われて死罪になるので、そっと隣の軒先に移したという。こんなマクラで始まるのが落語「鹿政談」である 早起きの豆腐屋さんが犬を追い払おうと投げた木が鹿に当たって死んだ。お奉行は人命を優先する人だった。「死体は鹿に似ているが犬である」と言う。正直者の豆腐屋は「いえ、鹿でございます」と言い張る。そこで一計を案じ「鹿を犬」にする名裁きの話である 一頭の鹿が死んだくらいで騒ぐなとの声もあろう。が、人間の周りにいる動物が異常な形で殺されるのは、しばしば人命が犠牲となる事件の予兆となる。何匹もの猫が惨殺された神戸の少年事件がその一例だ 昔の「生類憐れみの令」が歪んだ権力の反映だったように、現代人と同居する動物の受難は社会の歪みを映す鏡だ。そこが怖い。 |