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2010年03月21日

遺骨収集 エピソード2

これからの話は帰国してからの話になります。
今回は帰国してからの方が何かと大変です。

様々な問題が津波のように野口健さんに襲い掛かってきます。

山際先生野口健さん

先日3月19日に帰国してから東京へ山際大志郎政治資金パーティーがあり出席してきました。
打ち合わせた訳じゃないんですが、野口健さんも出席されていました。
自民党本部で行われた山際大志郎先生のパーティーへ200名もの地元の支援者が駆けつけてくれていました。
バッジを付けていない(前回衆議院選挙に落選)政治家 山際先生への熱い期待感が会場を埋め尽くしていました。彼の実力と人気度が判るパーティーでした。彼の話は、遺骨収集の現状を行って見てきたままの話を十分にしてくれました。きっと日本一高いカレーライス(2万円)を食べながらの講演でした。

本日のゲストの石破茂先生の講演です。
今の政治、自民党、民主党の抱える問題点を非常に判りやすく講演してくれました。
非常に判りやすい講演だったのですが、一旦、マスコミを通してしまうと伝わってこないんですよねでも講演内容としては完璧でした。
2ショット石破茂代議士

講演が終わり、野口健さんとすぐに衆議院議員会館へ足を運びました。

城内みのる代議士の部屋で遺骨収集の現状と協力をお願いしてきました。

城内みのる代議士へみのる代議士

説明手作りの遺骨収集の資料を基に、熱心に説明をする野口健さんとそれを受け止める城内みのる代議士。

説明をし終えると外務省OBの城内みのる代議士がその場で外務省へ電話していただき、フィリピン担当の課長を紹介していただき、すぐに会いに行きました。
それだけいつも健さんは遺骨収集については真剣に取り組んでいます。

私は時間があったので、いつもの靖国神社へ手を合せに行きました。
遊就館へも立ち寄りました。

初めて行ったときには零戦や戦車や遺留品に目を取られていましたが、毎回、感じるもの見るものが違っていて、今回は遺影に釘付けになってしました。

遺骨や遺留品は現地でも沢山見てきました。
ただフィリピンの現場で頭蓋骨だけを見て、どこの誰かも判らない英霊の方々の当時の彼らの兵士の姿は想像するかありませんでした。
 今回、実際に靖国へ飾られている遺影を目の当たりにすると、この方々の遺骨だったのかも知れないと思うと、ただじっくりと脳裏に焼き付けるように見てしまいました。

遺影そこには当時の遺影と共に、戦死した日と場所があり、レイテ島カンギポットにて、とかフィリピン ポロ島、セブ島、沖合いにてとか書いてあると本当に今までの現場の事と遺影が重なり、実に立体的になってきます。あの遺骨が、この方かも知れないという気持ちになりました。

更に遺骨収集への決意が固まりました。

その日はお決まりの金多楼寿司へ予約しており、山際先生と一緒に行きました。
金多楼寿司金多楼寿司2

そこへはまたまた打ち合わせなしで健さんも仕事でスポンサーとの打ち合わせに来られました。

という事になれば、いつものお店で2次会です。
しかし、今回だけは様子が全く違います。全員真剣そのものなんです。
週刊文集の件で様々な事を真剣に話合いました。

しかし、山際大志郎氏、野口剛氏は全くアルコールがダメなんですが、健さんもその日は運転なので飲んでおらず、空気を読めない私だけ、お酒を飲んでしまっておりました。
真剣に今後打ち合わせをしながら、メールを確認する健さん。
しかし、全く目が笑っていない金多楼寿司の野口剛くんです。
真剣な健さん3人

山際先生お茶で乾杯の山際先生です。彼は政治家なので打たれ強いとご自分では言っておられます。「いちいち気にしても仕方がないよ!」っていつも健さんにアドバイスしてくれていますが、健さんはそれには全く耳を貸しません

その理由は野口健の責任感です。
私が「そんなに一人で背負い込まなくってもいいじゃないか?」と言うと、
ただ健さん自身、遺骨収集事業を国を巻き込み、多くの支援者を募り、多くの支援金を集つめ、各公演活動で毎回繰り返し訴えてきた、その責任っていうのは非常に重たい。と言い切ります。

だから健さんは毎夜、眠れない日々が続く。ということです。
これはオーバーに言っているんじゃないんですよ。
その日に12時過ぎまで一緒にいて、夜中の1時に私と分かれて、その日に彼が私のブログに書き込んだ時間を見ても判ります。

毎回いつも東京へ行って野口健さんと一緒に食事をして呑む事は楽しい事だったのですが、今回だけは違っておりました。私の性格上、あまり気にしないタイプですが、そばにいる健さんが余りにも背負っている姿が痛々しい。

フィリピン人の骨を買っているという事について
健さんはフィリピン、レイテ島、ポロ島、セブ島等、5度の遺骨収集へ現場へ入っています。私は同じく3度目です。

絶対に言える事は、現場での「やらせ」的な行為や、どう見てもおかしい遺骨はありませんでした。健さんのブログにもあるように、せっかくジャングル奥深くまで入り、その骨が明らかに子どもの骨だったときには、倉田宇山さんは、全くその骨には手も付けないで、その山を降りてきました。

しかし、現実にはフィリピンだけでも38万体以上の未帰還の英霊の方々の遺骨が放置されています。

今回の週刊文集で報道されていた事で、遺骨収集事業が足止めされるような事があってはいけないという気持ちは野口健さんも私も同じです。

彼の責任感の強さと逃げない姿勢には、本当に感心させられます。
しかし、余りにも背負い過ぎる部分もあり、現場へ一緒にいった者として、小さな援護しかできませんが、実際にあった事を有りのまま、感じたままに伝えようと思います。

まず、繰り返しになりますが、現場では、フィリピン人の骨を買う行為、及びそのような疑わしい行為は私も健さんも全く感じませんでした。それどころかそうような事が無いように最大限の注意をしている倉田さんの姿の方が印象的でした。

「射撃場で遊んでいる」という表現について
倉田さんの意図は、参加者に本物の銃とはどういう物かを実感して欲しいということです。面白半分でやっていることでは決してありません。
銃の危険性を肌で感じろ!こんなもんで打ち合いしていたんやぞ!」
という事を参加したメンバーに判って欲しいという主旨です。

遺骨収集で戦闘現場を実際に見て周り、実弾射撃というのは全く趣きが違います。
 当時、日本の将兵たちが洞穴へ身を潜めて、迫り来る米兵やゲリラに怯えて、三八歩兵銃を身構えるが、一発打ってしまうと、自分達の居場所が瞬時に判ってしまい、打つことが出来なかった。という生き残った日本兵の方の証言がありました。
 実際にセブ島、レイテ島のジャングルの中にある観光客用の射撃場で(ちゃんとした有料の射撃場です。現場にはレイテ島では警官も立ち会っていました。)実弾射撃をすると、こんな危ないもので打ち合っていたという感覚と余りにも大きな音がジャンブルに響き渡りました。
当時一発必中でも、敵兵の人数が多すぎて一発も打てないのも理解できます。

射撃をする行為自身は同じでも、遺骨収集してから、現場を見てからの射撃の重みは全く違います。
だから決してハワイやグアム島の観光客が「射撃をして楽しむ」主旨とは全く違いました。
私自身も今まで銃が好きなこともあり、扱いはモデルガンで知ってはいたのですが、現場を見てからの重みは全く違いました。

「こんなライフルで撃ち合っていたなんて」と実感しました。

フィリピンは日本では考えられない程の治安が悪い国です。実際にジャングルに入る際には空援隊メンバーは勿論、倉田さんも丸腰です。その為にガイドを雇って彼らにその担いを任せてジャングルや今回のような島々へ渡っています。
彼らは合法で銃を所持しています。

実際に我々が遺骨収集するのに、倉田さんや空援隊現地スタッフが下調べと安全確保の為にどれだけエネルギーを使っているかが、痛い程わかります。
レイテ島も本当は非常に治安が悪く、その為の危機管理は尋常では考えられない程の警備体制を引いていました。

毎回、何事も無く無事に帰国しているので、余り実感は伝わらないとは思いますが、私は初めてレイテ島のカンギポットという山へ入るときに、私が急に意識を失い、同行していた間島さんの奥さんも同じ場所でダウンしてしまい倉田さんと富田さんがその場にいてくれてまいた。それは安全確保の為です。
 健さんとカメラマンの平賀淳さんと間島さんのお父さんだけがガイドたちと現場まで行き、遺骨収集しての帰りました。
 その途中、急にスコールが降って来て、平賀さんがビデオカメラが濡れるのを避ける為にシャツでカメラを包んで、健さんと地元ガイドだけになってしまった時があり、それに気づいた空援隊現地スタッフのジェシーが必死になって戻ってきて、肩で息をしながら、健さんと平賀さんに「大丈夫か?」と聞いている姿を見た健さんは、初めてシャレにならない状況下に自分の身があったことを悟りました。現地ガイドが万が一、彼らを襲ったらという事です。また違う部族のゲリラが襲ってきたらという事も考えられる場所です。

ミンダナオ島は現在も外務省は渡航禁止をしている場所です。そこは武装ゲリラ同士が現在でも対立している紛争地域です。
しかし、その島には手付かずの遺骨が沢山あるのも事実です。

今までの遺骨収集活動で、空援隊スタッフが、明らかに違法(現地の法律)な事は、全く行っているのを見たことも感じた事もありません。もしそんな危険な団体、空援隊であるならば、私も健さんも、まして政治家の山際さんも参加していません。

私が初めての参加した遺骨収集は出来ないで、調査のみとなり、日本政府に対する怒りでした。
2度目でやっと遺骨収集と焼骨式も出来、無事に417体の英霊が帰国出来ました。

今回の3度目はフィリピン政府や地元行政に許可書1枚出すのにも現金やODAを要求され、まだまだ問題が山積する中、今回も発見した遺骨は帰国できないでいる現状です。
それにも増して、今度は国内で今までとは全く違った論争が始まろうとしている。

なんだか本当に空しい気持ちになってしまいます。

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