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2010年03月21日

遺骨収集 エピソード1

今回の遺骨収集は帰国してからの方が色々とあり、昨日はブログを書き込む気力すら無い程、気分が滅入っておりました。

詳しくは後で述べます。

さて、今回のフィリピン遺骨収集エピソード編です。
繰り返しになりますが、毎回遺骨収集の旅は楽しい旅では決してありません。
楽しみは食事の時位です。でも今回から禁酒です。

やはり亡くなられた英霊のご遺骨を目の当たりにしてしまうと、ワイワイ楽しい訳もなく、昼間は黙々と遺骨収集を行い、夜には65年前の彼らの置かれた立場や日本へどれだけ帰りたかったんだろうか?
内地に残してきた親、兄弟の家族にどれだけ会いたかったんだろうか?
お国の為と言いながら、実際には病気や飢えで死に行く目の前の戦友たちを見ながら、自分にも、すぐ必ず来るであろう「死」をどのように受け止めて亡くなられたんだろうか?

そんな事を帰国してからの方が、ずっと考えてします。
実際には現場では、メンバーは疲れ切っていて、夜の8時や9時にはベッドに入ってしまっておりました。

すべての遺骨収集の日程を終えて、マニラへ向う為に小さな小型機に乗った時の事です。
エンジンが掛かり、すぐに窓に黒いオイルがベタベタと飛び散っていました。

私は「どこからのオイルが漏れているんだろう?」と翼の下に付いているエンジンを眺めていると、明らかにエンジン周りからオイルが漏れています。

そのまま、すぐに飛び立ったときです。

私の2列前に野口健さんが座っていて、「藤岡さん、これって燃料が漏れているの?引火したら危ないじゃない?何?これはなんの?Harley屋さんだからわかるよね!僕にわかるように説明してよ!」

もう健さんは必死で私に聞いてきます。
大丈夫?心配

この画像をその時の画像です。健さんはフライト中、ずっとエンジン周りから漏れるオイルを眺めていました。
横に座っていた学生の宮地くんも不安一杯です。

私は席を移って、たまたま健さんの前の席が空いていたんで、そこへ場所を移して、健さんを落ち着かせようと必死で知っている限りの知識を絞りきりながら説明しました。

健さん「今、離陸したばかりだから、引き返すべきだよ。これが燃料なら本当に危ないよ。早くパイロットへ知らせなくてはいけないよ。添乗員に早く言ってよ。」

私「燃料じゃ絶対にないですよ。この窓の淵に付いた後を見てよ。まだ黒い液体が残っているでしょ。これは絶対にオイルです。航空機の燃料は非常に揮発性が高く、もし燃料が漏れているのであれば、霧状になっているはずです。万が一エンジンが燃えても消化装置が付いていますし、片側のエンジンが止まったとしても、双発機なので、1つのエンジンでも飛ぶことが出来ますよ。」

健さん「じゃあ、パイロットはオイルが漏れている事が判っているの?」

私「通常、ある程度、オイルが減ると絶対に警告ランプが付くはずです。」

健さん「じゃあ、早く知らせてあげないと、本当に危ないよ。引き返すべきだよ」

周りの空援隊メンバーは全く気にもしていませんでした。
倉田さんは「フィリピンの飛行機はそんなもんや!」
山際さんは「日本の政治家を乗せた飛行機は今まで墜落したことが無い、それだけ政治家って人間は悪運が強いんですよ。」と言ってイビキをかきながら寝てしまいました。誰にも健さんの危機感は伝わりませんでした。

だだ漏れオイル漏れエンジン

そんな会話をしながら、添乗員に「この状態はヤバイんじゃないの?」って私が聞くと思いっきりの作り笑顔で「ノープロブレム。ジャスト ウォター!」と言うんです。

おい、おい、今まで私が健さんに説明していた事が根底から覆す説明やないか!
水な訳ないやろ!もう少し小ましな説明できないのか?と思いましたが、そんなやり取りを聞くと健さんはもっと危機意識が高まってしまいます。

嫌な空気が漂いました。


しかし、彼女が操縦席に入って、再度窓越しに確認したのを健さんも私も見逃す訳がありません。しかも2度も操縦席に出入りしてました。

不安感はドンドン増してきます。
そのやり取りを見聞きしていた周りの白人の乗客も窓の外を凝視しる様になり、いつまでも漏れ続けるエンジンをみんなが見る事態になってきました。

健さん「藤岡さん、見てよ。まだまだ漏れているよ。本当に引き返すべきだよ。本当に危険だよ。今までヒマラヤでもこんな事が沢山あって、嫌な予感だしたときは絶対に乗らなかったんだよ。でもその飛行機やヘリが必ず墜落してきたんだよ。今回も本当にヤバイよ。」

私「このオイルはブレーキオイルかも知れませんし、油圧で車輪を下ろすのに使うオイルかも知れません。こればかりは降りてエンジン周りを実際に確認しないとわかりませんが、通常の航空機は、バックアップと言って一系統だけではなく、万が一の際にはもう一系統のオイルラインが設計されているんで、大丈夫ですよ。」

私は飛行機の事は何も知らないくせに、精一杯の知っている限りの情報を健さんを落ち着かせる為にしゃべりまくっていました。


もう我々の不安感はピークになっておりました。
こんなフライトは初めてです。

その時です。我々がその漏れ続けるオイルを必死の思いで、見ていると

そのエンジンから

「ガャシャン」という大きな音がしました。

あれだけ必死に大丈夫と説明していた私が、その音を聞いた瞬間に!

「ギャ〜アアアア」と機内に響き渡る大声で、一番驚いてしまいました。

健さん「なんだよ。一生懸命に説明している藤岡さんが一番驚いているじゃないの?」

私「・・・・・・・・

その音は車輪を下ろす為にパッチの開く音でした。
不信感は更に続きます。
こんな高い高度で通常車輪は降ろしません。普通はもっと高度を降ろした時です。
絶対に何かが変でした。


しばらくそのままの高度で飛び続けていて、超緊張感の続く中、やっとの事で無事に着陸しました。

でも話はこれからまだまだ続きます。

着陸して、一度エンジンを止めて、再度エンジンを掛けたとき

「ブルブル〜ン」というエンジン音と止まっている機体の窓にまたオイルが飛び散りました。明らかに異音がそこには混じっていて「カン、カ〜ンカン、カ〜ン」という嫌な音が混じっています。

これは明らかにエンジンもオイルが切れたときに起る音です。

すぐにエンジンが止まり、結局40分も全く動かないまま待機してました。

健さん「なんで滑走路に止まっているの?」
私「多分、駐機場が一杯なんでしょう」と訳の判らない説明をしておりました。

結局、牽引車両に引っ張られて滑走路を離れる事になり、やっとの事で40分待たされて駐機場に止まったときです。

すぐにメカニックがエンジンガードを開けて、チェックしているではありませんか
エンジンチェック問題のエンジン全景

健さん「だから言ったでしょ。俺の感は本当に当たるんだから
私「ほんまでしたねえ!」

あれだけの危険な登山を繰り返し、野口健は足も手も指は10本づつある事が痛い程に理解出来ました。

彼は本当に危機意識とそれを感じる「感」が人よりも数倍高い方です。

ちなみに山際大志郎先生は着陸してから起きられて「もう付いたの俺は鈍感だからなあ」という具合でした。

でも全員無事にマニラへ着き、何よりでした。それにしても私の「ギャ〜」という叫び声は不甲斐なかったです。


エピソード1はこれで終わります。
エピソード2へつづく。


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コメント一覧

1. Posted by 野口健   2010年03月22日 00:11
だからあの飛行機はヤバいって言ったじゃない!
みんな、「平気だ!」となんら根拠なく言っていたけれどさ、
俺は最初からあの黒い水がエンジンの下から滝のように垂れているのを見つけてヤバいと思っていたんですよね。

その揚句に着陸後にエンジン止まって滑走路にて40分も
機内に閉じ込められ、クーラーも止まって汗だくになりましたな。

ね!だから離陸する前に離陸はやめるべき、離陸直後でも引き返すべき。分かりましたか!!!


本当にあれマジヤバかった。

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