2009年03月29日
レイテ遺骨収集Part3
全くそこの村での、作業に没頭していたんで、やばい空気がわからなかったんですが、よく見ると現地の方々の目が怒っている方々も多く、
今回の金額の配分方法が具合い悪かったのか
お金をもらえてない人々が不平不満が溜まってきたようです
先ほどのヤシノミで喉を潤す暇もなく、
ドキドキしながら
作業再開です。
ここまで来て、ご遺骨を持って帰れないのは絶対に納得できないので、暑さと戦いながら、ややこしい分断された遺骨をパーツごとに並べて人数の確認作業の再開です。
灼熱地獄のジャングル奥地での恐怖と焦りながらの作業は本当に疲れました。






左上の画像は、野口健さんと小林マネージャーの人間関係を表したショットです。
でも、これはやらせです。こんなにえらそうには絶対しない健さんですよ
今回、成田から一緒に飛行機に乗ったのですが、健さんから、この本はカモテス諸島のポロ島といって以前も立ち寄り、ご遺骨の調査をした島での一兵隊の戦闘記録です。
それが「万死に一生」という本なんですが、簡単に説明しますと。
学徒動員で当時、東大1回生だった青年が何処へいくともわからないまま、ポロ島へ配属となり、決死の思いで4名だけセブ島へ渡って、最後には捕虜になるのですが、
そのあまりにも生々しい事実が次々と表現されています。
圧倒的な米軍の戦力の前になす術(すべ)もなく、そして追い打ちをかけるかのように島民による日本兵掃討作戦が繰り返される。毎日のように戦友を失い続け生還者はたったの4人。絶望的な状況下におかれながらも最期まで生きる望みを捨てなかった著者の生命力に心底驚かされたと同時に、戦争の残酷さ、戦死していった兵士の無念さを全身で感じていた。
前回は健さんと「こんな綺麗なリゾート気分満点の島で戦闘が行われていたなんて、ギャップがありすぎるなあ〜
」って言ってたんですが・・・。
実際にその本を読んでそこの島へ行くと旧日本軍本部や山や丘の名前や、海岸の描写が全く当時と同じなんです
ここで、○○上等兵が迫撃砲でやられた場所か
ここの洞窟で何日も隠れていたんか
健さんと当時の柳井氏の書かれた地図を汗と泥にまみれた手で、毎回現在地をチェックしていました。
健さんのその話がニュースになっています。
http://sankei.jp.msn.com/culture/books/090328/bks0903280809004-n1.htm
で、そこの島から前回とは違う新たなご遺骨が浜辺から少し入ったヤシの木の下から驚くほど大量の遺骨が出てきました。
これもその本に書かれていた通りでした。
倉田さんが今回はこの人数では全回収は無理だから、あるだけにしよう。との指示に袋に詰められたご遺骨の袋を4つ車まで持っていくのですが、これが非常に重くって一人では運べませんでした。
実際の手に掛かる重たさと本当に彼ら無念さが量が伝わってくるようでした。



慎重に頭蓋骨を掘ったんですが、もうボロボロで原型を留めることが出来ませんでした。






常にこの「万死に一生」の本を片手にポロ島(カモテス諸島)を回りました。



その日にセブ島のホテルへ帰って、早速先ほどのご遺骨の山をパーツごとに区分けして人数の確認です。
作業を狭い部屋で行っていて、私が
「この方々の英霊の気持ちはいったい今、どう感じているんだろうか
」
ってその場にいた全員で考えました。
悲しみか
内地へ帰れる喜びか
全員一致した答えが「怒り
」だろうということになりました。
64年間、まったくほったらかしで、しかもここの戦闘の事実すら今の日本国民は知る由もない状態で、平和な日本で暮らしている我々を喜んでいるはずもないだろう
武器、弾薬もなく、食料すらなく、毎日飢えと敵との戦いの日々で結局、米軍、地元のゲリラにナブリ殺されるか?栄養不足やマラリア等の病死か?結局、野垂れ死に
したって思ったであろう彼らの気持ちを思えば、「怒り」という感情の他にはふさわしい日本語が見つかりませんでした。



セブ島での最終日、集めたご遺骨を焼かなくては国内へ持ち込めないという法律だそうで、山の上にある非常に「隠れたパラダイス」というジャングル奥地にあるホテルで、その「焼骨式」を行いました。
その日の夜に厚生労働省から2名に職員が来られました。
そのホテルはテレビ、電話もなく、集合の際には「集合ラッパを吹くのでそれで集合してください。」との倉田さんの話を半分、冗談と思っていた健さん、小林さん、私でした。
ホテルに到着し、お湯の出ないシャワーを浴びて着替えていると
「パッパラパッパパ

」
とケタタマシイラッパの音
となりの健さん部屋からは
「マジかよ
」
って聞こえてきて大笑いでした
それから早朝5時に起きて「焼骨式」の準備です。
成田空港でお見送りをしていただいた「れんママ」さんから預かった靖国神社の桜の木の枝を点火の際に全員に渡るようにタイマツに仕込んで、開始です。
その際に「君が代」をラッパで奏でた音色が、胸にしみこみ、様々な思いが一気にこみ上げて全員、涙を流して君が代を聞いていたのが非常に印象的でした
つづく
今回の金額の配分方法が具合い悪かったのか
お金をもらえてない人々が不平不満が溜まってきたようです
先ほどのヤシノミで喉を潤す暇もなく、
ドキドキしながら
ここまで来て、ご遺骨を持って帰れないのは絶対に納得できないので、暑さと戦いながら、ややこしい分断された遺骨をパーツごとに並べて人数の確認作業の再開です。
灼熱地獄のジャングル奥地での恐怖と焦りながらの作業は本当に疲れました。
左上の画像は、野口健さんと小林マネージャーの人間関係を表したショットです。
でも、これはやらせです。こんなにえらそうには絶対しない健さんですよ
今回、成田から一緒に飛行機に乗ったのですが、健さんから、この本はカモテス諸島のポロ島といって以前も立ち寄り、ご遺骨の調査をした島での一兵隊の戦闘記録です。
それが「万死に一生」という本なんですが、簡単に説明しますと。
学徒動員で当時、東大1回生だった青年が何処へいくともわからないまま、ポロ島へ配属となり、決死の思いで4名だけセブ島へ渡って、最後には捕虜になるのですが、
そのあまりにも生々しい事実が次々と表現されています。
圧倒的な米軍の戦力の前になす術(すべ)もなく、そして追い打ちをかけるかのように島民による日本兵掃討作戦が繰り返される。毎日のように戦友を失い続け生還者はたったの4人。絶望的な状況下におかれながらも最期まで生きる望みを捨てなかった著者の生命力に心底驚かされたと同時に、戦争の残酷さ、戦死していった兵士の無念さを全身で感じていた。
前回は健さんと「こんな綺麗なリゾート気分満点の島で戦闘が行われていたなんて、ギャップがありすぎるなあ〜
実際にその本を読んでそこの島へ行くと旧日本軍本部や山や丘の名前や、海岸の描写が全く当時と同じなんです
ここで、○○上等兵が迫撃砲でやられた場所か
ここの洞窟で何日も隠れていたんか
健さんと当時の柳井氏の書かれた地図を汗と泥にまみれた手で、毎回現在地をチェックしていました。
健さんのその話がニュースになっています。
http://sankei.jp.msn.com/culture/books/090328/bks0903280809004-n1.htm
で、そこの島から前回とは違う新たなご遺骨が浜辺から少し入ったヤシの木の下から驚くほど大量の遺骨が出てきました。
これもその本に書かれていた通りでした。
倉田さんが今回はこの人数では全回収は無理だから、あるだけにしよう。との指示に袋に詰められたご遺骨の袋を4つ車まで持っていくのですが、これが非常に重くって一人では運べませんでした。
実際の手に掛かる重たさと本当に彼ら無念さが量が伝わってくるようでした。
慎重に頭蓋骨を掘ったんですが、もうボロボロで原型を留めることが出来ませんでした。
常にこの「万死に一生」の本を片手にポロ島(カモテス諸島)を回りました。
その日にセブ島のホテルへ帰って、早速先ほどのご遺骨の山をパーツごとに区分けして人数の確認です。
作業を狭い部屋で行っていて、私が
「この方々の英霊の気持ちはいったい今、どう感じているんだろうか
ってその場にいた全員で考えました。
悲しみか
全員一致した答えが「怒り
64年間、まったくほったらかしで、しかもここの戦闘の事実すら今の日本国民は知る由もない状態で、平和な日本で暮らしている我々を喜んでいるはずもないだろう
武器、弾薬もなく、食料すらなく、毎日飢えと敵との戦いの日々で結局、米軍、地元のゲリラにナブリ殺されるか?栄養不足やマラリア等の病死か?結局、野垂れ死に
セブ島での最終日、集めたご遺骨を焼かなくては国内へ持ち込めないという法律だそうで、山の上にある非常に「隠れたパラダイス」というジャングル奥地にあるホテルで、その「焼骨式」を行いました。
その日の夜に厚生労働省から2名に職員が来られました。
そのホテルはテレビ、電話もなく、集合の際には「集合ラッパを吹くのでそれで集合してください。」との倉田さんの話を半分、冗談と思っていた健さん、小林さん、私でした。
ホテルに到着し、お湯の出ないシャワーを浴びて着替えていると
「パッパラパッパパ
とケタタマシイラッパの音
となりの健さん部屋からは
「マジかよ
って聞こえてきて大笑いでした
それから早朝5時に起きて「焼骨式」の準備です。
成田空港でお見送りをしていただいた「れんママ」さんから預かった靖国神社の桜の木の枝を点火の際に全員に渡るようにタイマツに仕込んで、開始です。
その際に「君が代」をラッパで奏でた音色が、胸にしみこみ、様々な思いが一気にこみ上げて全員、涙を流して君が代を聞いていたのが非常に印象的でした
つづく
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コメント一覧
1. Posted by 野口剛 2009年03月29日 23:34
時代の波に巻き込まれ戦地で桜の花のように短い命を散らせた日本人…
彼らの分まで世界の平和を祈り続けていきたいと思います。
今も世界中で争いが続いてますが命ある限り戦争がこの地球に住む人々の幸せを奪っていく事を伝えたいです
彼らの分まで世界の平和を祈り続けていきたいと思います。
今も世界中で争いが続いてますが命ある限り戦争がこの地球に住む人々の幸せを奪っていく事を伝えたいです
2. Posted by kodohkan 2009年03月31日 09:32
剛くん
ありがとう
ええこというなあ
2日よろしくお願いします。
> 時代の波に巻き込まれ戦地で桜の花のように短い命を散らせた日本人…
> 彼らの分まで世界の平和を祈り続けていきたいと思います。
> 今も世界中で争いが続いてますが命ある限り戦争がこの地球に住む人々の幸せを奪っていく事を伝えたいです
ありがとう
ええこというなあ
2日よろしくお願いします。
> 時代の波に巻き込まれ戦地で桜の花のように短い命を散らせた日本人…
> 彼らの分まで世界の平和を祈り続けていきたいと思います。
> 今も世界中で争いが続いてますが命ある限り戦争がこの地球に住む人々の幸せを奪っていく事を伝えたいです