秋。

 銀杏の木の葉が、舞い落ちる季節

 はらはらと音を立てて、それはゆっくりと舞い落ちている




 空。

 夕暮れの空。

 紅に照らされた陽下の一面

 そこではいつものように、風が流れていた




 風。

 それは何か?

 その音の調べに乗せて、漂い彷徨うもの

 ゆるやかな調べに、それは流れてゆくもの

 それは何を運び、

 何を伝えようとしているのだろうか?




 人。

 知恵を、文明を、築き上げてきた者達

 ある意味で、生き物たちの勝者

 そして、とても弱き者たち




 答え。

 生きるために抗えない、常にその要求を欲するもの

 それは一体、何なのだろうか?

 その「答え」を探すこと…





 それはまさに、

 『悠久の命題』

 と、いうことなのかもしれない





 今回ここで語るのは、ひとつのこんな物語。






「神楽神宮参拝帖」






 ――ここは、神社の境内。

 人里より少し離れた山の頂にあるその場所で、巫女装束に身を包み、竹の箒(ほうき)を携えて、今日も仕事に勤しむ一人の少女がいた。
 彼女の名は、神条 歩(しんじょう あゆみ)。齢は16歳。
 代々血統に受け継がれている、この神楽神宮の長女である。
 いつも笑顔を絶やさず、今日も元気いっぱいに境内の清掃に励んでいる。

「…ふぅ」
 清掃に一段落がつき、ほっと一息つく彼女。
 夕陽の下、彼女は敬虔な眼差しで遙か高みにある空を見上げる。



 ――彼女には、ひとつの夢がある。
 それは、一人でも多くの人を救いたい、ということ。
 自分の力でどれくらいのことが出来るのか――それはまだ分からない…けど、自分に出来る限りの努力をして、一人でも多くの人の力になれたら…そんなことを思いながら、その朱みに染まった空を見つめていた。

(…………)
 紅(くれない)の夕陽が、秋空の情景により感傷的なアクセントを加えている。
 緩やかにそよぐ風が、あゆみの身体を優しく撫でていく。
 ある種、幻想的な光景。

 いつ叶うともしれない望みをその心に抱いて。彼女は、ただ静かに佇んでいた――





 ――しばらくが経過して。

 ばしっ!

「あいたっ!」

 帳簿が少女の頭を叩く音。
 瞬間。少女の思考は現実へと引き戻される。
「まったく。ちょっと目を離したら、すぐに『妄想』なんぞに浸りおって!」
 そういって現れたのは、背丈は少女よりふたまわりほど低い、宮司の衣に身を包んだ、どちらかといえば茶坊主といった形容の当てはまる、そんな一人の老人の姿。彼はあきれた風にして少女の姿を見据える。

「…妄想なんかじゃないですもん。これは歴とした私の『夢』です。目標なんです!」
 あゆみは。今しがた彼に打たれた箇所を両手で痛そうに押さえ、うらみの籠もった目をしながら反論する。

「叶わなければ、どっちだって同じ事じゃ」
「そんな。いきなり勝手に決めつけないでくださいよ!」
「叶うものだと、何故言い切れるんじゃ?」
「絶対に、叶えて見せますよ〜!」
「言うだけなら、誰にでも出来る事じゃ…」
「う〜〜…」

 ああ言えば、こういう。決して決着の付かない問答であった。
 あゆみの言う言葉に、溜息混じりに飄々とした口調で言葉を返すこの男。



 ――神条 権(しんじょう げん)。

 神楽神宮の現宮司。つまり、このあゆみの実の父。年齢は不詳。
 娘であるあゆみでさえ、彼の本当の年齢ははかりかねると言う。
 この父娘の関係…それは、あゆみの夢見がちな部分に、権が的確なツッコミを入れるといったものであった。
 二人の問答は、しばらくに渡って続いていた。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ………」
「…………………」
 すでに二人とも、完全に息を切らしていた。


「どうした。もう何も言って来んのか?」
「…はぁ」
「溜息なんぞついて、どうしたんじゃ?」
「お父様は、いつも私にこんな酷い仕打ちばっかり…」
「人聞きの悪いことを言うでない。儂はお前のそういう所を心配しておるんじゃ」
(分かってない。お父様は私のことを何も分かってくれてない…でも!!)
「良いか、さっきから儂が言っておるのは…」

(でもでも。こんな現状の私でも、いつかきっと…私のことを必要としてくれる人が……私のことを神様はいつも見ていて下さっています! 負けるなあゆみ。ふぁいとっ!!)
 空を見上げ、握りこぶしを作り、決意を新たに胸に秘めるあゆみの姿。
「…すでに聞いてはおらんな。こやつ」
 権は溜息をもらす。

「とりあえず、そろそろ陽も暗くなる。早めに夕食の材料でも買ってきてはくれんかの?」
「買い物? ええ、わかったわ」
 言われてあゆみは、ダッシュで自分の部屋に戻って私服に着替えを済ませ、買い物バッグを片手に持つと、
 神社の長い階段を下りて街へと向かうことにした。




 ――街の商店街。

 あゆみは、権に渡されたメモを見ながら歩いている。
 今日のメニューは、カレーライス。権の大好物だ。
 メモの隅っこの方に「今日はこれが食べたいんじゃあ」とマジックで太く書かれている。
 そのメモを見て、あゆみはくすくすと失笑する。

 ふと、あゆみの目に留まったのは…
 地図のようなものを広げながら、おろおろとした足取りで周りをうろつくおばあさんの姿。
 どうやら道に迷っているようだった。
 あゆみは、困っている人を見かけると、どうしても放っておけないようで、そうした困っている人を見つけると反射的に手を差し伸べる性質があった。

「あの…すみません? もしよろしければ……」
 あゆみはその人のいる場所まで歩いていき、その人が持つ地図に書かれた場所まで案内する。

 おばあさんの目的地にたどり着く。そうして感謝の言葉。あゆみにとって、こうしている時が一番幸せを感じていられるのだ。


 そうして商店街に戻ってみると、また新たに困っている人を見つけ、優しく手を差し伸べる。
 そんなこんなしているうちに……

 気がつけば、辺りはすっかりと暗くなっていた。

「あ、いけない!」
 あゆみは慌てて自分の買い物を済ませる。





「すっかり遅くなっちゃったわ」

 しかし、その言葉と裏腹、彼女の顔はほくほくとしていた。元々あゆみは、周りに尽くして幸せを感じるタイプ。
 困っている人を見つけては、さっきのように笑顔で手を差し伸べる。
 そんな彼女だから、街中ではちょっとした有名人になっていた。

 商店街で閉店間際、買い物をしていた時に至っても、店の人が色々と「おまけ」を付けてくれたり、テーマパークのチケットまでくれる人がいたほどだった。

 そして、帰路につく折。
 自宅のある境内へと伸びる階段の根本の辺りに、うろうろとしている一人の男の姿があった。
 いかにも挙動不審といった印象のある青年。
 あゆみはそれを見て、「どうしたんだろう」と頭に?マークを浮かべながら、その青年のいる目の前にやってくる。

「あの…どうなさったのでしょうか?」
 あゆみが不意に尋ねる。
「!!」
 その声に驚いたのか、青年はびくっと身を震わせて、一目散にその場を走り去ってしまう。

「???」
 その様子を見てあゆみは、終始頭に疑問符を浮かべたまま、その場に立ちつくすのだった。



 ――そして、長い階段を上り、帰宅する。

「ただいま〜」
「遅かったではないか。お前、また『人助け』をしておったのか?」
「うん」
 あゆみの満面の笑顔。
「…まぁ、それについては何も言わぬが。年頃の娘がこんな時間まで街をうろついては危険じゃろう?」
「うん。さっきそこの階段の下でうろうろしている男の人を見かけたよ?」

「! なんじゃと? その若造から何かされてはおるまいな?」
「全然。それに、そんなことをしそうな人には見えなかったから大丈夫」
「以前から、人を見かけで判断するなとあれほど……」

「それじゃ、今からご飯の支度をしてきますね〜」
「まったく、聞いてはおらぬな……」


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 ――あゆみが手早く料理を作り、鍋を持って皿の並べられた食卓にやってくる。

「はい。できましたよ」
 今夜のメニューは、権の要望通りコーンの入ったカレーライス。
 彼女の作った料理の香ばしい匂いが、食卓中に漂う。権は大きく息を吸い込み、その香りを鼻腔で堪能する。
「…うむ! 中々旨そうじゃ!! 一日の疲れた身体をいたわるこの食事。正にこれこそ人生の楽しみじゃて」
「もう…お父様ったら。いつもそればっかり」
 喜ぶ権の姿を見て、あゆみはくすくすと笑う。

 あゆみと権の二人は、明日一日の抱負を互いに述べあうと、今日の夕食をいただくことにした。

「いただきまーす」




 ――次の朝。

 あゆみは巫女装束に身を包み、今日の仕事に励んでいる。
 箒で境内に散らばった落ち葉の掃除。社(やしろ)の中の拭き掃除。そして、「忙しいんじゃあ」とかこつけては、どこかに隠れてぼーっとしている権を見つけて、注意を促す。などなど。

 それが彼女の巫女としての日課だった。
 竹の箒を手に、落ち葉の後片づけをしていると……

 階段の根本に、昨夜も見かけた青年の姿が目に映る。
 青年は昨日と同じく、辺りをうろうろと歩き回っている様子だった。
「?」
 気になったあゆみは、その場から青年のいる場所に向かって大声で呼んでみる。
「すいませーん! どうかなさったんですかーーっ!!」

 …返事がない。どうやら向こうには聞こえていないようだった。
 あゆみは声が届くようにと、肺に大きく息を吸い込んで……

 ごちん!

 そこで、げんこつで頭を殴られる音。
「痛いっ」
 あゆみは涙ぐみながら、ぶたれたところを両手で押さえる。
「馬鹿もん! いきなりこんな所から大声を出したら、折角のお客が逃げていってしまうではないか!!」


 …そう。
 この神楽神宮は、代々由緒正しき場所とされてはいるが、時季的な理由もあり、今は閑古鳥が鳴いているありさまなのだ。
「人に声をかけるときは、その人の近くまで行ってから、声をかける。これが礼儀じゃろうが?」
「う〜……」
 頭を押さえながら、うらみの籠もった目で父を見るあゆみ。
「…何じゃその目は? 儂はお前の悪いところを素直に叱ってやっておるだけじゃぞ?」
「う〜。分かりましたよぅ…」
 あゆみは渋々といった感じで階段を降りていく。権に対して「痛いです」といった視線を向けながら。

 先ほど打たれた所の痛みがまだ治まらないらしく、目にはじんじんと涙を浮かべているあゆみ。
 そして、中程辺りまで階段を降りていった辺りで……

「…あっ!?」
 うっかり降りる足を踏み外してしまう。
 思わず身体が前のめりになり、倒れそうになる辺りに向かって無意識にもう片足を交互に伸ばす。
「わわっ」
 重力によって、彼女の足の動きが早まっていく。そしてその動作は助走の態勢に。そしてその助走の勢いは徐々に拍車をかけていく。
 気がつけば、自分の足では止まることが出来なくなっていた。

「わ〜っ、どいてくださーいっ!!」
「え…?」
 どっしゃああああああん・・・・!!!!
 そのまま青年に向かってクラッシュする。

 青年は、何が起こったのか分からないといった様子で、その場に仰向けになって倒れていた。

「あぅあぅあぅあぅあぅ…」
 ぺたんと尻をつき、目をぐるぐると回し、頭をふらふらと彷徨わせているあゆみ。
 彼女の頭上で、ピヨピヨと音を立てる何かが舞っていた。

 ・・・・・・・・
「あ、あの…」
「…はっ」
 青年があゆみのことを呼ぶ何度目かに、ようやく彼女は気がつく。

「すみません。私、今動けないんですけど……」
「えっ…?」
 青年が顔を赤く染めて、すっと指を差したその先……
「あ…」
 あゆみが、倒れる青年の身体の上に馬乗りに跨っている姿勢になっていた。



「たたた…大変失礼いたしました!!!!」



 ――神楽家の屋敷の中。

 青年は傷の手当を受けている。
 さっきから何度もぺこぺこと謝罪の言葉を繰り返すあゆみ。

「ふん。まったく…幾つになってもそのドジさ加減が抜けきってはおらぬの?」
 溜息混じりに権がなじる。
「本当に済まぬ事をしてしまいました。娘には後で儂の方から追って聞かせますので……」
「いえいえ。実は私は、この神社の方にご相談があって参りまして…」

「なんとっ!!」
 その言葉を聞いた途端、両目が「¥」の字に輝き始める権。

「ごうつくば…むぐっ!?」
 呆れ顔でツッコミを入れようとするあゆみの口を、速攻で権は両手で塞ぐ。

「…して、御用向きとは何でしょうかな?」
 キリッとした表情で、青年からの相談に臨む権。
 口の端からのぞく総入れ歯からは、一筋の妖しげな光を放たせて。

「あの…それがですね……」
「ふんふん。ほーほー」
「まだ何も言ってないですって…」
 権をどうどう、となだめるあゆみ。

「こんな事を言うと、変な人だなって思われるかも知れませんが……」
「そういうことは、言ってみなければ分からないものですぞ?」
 普段は何事にも淡泊で、総てを斜に見ている権だが、こういうときに限って執拗に食い下がる。

「そうそう。ヘンな人なら私のすぐ横にほら…」

 どごすっ…!!

 その間、正味コンマ1秒。強烈に振り下ろされたげんこつの一撃に、どうっと床に沈むあゆみ。
 彼女は体中をぴくぴくと痙攣させていた。

「さて、話の続きを聞きましょうぞ?」
「あはは…(大丈夫なのかな、ここは?)」
 冷や汗を垂れながら、その様子を見ている青年。とりあえず青年は話を進めることにした――



「…霊?」

「…はい。信じてはもらえないかも知れませんが、毎晩私の部屋の傍で奇妙な声が聞こえて来るんです。何を言っているのかなと思って耳を澄ませてみても、はっきりと聞き取ることが出来ないのですが…」
「れれれのれ〜…」
 げんこつのダメージに目を回しながらのあゆみのうわ言。
「・・・・・・・」
 権はあゆみの口をガムテープでしっかりと固定する。

「…それは難儀じゃな」
「ほかでも何件か回ってみたのですが…どこもそういうのは、相手にしてもらえなくて…本気で悩んでいるというのに。そこのみなさんからも大笑いされてしまって…」
「…まぁ、このご時世。そういった特殊なケースの相談なぞ極めて稀じゃからのお。そういった非日常的な事に関する知識なぞ、平和が続いていくうちに、徐々に忘れ去られていくものじゃ…」
「〜!〜〜!!」
 あゆみがモガモガと何かを言おうとしているようだが、ガムテープでしっかりと口を固定されているため、言葉を出すことが出来ない。

「もしも…ここでダメだって言われたら…ここで命を絶ちます!!」
「!!」

 そういって青年は、決意に満ちた表情で懐から出したナイフを喉元に当てる。
 そこですかさず権は、それを帳簿で器用に叩き落とす。
「馬鹿者! そんな軽はずみなことをするでない! そんな事をされれば、お主の親戚や友人達。それにこの場に居る儂らが困る!!」
「ううっ…」
 いつにない権の叱咤の剣幕に押され、絶望的な眼差しで床に落ちたナイフを見ている青年。
「ならいったい…どうすれば……」
「まぁ、うちでならそういった特殊なケースの相談も受け付けてはおるが…」
「ええっ、本当ですか!?」
 権の言葉を聞き、青年の瞳に生気がよみがえる。

「しかしじゃ。地獄の沙汰も金次第と云うての。仮にもアカの他人様に相談を持ちかけるんじゃ。それなりの物が無くてはお互い寒かろう…それが渡世の義理というものじゃて……」

「それはそうですよね…いったい、おいくらくらい…?」
「そうじゃな。少なく見ても、100はくだら……おぶっ!?」

 スパカーンと、あゆみの放ったハリセンの音が軽快に鳴り響く。
「もうっ、お父様ったら…!」
「ぐおぉぉぉぉ・・・・」
 ハリセンに打たれて権は、その場所を必死に両手で押さえてもがく。

「ほほほほほ。ごめんなさい。父ったら、もうろくしちゃってて…」
「実の父親になんて事を言うんじゃ…」
「血のつながった親子だからこそ、そんな暴挙は許しません♪」
「ぐおぉぉぉ……」
 この二人にとっては、よくあるいつもの光景。その様子を青年は、ただぽかーんと口を開けて見ていた。

「私たちの仕事は、元来世のため人のため。迷い人には導く手を。傷つく者には心の平安を。古来より伝わる、この癒しのプロフェッショナルにお任せ下さい!!」
 まるで舞のようにその場をくるくると数回転しながら抱負を述べ、誇らしげに胸を張ってポーズを決めるあゆみ。


「プロフェッショナルといえば、それは厳しいビジネスの世界じゃろうが…」
 ばしんっ…!!

 さっきの仕返しか。すでに虫の息で言葉を紡ぐ権に、あゆみはハリセンの一撃でとどめを刺す。

「…では、この私が何とかして見せましょう!!」
 威勢良く。あゆみは青年からの相談を快く引き受けることにした。




 ――お堂の中。

「…では。目を閉じて、しばらく心をリラックスさせて下さい」
「・・・・・」
 あゆみは今、青年が自分に取り憑いているかも知れないという霊の「視診」をしている所だ。上半身の服を脱ぎ、いすに座った青年の周りを右回りにゆっくりと周り、霊の反応が見られるかどうか、念入りに調べている。

「・・・・・・・・」
 時折青年の身体に向かって手をかざしては、眼を瞑じて何かを読みとっているようだ。

「・・・・・」
「…どうでしょうか?」
 おそるおそる青年は訊ねる。

 しばらくの間をおいて、あゆみは目を開ける。

「わかりません」

 どがっ!

 お堂の中を頭を打ち付ける音が二つ同時に木霊する。

「…あれ? どうしました。二人とも?」

「い…いえ……」
「…これだからお前というヤツは…仕方ない。視診くらいは、この儂がボランティアでやってやろう」

 端に正座してぶーたれているあゆみを傍らに、今度は権が青年の視診に入る。

「・・・・・・」

「確かにそれらしい『痕』が見つかりましたぞ」
 そういって権は青年の首筋の横にある部分に目を向ける。
 やっぱり、といった表情で青年は安堵と苦悶の入り交じった複雑な表情でその部分を見る。


「…で、ここからがビジネスの話になるわけじゃが……」
 どこから持ってきたのか、権はそろばんを得意そうな顔で弾いて、値踏みの交渉に入る。
「このケースですと…やはり150は見ていただかないと…」

 そしてまたどこから持ってきたのか、巨大なピコポンハンマーで権に一撃をかますあゆみ。

「本気で困っている人の前で、いきなりお金の話なんかしないで下さい!! ここから先は私がやります!」
 そうかいそうかい、といった感じでお堂を退散する権。
 あぁせいせいした、といった感じで一息つくあゆみ。

「しばらくここでお待ち下さいね♪」
 そういってあゆみがウィンクをこぼし、どたどたと何処かへと走り去っていく。





 ――数時間後。

 あゆみが、御祓い用の道具一式を持ってお堂に戻ってくる。それは清めのための御祓い棒。不可思議の文様が描かれたお札など、様々だ。
 打ち水まで行ってきたらしく、半乾きのしっとりと濡れた黒髪が、きらきらと照り輝いていた。

「色々と用意を調えて参りました。準備はよろしいですか?」
そういってあゆみは、まじないのような言葉を唱え始める。

「…天の神・地の神に願い奉る。我が求めるは、癒しの風、救いの門。彼の者を縛るもの、戒めを加えし者の一切の業を清め、そして在るべき処へと導き放ち給え…!!」

「はーーっ!!」
 そしてあゆみは、念を込めたお札を青年の足元に投げる。しかし…

 めらめらめら……

 お札から突然炎が吹き出す。そして炎はたちまち周囲に拡がっていく。青年は「なんだなんだ」と、それにおののいている。
「あれ? あれれれ?」
 慌ててあゆみは、火を消しにかかる。バケツの水から消化器に至るまで様々な道具を持ち込むことになり、鎮火には数十分を要した。

「えーっと、こほんこほん。先ほどは大変失礼いたしました」
「………」
「気を取り直して今度こそっ。いきますよぉ〜っ」

 そしてあゆみは改めて気を取り直し、再びまじないの言葉を唱え、今度は別のお札を青年の顔に張り付ける。
「たーーっ!!」
「……」
 しばらくの間があった。

 …こてん。
 今度は青年の顔から何か、白いもやのようなものが…突然青年が目を開いたまま、真横に横転する。


「あぁ〜ん。なんか魂が抜け出てますよぉ〜〜」

「馬鹿もん! 依頼人を死なせてどうするかーッ!!」



 そんなこんなで。



「…コホン」

 ――時はすでに夜を刻む。三人はまだお堂の中。

「私は大馬鹿者です」と書かれた紙を胸もとに貼られ、うるうると涙を流すあゆみ。
「やれやれ」といった表情でゴロ寝をする権。
「死ぬかと思った」と、息を切らせている青年。

「とりあえず、もうこんな夜更けじゃ。お主もこのまま家に戻っては色々と危なかろう。今夜はうちの屋敷で宿を取るがよい…」
「もういや、帰りたい…」と、青年は心の中では主張していたが、権の優しさとも警告ともとれるこの言葉と目線に、彼は最早なされるがままであった。






「…はぁ」

 ――入浴場。

 そこであゆみはひとり、溜息をついていた。
「どうして私はいつも、あんな失敗ばかりするんだろ…」

 いつもは天真爛漫としている彼女だが、ひとつ大きな悩み事がある。
 あゆみの一番の悩み。それはドジで仕事中に何らかの失敗をしてしまう。そんな自分を時々いやに思うときがあった。
 浴室に立てかけてある鏡に自分の姿を映し、あゆみは言葉で自分自身に問いかける。

「…あゆみ。貴女は一体何をしたいの? 一生懸命に頑張るんじゃなかったの?」

 ・・・・・・・・・・・・・

 その問いかけに対する返事はなく、ただ静寂のみがこだまする。



 ――そんな折。

「ふっふっふ。数年ぶりに、あやつの可愛い姿を拝むことにするか…」

 そういって現れたのは、不届きなるひとりの男…否。あゆみの実の父、権。
 奇妙な言葉を呟きながら彼は、屋敷の裏庭を音を忍ばせつつ、にじりにじりと歩みを進ませている。その目的は、あゆみの入っている浴室。
 彼は出歯亀もとい、成長した我が子の姿を改めて一目見ようと、こうして参上したというわけである。
「どれどれ…」
 浴室から光の漏れる窓に、顔を近づける権。

「おぉぉぉぉ……」
 目の前に広がるのは、ひとつの桃源郷。ある種至福のパラダイス。湯煙のためにはっきりと見ることは出来ないが、あゆみを映し出す確かな輪郭が、権の視界には拡がっていた。
「あやつめ…身体だけは、死んだ母さんの若い頃に似おって……」
 その姿に心奪われ、ただただ立ちつくす権。

 そんな彼の両目はまるで、マンガの演出さながらにズームアップしていた。




「もう…あゆみったら……ダメじゃない………」
 一方あゆみは、浴室で深く気落ちしていた。

「私って、本当にダメな子なのかなぁ? ……あぅあぅあぅあぅあぅ…っ!!」
 彼女は、鏡に映った自分に何かを問いかけては、首を振ってその考えを追い払う、といったことを繰り返していた。


 …ドシン。
 唐突に、浴室の外で、そんな音がする。

「! 何かしら…?」


 ぴくぴくぴく……
 足を踏み外し、顔面をもろに床に打ち付けてしまった権。顔面蒼白。その額からは血が流れ出ている。
 権は、それでもめげずに、のぞきを再開しようと窓から顔をのぞかせる。そこであゆみと目が合う。

「!!」
「!!」

「き…」
 あゆみが息をのむ。
(あゆみに見つかってしもうた…まずい、まずいぞ。どうすれば良いんじゃ…?)
 目の前で起こった出来事に、権はただ絶句し狼狽していた。まさに絶体絶命。
 そこであゆみが。


「きゃーーーっ。おばけーーーーーっっ!!!!!!!!」
 その「異質なるもの」の姿を見て、あゆみは窓の外の「それ」に向かって、赤い蛇口から出る熱湯を桶で数回浴びせてから、浴衣もろくに着ないまま、巻きタオル一枚で浴場を走り出す。

「おばけがでたーーっ」と大声を張り上げながら、あゆみは屋敷中の廊下を縦横無尽に駆け回る。
 恥も外聞も、感じる心はどこへやら…彼女自身、完全にパニクっていた。

 霊が出るって本当だったんだ…
 とりあえず、このことを誰かに知らせないと…
 お願い、誰か、誰か来て…!!

 彼女は必死の思いだった。
 と、そこに。

「あれ? どうしたんですか?」
 目の前の障子から、ちょうど青年が出てくるところだった。

「助けて下さいっ。おばけが、おばけがーーっ!!」
 あゆみは思わず、青年の顔を見上げてその身体を力強く抱きしめる。渾身の力で。火事場の馬鹿力ともいえる強い力で抱きしめ、大きく叫ぶ。
「………」
 咄嗟のことに、わけの分からないといった風の青年。ふと気がつくと…
 仮にも、あゆみは年頃の娘だ。しかも、風呂上がりでバスタオルの一張羅。上目遣いで涙に濡れたつぶらな瞳。おまけに肌の密着。突然訪れた、このシチュエーチョン。

 ぶしゅうううううう………

 若き青年は、鼻から大量の血を吹き出し、力つきてその場に倒れる。
 それは彼にとってまさに、青春の新たな1ページであった。




「…ふぅ」

 ――あれから数時間後。

 あゆみは気がついた青年と一緒に裏庭をはじめとした、境内のあちこちを隈無く探してみた。
 が、「おばけ」とおぼしきものの姿はどこにも見つからず、幽霊騒ぎは一応の沈静を取り戻した。
 その時に何故か、権の姿も共に見あたらなかったようだ。

「とりあえず、何事もなくて良かったですね」
「ええ。無事でいられて何よりです」
 あゆみに突然抱きつかれ、そのショックで意識を失った青年は、10分と経たないうちに一度は目を覚ましたのだが、あゆみはその時、「証拠隠滅」のために庭石で彼の記憶を「消した」。
 そのため二人は今、あんな事があった後でも何の気兼ねもなく、こうして言葉を交わせている。
 あゆみの額には終始、一筋の汗が浮かんではいたものの。


 しかし、時刻はすでに子の刻半(午前0時くらい)。
 眠気も十分に深まる時間である。
 二人は軽い挨拶を交わし、それぞれの部屋に戻ると、静かに床につくことにした……







(う……あ…………)

(どうすればいい? どうすれば……)

(…伝えたかった、事を……)

(僕は……)

(……愛理(えり)……)

 ――青年は布団の上で何かをうわごとのように呟いている。
 どうやら、自分の見ている夢にうなされているようだ。

 突然彼は目を覚ます。その額からは夥しいほどの汗がにじみ出ていた。
 そしてそのままふらふらと、寝室を後にする。






「…まったく。さっきは酷い目に遭ったわい」
 あれからあゆみに高温の熱湯を浴びせられ、命からがら逃げ延びた権。その顔は包帯でぐるぐる巻きになっている。
 今は誰にも見つからないようにと、境内で一番大きな樹の枝の上で腰をついていた。


 ――ふと、眼下にふらふらと彷徨い歩く青年の姿が映る。

(あの若者…こんな夜更けに一体何をしておるんじゃ?)

(………)
 権は聞き耳を立て、青年の様子や言動を静かに訊ねてみることにした。
(………………)
(…そうか、成る程な。そういう事じゃったか……)









 ――翌朝。

「…ん〜〜〜っ!!」
 小鳥のさえずりの響きと、太陽の光とに照らされて、あゆみは目を覚ます。
 彼女は冷水で顔を洗い、着替えを済ませると、台所へと足を運ぶ。

「さぁ〜て。今朝の献立は…と♪」
 そういって冷蔵庫に貼り付けてある献立表を確認する。
 神条家では、予め一ヶ月分の朝食のメニューが決まっていて(権が自分の好みで決定する)、
 あゆみがそれに沿った朝食を作ることになっている。

「今日のメニューは…シャケの塩焼き…と♪」
 鼻歌を歌いながら、てきぱきと料理をこなすあゆみの姿は、とても活き活きとしていた。
 逆を言えば、本業の巫女をしているときは…

「…よし、できたっと♪」
 できたものを、食卓に運ぶあゆみ。
 そこでは既に、権と青年の二人が居を構えていた。

「おはようございます…あれっ、お父様…? そのぐるぐる巻かれた包帯はいったい…?」
「…昨晩な、『化け物』に襲われてしまっての……」
 心配そうに尋ねるあゆみに、まるで呻くようにして答える権。

「え〜っ、そうなんですか!? 私も昨晩、お風呂場の窓からおばけが出てきて、あれからすっごく大変だったんですよぉ?」
「………」

 そうして朝食をいただく間中、あゆみの昨夜の体験談は、若干彼女の脚色を加えられながらも、片時も止まることなく続けられていた。
「………」
 それを申し訳なさそうに聞いている権。
「あはは」と過ぎたこととして笑っている青年。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・・・・・


 長い長い朝食の時間は終わり、あゆみ達は今日一日の仕事を始める。
 せめて宿飯の恩を。と青年も、あゆみ達の仕事を手伝うことにした。






 ザッ、ザッ、ザッ――――

 銀杏の葉が舞い落ちる中、あゆみと青年は箒を手に境内の清掃をしていた。

「…ふぅ、これでよし、と」
 二人掛かりで取りかかったため、掃除も速いペースであらかた片づいた。

「やっぱり、男の方がいてくれると仕事もはかどりますね」
「いくら私でも、これくらいの役には立たないとね」
 タオルで汗を拭いながら、二人は会話を交わしていた。

「こんなに素敵な方なんだから、とても素敵な恋人がいらっしゃるんじゃないですか?」
 あゆみは年頃の好奇心から、ついそんなことを尋ねてしまう。

「…ええ。いましたよ」
 途端に青年の表情が翳る。あゆみの何気ないその言葉が、彼の心の琴線に触れてしまったようだった。

「私には、心に想う女性がいました。大学のサークルで知り合った同期生です。彼女とは馬が合い、何でも話せるようになるまでには、そんなに時間がかかりませんでした。彼女に正式にプロポーズを申し込もうとしたとき、彼女は突然事故でこの世を…」
「あっ……」
 あゆみは、軽はずみに言ってしまった自分の言葉に後悔した。
「ごめんなさいっ」
 ぺこぺこと頭を下げるあゆみ。
「いえ、いいですよ。神条さんは悪気があって言ったわけではないんですから」
「本当にごめんなさいっ!」

(愛理…)
 そんなあゆみをよそに。空を見上げ、青年は佇んでいた。


 あゆみ達の様子を、陰から見ていた権。
(やれやれ。今回くらいは特別にヒントを与えてやるかの……)
 そうして権は、てくてくと屋敷の中に入っていくのだった。





 ――夕方。
 一日の仕事が終わり、あゆみ達は部屋に戻って体を休めることにした。


 あゆみの部屋。
 質素を基調としていながらも、年頃の女の子に相応しく、部屋には細々としたアクセサリーや調度品によって小綺麗に装飾がなされていた。

 その中央にある丸長いテーブル。その上に置かれた物にあゆみは目をやる。
「あら? これは何かしら?」
 古ぼけた袋の中に入った粉。どうやらお香を焚くための粉末のようだった。

「何に使う物だっけ…そうか!」
 あゆみは思い立ったように部屋を飛び出した。



 ――お堂の中。
 日はすっかりと沈み、夜空にうつろう月のあかりは、秋の夜というものにいっそう朧げなアクセントを加えている。
 そんな月の下。

 青年と権を一堂に集めて、あゆみは自信満々に口を開く。
「えー、おほん。この度、この問題を解決する方法が見つかりましたっ!!」
 推理小説で答えを導き出した探偵のような仕草。あゆみの表情は生気にみなぎっていた。

(まぁ、ヒントをやったのはこの儂じゃがの…)
 と、権は小さく呟く。

「本当ですか? その方法というのは…?」
「これです!!」
 そう言ってあゆみが懐から取り出したのは、さっきのお香の入った布袋。
「それがどうかしたんですか?」
「これが、問題を解決するラッキーアイテムなのです!!」

 そしてあゆみは部屋の戸を完全に閉め切って。
「今から、このお香を焚きます。それからは…それからになってのお楽しみです」
「???」
 何がなんだかわからない、といった青年の表情。

「論より証拠。では、いきますよ?」
 香炉に粉を固めた物を入れ、それにマッチ棒で火を付ける。

 …周りにお香の燃えた煙が立ちこめる。
 そしてそれは、あっという間に部屋全体を満たす。

「……」
 人の心を瞑想深くにまで誘うような、不思議な感覚。

「……」
 そして、ただじっと座っている青年の姿を、あゆみと権はただ静かに見守っていた……




 ――しばらくして。

 煙が青年の目の前に集まりだし、それは一人の女性の姿を映しだした。
 そして、その女性らしき者の声が、部屋中に響き渡る。

「…久しぶりね。貴也」
「…愛理(えり)? 愛理なのか?」
 女性はこくん、と肯く。

 青年は、咄嗟に「愛理」と呼んだ女性に向かって走り出す。が、その両腕と身体は女性をすり抜けてしまう。
「…あれっ?」
「今はもう、こんな姿になってしまっているけど…」
 女性は哀しい表情をする。

「…僕は、君にずっと、言いたいことがあったんだ!!」
 突然、声を荒げる青年。
「……」
「僕は、君のことをとても愛している!! 初めて逢ったときからずっと…僕は…」
「…私もよ。貴也」
「!! 本当…か?」
 その返事に青年は驚く。

「ええ……」
 頬を紅くして、肯く女性。

「そうか…」
「……」
 二人はしばらくの間、互いに視線を合わせていた。

「ここの人たちのおかげで、こうして君と再会することができた。これからはずっと一緒に暮らそう!!」
「…それはできないわ」
「何だって!?」

「私はこうして死んでしまっているのよ!? そんなこと、できるわけないじゃない…」
「…なら、僕は君の後を追うよ!!」

「バカなことを言わないで!!!」
 青年のその言葉に、女性が怒声をあげる。

「貴方が、私のことを想ってくれる気持ちは嬉しい…けど。そのために、貴方の 『これから』 まで台無しにしないで!!」

「……!!」
「あの事故から、貴方はひどく落ち込んでたわよね? とても見ていられなかったわ。私たち人間って、身体がないと、どうしようもないものなのね…貴方に伝えたいことがあったんだけど…貴方の身の回りのものに、奇妙な音を立てていたのは私だったの。…はっきり言って、迷惑だったでしょ?」
「そんなことはない!!」
「…ええ。わかっているわ。だって、私は貴方のそういう優しいところが好きなんだもの…」
「……」
「…でもこれで、私が今まで貴方に伝えたかったこと…こうして貴也に伝えることができた…。あそこのお嬢ちゃん達に感謝しないとね…」
「……」
「…そろそろ『お迎え』が来たようだわ。今度こそ、本当にさよならね…」
「待ってくれ、行かないでくれ!!」
「…最後にひとこと言っておくわ」

「…私は、いつまでも貴方のことを見守っている…あとはすべて、貴方次第。…がんばってね♪」
 その言葉を最後に、彼女を形作っていた煙は、ゆっくりと、まるで空気に溶けていくかのように、静かに散っていった……

「愛理……」
 がっくりと膝をつき、彼女の最後の姿を見届ける青年。
 しかしその双眸には、一筋の頬を伝う涙と、新たな決意に満ちた表情が宿っていた。






「あのおなごを想いやるあまり、その魂をかえって縛り付けておったのじゃな。皮肉なものじゃ……」
「うう〜っ。あの二人、とても可哀想ですぅ〜〜っ」
 あゆみは先程までの二人のやりとりを見て、思わずもらい泣きをしていた。
 泉のように湧き出る涙が、権の頭をずぶぬれに濡らしている。


 青年が立ち上がる。
「神条さん。僕は決めました! 自分のこれからのために、今を生きようと。そうすることが、一番愛理を喜ばせることだから!!」
 青年の顔はとても活き活きとしていた。そして彼は、あゆみと権に心からの感謝の言葉を言うと、力強い足取りで境内をあとにした。

「あの人…幸せになれるといいですね」
「そうじゃな…ところでじゃ、あゆみ?」
「? なんですか、お父様?」
「依頼料の方はちゃんと貰ったのか?」
「あ……」
「…………馬鹿もーん!!!」



 ――神楽神宮。

 現世の人々の心に平安を。と由緒正しく続いてきたこの場所で。今日も閑古鳥が鳴いていた――



−FIN−

 


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