タイトル 『或るファンフィクション作家の話』
Written by 
あると




〜おび〜
 熱い男のすごい話。



 舞台は21世紀の某国某所。
 寒空の向こうから、風の便りが届くように冬の薫りを匂わせる、そんな晩秋の頃――語られるのは、一人の漢の熱き血潮の物語。

 今日もオレのアトリエにはタイピングの音が木霊していた。もうすっかり日課として身体に染み着いてしまっている、我ながら小気味の良い打鍵をBGMに、変幻自在に動く両手の指を思うさまキーボードに叩きつけ、頭の中に思い描いたイメージを刻み込む作業だ。
 ふむ。自己紹介がまだだったな。オレの名は須藤愁一(すどう しゅういち)。
 “ファンフィクション作家”という言葉を知っているだろうか。俗に言うネット小説の作家といえば割と問題なく伝わってくれるだろうか。様々なクライアントからの依頼を請け負い、内容に応じた執筆を生業とする者達の通称。……と云えば聞こえはいいが、場合によっては一日中アトリエに張り付かなければならない難儀な稼業だ。こうしてオレもファンフィクション活動を始めて早数年。長いようで短い年月だ。

 ピロリロリロ。

 おおっと。
 そうこうしているうち、オレの執筆活動の相棒にして愛機たるパソコンにメールが届いたようだ。
 内容は粗方予想できるが……ちゃちゃっと開いてみるか。

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 ■20xx/10/26(Fri)16:54

 to 盟友 須藤愁一殿


 拝啓

 季節の移り変わりの折、貴殿はいかがお過ごしか。

 つきますれば新作ファンフィクションの原稿を

 本日二十四時までを以って当方に戴けることを願い奉り候。

 迅速なる返答ならび入稿をお待ち申し上げておりまする。

                          敬具

 from アルカディア=ネット主宰 文小路 龍麿

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 ……チッ。
 独特の奇妙な言い回しでメールを寄越して来やがる送り主は案の定あいつだった。ネット界隈有数の大手ファンフィクション系総合ポータルサイト――アルカディア=ネット――その主宰こと文小路龍麿(あやのこうじ たつまろ)からの督促メールだ。
 原稿の執筆スケジュールは滞りなく組んであるっていうのに……。この文小路の場合は根っこが石橋を叩いて渡る性格なのか、ひっきりなしに督促のメールを投げてくる。
 同じ内容のメールを今日だけで既に5回も受け取った。まぁいつものことだ。いつも通りさっくりと……。

 ジリリリリリリ!!!
 と。思考の余地も、手間隙をくれる間もない。
 有無を言わさずこれだ。オレのデスクの隣から、けたたましく鳴り響く黒電話。こっちの都合などお構いなしに凜々と音を発する有様はあたかも赤ん坊の産声のようだ……。仕方がないからとっとと受話器をあげることにする。
 
「申し上げる申し上げる須藤殿。先程送信仕った電子メールの方、しかと読んで戴けたでおじゃるか?」
「ああ読んだぜ」
 ……文小路のやつ。メールの送信とほぼ同時に電話で催促のダブルパンチなんてするか普通?
「それは話が早い。つきましては――」
 馬鹿野郎。こっちが迅速にメールを確認したからってなぁ。
 要件以外の長電話がダラダラ続けばプラマイゼロなんだよ。時間一秒は黄金一粒にも匹敵するってコトをいつかどこかで思い知りやがれ。
「須藤殿のファンフィクションはぺらぺらぺらぺら」
 途中からはガチで聞き流していた。こっちのペースなどお構いなし。矢継ぎ早にマシンガントークを決め込む文小路。よくあんなんで大手ポータルの主宰なんて務まるよな。たいした器だ。世の中間違ってる。
 そうして「原稿」という単語を41回。「迅速」の単語を27回ほど繰り返された後、ようやく電話の切れる音がした。
 …………。
 べらぼうめ。オレだって一端のファンフィクション作家だ。期日までにはしっかり原稿を仕上げるというに。まぁアレだ。借金取りから過剰な取立てを食らい、借金を返そうという気力まで根こそぎ奪われてしまうようなアレ。督促が過ぎてかえってヤル気が殺がれてしまうという。
 なにが「迅速なる返答を」だ。こちとらいくつも連載抱えているんでい。作家のテンションの何たるかが分かっていないじゃねえのか。おうおうおうおう。いい度胸じゃねえか。のっぴきならねぇ屁理屈でゴネられちゃあオレの名が廃るってモンだ。漢一匹・須藤愁一、最早逃げも隠れもしやしねえ。男同士一対一の話し合いだ。表へ出やがれこんこんちきめ。
 と。いかんいかん。いつの間にか江戸っ子モードでメールを返信してしまっていた。愚痴っても時間が無駄になるだけで益の無い話だ。仕方がねぇ。さっくりとネタを上げるとするか。

 愛用のマルボロに火をつけて大きく息を吸い込み、ゆっくりと紫煙を燻らせる。こうしていると不思議と落ち着いた気分になり、だんだん考えがまとまってくるんだ。そんなオレなりのアダルティなリラックス法。未成年者は大人になるまで待ってくれ。部屋の窓から街並みを眺めながら、ゆっくりと気を取り直して……。ぬおッ!?
 唐突にアイデアの光が天から降りてきた。

「そうかッ!? これだ。これだこれだこれだこれだこれだあああァアアアアアア!!!!!」

 その閃きを象徴するかのように、オレの両手が光を放つ。拳の輝きが原稿を書けと轟き叫ぶ。炎をまとったオレの指先がモニターに向かってアイデアを叩きつける。オレの愛機が、オレの気魄に呼応するかのように熱を帯びて炎上する。
 
 ふおおおおおおおおお。うらうらうらうらうらうらうらうらぁぁあああああああ!!!!

#注・説明しよう。
 須藤愁一はスイッチが入ると身体中が烈火の如き熱と炎をまとい、あふれんばかりのオーラが包み込むようになるのだ。
 その姿を敢えて喩えるならば、まるで胎動する永久機関が永きにわたる封印を突き破り、歴史的悲願の始動を迎える瞬間を目の当たりにするかのよう。須藤の千にして万たる十の指先がキーボードを打鍵していく。オーラと共に荒れ狂う突風の渦が部屋中の(ハウスダストの)粉煙を巻き上げ、至るところでバチバチと紫電がほとばしる。肉眼では決して捉えることの出来ない彼の指裁きは正に修羅。
 それこそが彼の真骨頂(スタイル)、漢・須藤愁一そのものなのだ。

「閃いたぁぁああああ!!! オレは閃いた閃いた閃いたァアアアアア!!!!!」

 ――――。

 ――――。

 ――――。

「くくく……あっはははは……あーっはっはっはっは!!!」



 できた。できたぞ!!
 正味3000と528秒。おおよそ一時間の時間を経て、オレはこいつを完成させた。紛れも無いファンフィクションの原稿。txtファイルに保存もバッチリだ。
 気がつけば、戦火の過ぎ去った地平のように辺り一面に粉煙が立ち籠めていた。オレにとってその煙はまるで、弾丸を吐き出した銃身から漂う硝煙の匂いにさえ感じられる。それはひとつの戦いを勝ち取り、生き抜いた証。開け放った窓からが穏やかに風が入り込む。心地よい風は、身体中に残った余熱を程よく冷ましてくれた。
 オレの戦場での得物はこいつ。愛用のキーボードはJIS防水8等級、防塵6等級、耐圧、耐衝撃性にも優れた特注品。荷重100キロの圧力にも耐えられるスグレモノだ。ゾウさんが踏んでも壊れない堅牢性。生半可なキーボードだと1〜2回使っただけでボタンにヒビが入ったりしてすぐ使用不能になってしまうからな。

 さて、状況はこれで終了だ。……おっと後始末がまだだったな。
 あとは文小路から6通目の督促メールが届く前に、手っ取り早く文小路のサーバーに転送すれば晴れて今回の任務は完了する、と……。あ?
 信じられねぇ。操作を入力した途端パソがフリーズしやがった。マシンの所々が放電しながらモクモクと煙を吹き上げてやがる。くそったれ。打たれ強さがなくて何がパソコンだよ。
 幸い原稿自体はフラッシュメモリにバックアップしてあるから問題ないとして、あとは送信、送信か。主宰にあんな大見得を切った手前、手早くなんとかしないと不味い。これは極めて不味い状況だぞ。しかし頼みの電気街はそろそろ閉店時間だ。
 灼熱する外蓋を開けると、そこからむわっとした熱気が襲う。火傷をしないよう慎重に外すことにする。
 ざくっと見た感じ、部品単位でショートしてしまってるようだ。自力で修理するとしても、こいつを再び元通り動く状態に修理できるまでにどれくらいの時間がかかるか予測もつかない。

 こういう時はかの高名な一休和尚の真似事だ。眉間に唾をつけ、結跏趺坐の印を結んで瞑想をはじめる。これで上手い具合に頓知が出てきてくれれば占めたものだ。ぽくぽくぽくぽく。
 ……。ダメだ。なにも思いつかない。これでは頓知どころかトンチキだ。やっぱり慣れない事はするものじゃないな。そうして時間を無為に費やすこと2時間余。
 原稿を書いていた時間の方が安くついたなんてツッコミなどは御免被りたい。


 ジリリリリ……。と鳴り響く黒電話。
 発信元は恐らく文小路だ。あいつめ。狙い澄ましたかのようなタイミングで電話をかけてきやがる。オレは渋々受話器に手をかけた。
「ああ、須藤だ」
「盟友殿。原稿の進捗状況はどうなっておじゃるかな?」
「原稿自体はたった今完成したばかりだ……」
「なんと! 流石は須藤殿でおじゃる。して、それはいつ程に送って戴けるのでおじゃるか」
「……ああ。実はその話なんだがな……」
 ――オレは愛機が見事に大破してしまったこと、そのためにサーバーに原稿をアップロードできないこと、愛機を修理するためのスペアを切らしていること、今夜中にサーバーに上げることは難しいことを告げた。あれだけの大見得を切った手前、とても言い辛い。
「それは仕方のないコトでおじゃるな。それでは原稿の受け取りに遣いの者を向わせるでおじゃる」
「いや、それには及ばない。オレが直接原稿を届けにいく。オレ自身の蒔いた種だ。手前の失態は手前で何とかするさ」
「そ、それはこちらとしては申し分ないでおじゃるが……」
「じゃあそういうことでよろしく頼む」
 ガチャン。
 …………。要は日付が変わるまでに原稿を送り届ければいいわけだ。ひとっ走り行ってくるか。オレは原稿の入ったフラッシュメモリーを懐に入れ、文小路の待つマンションへと向った。



 秋も終わりに近づいているだけあって、この時間でもすっかり陽は落ちていた。吸い込まれるような晩秋の空からは、冬の訪れを告げる肌寒い空気が身体中に差し込んでくるようで、オレは思わず身を強張らせてしまう。
 街並を歩く。ここは目を閉じても歩けるくらい何度も行き慣れた往路だ。そしてオレは、駅への最短ルートを過不足のないタイムで通過する。
 電車を降りてしばらくの所にある大通りの信号機。そこで信号待ちをしている所で一匹の子猫の姿を見つけた。見ると雑種とは思えない整った毛並をした子猫だ。そいつはブルゾンの足下にすりすりと頬を摺り寄せていた。
 ははは。可愛いもんだ。コイツを擬人化させたら次回のファンフィクションのネタになるかもしれないな……いかんいかん涎が。
 愛らしい仕草をしている無垢な子猫に対し、オレは邪でいかがわしい視線を投げかけつつ、脳内に妄想回路を起動させながら和んでいると、その子猫がひょいっと路地に飛び込んでいった。しかも追い討ちをかけるようにその向こうから。

 大型の10tトラックが、明らかに法定速度オーバーのスピードで差し迫ってきていやがった。
 馬鹿野郎。でかい図体した車体を動かすクセして、目の前にいる子猫の姿にも気づかないのかよっ。
 やべぇ。猫の、他の獣と比べワンクッション遅れて行動する習性が災いしている。しかもあんな幼いガキ猫だ。一端の猫並の行動力を期待する方が間違いってもんだ。
 思うが先か。オレの身体が子猫を救い上げるために動いていた。運転手がようやく気付いたのか、急ブレーキをかける音が聞こえる。子猫の身体を抱きかかえ、そのままの勢いで力いっぱい安全な場所へと投げ飛ばす。子猫は猫の習性でしっかり着地。よし。あとはオレが……って。

「ぶはっっっ……!!」

 真正面からトラックに衝突し、その運動エネルギーをモロに受けたオレの五体はそのまま数十メートル先の向こうへと撥ね飛ばされていった。

 ……………………。

 ……………………。

 ……………………。


「ぜぇ、はぁ、ぜぇ、ぜぇ……」

 くっ。ククククク……見ろ!!
 オレはこの通り無事だ。この程度で死ぬわけがねぇ。たかが10tのトラックに真っ正面から撥ねられた程度で、この程度のコトでいちいち死んだり倒れたりして堪るかよ……。こめかみの辺りから血色の雫がぽたぽたと滴り落ちている。だが大丈夫だ。人間の身体ってのは案外丈夫に出来てるもんだ。出血量も2リットルくらいなら充分にライフライン。だから死ぬことはねぇ。
 正直、痛みが無いといえば嘘になる。ひょっとしたら骨が何本かイッちまってるかもしれない。だがそうやって泣き言を云うのは簡単だ。そんなことは子供にだってできる。
 それでも! オレにはやり遂げなければならないことがある。

 ……オレは誰だ? ……オレは何だ?
 他の誰でもねえ。ファンフィクション作家、須藤愁一その人だ。
 ならばファンフィクション作家とは何だ?
 原稿を仕上げ、クライアントに無事に送り届ける。崇高な誇りを胸に生きる者をさす言葉ではないのかぁああ!!

「ふっ、ふはははっ。あはははは……、っ」
 
 霞がかった視界の中、朦朧とした意識で文小路の待つマンションへの道をひた歩く。周りではいつの間にか、オレのことを取り囲むように黒山ができていた。
 ……あぁなるほどな。お前達、オレの怪我を見て心配してくれているのか。
 大丈夫だ。こんなカスリ傷程度、ぺろっと唾つけときゃあ直る。だからそんな心配そうな目でオレを見ないでくれ。オレは倒れねえ。こんな所で死んで堪るかよ。この原稿を送り届けるまでは……な。ここでいっちょ気合いを入れて……ひとっ……ぱしり……………………。
 どさっ。
 …………。



「ん…………」
 気がつけば、青白く明々と天井のような模様が、ボヤけた輪郭のままオレの視界に映り込んでいた。
 ああ思い出したぞ。オレは原稿を送り届ける途中で10tトラックに撥ねられて気を失ってしまったのか。道理で見慣れない場所だと思った。ここは天国の入り口か、それとも地獄の一丁目か……。

「あらまあ。どうやらお目覚めになられたみたいですよ」
 唐突に声のする方をゆっくりと振り返ると、そこには天使のような微笑をくれる美しい女がいた。
 じゃあ、ここは天国ってことか?
「須藤殿。須藤殿。お目覚めでなによりでおじゃるよ」
 かと思って逆方向から聞こえる声に視線を移せば、オレが一番見たくないヤツの顔が映っていた。
 ……はは。ここはどうやら地獄で間違いないらしい。

 オレは病院のベッドに横たわっていた。
 痛む身体をゆっくりと身体を起こす。
「須藤殿がなかなか来られぬゆえ、心配になって麻呂自らが先生の御自宅に向かえば、目の前で先生が血まみれで倒れていたではおじゃらぬか。その無残な御姿を拝見した時は本当に驚いたでおじゃる」
「意外にしぶとい生命力だろ?」
「いやはや。あれで命を繋ぎとめるとは、流石は須藤殿でおじゃる」
 と、忘れちまう所だった。
 原稿だ。あれから何日経っているのかは解らねぇ。だがオレにはファンフィクション作家として、目の前のクライアントに完成した原稿を必ず渡さなければならない使命がある。
 オレはテーブルの上に折り畳んであった上着に手を伸ばし、ごそごそとポケットをまさぐる。ってあれ?
 おかしいな、ここに入れといたはずのフラッシュメモリがないぞ。まさか、あの時に失くしちまったんじゃ……。だとすると……。文字通りオレは原稿を落としたってことに。
 一瞬目の前が眩み、オレの顔(かんばせ)に冷たい汗が流れ落ちた。
「本当に流石でおじゃるよ須藤殿」
 そんなオレのことを咎めるかのように、文小路が首を横に振っていた。
 まさか……。
「原稿は須藤殿が病院に担ぎこまれた時に確かに戴いたでおじゃる。サイトは全く問題なく更新できたでおじゃるよ」
 やつの手の平に握られていたのは一枚のフラッシュメモリー。オレが探していたメモリーそのものだ。
「当然だろ……オレを誰だと思ってやがる……」
 ははは。なんだそういうことか。文小路の言葉を聞いた途端肩の荷が下りたと同時に、緊張の抜けた反動なのか、急に笑いがこみ上げてきた。
「くっくく……」
「ほっほっほ……」
「「あーっはっはっはっはっはっっ!!!!」」
 しばらくの間、オレと文小路は互いに向かい合って大笑いしていた。



「よーし。じゃあ次の原稿に取り掛かるとするかぁ。……うぐッ!?」
 ベッドを離れようと身体を起こした途端、身体中が軋みを上げた。
「須藤さん!? 貴方はまだ血が足りないんですよっ。それにリハビリだって。向こう数日は安静にしていないと!」
「だったら輸血でも増血剤でも何でも打ちやがれ。オレには病院のベッドで寝転がってる時間はねぇ。とっとと次の仕事にかからなけりゃいけねぇんだてやんでい」
「そんなことを言って。万が一があったら元も子もないじゃないですかっ」
「うおー離せ。離してくれえええ!!」
 尚も病院を抜け出そうと足掻くオレだ。
 だが結局、廊下を通りかかりの医師や看護婦達に取り押さえられてしまっていた。

 ――オレの名は須藤愁一。
 原稿を上げるために命を懸けるファンフィクション作家だ。




〜あとがき〜
 萌えブームが席巻する昨今。たまには男キャラで構成した馬鹿騒ぎとか良いじゃないと思い立ったのがすべての間違い。おあとがよろしいようで。


#補足:ファンフィクションとは?
 要するに二次創作の小説やらSSの類。
 媒体が絵の場合はファンアート、音楽の場合は耳コピとかアレンジと呼ぶ。

 トリビュート、オマージュ、カヴァーのもう一歩手前の意味で用いてます。





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